第8章 超音速・高高度戦略偵察機

第33話 テレプレゼンスルーム

――2024年11月10日、11時22分、沖縄県、那覇基地――


 この日、那覇基地には2機のF15J/H・イーグルが到着した。宮本の高高度迎撃隊に組み入れられる機体だ。

 将来的に高高度迎撃隊には、F3/Hが3機、配備される予定であるが、そのベースとなるF3・心神の生産が始まったばかりで、とてもF3/Hに換装かんそうできる余裕が無い。窮余きゅうよの一策として、現役機で最高の推力を誇るイーグルに白羽の矢が立った。


 宮本を始めとした、基地の隊員たちが見守る中、イーグルから下りてきたのは松木一尉と相場二尉。2人ともかつて宮本と高高度迎撃テストを行った若手だ。宮本が人事部に根回しを済ませた上で、2人の配属する部隊の司令官に直接掛け合って、スカウトしたのだ。

 隊は合計6名の体制となるが、残り3名は各地の航空隊から、当年中に選出されることになっている。


 松木と相場は、迎えの隊員の中に宮本の姿を見つけると、駆け寄ってきて右手を差し出した。

「宮本さん、新しい隊に引っ張っていただいて光栄です。また一緒に飛べるとは思いませんでした」

 宮本は松木、相場と硬く握手を交わした。2人とも沖縄には赴任経験が無く、当然ながら那覇基地も初めてだったため、両名がフライトスーツを着替えた後、職員が基地内を案内すると申し出てくれた。

 2人を先導してロッカールームに向かっている丁度その時、宮本のスマートフォンが鳴った。防衛省の山口からの着信だった。宮本は2人を職員に託すと、人けのない場所に走って移動した。


「どうした山口、フェニックス・アイ社の事が何か分かったか?」

「ああ、まだお前の要望した内容の半分ほどだがな。今日は中間報告だ」

 山口は淡々と語り始めた。


「フェニックス・アイ社は2015年設立。元々は『グローバル・マトリクス』という社名であったが、2020年に同社の看板となる『ソニック・ストライカー』を発表した際に、社名を変更。

 会社の所在地はカナダ・オンタリオ州・トロント。資本金は2000万カナダドル。社長はセルゲイ・アントーノフ氏、現在45歳。2012年にロシアからカナダに移住して、永住権を獲得。

 主要株主はアントーノフ氏以外に、エフゲニー・エネルゴ、モス・テレフォン、ミンチメル・ラボ。何れもロシア企業。3社ともに非上場で、売上、利益ともに非公開」


「そんなことくらい、民間の調査会社でもすぐにわかるだろう?」

「慌てるな、本題はこれからだ。CIAに依頼してアントーノフ氏の身元をさかのぼったところ、実はロシアに戸籍が存在していないことが分かった」

「どういうことだ?」

「カナダに移住した時点で提出した書類やパスポートが、偽造されていたと言う事だ」

「つまり正体不明の人物だという事か?」

「そうだ」


「株主の情報も取ったのか?」

「もちろんだ。3社ともしっかりと経営実態があり、旧ソ連時代は国営だった企業だそうだ。エフゲニー・エネルゴはエネルギー関係の総合企業で、化石エネルギープラントから小型原子炉まで、幅広く扱っている。

 モス・テレフォンは通信関係。特に衛星通信に強みを持つ。ミンチメル・ラボはコンピュータ関連で、大規模サーバーの構築とセキュリティを得意としている」

「3社に接点、または共通点はあるのか?」

「今の段階では、ありそうだとだけ言っておこう。情報の裏取りが出来ない」


「どういう事だ?」

「旧ソ連のブレジネフ書記長時代に設立された、レーダー欺瞞ぎまん技術研究所という機関がそれら3社の前身のようだ」

「レーダー欺瞞技術研究所? 初耳だが、どんな研究所なんだ?」

「分からん。防衛省情報本部がCIAから引き出せる情報はそこまでだ。同研究所はブレジネフ書記長直轄の秘密機関だったため、CIAの持っている情報の中でもとりわけセキィリティレベルが高いようだ」


