第19話 上級魔族
琉斗たちの前に現れた魔物は、空から地上を見下しながら、口元を吊り上げた。口の端からは、ぎらりと鋭い牙が覗く。
「あれは……まずいな」
「そうね、私も初めて戦うレベルの相手だわ」
指導員の二人が、表情を強ばらせながらつぶやく。これまでの戦いでは決して見せなかった、余裕のない顔だ。
巨大な熊の魔物は、思わず立ちすくんでしまいそうな低い声で、琉斗たちに向かい吠えた。
「お前たちか、俺の放ったエサに食いついたのは! 少しはこの俺を楽しませるのだぞ!」
魔物の目が、眼前の闘争への喜びにぎらぎらと輝く。
これは、危ないタイプだ。琉斗はそう思った。交渉の余地などない。ただただ殺し、壊し、奪うことを楽しみにしている類の存在だ。
「俺の名はボルドン! 魔王軍南東方面軍第三前線基地司令、ボルドンだ! 魔王軍にその人ありと言わしめたこの俺が、直々にお前たちをぶっ殺してやる!」
魔物でも自分たちを「人」と表現するんだな、と琉斗は緊張感のないことを考えた。
もっとも、今彼らが使っている言葉は日本語ではない。どうやら日本語の「人」という単語が指し示すよりもさらに広い対象を示す単語に対して「人」という訳があてられているようであった。
と、琉斗の脇から、バスケットボール大の火球が魔物目がけて放たれる。ミューラーが中級魔法を唱えたのだ。
自分に迫る火球を、ボルドンと名乗った魔物は特にかわす素振りを見せるわけでもなく見下ろしている。
直後、火球はボルドンへと激突し、炎が魔物を包み込む。
やがて炎が散り、その向こうから現れたのは、平然と琉斗たちを見下し続けている魔物の姿であった。特に火傷(やけど)を負ったような様子もない。
モルグが叫ぶ。
「お前の魔法じゃ効果はねえ! ミューラーは他の連中連れて下がってろ!」
「くっ……」
ミューラーが呻きながら顔を歪ませる。
相手との力量差を突きつけられたのが耐え難かったのだろうか。それとも、モルグの言葉が受け入れ難かったのか。プライドの高いミューラーのことだ、その両方かもしれない。
「じゃあ、次は私の番ね」
そう言うや、セレナが素早く魔法の呪文を唱える。
詠唱が完成すると、セレナの手元に直径七十センチメートルほどの大きな火の玉が出現する。
赤々と燃え盛る火球を、セレナは空の上の魔物へと発射した。
迫りくる火球に、ボルドンは大きな口を開く。
魔物の喉奥に赤いものがのぞいたかと思うと、鋭い牙が並ぶ口から炎が猛烈な勢いで吐き出された。火球と激突すると、光を放ちながら互いに消滅する。生じた熱風が、琉斗たちの肌を灼く。
「ちっ、あの化け物、あんな芸当もできるの? 上級魔法が通じないなんて」
セレナが忌々しげに舌打ちする。
モルグも少し焦っているようだ。二級冒険者であるセレナの魔法が効かなかったことに動揺しているらしい。
「あの魔物、とんでもない化物だぞ。 どうする、セレナ?」
「本気でいくしかないようね。最上級魔法を使うわ。モルグさん、それまで時間を稼げるかしら?」
「ああ、何とかやってみるよ」
二人が打ち合わせをしていると、ボルドンはゆっくりと地上へ下りてきた。巨大な戦斧を構えながら楽しそうに笑う。
「まさかあれで終わりではないだろうな? 少しは楽しませろよ、人間?」
「安心しろ、すぐにあの世に送ってやるよ」
モルグが言うその隣で、セレナが呪文の詠唱を始めた。
それと同時に、モルグが魔物へと突進する。
「おおらぁっ!」
一気に魔物との間合いを詰めると、モルグは右へ左へと剣を振るっていく。その剣さばきは、まさに熟練者のそれだ。
だが、ボルドンはその剣撃をその場から一歩も動かずに防いでいく。驚くべきことに、手にした斧さえほとんど動かさず、身体をよじりながら鎧や肩当てで剣を弾き、滑らせているのだ。
無論、モルグは鎧の継ぎ目や急所を的確に狙っている。
しかし、だからこそなのか、ボルドンは最小限の動きでモルグの攻撃を受け流していた。その巨体や粗野な言葉づかいからはおよそ想像しがたい、細やかで洗練された身のこなしであった。
「こんなものか、期待外れもいいところだな」
「ほざけ、この熊野郎!」
悪態をつくモルグに、ボルドンが斧を構える。
そして、大きく振りかぶったかと思うと、信じられないほどの速度でそれを振り下ろした。
右に跳躍して回避しようとしたモルグだったが、斧のあまりの速さに慌てて剣で受け流そうとする。だが、圧倒的な威力の前に彼の身体は弾き飛ばされ宙を舞う。
「うおおぉぉ――っ!?」
五メートルほども吹き飛ばされ、モルグは全身を地面に強打する。息が詰まったのか、すぐには立ち上がれない。
ボルドンが振り下ろした戦斧は、地面に激突して大地を穿つ。土はえぐれ、後にはぽっかりと大きな穴が開いた。
「ふははは! 何だ人間! 弱い! 弱すぎるぞ!」
さも愉快と言わんばかりに魔物が笑う。どうやらこの魔物は、強敵との殺し合いだけではなく、一方的に弱者を嬲り殺すのも大好物のようだ。
と、その時、横合いから凛とした声が魔物にぶつけられる。
「そこまでよ、化物! 私の魔法で灰になるがいい!」
見れば、呪文の詠唱を終えたセレナの頭上に、巨大な火球が浮かんでいる。モルグが時間を稼いでいる間に、セレナの最上級魔法が完成したのだ。
「これでも食らいなさい!」
セレナの叫び声と共に、赤く燃える炎の塊が魔物へと向かい放たれた。
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