第37話 ターミナルフェイズ

――2024年11月27日、9時05分、沖縄県、嘉手納基地――


 自室でSR71の飛行マニュアルをめくっていたボイドの目の前で、不意に電話の着信音が鳴り響いた。

「作戦の許可が下りたぞ」

 ボイドが取り上げた受話器には、カーライル少将の声が響いた。

「作戦開始時間は?」

「明後日11月30日、日本時間の0・9・3・0」

「了解です」

 遂に来たかと、ボイドは気を引き締めた。


「作戦実行にあたり、一つだけ君に伝えておくことがある」

「何でしょうか?」

 不審げにボイドは訊いた。こんな物言いのときは、ろくなことがあった試しがないからだ。

「日本の航空自衛隊が、本作戦を支援する」

「支援ですって? 一体何をやるんですか?」

「陽動作戦だ。君の突入に先立ち、自衛隊機がまず突入する」

「待って下さい、危険です!」

 思わずボイドは、受話器に向かって大声を上げた。「先日の会議でも申し上げたように、チャイナ・サークルに突入したら、そこで待っているのはターミナルフェイズ(最終段階)でのロックオンですよ。通常の戦闘機などでは、間違いなく撃墜されてしまいます」

「スティール国防長官の決定だ。逆らえん」

 カーライルは既に諦めたような口調で言った。


「考え直してください。本作戦はSR71だけで十分です。陽動作戦など必要ありません。自衛隊機は犬死するだけです」

「ボイド少佐、“スティール国防長官の決定”なんだ。意味は分かるだろう?」

 カーライルの発言に、ボイドは何も言うことができなかった。

生贄いけにえ――、ですか――」

 ボイドは茫然と呟いた。スティール国防長官は――、いや恐らくスティールだけではないだろう。彼と意を同じくする政府の閣僚たちが総意として、同盟国のパイロットの戦死を、中国との交渉カードに使おうとしているのだ。ことによると先日のTV会議での発言のように、閣僚たちは中国との戦争の口実を探しているのかもしれない。