「これ以上の情報が取れる可能性は?」

「有るにはある。向うはこちらからの問合せを切っ掛けに、フェニックス・アイ社の異常性に関心を持ち始めた。情報取引に持ち込むという手がある。ただその際は、お前と、お前の親友の情報が、こちらが提供するカードになってしまう。後はお前の判断次第だ」

「俺だけなら構わんが……」

 宮本はぽつりと言いながら、松田涼子の顔を思い浮かべた。



――2024年11月12日、6時45分、沖縄県、嘉手納基地――


 ボイドは嘉手納基地司令のスコット・レーリー准将と共に、基地内のテレプレゼンスルームと名付けられた部屋にいた。そこは最新のテレビ会議システムが備わった場所で、壁面には高解像度の裸眼立体モニターが8枚埋め込まれていた。

 この日は早朝7時から――ワシントン時間では11日の17時から――、嘉手納基地、エドワーズ空軍基地、米国防総省を結んで、チャイナ・サークルに関する方針会議が行われる事になっているのだ。


 8枚のモニターの真ん中には、それぞれアメリカ合衆国の国章、鷲の紋章が表示されていたが、定刻を迎えると同時に、それらが次々と映像に切り替わった。

 最初に画面に現れたのは、エドワーズ空軍基地司令のカーライル少将と、副司令のクリス・ブライトン中佐。

 そして次に何と、モーガン・ウィルバックCIA長官――


 ボイドは既にカーライルから、CIAがストライク・ペガサスの事件に関心を持っていると聞かされていたし、当然チャイナ・サークルとの関連性にも興味を持っているだろうとは思っていた。しかし、まさか長官ほどの大物が登場するとは思っていなかったので、驚きのあまり大きく目を見開いた。それほどの一大事という事だ。


 しかし、大物の登場はウィルバックCIA長官だけに止まらなかった。更なる大物が次々と画面に現れたのだ。


――マシュー・スターンNSA長官――

 CIAと並ぶ諜報機関、NSAのトップ。CIAが主にスパイ活動を始めとした人的手段で諜報活動を行うのに対し、NSAは通信傍受や暗号解析による諜報活動を行う。ボイドの機が搭載したセンサーを開発したのもNSA。スターン長官は海軍中将と兼務。


――ジョシュア・ネヴィル国家情報長官――

 合衆国の情報コミュニティのトップであり、ウィルバックCIA長官、スターンNSA長官の上司にあたる人物。CIA、NSAだけでなく、司法省のFBIも統括する立場にある。


――ジェイク・スティール国防長官――

 陸、海、空、海兵隊の4軍のトップ。


――そして最後は、ダリル・ギャラガー首席補佐官――

 言わずと知れた、大統領の懐刀。


 確かに改めて考えると、これだけの人物が勢揃いするのも無理からぬことかもしれないとボイドは思った。一歩事を誤れば、世界を巻き込んだ戦争に発展しかねないほどの一大事なのだ。


「レポートは読ませてもらった」

 まずはカーライル少将が口火を切った。ボイドは一昨日のチャイナ・サークルへの調査飛行を、既にレポートにまとめて提出していた。

「君の口からもう一度、チャイナ・サークルに対する見解を聞かせてくれ」


 カーライルの求めに応じ、ボイドは一度咳払いをしてから、報告を始めた。


「まずは先日の調査フライトで、私の機体に生じた以上現象についてご報告します。我々4機の編隊は嘉手納基地を離陸した後、チャイナ・サークルの7㎞外側、つまり中心から12㎞を飛行する計画でした。

 偵察衛星が撮影レンジ内にいるうちに任務を完了させるべく、速度を上げてマッハ2を越えたあたりです。急に機の多目的ディスプレイがホワイトアウトしました。私以外の機も同様だった模様です。

