第8話

 10歳なり春が来て、とうとうダフニは学校に入学することになった。


 学校の名前は「オスティアス学園」といい、国名であり王家の名前でもある「オスティア」と同じ名前を冠した王国随一の学校である。


 入学最低年齢は10歳となっているが、それを超えていれば年齢制限は設けられていない。入学すると能力別のクラスに所属して進級は習熟度レベルで決まる上、中の授業も中級以降は個別学習の割合が増えていくので年齢が同じでも学習内容は人によって様々だ。卒業も好きな時に可能で、卒業時までに取得した単位の内容がそのまま学位の証明となる。


 文字の読み書きや四則演算などの基礎的な学習は入学以前に修めておくことが要求されるため、学校入学前に塾や家庭教師に勉強を教えてもらうことは当然のことであり、入学時点からできるだけ上位のクラスに入るためのいわゆる「お受験」が余裕のある貴族の間では過熱しているのだ。


 ダフニは魔法技術に10歳とは思えないレベルで習熟していた上に精霊契約も済ませていたのでいきなり上級クラス入りが検討されたが、契約した未知の精霊の評価が決まらないため中級クラスへの所属ということで落ち着いた。


 また、クロエも一緒に入学することが決まった。本来ならありえないことだが、ダフニがクロエを側に置くことについてわがままを通したのだった。わがままが通った理由として、皇太子であるレオが根回しをしたというのも大きかった。レオは精霊契約の件でダフニに多少負い目を感じていたのだ。


 クロエはメイド長の教育を受けていたので、特別受験勉強をしていたわけではないが基礎的な学習は終えていた。とはいえ他の貴族の子弟には劣るため、ひとまずダフニからは離れて初級クラスで様子を見るということになった。


 その日、クロエはいつものように朝日を感じて目覚めると、隣で寝るダフニを揺り動かした。


 「ダフニ様、起きてください。ダフニ様」

 「んー、もうちょっとですなー」


 クロエがダフニのベッドで寝るのは特に珍しいことではない。一応、ドアを1つ隔てた隣にクロエ専用の部屋が用意されているが、むしろそちらで寝ることの方が少なかった。大体いつもダフニが話し相手にクロエをベッドに呼んで、あれこれ話しているうちにそのまま寝入ってしまうためだ。ダフにとしては毎日パジャマパーティーをしているようなノリである。


 「ダメですよ。今日は大切な入学式ですからね」

 「はっ、そうだったですな!」


 クロエの言葉にダフニは飛び起きた。さすがに入学式から遅刻というのは格好がつかない。


 ダフニは基本的に朝が苦手だ。クロエとほとんど変わらない時刻に起きたにもかかわらず、クロエに手伝われながら支度が完了する頃には、クロエはとっくにすべて準備を完了してダフニを待っていた。


 「このお部屋も今日までなんですね」


 クロエが感慨深げに言っているように、ダフニたちは引っ越しをすることになっていた。どこにかといえば、学校の敷地の方にだ。オスティアス学園は街の郊外にあり、街中から通うには徒歩では時間がかかるので馬車が必要になる。だが、毎日馬車通学は不便なのでほとんどの学生は学校の敷地内に部屋を持ってそこで寝起きしているのだ。


 大体の学生は寮を使うが、王族や限られた上級貴族は学校敷地内に私邸を所有していてそこで寝起きする。ダフニも例外ではなく校内にダフニ専用の屋敷が用意されていた。大きさは今の屋敷よりずっと小さいが、ダフニにとってそれは大して重要なことではない。クロエと一緒にいられるかがより大事な点だった。


 ――できればお兄さまと一つ屋根の下がベストですが、それは仕方がないですな。


 レオももうしばらくは学生を続けているはずだから、今までよりも物理的な距離が近くなって会う機会も増えるはずだ。それだけでもダフニが学校に入学する価値があるというものだと言える。


 入学式はつつがなく終わった。特筆すべきことは大してなかったが、在校生からの言葉としてレオがスピーチしていた。なお、新入生代表の挨拶はダフニではなくイリスが行った。あの幼児魔法教室で一緒だった女の子だ。


