第五章 前世篇Ⅲ
第25話 零番勇者
帝都陥落の知らせを受けて、俺たちは意気消沈していた。
目の前が真っ暗になったような、あるいは闇のなかに身を沈めていくような、そういう無力感を覚えていた。
帝都が落ちたということはつまり中央教会の結界や商業都市ウェーノルの防衛戦線もすでに破られてしまっているということだ。
帝都以南の地域のことは分からないが、少なくともここに至るまでに俺たちが通過して来た北東部の戦地は、もはや劣勢どころの状況ではないだろう。
戦況は絶望的だった。
撤退しようにも退路は断たれている。
負けるわけにはいかなかった。
魔王を倒す——。
魔王を倒しさえすれば膨大な魔力供給が途絶え、いま戦場に出ている多くの魔族や魔導兵器は戦闘能力をほぼ失うはずだった。
そしてそれは、いまとなっては本当に俺にしかできないこととなってしまった。
「やるっきゃないってことか……」
俺は自らに与えられた役目をかみ締め、おのれを奮い立たせた。
——と、遅すぎる俺の決意は早々に出鼻をくじかれることになる。
俺たちの進路の先、魔王城の黒く長い廊下の途上に男が立っていた。
銀髪の若い男だ。
一見したところ俺と同じくらいの身長で、年齢も同程度に見える。
敵兵かと思い身構えたが、なんと彼は神聖帝国の軍服と外套を着ていた。
「くっくっくっ。ようやくお出ましのようだな、八十八番英雄隊」
男は不敵な笑みを浮かべた。
俺たちを知っているだと!?
やはり帝国軍の兵士なのか……?
「だ、誰なんだお前は!?」
「あっ勇者様、あちらのお方は……」と、セーミャが何か言いかけたとき——、
「ふはは! 驚いているようだな、八十八番目の!」
やつが食い気味に言葉をかぶせてきた。
おい。いまセーミャが教えてくれようとしてただろ。
「いいだろう、そこまで言うのなら自己紹介といこうじゃないか。さあ、よく聞くがいい……」
食い気味だったわりには回りくどい言い回しを続ける銀髪男。
ああ……、コイツ、ぜったい面倒くさいタイプのひとだ。
「——オレの名はリーズン・ワン・ハイブリッジ! 零番目の勇者だ!」
「零番目!?」
「そんなの聞いたことがないが……?」
ヨーリとミリアドが疑義の声を上げる。
「ふっ。お前たちが知らないのも無理はない……。零番は八十八英雄の番外。公にその存在は秘匿されているからな……」
どうやら面倒くさいのは性格だけではないようだ。
「そして零番勇者の任務は『暗殺』。……勅令の下、帝国に仇なすものを秘かに排除することこそがオレの仕事だ。くっくっくっ……」
どうでもいいけどなんか話し方が厨二病じみている。
「いや、ちょっと待ってくれ。お前が誰なのかはともかく今回暗殺は俺らの任務だ」
「な」
零番勇者の表情が一瞬硬直した。
皇帝から直々に下った(らしい)魔王暗殺の密命。
それは俺たち八十八番隊だけに課せられた特務だったはずだ。
何やら後出しの厨二野郎に奪われたのでは堪らない。
いろいろなものを犠牲にして俺たちがここまで戦ってきたのは何だったのかという話になる(まあ、俺自身は大して戦ってないけどな……)。
というかいまこの任務すら唯一の使命でなくなったら、〝俺だけにできる仕事〟だと言われて多少なりともと粋がっていた俺が馬鹿みたいじゃないか……!
「くっくっくっ。何か勘違いしているようだから言っておくが、お前たちの言う暗殺任務とオレ様のそれとでは根本的に意味が違うんだよ」
だからそのくっくっくっって笑い方やめろよ!
聞いてるこっちが恥ずかしくなってくるからさあ!
「お前たちの暗殺は魔王個人を討つことだろう?」
「……他に何があるってんだ」
「さっきも言ったが、オレの暗殺は帝国に仇なすものを秘かに排除することだ。命令があれば、対象は例外なく殺す。オレはずっとそうやって生きてきた。それに——」
――それに?
