第7話

 いつの間にかダフニは9歳も半ば以上を過ぎていた。母が死んで魔法教室を辞めてからから4年と半年以上の年月が過ぎたことになる。


 その日、ダフニは街の精霊殿と呼ばれるところにマヤに連れられて訪れていた。付き添いにはクロエも一緒に来ている。


 「ダフニ」

 「お兄さま、どうしてここにいるですかな?」


 精霊殿に着くとレオがダフニたちを出迎えた。予想していなかった最愛の兄の出迎えにダフニは驚くやら嬉しいやらで相好を崩して問いかけた。


 レオはダフニの10歳年上で、今は19歳になっていた。身長もぐっと伸びてまさに好青年に育っていた。もう彼女の1人や2人いてもおかしくないのに、そう言った噂は全く聞かないのは不思議なくらいだ。


 「お父さまが来られないから、代わりに立ち合いに来たんだよ」

 「お父さまは来られないですかな」


 今日はダフニの魔法使いとしての重要な節目である精霊契約の儀式の日だった。国王である父が多忙の中スケジュールの空いている日をわざわざ選んでこの日にしたのだが、結局土壇場で別の予定に割り込まれてしまったようだ。


 「それはさ、お父さまは忙しい方だからね」


 レオはそう言うが、もしこれがレオのことだったら他の予定を差し置いてでも出席していたに違いない。王子と言っても5番目の男児の成長を愛でるだけのの予定は、父本人の気持ちはともあれ国王としての優先順位を下げざるを得ないのは仕方がないことなのかもしれない。


 「よいですな。代わりにお兄さまが来てくれたのなら、むしろそちらのほうが嬉しいですな」

 「しー。ダフニ!」


 ダフニがうっかり国王をないがしろにするような発言をしたことにレオは慌ててダフニをたしなめた。権謀術数のはびこる政治の舞台では王子といえども失言が命取りになることもある。幸いダフニ自身はその渦中ではないが、レオは長男でありながら母の死で立場が弱くなっていることもありいろいろ神経を使うことも多いようだった。


 「これはこれはダフニ王子。ようこそお出で下さいました」

 「司祭様、今日はよろしくお願いするですな」


 レオの次に出迎えてくれたのは精霊殿の司祭だった。司祭は要するに精霊殿の管理をしている長の人だ。ただ、これは本当に単に管理をしているだけであって、何か儀式をする立場ではないということに注意が必要だ。精霊殿を使って儀式をするのはあくまで利用者である魔法使いなのだから。


 つまり、今日の精霊契約の儀式を行うのはダフニ自身なのだ。レオも司祭も他の人々と同様に単に儀式の傍観者、観客に過ぎない。ただ、司祭は長年の経験から儀式を行うダフニに指導をしてくれるのでダフニとしてもよく話を聞いておく相手なのは間違いなかった。


 司祭に案内されて精霊殿の中へと入っていくと、そこにはすでに何人かの人が待っていた。と言ってもそれらの人々は司祭とは違い真の意味での観客、というよりむしろ野次馬であって儀式そのものには一分いちぶの関わりもなかった。その中には昔魔法教室で一緒だったヘシア先生の姿もあった。


 「なんだか人が多いですな」

 「そりゃそうだ。学校に入る前に精霊契約の儀式をするなんて前代未聞だからな。魔法に造詣のあるものなら誰だって興味を持つさ」

 「そういうものですかな」


 ――さしずめ天才少年プログラマーといったところですかな。確かに多少は注目を集めるかもしれないですな。


 だが、ダフニは人が集まっていることにはあまり興味を示さず、こっそり呟いた。


 「尤も、早くできるようになったからといって、大成するかどうかは毛ほども分からないのですな」


 ダフニがこれから行う儀式は精霊契約という儀式だった。


 精霊といえば魔法の呪文にも含まれている要素でダフニの研究もこの精霊が何かということを解明することを1つの目標にしていた。しかし、様々な方法で調査研究を続けているが、いまだに精霊とは何なのかはっきりしたことは分かっていなかった。せいぜい、文献調査で魔法というのは精霊の力を借りて発動するものだと考えられているということが分かっている程度のことだった。


 通常の魔法でも精霊の力を借りるのだが、今から行う精霊契約というのはそれとは違う特殊な魔法のためのものだった。それは特別な精霊と特別な契約を結ぶことでその精霊の力を使って強力な精霊魔法が使えるようになるというものらしいのだ。