 入学式の後、クロエと分かれてダフニは教室へと向かった。新入生のほとんどは初級クラスで、中級クラスとは校舎が違うのでダフニと同じ方向に向かう学生の数は少なかった。


 「あなたがダフニ様ね」


 突然名前を呼ばれて何事かと振り返ったダフニはそこに見たことのある顔があることに気づいた。


 「そうですな。お主はイリスですかな」

 「よく知っているわね」

 「さっき前でスピーチをしていたですな」

 「一応聞いてはいたのね。ところで、あのスピーチ、本当はダフニ様がするはずだったのに急に私に回ってきたのよ。どうしてか分かるかしら?」

 「ふむ。分からないですな」

 「あなたバカなの? あなたがやらかした精霊契約のせいでしょうが」


 イリスはなぜか始めからとげとげしい言葉を投げかけてきた。魔法教室で会った時は話しかけただけで泣き出していたというのに随分変わったものだ。


 「ふむ。皆あの精霊のことについてあれこれと言うけれど何が問題なのですかな。これまで一度も契約されたことのない精霊の評価を下すことなんて、誰もできないのですな」

 「優秀な魔法使いは必ず優秀な精霊と契約するのよ。どこの何とも知れない精霊と契約するなんてありえないわ」

 「ということは、お主はきっとたいそう優秀な精霊と契約するですかな」

 「もちろんだわ」


 ダフニが少し皮肉を込めて言った言葉にイリスは自信たっぷりに答えた。恐らくイリスはこれまでずっと優等生として育って来たのだろう。周囲のかける期待に着実に応え続けてきたのが今の自信につなかっているに違いない。


 ただ、残念ながらまだ彼女は10歳なのだ。生前には「10歳の壁」などと言われてそれまで天才かと思われていた子供が10歳前後に次々と勉強に遅れ出して結局平凡な人間になるという現象が知られている。10歳の時の学力というものは最終学力を全く保証せず、スタート位置どころかもしかすると出場待ちの列の順序程度のものかもしれないのだ。


 だから、イリスがどれだけちくちくと挑発してもダフニにはむしろほほえましいと思う程度でしかなかった。これから先、イリスは人生の真実と向き合っていかなければならないのだから。


 「頑張っていい精霊と契約できるといいですな。……ところで、早く行かないと遅刻なのですな」

 「わ、分かってるわ」

 「道に迷ったのですかな?」

 「そ、そんなことないわ」


 と言うものの、イリスの目は泳いでいた。さっきから話しながら目だけきょろきょろさせて周囲を見ていたし、道に迷ったのは間違いなさそうだった。


 「では、道を教えてやるから一緒に来るですな」

 「あ、ありが……だから、迷ってないってば」

 「それと、ダフニですな」

 「へ?」

 「同級生なのですな。さまはいらないですな」

 「な、何、手を出してるのよ」

 「道に迷わないように手を引いてやるですな」

 「バカにしないでよ!」


 ――10歳と思って子ども扱いしすぎたですかな。


 イリスは怒ってダフニを置いて先に早足で歩きだしてしまった。


 「そっちは違う道なのですな」

 「!!!」


 慌てて方向転換をして駆け足で戻ってくると、今度はダフニの隣に並んで教室に向かって歩き始めた。いかにも道は分かっているという顔をしているが、横眼でちらちらとダフニの進む方向を確認しているのが可笑しかった。


 そんなわけで、ダフニの案内のおかげで2人はぎりぎり遅刻せずに教室に着くことができた。


 「遅いぞ、お前たち」


 なぜか教室に入るなりいきなり怒鳴られた。先生はまだ来ていないようなのになぜ怒られるのかよく分からなかった。


 「そう言うお主は誰ですかな?」


 ダフニは教室の中央に陣取っている男子生徒に話しかけた。見たところダフニと同い年のようだが、周りの年上の学生も彼に従っているように見えた。


 「ふん。俺の名も知らんとはとんだ無知なやからだな。俺はマルク。マルク=オスティアだ」

 「おお、私はダフニですな。マルクお兄さまですかな。よろしくですな」


 マルクというのはダフニの異母兄弟でダフニより数か月だけ早く生まれた兄だった。これまで顔を見たことはなかったが存在は知っていて、学校で会えるかもしれないとひそかに期待していたのだ。


 だが、握手をしようと差しだした手をマルクは無視した。


 「ダフニというのはチェーリオの2人目か」


 チェーリオというのはダフニの母の実家の名前だ。母の本名はカリス=チェーリオ=オスティアと言い、旧姓をミドルネームとして残すのが習わしとなっている。なお、現在のチェーリオ家は母の実兄のセルギア=チェーリオ子爵が当主となっていた。


 「挨拶をされたら返すのが礼儀ですな。無視するのは良くないですな」


 ダフニがそう言うと教室中の生徒がぎょっとした顔でダフニを見た。


 「えっと、ダフニ様」

 「ダフニでよいのですな」

 「ダフニ、マルクといちいち真面目に関わらないほうがいいわよ。ちょっと頭のネジが飛んでるから」


 イリスが後ろからこそっと忠告してきたが、それを聞いてダフニは顔をしかめた。


 「あまり同級生を悪く言うものではないですな。おかしな言動も個性なのですな」

 「お前はあまり頭がよくないようだから教えてやろう。俺の祖父上はフェリク=アヴェンティ公爵だ。チェーリオとは格が違うのだ」

 「ふむ。それは知っているですな」


 マルクの挑発にダフニが再度爆弾を投下したところで、先生が教室に入ってきた。


 「みんな、席に着きなさい」


 着席後もマルクがダフニを睨んでいたが、ダフニの方はどこ吹く風でそんなことを気にも止めていなかった。

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