第34話 航空学生試験

「ところで君は、NSAが開発したセンサーを搭載して飛んだのだったな?」

 ネヴィル国家情報長官が、ボイドに訊ねた。

「その件については、私からご説明しましょう」

 スターンNSA長官が口を開いた。

「ボイド少佐の機は、外部のハードポイントに固定する形で、空対地ミサイルの筐体きょうたい内に仕込んだセンサーを搭載していました」

「そのセンサーで得られた情報は?」

「何も……。というよりも、何も検知されなかったという事実が、大きな成果だったと言えるかもしれません。センサー内のメモリーには、ボイド少佐がチャイナ・サークルの境界を越えたときに生じたらしい、2度の帯電以外には、何も変化が記録されていませんでした」


「つまり、チャイナ・サークルの内部には何の異常もなく、レーダーを無効化させている原因は、その境界部分にあるという事か」

「そのようです。先程のボイド少佐の仮説――、つまりチャイナ・サークルが一種の空間シールドではないかという推測を裏付けるものです」

 ネヴィル国家情報長官は、スターン長官の発言に大きく頷いた。そして「ボイド少佐、続きを」と言って、ボイドに報告を続けるように促した。


「それでは最後に私から、チャイナ・サークルに対し、我々が今後取るべき行動について、ご提案をさせていただきます」

 ボイドは、モニター画面に映る一人一人の顔を見渡しながら言った。会議の出席者たちは黙したままボイドの発言を待った。

「私はチャイナ・サークルの内側で、大型の潜水艦を目撃しました。一瞬のことでしたが、見間違いではありません。恐らく、その潜水艦が空間シールドを生成させ、チャイナ・サークルを形作っているものと思われます。

 我々の次なる行動は、その潜水艦の正体を突き止めなければなりません。それが予想されている通りに、中国のものなのか、それとも中国以外にそれを行おうとしている者がいるのか……」


「どうやってやる?」

 たった今まで、傍観者のようボイドの話を聞いていたスティール国防長官が、ボイドの“中国”という言葉を聞くやいなや顔色が変わり、急に前のめりになって発言を始めた。

「外部から確認する方法がない以上、接近して目視するしかありません。それには2つの方法があります」

「2つ?」

「そうです。1つ目は潜水艦で近づく手段です。電磁波に対するシールドであれば、海中からなら近づける可能性があります。私がチャイナ・サークルを離脱した瞬間、ミサイルの爆発音が明らかに後方から聞こえました。音波が遮られていないという事なら。ソナーは使えるはずです」


「問題点はあるか?」

「相手の武力が分からないことです。対潜水艦兵器をどれくらい積んでいるのか見当がつきません。更にこちらは相手の存在確認が目的なので、先に攻撃を仕掛ける事ができません。

 それに対して相手は、自分のテリトリーに入ってきた潜水艦は、全て敵とみなして容赦なく魚雷を発射することができます。つまり、圧倒的に相手が有利な中での突入だという事です」

「200人の潜水艦搭乗員が、命を懸けた決死作戦という事か。穏やかではないな――。次の提案を聞こうか」


「2つ目は、少々乱暴ですが、高速な航空機でチャイナ・サークルを突っ切る方法です。

 マッハ3でチャイナ・サークル内に突入することが出来れば、1秒で1㎞進むことができます。半径40㎞の円のど真ん中を直進し、最長距離である直径の80㎞を飛んだとしても、1分20秒で駆け抜けることができるわけです。

 低空で侵入して、チャイナ・サークルの中心地点から上空に離脱するコースを取れば、所要時間はわずか40秒ほどですむでしょう。相手がこちらをロックオンして、発射ボタンを押す頃には遥か雲の彼方という事になります」

「間違いなく2つ目の提案の方に分があるな」

 スティール国防長官の意見に、全員が賛同した。


 スティール国防長官は、我が意を得たと理解したのか、更に自身の私見を披露しはじめた。

「私は、まず間違いなく、全ての根源は中国にあると思っている」

 スティール国防長官の顔は興奮のためか、幾分紅潮しているように見えた。

 その唐突な発言に、ボイドは心中で「穏やかではないな」つぶやいた。恐らく皆、自分と同じことを感じているのだろうが、政府閣僚の発言に意見する者は、そこには誰もいなかった。ギャラガー首席補佐官でさえもだ。