 その瞬間に何が起きたのかは、上空を飛ぶAWACSと、偵察衛星が記録していました。半径5㎞ほどであったチャイナ・サークルは、僅か10秒ほどのうちに半径40㎞に拡大したのです。


 多目的ディスプレイの異常は、我々がチャイナ・サークルに飲み込まれる瞬間の、“電磁的な衝撃波”のようなもので発生したものと思われます。ディスプレイは急速に帯電し、表面からはスパークを発しました。

 私の乗ったF22では、ディスプレイはホワイトアウト後、ノイズで視認できなくなりました。帰還後の調査では、画面制御用の半導体に過電流が流れ、ウエハー上のセルが欠損した事が故障の原因と分かりました。

 随行していたF35ではもっと状況が悪く、ホワイトアウト後にブラックアウトしています。実機が基地に帰還していないため、想像に頼るしかありませんが、半導体内部、或いは電子回路そのもので、結線が焼き切れたと想像できます。


 両機の大きな違いはディスプレイの面積です。F35は一枚の大型パネルに全情報を表示する方式で、F22は複数のパネルに別れています。このことから察するに液晶パネルが、先程申し上げた“電磁的衝撃波”に対して、アンテナの役割を果たしてしまったのではないかと思われます」


「問題が起きたのはディスプレイだけか?」

 カーライルが訊いた。

「はい、レーダーや操縦系への被害はありません。無線もチャイナ・サークル内では通常に使うことができました。しかし現代の航空機では、ディスプレイが失われるという事は、全機能を失うことに等しいと思います」


 ボイドの発言に、誰もが納得したと言うように頷いた。他に質問がなさそうなので、ボイドは話を先に進めた。


「次に、チャイナ・サークルの正体に関する、私なりの仮説です。

 チャイナ・サークルは、広い電磁波帯域に渡って有効な、空間シールドのようなものと私は想像します。そしてそのシールドは入射してくる電磁波を、入射角に近いマイナス方向に屈折させる性質を持つものと推測します。それがもし実現できるのならば、レーダー波に反応せず、電波を通さず、赤外線でも、肉眼でも見えない空間が成立します。

 また空間シールドであると仮定することで、我々4機がチャイナ・サークル内では通常通り無線で交信出来た事や、外部にその無線が通じなかった事にも説明がつきます」


「つまり、外周部の空間シールドが、外からの探知を阻害する役割を果たし、一旦チャイナ・サークルの内側に入ってしまえば、そこは通常の空間と同じという事だな?」

「その通りです。ただし内部には直接日光が差し込まないので、屈折光と海面からの回折光だけで、まるで夕暮れ時のような景色になります」

「行方不明になっている中国機は、どうなったのだと思う?」

「チャイナ・サークルを発生させている張本人が中国ならば、サークル内のどこかに空母がいて、そこに収容されているのでしょう」


「張本人が中国でなかったとすれば?」

「私の編隊のように、内部に取り込まれた後に、撃墜された可能性が大です。至近距離で突然ミサイルにロックオンされれば、いきなり着弾直前のターミナル・フェイズです。チャフもフレアもまず効き目はなく、どんなパイロットでも回避は不可能です」

「なぜ君だけが、敵の攻撃から逃れられた?」

「私はロックオンを感知するなり、ドラッグ機動でミサイルから逃げ切る方法を選んだのです。それが幸いしました。

 ミサイルが私の機に着弾する寸前で、私の機はもう一度、今度は内側から外側にチャイナ・サークルを突っ切ったのです。そのときミサイルのシーカーが私の機を見失ってしまった。レーダー波も赤外線も感知できなくなったミサイルでは、自爆装置が働いたのです」

「なるほど、辛うじて君だけが生き延びただけでも、僥倖ぎょうこうといえるだろうな」

 カーライルがしみじみと言った。


 結局のところ、ボイドが作戦中に見失った2番機も、その後戻ってくることは無かった。

 調査フライトの結果は、3名の殉職者を出し、生存者はボイドただ一人。

 軍の報告書は、正式にそう認定していた。

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