「それに、今回のオレの任務は魔王周辺の要人の暗殺。魔王本人はターゲットには入っていない」
「そう、なのか……」
「そうだ。誰にも知られることなく必ず殺す。それがオレの生きざまだ。大人数でごちゃごちゃしてるお前らとは一緒にしないでもらいたいねえ!」
「お前……、リーズンはその任務をひとりでやってきたっていうのか……?」
八十八英雄は出征の際は小隊なり中隊なりパーティーを組むのが通例だった。
それをたったひとりで、しかも魔王城まで乗り込んできてしまうなんて……。
大勢の騎士や魔導士に囲まれてまだ何も成し遂げていない俺とはまるで正反対だ。
「わがハイブリッジ家はこの戦争が始まる以前から暗殺者として帝国に仕えてきたんだ。戦局が悪化したギリギリの状態になって仕方なく引っ張り出されてきたお前とは違ってな」
……そう言われると俺の立場的にひじょうにつらいものがあるな。
「言わせてもらうが、オレ様からすれば後出しでぽっと出なのはお前たちのほうだ。だいたい今回の任務だってだな——」
「っていうかさ、そもそも零番目の勇者ってどういうことなんだ? いまはじめて聞いたんだが。神託によって発現する聖剣は八十八本だって話だったろ?」
ミリアドが口を挟んだ。
「……なんだ貴様。オレの話が途中だ」
「まあ聞けって。どうやらそっちは俺たちのことをよく把握しているみたいだが、俺たちはお前に関する情報を何も持ってないんだ。周りは魔族だらけの魔王城。敵の本拠地で素性も分からない奴の話を信用しろってのが無理があるだろ? なあ?」
「むむ、確かに。一理あるな……」
チョロイ。
こいつが本当に帝国のアサシンなのか。
真面目に疑わしくなってきた。
「いいだろう! 聞きたいと言うなら聞かせてやる! この国の暗部——本来であれば皇帝と一部高官しか知り得ない、帝国のトップシークレットってやつをな!」
えーと。その話、長くなります?
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「あー、ともかくだ。そういうわけで、魔王城にいた宰相・大臣クラスの要人はいましがたオレがほぼ全員始末してきた。周囲の護衛も含めてな」
ああ、城の中心部になるにつれて敵兵が減っていたのはそのせいか。
どうりでスムーズ過ぎると思ったよ。
チラッとセーミャのほうを見ると「これも作戦通りですっ」と言いたげないつもの無邪気な笑顔を保っていた。
……この子も帝国の秘密とやらをどこまで知ってるんだろうか??
「いまや城内の指示系統はめちゃくちゃだ。まして警備などまともに機能しちゃいない。玉座の間に突入するならこの機会を置いて他にないぜ」
「おおっ、なんという都合がいい展開。サンキューな!」
ミリアドがリーズンにサムズアップしてみせた。
「都合がいいとか言うなっ! 俺は都合のいいやつと言われるのが一番嫌いなんだ!!」
「なんか急にキレ出したぞ」
「情緒不安定なのでしょうか?」
「うるせえ!」
やめて差し上げろ。
面白いけど。
「……ちっ。まあいい。着いて来な。玉座の間に行く前に見せたいものがある」
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
リーズンが案内してくれたのは魔王城内にある何かの研究室のようだった。
もとは広い部屋のようだったが、俺たちが入ったときにはあちらこちらに何に使うか見当もつかないような機器や道具が散乱し、足の踏み場もない状態だった。
大小複数のスクリーンが暗がりでちらちら光っている。
よく見ると床には魔王城の職員らしき魔族たちが縛られて転がっていた。
「この部屋は……」
「見ての通り、魔王城のラボだ。ここは魔王城全体のコントロールセンターも兼ねていてな。何を隠そう、魔王の魔力供給システムもこの場所で管理・制御されている」
「!! ここで……!」
リーズンはさらっと言ったが、けっこう衝撃の事実だ。
長いこと未解明だった魔国軍の強さの秘密がここに……!!
「うぅんと……ああいた。こいつだ。ここの責任者っぽかったし暗殺対象のリストにもなかったんで殺さずに捕まえといたんだ」
リーズンは床に転がっていた人物の首根っこをつかんで引き上げた。
それは布を咬まされたうえグルグル巻きに縛られた魔族の少女だった。
少女は白衣を羽織っていた。
幼い容姿。
耳はとがって髪はパープル系統の不思議な色をしている。
雑にまとめたポニーテールはぼさぼさ。
大きな丸眼鏡のレンズもてらてらに汚れていた。
どう見てもちびっ子だが、責任者……?
「おい、起きろ。おいっ」
そう言いながらリーズンは少女の口元をおおっていた布をほどいた。
「むにゃむにゃ……。もう食べられない……」
「起きろって。ていやっ」
「ぐしゅふっ! な、なんだいった……って、あ、ちょ、動けなっ。あーっ、おまえこの小僧! このボクをこんな目に遭わせてただで済むと思うなよ! 分かってんのかあ!?」
少女は見た目も幼いが、開口発せられた声もまた幼くキンキンしていた。
というか、ボクっ
「うるせえ。どうやら自分の置かれている状況が分かっていないようだな」
「むかーっ! なんだその口の利き方は! お前こそボクを誰だと思ってんだ!!」
「っつ、って噛むなおい! もっかい口ふさぐぞ!」
騒がしく言い合う銀髪男とロリメガネ。
暗殺者と捕虜とは思えないコミカルな会話が繰り広げられていた。
あの、この期に及んであまり濃ゆいキャストを増やさないで欲しいんですけど?
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