 ボイドは腹に重い鉛を飲み込む思いで、「了解しました」と返事をし、電話を切った。



――2024年11月27日、11時00分、沖縄県、那覇基地――


 宮本は基地のパイロット控室に松木と相場を呼び出した。牧田司令からの指示を伝え、明後日の作戦行動を練るためだ。

「SR71とは、随分と古い機体を持ち出してきましたね」

 それが松井の第一声だった。

「昔、プラモデルで作りましたよ。恰好の良さでは今でも世界一ですね」

 相場も松井に同調した。

「東西冷戦時代のあだ花という声もあるが、今でも性能はずば抜けている。名機中の名機と言って良いだろうな」

 宮本は二人の声に、そう応えた。


「作戦空域に上空から下降してくるというのは、どういう意味なんでしょう?」

 松井は疑問を宮本にぶつけた。

「恐らく、エンジンに掛けるラム圧を稼ぎたいんだろう。SR71は元々が高高度偵察機だからな。低空域で運用することは考えられていないんだ」

「早い話が、ズームUPのマニューバを、長距離でやろうとしているのでしょう」

「そういう事だろうな」

「我々はどう動きますか?」

 相場が、具体的な質問をした。

「こちらもズームUPだろう。相手の土俵に長居する必要は無い。さっと顔を出して、ハイさようならだ」


「こう言ってはなんですが、危険そうな割に、簡単な作戦ですね?」

「馬鹿、油断するんじゃない。未知の空間では何が起きるか分からないぞ。それこそ相手の土俵なんだから」

「武装はどうしますか? 攻撃しないなら空っぽでいきますか? その方が最高速度を稼げますよ」


 相場の意見はもっともだった。F15J/Hイーグルの最高速度はマッハ2.5で、ラプターよりも速い。それを活用しない手は無い。しかし宮本はその考えには乗らなかった。


「ハードポイント8カ所に、全て外装のチャフ・フレア・ディスペンサーをぶら下げて行こう。用心に越した事は無い」

「初めから、逃げる気満々ですね」

 相場が笑い、松木も笑った。


 宮本も2人につられてニヤリと笑みを浮かべたが、内心ではそう簡単には帰らせてくれないだろうという予感がしていた。



――2024年11月30日、9時25分、尖閣諸島沖――


 宮本と松木、相場の3機は、チャイナ・サークルから50㎞離れた、宮古島沖。高度15,000で時間調整のための周回飛行をしていた。嘉手納基地からは、偵察衛星からの情報としてチャイナ・サークルの半径は、いつもの通り5㎞で安定していると報告を受けていた。


「キャノンボール2、キャノンボール3、現在のチャイナ・サークルは半径5㎞だが、先日米空軍が周辺を飛行した際には、急に半径を40㎞に拡大している。突然取り込まれるかもしれないから、気を抜くな」

 「ラジャー、キャノンボール1」

  「ラジャー、キャノンボール1」


「それから、チャイナ・サークルへの突入と同時に、F15J/Hはレーダーパネルの機能を喪失するだろう。HUDヘッドアップ・ディスプレイも同様と思われる。また電波の受信が出来なくなると、GPSからの位置情報も得られない。目視とアナログ計器だけが頼りの飛行だからな。覚悟しろよ」

 「ラジャー、キャノンボール1」

  「ラジャー、キャノンボール1」


 

――2024年11月30日、9時00分、尖閣諸島沖――


 ボイドは、腕時計の秒針が真上を向いた事を確認すると、操縦桿を前に倒した。いよいよ作戦が開始された。あと1分もすれば、全ての決着がつくのだ。


 ボイドは無線を開いた。

「ハロー、キャノンボール1。こちらは降下を開始した。そちらの幸運を祈る」

 ボイドは心の底から、自衛隊機の幸運を祈っていた。

「ハロー、ブラックバード。そちらも幸運を」

 ボイドは宮本からの返信に、一瞬だけ堅く目を瞑った。


 最早、神の配剤でしか彼らは救われない――

 ボイドは胸で短く十字を切った。



――2024年11月30日、9時00分15秒、尖閣諸島沖――


「散開しろ、行くぞ!」

 宮本の掛け声と共に、3機はA/Bアフターバーナーを全開にして、一斉にパワーダイブを始めた。それから何秒も経たない内だった。宮本の機の多目的ディスプレイが真っ白に光った。


「来た!」

 予想通りチャイナ・サークルが枠を広げたのだ。

 随分と長い時間が経った気もしたが、多分2秒ほどの内だ。キャノピーの外側は、夕方の明るさになった。

「キャノンボール1、こちらレーダーの機能を喪失」

 と、無線から松木の声が聞こえた。

「キャノンボール1、HUDヘッドアップ・ディスプレイも役に立ちません」

 続けて相場の声がした。

「高度5,000まで堪えてズームUP」

 宮本は短く指示を飛ばした。


 

――2024年11月30日、9時00分20秒、尖閣諸島沖――


『マッハ1.5……、2.0……、2.4……』

 ボイドの眼は真っ直ぐにマッハ計を見つめていた。

 機体には僅かな振動があるだけだ。


 タフなSR71はボイドの操るまま、従順に分厚い空気の壁を突き破って行った。


 

