第10章 第7艦隊

第39話 空母ジョージワシントン

――2024年12月5日、5時30分、神奈川県、米軍横須賀基地――


 米軍横須賀基地では、この日未明の内から、原子力空母ジョージワシントンが出港の準備を進めていた。チャイナ・サークルの存在する尖閣諸島沖に向けて、米第7艦隊に出撃命令が下ったためだ。

 艦長のロジャー・バロン大佐がブリッジから見守る中、飛行甲板上では大勢の兵士が慌ただしく駆け回っており、艦首のすぐ先では、ミサイル巡洋艦アンティータムが、別の埠頭ではミサイル駆逐艦ジョン・S・マケインとフィッツジェラルドが同じく出港に向けて、準備を進めていた。


 既にミサイル巡洋艦シャイローを筆頭に、2隻のミサイル駆逐艦が、浦賀水道を南下中との無線連絡が入ったところだ。

「まったく……」

 と、バロンはあきれ顔で呟いた。初めから海の上で起きた事は、海軍に任せておけば良かったのだ。空軍に主導権をとらせるから、このような面倒なことになる。


 この作戦には、日本の海上自衛隊も加わるそうだ。潜水艦による索敵と後方支援をするのだという。全く日本人というのは、何年付き合っても、何を考えているのか皆目見当がつかない。自国が当事者だと言うのに、作戦海域がほんの僅かだけ自国の排他的経済水域を越えるというだけで、まるで他人事のような振る舞いだ。危険な事だけ我々アメリカ人に任せて、後は知らん顔だとは、本当に腹が立つ。

 後方支援をするくらいなら、この艦に乗って、日々神経をすり減らす我が軍の兵士たちの肩でも揉んで欲しいものだ。その方がずっと効率が上がるというものだ。


 そしてなんと、もっと腹立たしい事に、この作戦には中国海軍の潜水艦部隊まで加わるというではないか。自国に掛かった疑いを晴らすためなのだろうが、何とも迷惑な話だ。あのように規律の無い国が参加すれば、作戦全体が混乱しかねない。協力したいならば、黙って見ていろと言ってやりたい――

 バロンは増々苦虫を噛み潰した顔になった。


「バロン大佐、日本の防衛大臣からお電話です。激励の電話だそうです」

 不意に、ブリッジにいる海兵の声が響いた。バロンは受話器を受け取った。

「これはこれは、ミスター・ナカムラ。わざわざお電話をいただき光栄です。こちらの準備は万全です。貴国のご尽力にはいつも大変に感謝をいたしております。アメリカ合衆国を代表して、私から御礼申し上げます」

 それは屈託のない明るい声音だった。しかしバロンの顔は、先程と変わらず、苦虫を噛み潰した表情のままだった。



――2024年12月5日、18時30分、岐阜県、各務原かかみがはら市――


 涼子たち『テンペスト』テスターのコミュニティには、3日前から新しい人物が加わるようになった。TACネームをフェニックスと名乗る、恐ろしく腕の良いパイロットだった。

 フェニックスはF22ラプターを教材に使い、その運動特性を詳細に松田たちテスターにレクチャーした。フェニックスの教えはきめ細かく、時にはマニューバの最中のパイロットの心理状態にまで踏み込んだ。

 フェニックスは間違いなく現場のパイロットで、実際にラプターを操縦している人物なのだと涼子は思った。


 フェニックスは涼子たちに、どうせストライク・ペガサスを操るのなら、無人機ならではのマニューバを多用しろと教えた。オーバーG下での長時間旋回や、マイナスGを多用したアクロバティックなマニューバを行えというのだ。

 確かにそれは理にかなった助言であった。戦闘機としての基本性能が明らかに劣るストライク・ペガサスで、F22ラプターやF35ライトニングと同じ土俵で戦っては勝ち目はない。

 これまで自分は、接近した混戦に持ち込むことで勝率を上げており、その時々で、無意識に特殊なマニューバは使っていた。場当たり的にやってきたことが、腕の立つトレーナーに掛かると、きちんと体系立てられ、整理されて頭の中に浸透してくる。


