第38話 SR71 ブラックバード

――2024年11月30日、9時00分58秒、尖閣諸島沖――


『マッハ2.9……、2.5……』

 ボイドの機は急角度の上昇軌道にあり、先程まで最大で3.3を記録していたマッハ計はその数字を減らしていた。そしてそれと引き換えに、運動エネルギーは急速に位置エネルギーに変換されていった。


 不思議な事に、ミサイル警報装置(NAWS)がミサイルの発射を知らせることもなく、当初予想したように、ロックオン・アラートが鳴りっぱなしになることも無かった。もしもそうであったとしても、SR71にとってはどうせ全て無視をして、撃たれたミサイルと共に背後に置き去りにはずのものなのだが……


 もしかすると、SR71が発生させたソニックブームの衝撃波が、潜水艦に影響を及ぼしたのかもしれないなとボイドは思った。マッハ3の衝撃波は恐らく相当なものだっただろう。もしも直撃していたとしたら、分厚い原子力潜水艦の耐圧殻であっても、ただでは済まなかったはずだ。

 そう考えると、ボイドは少しだけ胸のすくような思いがした。


 SR71はチャイナ・サークルの天井を破って、明るい日の光を浴びた。

 そしてまるで宇宙ロケットのように青空の彼方に登って行った。

 

 

――2024年11月30日、9時01分05秒、尖閣諸島沖――


 チャイナ・サークルを抜け出した直後、宮本、松木、相場は、目の前を白い尾を引きながら上昇する三角形の黒い影を見た。

「ハロー、ブラックバード。こちらは任務完了」

 宮本が無線を開いた。

「ハロー、キャノンボール。また声が聞けて嬉しいよ」

 インカムから聞こえてくるその声は、本当に嬉しそうに宮本には聞こえた。


 基地へ帰還する帰路、宮本は心の中で、「丹沢、お前の言っていた『極めつけの目玉』は上手く働いたぞ」と呟いた。

 F3/Hのドラッグシュート直下には、自動ロックオン式の近接レーザー射撃器が取り付けられていた。それは、自機をロックオンしたミサイルを真後ろに引き付けてから使用するもので、逆に相手のレーダー発信機や赤外線探知機を検知し、レーザー光線を照射して、ピンポイントでシーカーを焼き切る乱暴なシステムだった。

 さすがにテスト飛行時には、実弾を使ったテストができなかったが、ぶっつけ本番でミサイルを捉えることが出来て、宮本は内心胸を撫で下ろす思いだった。


 

――2024年12月1日、9時00分、中国福建省、武夷山ぶいさん基地――


「馬閣下、お別れのご挨拶にまいりました」

 洪軍区司令員が馬軍区政治委員の執務室を訪れた。馬は疲れた顔で、洪を室内に招き入れた。


「今日ここを発つのか?」

「はい、本日付で南京軍区司令員を解任され、瀋陽に配属されます」

「ポジションはどうなるんだ?」

「先々の事は分かりませんが、当面は瀋陽軍区司令員付で、航空学校の教官を務めることになります」

「あからさまな降格人事か――。ところで閃光はどうなるんだ? 君が執念を込めて開発を推進してきたのだろう。君の後ろ盾がなくなれば、開発は中断されるかもしれないぞ」

「仕方がありません。上が決めた事です。閃光は世界最高の航空機に育てるつもりでした。その素養のある機体です。誰かが引き継いでくれることを願います」


「君とは色々とあったが、感謝をしているよ」

「もったいないです閣下。私こそ感謝をしています。ところで閣下は、これからどうなさるのですか?」

「私か? 私にはまだ連絡が何も無いよ」

「それでは、ここ南京軍区に残る事ができるのですね」

「いや、それはない。連絡が無いというのは、次が無いという事だ。君は降格で済んだが、私は恐らく粛清されるだろう……」

「そんな、閣下……」

 洪は言葉を詰まらせた。


「もう行け。そしていつの日か、お前が手塩にかけた閃光を操るパイロットを育てろ。それがお前に残された役割だ」

「閣下……、それでは失礼いたします」

「元気でやれ」

 洪は『閣下もお達者で』と言おうとして、慌ててその言葉を飲み込んだ。


 洪が立ち去った部屋で、馬は1人、愛用の椅子に腰かけた。

 窓からは、からりと晴れた青空から陽の光が差し込んでいたが、立ち並ぶ落葉した木々のシルエットが、来たる厳しい冬を感じさせるようで、馬は肩をすくめて一つだけ身震いをした。


「まるで、私の未来のようだな……」

 馬はぼそりと呟き、袖机そでづくえの中から愛用の92式拳銃を取り出すと、その冷たい銃口をこめかみに押し当てた。



――2024年12月2日、11時00分、沖縄県、那覇基地――


「ボイド少佐、潜水艦の航空写真だが、分析結果が出たぞ」

 カーライル少将からの電話だった。

「やはり中国の艦でしたか?」

「いや違う。ペンタゴンの艦艇データベースに無い形式だ。敢て言えば、旧ソ連のタイフーン級を改造して、後部にペイロードを拡張したような形状だ。垂直離着陸が可能なストライク・ペガサスならば、4機は余裕で格納できる」

「どういう事ですか? 全ての黒幕はロシアだと?」

「そう結論を急ぐな。現時点では、旧ソ連の潜水艦と形式が酷似しているというだけだ。これから政府はロシアと、水面下で腹の探り合いになるだろう」


「今後、中国はどうなります? スティール国防長官流の扱いですか?」

 ボイドは会議の席でスティールが口に出した、『中国と戦争だ。理由はどうとでもできる』という言葉を思い出した。スティールならば、潜水艦の素性が何者か分からなくてもやりかねない。