――2024年11月30日、9時00分25秒、尖閣諸島沖――


「キャノンボール1、こちらロックオン・アラート」

 松木の声が響いのは、高度5,000が目前の時だった。

「キャノンボール2、回避行動、チャフとフレアを撒け」

 右方向にフレアの閃光。


 しばらくの沈黙の後、「駄目です」の声。

「今度は2発撒け、出し惜しみするな! 逃げ切れるまで撒け! 逃げたらズームUP」

 宮本の指示が飛ぶ。

 宮本と相場の機は高度が5,000を切った。先にズームUPに移る。


「キャノンボール1、ロックオン・アラート」

 相場の声が続いて響く。

「チャフとフレア! 逃げ切れキャノンボール3!」

 目の端に相場の機が撒いたフレアの閃光が見える。


 3機編隊中、宮本のF3/Hだけがステルス機だ。相手がロックオン出来ないのかと思った矢先だった。

『ファン、ファン、ファン、ファン……』

 宮本の機にもロックオン・アラートの警戒音。

 宮本は全速で上昇しながら、エルロンとエレベータを一杯に振る。強烈なG。歯を食いしばりながら、指はチャフ・フレア・ディスペンサーのボタンに伸びる。そして発射――。


『ファン、ファン、ファン、ファン……』

 警戒音が鳴りやまない。あまりのGで、内臓が飛び出しそうだ。口の中に胃液の味が混ざる。

 アドレナリンの勢いに任せて、更に2発チャフとフレアを発射――。


『ファン、…………』

 警戒音が鳴りやんだ。


「キャノンボール1、ロックオン・アラート」

 息つく間もなく、再び松木の叫び声。

「キャノンボール2、振り切れ、ありったけのチャフとフレアを撒け。全速でチャイナ・サークルの外へ!」

 最早レーダーも効かぬ中、僚機の居場所を確認する術は、フレアの閃光のみだ。的確な指示もできない。


「キャノンボール1、ロックオン・アラート」

 今度は、また相場の声。

「キャノンボール3、チャイナ・サークルの外へ逃げろ。方角は分かるな。もうすぐだ」

 相場に指示を与えながらも、本当なら、もうとっくにチャイナ・サークルの外に出ていて良いはずだと宮本は思う。テストパイロットを長年やってきた身だ。

 平衡感覚と距離感覚に自信はある。


 どうした? 何故だ?



――2024年11月30日、9時00分33秒、尖閣諸島沖――


『マッハ2.9……、3.0……』

 ボイドはSR71の機首を上げ、水平飛行に移る。カメラのボタンをON。オートで回り始めれば。このまま最高速でチャイナ・サークルに突入し、あとは上空に抜けるだけだ。


 嘉手納基地から無線が入る。

「ブラックバード、今、チャイナ・サークルの半径が、突然100㎞に拡大……」

 その瞬間に無線の電波が途切れた。



――2024年11月30日、9時00分45秒、尖閣諸島沖――


「キャノンボール1、振り切れない!」

 相場の声だ。

「チャフとフレアを撒け」

「もう有りません」

「……」

 宮本は言葉を失った。目の前に相場の機が、白い尾を引いて上昇していく。

「すいません宮本さん、後を頼みます……」

「キャノンボール1、相場! 諦めるな!」


 宮本は反射的に、ロケットブースターを全開にした。

 シートに背中が押付けられる。

「間に合うか?」

 宮本は噛みしめた奥歯の更にその奥でつぶやいた。


 機首の左側スラスターを全開――強引に姿勢変える。横面を殴られたように、顔面の筋肉が歪む。次に右のスラスターで当て舵。宮本のF3/Hが相場の機の後に着ける。相場とミサイルとの間に入った形だ。アドレナリンで、宮本の眼に血管が浮かぶ。


「相場、スロットルを絞って、急降下!」

 宮本が叫ぶ!

 「やめてください。宮本さん!」

  相場が叫ぶ。

  「駄目です、宮本さん!」

    松木が叫ぶ。


『ファン、ファン、ファン、ファン……』

 宮本の機にロックオン・アラートがけたたましく鳴りはじめる。相場から宮本に、ミサイルの標的が移ったしるしだ。


「丹沢、信じたぞ」

 僅かに宮本の口角が上がる。


 宮本の脳裏には、飛行開発実験団の格納庫で、『宮本さん、もう一つ、極めつけの目玉が有るんですよ』と言った、丹沢の嬉しそうに顔がよぎる。


 その瞬間だった。宮本の機の真後ろで、爆発音が響いた。

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