第35話 レーダー欺瞞技術研究所

――2024年11月19日、7時00分、沖縄県、嘉手納基地――


 この日は、ギャラガー首席補佐官が1週間前に提案した通り、前回と同じ時間にTV会議が始まった。

「予定通り、SR71ブラックバードの整備が完了しました」

 カーライルが報告した。

「作戦実行までの行動予定は?」

 スティール国防長官が訊いた。


「まずはエドワーズ空軍基地から、嘉手納基地にSR71を移送します。その後はボイド少佐によって、宮古島沖にて試験飛行を行います」

「エドワーズ空軍基地で試験飛行は済んでいるのではないのか?」

「動作テストという意味では済ませていますが、十分ではありません」

「というと?」

「ここら先の話は私が」

 と、ボイドが話に割って入った。


「SR71は極めて特殊な機体で、1機1機がハンドメイドで作られています。つまり生産された機体が、それぞれ違う個性を持っているのです。まずはその個性を私の体に覚え込ませる必要があります。

 そしてもう一つ。SR71は高度80,000フィートで最高性能を発揮するように設計された機体です。それに対して今回の作戦高度は16,000フィート以下。空気密度の高い低空域で、SR71がどれだけの性能を発揮できるかは、試してみないと何とも言えないのです」


「試験飛行に必要な時間は?」

「SR71は開発から既に半世紀も過ぎた機体で、基本性能は明らかです。素性の分からない最新鋭機をテストするようなは手間は掛からないでしょう。1週間といったところだと思います」

「今月中には飛べそうか?」

「大丈夫でしょう――」

 ボイドの回答に、スティール国防長官は満足そうに頷いた。


 チャイナ・サークル内に潜む潜水艦。それが中国のものなのかどうかで、当然ながら合衆国の動き方は大きく異なる。

 スティール国防長官は、「もしも潜水艦が中国のもので、チャイナ・サークルを発生させている張本人だとわかれば、その時点で即刻戦争だろう」と、涼しげな顔で言った。


「例え中国がチャイナ・サークルを操っているとしても、それがストライクンペガサスをハイジャックしたことや、日本の国会議事堂を爆撃したことの証明にはなりませんよ」

「そんな証明などいらんだろう。今はチャイナ・サークルが、合衆国にとって最大の脅威になろうとしているという時だぞ。この期に及んでは、どちらも些細な事だ。もしもあれが本格的に運用され始めたらどうなると思う? 

 中国全土があの空間シールドで被われることだってあり得ることだ。そうなれば我が国の4軍が束になっても適わないぞ。事態がこれ以上悪化する前に、懸念の芽を摘まなければならない」


「ストライク・ペガサスも国会議事堂爆撃も、中国に戦争を仕掛ける口実ですか?」

「何とでも言うが良い。合衆国と世界を守るのが、私の役割だ」

 スティール国防長官の言葉に、ギャラガー首席補佐官の口角が僅かに上がった。

 確信犯か――、とボイドは思った。

 この人物たちならば、潜水艦が中国のものだという確証が得られなくても、中国に攻撃を仕掛けかねないだろう。

 

「お話の途中ですが、私からも一言よろしいでしょうか。チャイナ・サークルについて気になる動きがあります」

 そう声を発したのは、ウィルバックCIA長官だった。


「気になる事とは?」

「レーダーを無力化する技術の研究は今に始まったことでなく、特に東西冷戦下で盛んだったものです。現在我々が実用化しているステルス技術も、レーダー波をかく乱するジャミング技術も、その中で生まれたものです。

 当時最もこの分野で先進的だったのが、旧ソ連のレーダー欺瞞ぎまん技術研究所です。今は解体されて存在していませんが、当時はブレジネフ書記長の肝いりで発足し、軍と独立した、潤沢な予算を持っていました。同研究所に対する諜報情報は今でも尚、CIA内部ではレベル3+のウルトラトップシークレットとなっています」


「なぜ今頃、そんなかび臭い昔話を持ち出すんだ? まさか、その研究所とチャイナ・サークルに、何か関連があると言うんじゃないだろうな?」

 スティール国防長官が声を荒げた。

「そのまさかです。実は先日CIAは、日本の防衛省から、カナダのフェニックス・アイという企業について情報提供を求められました。コンシューマー用のフライトシミュレーターを開発している企業です。その調査の過程で、同社とレーダー欺瞞技術研究所の関連が浮かび上がったのです」


「なぜ防衛省がそんなものを調査したがる? 関係ないだろう」

「向こうの説明によると、フェニックス・アイ社が提供しているソニック・ストライカーというフライトシミュレーターに、多くの自衛隊員が参加しており、機密漏洩の温床になっている恐れがあるからとの事でした。しかしそれは表向きの理由で、どうやら国会議事堂爆撃との関連性を探っている模様です」

「ややこしくて訳が分からん。整理してから言え!」

 スティール国防長官はお手上げと言うように、頭を横に振った。


「つまりこういう事か?」

 と、ネヴィル国家情報長官が助け舟を出した。「防衛省は独自に国会議事堂爆撃に関する犯人捜しをしていて、そのカナダの何とかいう会社の事を疑い、CIAに情報をくれと言ってきた。

 CIAは防衛省のやつらの求めに応じて調査をしてやったが、その過程で、偶然にもその会社が、旧ソ連でレーダーを無力化する研究をしていた研究所と関連していることが分かった。何らかの理由で、君たちCIAでは、チャイナ・サークルはそのソ連の技術で実現されたと疑っている。これからその理由ついて、我々に話そうとしている――。どうだ、当りか?」