 この精霊魔法というものについて、ダフニは精霊というものの正体を解明するための重要なカギだと考えて詳細に文献調査してきていた。


 まず、精霊契約をするには魔法使いの魔力の強さが大切でこれが低いとランクの高い強力な精霊と契約することは不可能であるらしい。契約した精霊の種類はそれを調べるための魔法があり、歴史上これまで契約されたことのある精霊とその能力/ランクは一覧として精霊殿に保管されている。それと照らし合わせれば、新しく契約した精霊の能力とランクはすぐに確認できるようになっているのだ。


 次に、契約時、どの種類の精霊と契約することになるかは完全な運次第となる。また、魔力の強さを客観的に測定する方法もないので、精霊契約の結果はかなりの割合で博打の要素を含んでいると考えられた。ただし、これには諸説あって、全くのランダムであるとする説から完全にコントロール可能とする説まで様々だ。中にはオカルトめいた方法で契約をコントロールしようとする怪しい文献も数多く見られた。


 契約を精霊殿で行う理由は、精霊契約の時に近くに高ランクの精霊が集まっている方が高ランクの精霊との契約に成功しやすいという考えがあるからだ。これは経験則から得られたもので多くの研究家が認めている。このため大抵の街では精霊殿を作って魔法儀式をそこに集約することで高ランク精霊を誘因するようにしているのだ。


 さらに精霊契約の問題点として、その契約を維持するコストとして魔力の総量が平均で半分ほど減ってしまうという副作用があるようだ。精霊のランクが高いほど副作用は大きくなる。とはいえ、精霊魔法はそれだけのコストを払っても十分価値があるという程度に強力だと認知されていた。


 ちなみに、ダフニが9歳という若さで精霊契約をすることになったのは、ダフニが精霊研究のために精霊契約に乗り気だったことが主な理由ではなかった。それよりもダフニの魔法の才能を間近に見ていたレオとマヤによって、来年から通う学校で入学後すぐに上級クラスに所属して精霊魔法を学ぶことができるようにと配慮されたのが大きかった。


 「では、行ってくるですな」

 「ダフニ、頑張れよ」

 「ダフニくん、頑張ってください」

 「ダフニ様、ご武運をお祈りしています」


 少々仰々しい言葉を贈ってくれたクロエの頭を少し撫でて、ダフニは精霊殿の中へと歩いて行った。


 「豊原に集いし数多の精霊たちに請い願い奉る。我、汝らの一柱との契約の求めあり。この時よりもって汝、常に我とともにあり求めに応じて力を貸したまへ。さすれば我、汝の願うものを与えるものなり。コール」


 精霊契約の呪文は魔法の呪文とよく似ている。発動の方法も同じで、魔法を行使するときのように呪文を唱えればいいらしい。といっても練習するわけにはいかないので一発勝負になるわけだが。


 …………


 呪文を唱えて数分の時間が過ぎたが、特にダフニの体に変化が起きることはなかった。外見的にももちろんだが、ダフニ自身の五感にも何かしらの変化を感じるということはなかった。


 もちろん、これは失敗ということを意味しているわけではない。そもそも精霊というものを観測することはできないので契約したとしても何か感覚的に変化が感じられるということはないのだ。


 「ちゃんと契約できたですかな?」


 10分ほど経って、もう十分だろうと思ったダフニは振り返ってそう言った。


 「そうでございますね。ではそろそろ移動しましょうか」


 司祭がそう言って道を示すのでその案内に従って精霊殿を出て別の部屋へと移動した。案内されて入った部屋は、精霊殿よりは小さいもののそれなりの広さの部屋だった。どうして部屋がこんなに広いのかという疑問の答えは、ダフニが入った後にすぐに分かった。精霊殿にいた観客たちも全員後について部屋に入ってきたからだ。


 「この部屋なら精霊も少ないはずですから大丈夫でございます」


 司祭はそうダフニに言うと3歩ほど後ろに下がって控えた。もちろん精霊は見えないから少ないと考えられているというだけだ。


 「誓約にて共にする精霊に請い願い奉る。我、汝に一つの求めあり。我が左肩に汝の類を刻むる回廊を作りたまへ。コール」


 ダフニが呪文を唱えると、左肩に鈍い痛みがしばらく続き、また何事もなく痛みが引いた。この呪文が精霊の種類を調べるための魔法だ。体の一部に精霊の名前を刻み込むという効果の魔法で、伝統的に左肩に刻むのが習わしとなっていた。


 「終わったですな」

 「では、拝見いたします」


 司祭が近づいてダフニの左肩を確認すると、周囲の観客たちも息を飲んで司祭の動きに注目した。しかし、司祭は肩を見つめたままなかなか動こうとはしない。


 「司祭様、どうしたですかな?」

 「ちょ、ちょっと待っていていただけますか」

 「もちろんですな」


 ダフニの問いかけに、司祭は一言断って部屋を出て行った。想定外の事態に観客たちが一斉にざわめきだした。


 「ダフニ、一体どうしたんだ?」

 「はて、どうしたのですかな?」


 しばらく待っていても司祭が帰ってこないので、しびれを切らしたレオが近づいて来てダフニに問いかけたが、ダフニとしても何が起きたか全く分からない。クロエとマヤも近づいてきたがやはり状況は飲み込めていないようだ。