「そもそも、あの国は信用が置けないし、得体が知れないところがある。有る時は発展途上国、有る時は先進国として立場を使い分け、狡猾極まりない。

 我々が韓国に設置したTHAAD(サード:高高度ミサイル防衛システム)の広域レーダーを、自国に対する直接的脅威だと非難する一方で、自分たちは西側諸国の上空に、閃光という高高度偵察爆撃機を飛ばしている。

 国連の常任理事国であり、安保理の一員でありながら、国際法を軽視して領土の拡大を進めている。まったくあの国ときたら、われわれ西側諸国が長年に渡って築き上げてきた秩序と富を蹂躙じゅうりんし、まるで我がもののように……」


 スティール国防長官の発言は尚もエスカレートし、その発言は止まるところを知らなかった。そして遂には、「開戦のカードをちらつかせて、一度痛い目にあわせなければ、やつらには我々の真意はつらわらんのだ」とまで言い及んだ。

 ギャラガー首席補佐官はそれを肯定も否定もせずに、ただ無表情で聞くばかりだった。ボイドには多分はそれが、非公式ながらも政府閣僚の総意なのであろうと思われた。


 ひとしきり自論をぶった後、スティール国防長官は真顔に戻ると、ボイドに向かって「先程のチャイナ・サークルを突っ切る話だが――、君が飛んでくれるか?」と訊いた。

 しばらく間を置き、ボイドは「ご要望とあらば」と答えた。


「よし、決定だ。機体はどうする? ラプターでマッハ3は出せるのか?」

「とても無理です。エンジンの推力は大丈夫かもしれませんが、機体の強度が持ちません。それに液晶の多目的パネルは、突入時のホワイトアウトを避けるために、全てアナログ系の計器に換装しなおさなければならず、準備に時間が掛かります。安全を取るならばSR71ブラックバードが最適です」

「ブラックバードか……、よかろう。旧式機だが私もそれを使うのが確実だと思う。エドワード空軍基地でモスボールされていたはずだな」

 スティール国防長官がカーライルに視線を送ると、「大丈夫です。1週間で飛べるようします」と言って、カーライルは副司令のブライトン中佐の同意を求めた。ブライトンはゆっくりと頷いた。


 SR71ブラックバードは、1960年代の米ソ冷戦時代に実戦配備された超音速偵察機で、マッハ3.2で巡航し、最高速度はマッハ3.5を越える。現在に至っても世界最高速のジェット機と言って良い。

 あまりの運用コストの高さから、現在は退役してしまっているが、モスボール保管――開口部を密閉した上で、劣化を避けるための不活性ガスを充填し、ビニールでコーティングする厳重な保管方法――され、いつでも現役復帰な状態で保全されている。

 議会では目下、SR71の戦闘機版であるSR72が、中国のHZ22閃光への対抗策として開発再開が議論されているが、もしもそれが実行されるとしても、何年も先の話だ。


「それでは、SR71はモスボールを解き、整備が終わり次第、嘉手納基地へ移送。その後、速やかに作戦を決行することとしよう」

 スティール国防長官は方針を決し、最後に「よろしいですね?」とギャラガー首席補佐官に視線を送った。

「それしか道はなさそうだな。大統領へは私から説明を――。議会への根回しもこちらでやる。SR71の準備が整った時点で、最終確認のため同じメンバーで会議を招集したい」

 ギャラガー首席補佐官の一言で、この日の会議は終了した。



――2024年11月12日、岐阜県、各務原かかみがはら市――


 涼子は朝のランニングを終えて、シャワーを浴びていた。冬も近いこの時期は、掻いた汗がすぐに冷えるので、ひとっ走りしたあとは、いつも熱い湯に当たることにしている。

 涼子は国会議事堂爆破の一件以来、『テンペスト』にログインする機会が随分と減り、パイロットになりたいという意欲も、以前ほどではなくなってしまった。

 今はバウに言われた通りに、自分を守るためにテンペストのテスティングを続け、中学時代からの習慣として、惰性のようにトレーニングを続けているだけだ。


 おかしなことに涼子は、テンペストに費やす時間が減ったにも関わらず、F22ラプターや、F35ライトニングとのドッグファイトの戦績は上がり続ける一方で、今ではファントムチーム内のみならず、テスター16名の中でトップの評価を受けるようになっていた。