 涼子たちの飛行技術と勝率は、フェニックスのおかげで、僅か数日で飛躍的に向上した。そして初めの頃にあれほど苦戦していたAIの思考ロジックに、もう負ける事はなくなった。

 そういえば、フェニックスの指導のなかでも、とりわけ涼子が驚かされたことがある。それはフェニックスが、ラプターの機体を使って、F35ライトニングの飛行特性をそのまま再現して見せたことだ。

 何と涼子たちはフェニックスの操縦するラプターを相手に、ライトニングを想定した模擬戦を行ったのだった。


 フェニックスは興に乗ると、同じくラプターを使って、F15やMig29の飛行特性も目の前で再現をしてくれた。特にF15に至っては、初期生産型のF15Aから、生産数の多いF15C、複座のF15D、そしてF15シリーズの中でも、まるで別の機体と言っていいF15Eストライク・イーグルまで、全て挙動を変えてみせる念の入れようだった。


 涼子はかつてバウが言っていた、『ソニック・ストライカーでのF15イーグルの挙動は、実機そのままだ』という言葉を思い出した。

 フェニックスがソニック・ストライカーの開発に関わっていたのならば、それは十分に有り得ることだと涼子には思えた。



――2024年12月5日、19時30分、四国沖――


 空母ジョージワシントンは、最大戦速に近い30ノットで尖閣諸島沖を目指していた。護衛の巡洋艦アンティータム、シャイロー他、4隻の駆逐艦がそれを取り巻いていた。

 艦長のバロン大佐は、操艦の指揮をとりながら、チャイナ・サークルに関するある疑問を反芻していた。それは、チャイナ・サークルが移動可能な潜水艦に由来しているものならば、なぜ現在の場所――つまり、尖閣諸島沖――に、ずっと留まっているかということだった。

 留まるからには、その場所になんらかの理由があるのだろう。


 チャイナ・サークルはレーダーに映らない場所ではあるが、それが我が身を隠すための行為なのかと言えばそうとは言い難い。

 なぜならば、尖閣諸島沖は国際的に注目されている海域であり、その地域特性の中では、レーダーに映らないと言う特殊性は、極めて鮮明に特徴点として浮かび上がるからだ。もしも人知れず存在するのが目的ならば、それこそ世界中の海には、候補地が五万とある。


 考え方を逆にして、国際的に注目をされていながらも、何らかの事情――例えば3すくみ、4すくみでの睨みあいなど――で、誰も手が出せない場所として考えるのならば、尖閣諸島沖は世界でも稀に見る最適地と言える。

 そうして考えると、チャイナ・サークルは一種の示威行動なのではないかという考えが浮上してくる。

 もちろん、誰が何のために行う示威なのかは、皆目見当が付かないのだが。


「しかし、それよりも不可解な点は……」

 バロンはそう独り言を言った。バロンにはもう一つ腑に落ちないことがあった。先日空軍が行ったチャイナ・サークルへの突入によって、謎めいた超常現象の化けの皮は既に剥がされてしまい、その正体はたった潜水艦一隻だと暴かれてしまっている。それにも関わらず、なぜやつらは未だにそこに止まっているのだろう? 

 もしも自分だったら正体が暴かれた時点で、当初の目的など投げやって、まずは尻尾を巻いて逃げだすだろう。場所に留まっていたら、今このように大艦隊が組まれ、駆逐されてしまうのがオチだ。