 「精霊の名前はなんて出たんだ? ……『リピカ』? 聞いたことないな?」


 レオがダフニの左肩を見て、そこに浮かび上がった精霊の名前を読んだ。レオはその名前に記憶がないようだったが、ダフニは何となく聞き覚えがあった。


 「『リピカ』ですかな? それは昔何かの本で見た気がするですな。確か……」

 「お待たせいたしました」


 ダフニが記憶を手繰ろうとしたところで、ちょうど司祭が戻ってきた。


 「こほん。ダフニ王子が契約なされた精霊は名を『リピカ』、現在はおろか過去数百年にわたって契約者は0。文献によるとその力は……」


 精霊の力の強さはその希少性と大きな関係がある。一般的に希少な精霊ほど強い力を持つと言われていて、普通級ノーマル(N)、特別級アンコモン(U)、希少級レア(R)、伝説級レジェンダリー(L)とランク付けされている。伝説級レジェンダリーとなれば100年に1柱というほどの希少性であり、契約者は例外なく歴史に大きな足跡を残していた。


 まして数百年にわたって契約者0というほどの希少性ともなれば、世界に大変革を起こすほどの力を持っていても不思議はない。部屋に集まったものは皆、司祭の次の言葉を瞬きすらもせずに待ち構えた。


 「その力は『記憶』です」


 司祭の言葉を聞いてもその場は依然として静まり返っていた。集まった人は誰も「記憶」という力を今まで聞いたことがなかったので、どう判断すればいいか分からず司祭のさらなる説明を待っていたのだ。しかし、司祭もこの力のことはこの時が初耳だったので説明も頼りないものにしかならなかった。


 「あくまで文献に書かれた内容ではありますが」


 と前置きして司祭は今読んできたばかりの文献に書かれていた内容を復唱した。ちなみにその文献は写本が一般閲覧も可能となっていて、精霊殿に入館できるものなら誰でも閲覧可能だ。また、王宮にも写本が保管されていてこちらも王宮関係者なら閲覧できる。実際に読む人がいるかは別だが。


 「見聞きしたものを即座に覚えて後から細部まで詳細に思い出すことができるという力であります」

 「……他の力は?」


 レオが恐る恐る尋ねたが、司祭は申し訳なさそうに首を振った。


 「それだけでございます」

 「……はははっ。とんだ外れを引いてしまいましたね」


 それを聞いて観客の中からこらえきれないと言った様子で女性の笑い声が聞こえてきた。昔通った魔法教室のヘシア先生だった。


 「きちんとした練習もせず、いい加減な心構えで魔法に向かうからそんなことになるのです。史上最年少での精霊契約など片腹痛いですわ。過去数百年で契約者0というのも精霊が低級すぎて契約対象にならなかったというだけではないですか?」

 「ヘシア先生!」

 「ダフニ様はいい加減なんかではありません!!」


 ダフニが反論しようとしたところで、それに先んじてクロエがヘシア先生に噛みついた。クロエの剣幕に機先を制されたダフニは逆に頭が冷静になった。


 「クロエ、下がるですな」

 「……申し訳ありません」

 「ヘシア先生。学校で学ぶ学問と実際の役に立つ学問とは似ていても少し違うものなのですな。この精霊は以前一度文献で読んだことがあるけれど、なかなか面白い性質をしているですな。誰も契約をしたことがないというのなら研究のやりがいがあるというものなのですな」


 9歳の子供が長年教師をやっているものに学問について説教するというのは妙な図ではあったが、生前それなり以上に学問を修めた上で実社会でもその学問を使って身を立ててきたものの自負として、所詮は幼児教室の先生にしかなれなかった人間に何が分かるかという気持ちが滲み出るのは仕方のないところだった。


 ただ、ダフニはそれ以上ヘシア先生と議論をするつもりはなく、もう興味はないという様子で視線を切ると司祭に挨拶してさっさと精霊殿を後にした。


 「ごめんな、ダフニ」

 「お兄さまが謝ることではないですな。さっきも言った通りこの精霊は案外研究のやりがいがあるですな。存分に楽しませてもらうのですな」


 帰り際、レオが申し訳なさそうにダフニに謝ってきたが、ダフニは不敵な笑みを浮かべてそう返事をした。

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