「それは無いな。実はこちらでは、雲行きが変わってきている。CIAが日本の防衛省と情報取引をした結果、国会議事堂爆撃はフェニックス・アイ社の犯行が濃厚となっている。

 だとすれば、自動的にストライク・ペガサスのハイジャックも、フェニックス・アイ社の犯行が濃厚という事だ。元々が中国には濡れ衣を着せていたという側面もあるが、これで正式に、両件ともに中国犯行説は消えた。

 潜水艦も、まだ中国のものである可能性はゼロではないが、中国ありきで事を進めると全体像を見誤る可能性がある。今後はフェニックス・アイ社とレーダー欺瞞技術研究所の関係を調べることが先決だ」


「スティール国防長官の様子はどうですか?」

「つべこべ言わず、中国に宣戦布告しろと息巻いているよ。しかしあまりにもやり方が強引なので、むしろ周囲が引き始めている。しばらくは放っておいても害はないだろう」

「私はこれからどうしますか? チャイナ・サークル調査のミッションは一応終わっています。もう少しこちらで待機しますか?」

「いや、悪いがすぐに戻って来てほしい。CIAからだけでなく、空軍のストライク・ペガサス調査団の線からも、フェニックス・アイ社に迫りたいと思っている」

「分かりました。準備が出来次第、すぐにこちらを発ちます」

 ボイドはこれで目前の課題に、ひとつ区切りをつけたのだと実感していた。


「それから、君にはショッキングな話かもしれないが……」

 カーライルが話しにくそうに言った。

「どうしたのですか?」

「実は防衛省のルートから、米空軍内に、フェニックス・アイ社に戦闘機の内部機密を漏らしている人物がいる、との警告を受けていた……」

「調べたのですか?」

「ああ、CIAに洗ってもらった」

「犯人が見つかったという事ですね。しかも私が知る人物……。一体誰です?」

「驚くな、カーク大佐だ……」



――2024年12月2日、19時30分、岐阜県、各務原かかみがはら市――


 涼子が『テンペスト』にログインすると、ボブからメッセージが届いていた。本日から急遽、新しいシナリオのテストを行うという文面だった。

 そのシナリオの内容を見るなり、涼子はギョッとして目を見開いた。ミッション名が『ホワイトハウス爆撃作戦』だったからだ。


 涼子はみぞおちの辺りを強く押されるような不快感を覚えた。国会議事堂爆撃のミッションから、まだ2か月も経っていない。心に負った傷は、日にち薬で薄れてきてはいるものの、時折あの爆撃の際のリアルなシーンがフラッシュバックしてくる。

「また、やるのか? やれるのか?――」

 涼子は自問してみるが、答えはみつからない。迷いながらも涼子は、送られてきたシナリオに目を通していく。

 新シナリオ『ホワイトハウス爆撃作戦』は、国会議事堂爆撃の時とは違い、敵はテロリストではなく、クーデターを画策したアメリカ空軍の1航空団と、陸軍の1連隊の混成部隊が相手という設定だった。


 バックストーリーはこうだ。

『ホワイトハウスを占拠したクーデター部隊は、大統領を人質にして、本館の大統領居住区に立てこもる。『核のフットボール』と呼ばれる黒い鞄を奪い、核攻撃許可コードを発効するためだ。『核のフットボール』が行使されれば、クーデター部隊に同調した核ミサイル基地から、世界中の都市に向けて大陸間弾道弾が発射されてしまうだろう。

 急遽、アメリカ空軍のテロ対策特殊部隊が招集される。部隊に下命された指令は、地上から突入する海兵隊部隊を支援するために、ストライク・ペガサスをワシントンDCに向けて発進させること。そして大統領が監禁されている本館を避け、クーデター部隊が占拠している、ホワイトハウスの西棟を正確に爆撃することだ』


 シナリオには補足として、前提事項が記されていた。

『特殊部隊のストライク・ペガサスは、母艦となる潜水艦を離陸直後、クーデター部隊が飛ばしたAWACSにすぐに捕捉されてしまい、同じくクーデター部隊が操るF22ラプター、F35ライトニングの攻撃にさらされる。

作戦成功のためには、ストレイク・ペガサスはいち早く市街地上空に侵入し、ビル群を縫うように飛行することで、攻撃を避けなければならない。

 或いは反撃してラプター、ライトニングを撃墜する必要がある』


 ボブが『テンペスト』のテスター達に、ラプターやライトニングとのドッグファイトを練習させていたのは、これが理由だったのかと涼子は気付いた。


「気は進まないけれど、やらざるを得ないだろうな」

 そう涼子は思った。バウが助言してくれたように、当分は何食わぬ顔で、テスターを務めるしかない。自分の身を守るためなのだから。


 ボブからのメッセージによると、『テンペスト』は12月24日のクリスマスイヴの夜に、記者を集めた製品発表会を予定している事。その発表会においては、『テンペスト』のクオリティを存分に発揮したデモフライトを、記者たちに披露したいこと。そしてデモフライトは、『ホワイトハウス爆撃作戦』のシナリオに沿って行われるとの事だった。


 テスターの一人がボブに、『デモフライトは誰が行うのか?』という質問を送っていた。ボブはその問いに対して、『一番成功率を高められたチームに、デモンストレーターの栄誉を与える』と回答していた。



――第9章、終わり――

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