「或いは」

 バロン脳裏には、また別の考えが浮かんだ。もしかしたらやつらには、逃げ出したくてもできない理由があるのかもしれない。例えば艦の故障だ。

 そうであるならば、今は潜水艦を叩く千載一遇のチャンスだろう。その機会を活かすためには、潜水艦が修理を終える前に現場に到着しなければならない。


 バロンは腕を組みをしながら、月明かりにほのかに照らされる暗い海面を、じっと眺め続けた。



――2024年12月5日、21時55分、沖縄県、那覇市――


 宮本は勤務を終えて基地から帰宅する途中、馴染の居酒屋で、海ブドウをつまみに、一人で泡盛を飲んでいた。

 基地で聞いた話では、海上自衛隊が尖閣諸島に出撃するらしいが、空母を伴う米海軍との共同作戦となると、航空自衛隊のやれることは哨戒任務と、いざというときの救難活動程度だ。お蔭で今日からしばらくは、自分はお役御免だ。


 ほろ酔い加減で、天井近くのTVをぼうっと見上げていると、やがて軽快なテーマ曲と共に、いつも家で見ている『報道トゥナイト』が始まった。

 キャスターの古賀は、国会議事堂爆撃事件の直後とは違って、最近は表情に余裕がある。毎日同じニュース番組を見ていると、キャスターの出だしの表情だけで、その日に重大事件が発生したのかどうかが分かってしまうから、おかしなものだ。


「さて、最初のニュースです」

 と、いつもの調子で番組は始まった。

「本日、八景島の水族館で、ラッコの赤ちゃんが……」


「おいおいトップニュースがそれかよ――」

 と宮本は、心の中で突っ込みを入れた。自国の国会議事堂が爆撃されてから、まだ2か月も過ぎていないのに、平和ボケにも程がある。つい最近、東京都に出されていた夜間外出禁止令が解かれたのも、事が解決したからではない。経済が停滞するからとの曖昧な理由でだ。

 だが怒っては見るものの、それでは、居酒屋でゆったり酒を飲んでいるお前は、一体何様なのだ?――と、自分の中に棲むもう一人の自分が訊いてくる。

 張りつめた緊張感の中に長くいすぎると、人間はおかしな方向に走りがちだ。これはこれで良いのかもしれないと、宮本は思い直す。


「次のニュースです。本日海上自衛隊は、アメリカ海軍と合同演習をするために、尖閣沖に出発を……」


「演習だと?」

 と、一旦声を上げてから、「そうか、そう言えばそうだった」と、宮本は思い出した。チャイナ・サークルに関する詳細な情報は、まだ一般には公開されていないのだ。

 もちろん、宮本が先日命懸けでそこに飛び込んだ事も、命からがら逃げ帰ってきた事も誰にも知られていない。海自はマスコミには演習と偽って、基地を出港したのだろう。でなければ、当然トップニュースになっていたはずだ。


「次は外電の速報です」

 古賀の声のトーンが少し変わって、顔つきが少しだけ引き締まったように見えた。古賀は手元の紙に目を落としながら、ニュース原稿を読み始めた。

「米軍、カナダ軍の混成特殊部隊が、カナダ・オンタリオ州・トロントにあるIT関連企業の本社に突入し、制圧しました模様です。この会社はフェニックス・アイという社名で、ソニック・ストライカーという戦闘機のシミュレーターを一般向けに公開し、世界中で1千万人以上の登録会員を集めています。同社は米国空軍の機密情報を、不正に入手した疑いが持たれており……」


 宮本は思わず飛び上がって、画面を凝視した。

「あのフェニックス・アイか?」

――いったい、何が起きたんだ? 


 TVにはビルに突入していく目だし帽の兵士たちを、無人ヘリで空撮したと思われる映像が流れており、右下には『映像提供:US ARMY』とクレジットが出ていた。宮本が呆然とする中、ニュースは続いた。


「……同時にトロント山間部の、同社が保有する山荘にも空挺部隊が突入し、同所に軟禁状態だった3名の大学教授を保護しました。3名は何れも1年前に消息を断っていたカリフォルニア工科大のダレン・スー教授、コーネル大学のムハマド・グリーン教授、マサチューセッツ工科大のエリン・マクファーレン教授。それぞれが通信工学、データ圧縮、暗号学の分野では世界的な権威です。尚、3名の健康状態は……」


 宮本は急いで勘定を済ませると、店の外に飛び出した。山口に電話をしなければと思っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る