 理由は分かっていた。以前の自分は、操縦桿を握った途端に、まるで本当に戦闘機に乗ったかのような気分になった。シミュレーターを通して、操縦の疑似体験をしているかのようだった。

 しかし、今は違う。自分が握っているのは戦闘機の操縦桿ではなく、コンピュータに接続されたジョイスティックなのだ。現在の自分はシミュレーターの世界感に没入できないまま、ただコンピュータの操作をしているに過ぎない。熱くなれなくなったことが、逆に戦績を押し上げることになるのだから皮肉なことだ。


 このところ涼子は、来年9月の航空学生の試験を、受けるべきなのだろうかと考えている。パイロットになる夢が急速にしぼみ、操縦に熱くなれないままでは、とても試験に合格できるとは思えないし、仮に合格できたとして、航空自衛隊に入ってからの訓練や任務には、とても耐えられないだろうと思えた。

 近いうちに、またバウに相談してみたいと涼子は思っていた。沖縄に行ってからのバウは忙しいらしく、ソニック・ストライカーにもほとんどログインをしていないが、非番の日ならいつでも電話をしていいと、涼子に言ってくれていた。


 バウはフェニックス・アイ社についても調べてくれているはずだ。今日学校から帰ったら、バウに電話をしてみよう。もし繋がらなくても、留守電を入れておけば良い。


 涼子はそう考えながら、蛇口をひねってシャワーを止めた。



――2024年11月12日、沖縄県、那覇基地――


 宮本は迷っていた。一昨日、防衛省の山口から聞いたフェニックス・アイ社の情報を、松田涼子に伝えるべきかどうか、どうしても判断がつかないでいた。

 正直言って、フェニックス・アイ社が旧ソ連の秘密機関に由来する会社だと言っても、彼女にとっては異世界の話で、それに対して何らの判断もできない。しかも情報を伝えるのであれば、同時にCIAとの情報取引の話を持ち出さなければならない。

 CIAに情報を提供するということが、何を意味することになるのかは宮本にも分からない。しかし下手をすると松田涼子の経歴に傷をつけ、彼女の将来を危うくしてしまう可能性もある。どう考えてもそれは、彼女にとって酷なように宮本には思えた。


 不意に宮本のスマートフォンが着信した。画面を見ると、パインツリーの表示。当の松田涼子からの電話だった。

「どうした、パインツリー」

 宮本は務めて明るい声を出した。

「バウ、実は……」

 彼女の話は、航空学生の試験を受けるべきかどうかの相談だった。あの事件以来、操縦と言う行為自体への熱意が失せてしまったようだ。

 宮本は松田涼子を励まし、すぐには結論を出そうとせず、9月の試験だけは受けるように勧めた。合格したとしても、嫌ならば任官を辞退すればそれで済む事だ。後で後悔しないようにするには、ぎりぎりまで可能性の芽は摘むべきではないというのが宮本の考えだった。

 一方で宮本は彼女に、是非パイロットの道に進んで欲しいとも思わなかった。自分の立場に照らすと、戦闘機のパイロットはとても人に勧められる仕事では無いからだ。


 絶えず緊張感の中に身を置いて、生活時間も住む場所も制約を受け、当然ながら家族にも負担を掛ける。そんな生活が第一線を退くまで、下手をすると30年も続くのだ。損か得かで言えば、宮本は間違いなく損な仕事だと言うだろう。

 しかしそれにも関わらず、抗いがたい魅力があるのも事実だ。


 結局最後は、彼女自身が決めるしかない。自分は彼女の決断を、傍から見守ってやる事しかできない。戦闘機乗りというのはそう言う仕事なのだ。


 宮本は松田涼子と電話で話をしながら、やはり彼女にフェニックス・アイ社の話を伝えるべきだろうと思った。まだ実際の空を飛んでいないが、彼女は立派にパイロットだし、戦友でもある。理解できるか出来ないかは別として、自分で決めさせてやるべきだと宮本は思った。


「なあ、パインツリー。俺からも話があるんだ……」

 宮本は、電話の先にいる松田涼子に話し掛けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る