「その通りです。一旦、レーダー欺瞞技術研究所に話を戻します。冷戦時代にそこで進められていた研究は、光学的ステルス。つまり航空機や艦艇を、カメレオンのように周囲の色と同化させ、姿を見えなくするものです。一方向からではありません。全角度でそれを実現するのです。SF映画の透明人間のようにです」

「出来ていたのか?」

「実験室のレベル……、ではありますが」


「詳しく話せ」

「CIAには我が国の諜報員が、命と引き換えに入手した記録フィルムが残されています。私も見それをましたが、内容は物体を消す実験の様子を記録したもので、白衣を着た研究員が電源を投入すると、試験台の中央部においた人形が消失するというものでした。当時は、僅か5㎝ほどの物体の姿を消すために、部屋2つ分の電源装置が必要だったようです」


「なぜその技術が、チャイナ・サークルに使われていると思うんだ?」

「現象面からみた類似性です。レーダー欺瞞技術研究所が主に研究していたのは、可視光線を空間上で自由に屈折させる技術です。その技術さえあれば、先日のボイド少佐の発言にもあった、負の屈折率が実現できるはずです」

「ソ連独自の技術なのか?」

「恐らくはそうです。ハードウェアやデバイスとしては、現在類似のものが幾つか実現されています。メタマテリアルという素材を使ったものがそれです。しかし空間上でそれを実現したものは、今だかつて見たことがありません」


「レーダーにも反応しなくなるのか?」

「はい、光も電波もどちらも電磁波の1つでしかありません。対応する電磁波の波長を、可視光線から電波の帯域まで広げる事ができれば、レーダー波も反射しなくなるはずです」

「結局、ソ連では実用化されたのか?」

「分かりません。研究所はブレジネフからアンドロポフの時代まで引き継がれ、チェルネンコの時代で解体されています。当時の研究所の資産を引き継いだのが、エフゲニー・エネルゴ社、モス・テレフォン社、ミンチメル・ラボ社の3社。資産の他に研究成果が引き継がれている可能性も無くはありません。そしてその3社こそが、問題のフェニックス・アイ社の主要株主だという訳です」


「調べてみる価値はありそうだな――」

 そう言って、ネヴィル情報長官は「如何思われますか、スティール国防長官?」とスティールに判断を仰いだ。

 スティール国防長官は苦虫を噛み潰したような顔をしながら、「中国がソ連の技術を継承したという可能性もあるのじゃないか?」と疑問を呈した。

「もちろんその可能性もあります。それを確認するためにも調査が必要です」

 ウィルバックCIA長官が答えた。


「その前に、ボイド少佐が目撃した潜水艦についても納得のいく説明してくれ。国家レベルでなければ潜水艦など、保有できないだろう? それとも、一研究所が潜水艦を保有していたとでも言いたいのか?」

「レーダー欺瞞技術研究所は、その名から想像するような――例えば大学の研究室のような――小規模なものではありません。我々CIAのような国家機関で、職員は少なくとも、2千人以上はいたと思われます。実験用の潜水艦も保有していたと言う諜報記録もあります」

「潜水艦を持っていただと?」

「先程申したように、物体を消失させるには大電力が必要ですし、実験設備も大規模であったと想像されます。タイフーン級、ボレイ級の、本来ならば弾道ミサイルを搭載すべき大型艦が与えられていた可能性が高いです」


「では別の訊き方をしよう。如何に旧ソ連とは言え、そんな大がかりなものが秘密裏に建造できるのか? どうやったらそんなマジックみたいなことが出来る?」

「ソ連の潜水艦は、作成行動中に遺失したものも多く、建造数と現存数には大きな開きがあります。もしも消息不明艦扱いで移籍させれば、もう西側諸国からはトレースすることは出来ないでしょう。

 ましてや研究所は書記長直轄下にあり、海軍のような船籍管理はされていません。組織解体後にその潜水艦がどうなったかは、誰も知るところではないのです。秘密裡にそれが今も運用されていたとしても不思議はありません」


 スティール国防長官はしばらく押し黙った後、開き直ったように口を開いた。

「まあ良い、SR71が飛んでみればはっきりする話だ。潜水艦が中国のものならば、中国を問い詰めれば良い。ソ連のものならば、ロシアを問い詰めればよい。中国のものならば、中国と戦争だ。ソ連のものならば、まずはロシアを問い詰めた上で、次に中国と戦争だ。理由はどうとでもできる」

 一息に言い放ったスティール国防長官は、既に目が座っていた。


「最後に1つ聞きたいのだが……」

 終始冷静だったネヴィル国家情報長官が、ウィルバックCIA長官に質問を投げた。

「なぜ日本の防衛省は、そのカナダの何とかいう会社の事を疑ったんだ? 何かきっかけになる出来事があったのだろう?」

「確かに、何かがあったようです。しかし向こうは口を割りませんでした。恐らくそれが、向こうの切札なのでしょう」


「知る必要があるな」

「はい、私に1つ考えがあります。我々は防衛省側に、ほんのさわりとなる情報しか与えていません。恐らく向こうは、情報取引を申し入れてくると思います」

「乗ってみるか?」

「はい、それですべてが明らかになるかと……。ただ、事がレベル3+のウルトラトップシークレットに絡むことなので、私の決裁権限を越えます」

「分かった、私が許可しよう」


「申し訳ありません。決裁権はもっと上です。議会の承認が必要です」

 ネヴィル国家情報長官はフッと息を吐いた後、「部下がこう言っていますが」と言って、視線をギャラガー首席補佐官に向け、その顔色を窺った。

「よかろう――、やれ。議会はこちらで上手く処理する」

 即座に、ギャラガー首席補佐官が答えた。



――第8章、終わり――

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