一【トカゲ怪人さん、やる気出なくて進捗駄目です】

「おおっと、今日もノコノコと来たようだなアレグライダーッ!」


 人々が避難し終わったオフィス街で、トカゲの頭と人の胴体をあわせ持つ奇怪な生き物が得意げな表情を浮かべる。彼は世界征服を目論む秘密結社、ヤバノーキの最新科学が生み出したトカゲ怪人であった。単純な戦闘力は、ヤバノーキでもトップクラスだ。

 

「トカゲ怪人! ビル街の爆破なんてやらせはしないっ!」

「僕たちがいる限り、破壊活動なんてさせないよ!」


 レドグライダーとブルグライダーは叫ぶ。彼らアレグライダーは人々の安心を守る戦隊ヒーロー。悪の組織を倒す事が仕事なのだ。ちなみに歩合制のバイトで、怪人に勝てないと収入はない。


「グヘヘ、ならば俺様を倒してみるがいいさ! まぁ、パワーアップした俺様に勝てるわけないがなぁっ!」


 トカゲ怪人は歯を見せて笑い、格闘の待機フォームを構え始める。

 一見すると何の変哲もない動作だが、プロから見ればカウンターに特化した姿勢だと分かる。あの体勢ならば、どこに攻撃しても必ず反撃を返せるであろう。

 その姿を見たレドグライダーとブルグライダーは、攻撃手段を決めあぐねる。この最強のフォームを崩すのは格闘に長けたアレグライダーでも至難の業だ。


「それよりトカゲ怪人さん。同人誌の方、進捗どうですか?」


 だがサキグライダーはそんなフォームなどお構いなしに、同人誌の現状を聞いた。


「げばぁっふ……!」

 この攻撃は、大柄なトカゲ怪人をも吹き飛ばした。五メートルほど吹き飛んだトカゲ怪人は体中傷だらけとなり、わずかに血も吐く。状況は圧倒的にアレグライダーの有利に傾いたっ!


「質問だけで大ダメージみたいな描写ぁー!?」

 そしてレドグライダーはこの不自然な戦闘シーンを見て、思わず叫んだ。


「グ、グヘヘッ。見事な一撃だ……。俺様をここまで追い込むとは!」

「サキに質問されただけで追い込まれるな!? あの質問にどんな効力があるってんだ!」

「即売会用の漫画が完成していないのを思い出し、焦りと恐怖で傷口から火花が飛び出して、最終的に爆発したくなる効力がある技だ。もう一撃喰らったら泣くところだったぞ」

「俺達と戦ってる割にメンタル弱いな!? というかお前漫画描いてるのかよ、初めて聞いたぞ!」


 ふらつくトカゲ怪人に対し、レドグライダーはおかしいと思った事をズケズケと指摘する。数秒前まで彼の中にあった警戒心は、先ほどの不自然ぶっ飛びを見て以降ぶっ飛んでいる。


「グヘヘ、そういえばお前らには言ってなかったな。なんならちょうど手元に旧刊あるから、立ち読みしていくか!?」


 トカゲ怪人は先ほどより柔らかい表情を浮かべ、レドに近づく。そしていつの間にか手にしていた漫画の同人誌を差し出す。一見すると何の変哲もない動作だが、プロオタクから見れば漫画を渡す事に特化した姿勢だと分かる。あの体勢ならば、どんな客が相手でも必ず同人誌を渡せるであろう。


「興味ないし、なんで手元にあるんだよ」

「つべこべ言わずに、読め! 興味ないジャンルだったら、リクエストイラストでも描いてやるぞ? スケブがないなら、そのスーツに描こうか?」

「絶対いらない。読んでやるから何もしないでくれ」


 トカゲ怪人がマーカーを取り出し興奮し始めたのが非常にウザいので、レドはそれをなだめながら漫画を読むことにした。漫画のページに罠があるかもしれないが、スーツに落書きされるよりはマシだろうと判断したからだ。


~~~~~~~~

「このお寺のアジサイをアミに見せたかったんだよ」


 太陽くんが無理矢理連れてきた場所は、アジサイが沢山植えられたお寺だった。さっきまで降っていた雨に濡れた青いアジサイが、古めかしいお寺を美しく彩る。


「この景色、私覚えてる」

 そう、ここは私が三歳の頃に来たお祭りの会場だ。お父さんとの数少ない思い出の場所。

 私がアジサイの方に走って迷子になったから、お父さんが運営所に来るまで泣いてたっけ。


「お前が小さい頃に見たアジサイ寺って、ここで会ってるよな? ネットじゃアジサイの事書いてなくて、探すのに苦労したぜ」


 太陽くん、わざわざこの場所を探してくれたの?



 ――やっぱり太陽くんは凄い人だ。私の心すら、いともたやすく照らしてしまう。

~~~~~~~~


「なんだ、この可愛らしい漫画……」


 レドの瞳は、異形を見るような目つきへ変わった。同人誌に描かれていたのは、コワモテのトカゲ怪人の作品とは思えない、少女的な淡い恋物語。人物から花々まで描かれた全てが美しく描かれ、ギャップが凄いってレベルではない。

 トカゲ怪人は、漫画を読んだレドに向かって『どうだ参ったか』と言いたげな表情を浮かべる。こんな悪人バリバリな見た目の奴が、こんな繊細な恋物語を描けるなんて誰も信じないだろう。レドも正直信じきれていない。


「どうだ、俺様の描いた『アジサイ日和の恋』は! この後の主人公の淡い恋の行方や、幼馴染の男子の対応に期待しなっ!」

「世界征服企む奴がこんな作風でいいのか!?」

「グヘヘ。俺様はな、この先の将来も考えてるんだ。全年齢向けの漫画を描けば、ファンの幅が広がって俺様の計画は実現できるっ!」

「計画……?」


 レドはトカゲ怪人の漏らした「計画」という言葉を聞き、ハッと気づく。この漫画は、わざとこういう作風で描かれているだけ。そう考えればこのギャップも納得だ。


「なるほど。この漫画は世界征服の道具なんだなっ!」

「その通り! 事実、色んな世代の人が売り場で『とってもいい漫画でした! これからも頑張ってください!』と応援してくれるのだ。そして当初は『テキトー漫画で世界を俺色に染め上げるぜ』って思ってた俺様も、次第に『読者さんが楽しめる漫画を作らなきゃ!』ってなって来たのだ! ――だから最近は手抜きしたら読者さんに失礼だと思って、ストーリーや絵に凝り始めて。資料集めや作り直しを繰り返したら進捗がだんだんやばい事になってるんだよなぁ。あぁ、また新しい展開を思いついたぞ。プロット案にメモしなきゃ……」

「逆にお前が漫画に染まってるぞ」

「いますよね、人気が出ると色々考え始めちゃって行き詰る人」


 レドは深刻そうな顔でメモを描くトカゲ怪人を見て、危機感を持った自分が恥ずかしく感じた。そしてサキグライダーがそのやりとりを見て、「よくあるな~」という感じでうなずいている。



「よし、メモり終わった。とにかく、今はお前らとの勝負が優先だな! 漫画なんて、その後でゆっくり描けるぜっ! グヘヘッ!」


 メモを描き終わったトカゲ怪人は、再び悪役じみた笑いを浮かべる。そして戦いをやり直そうと、格闘の反撃フォームを取り直す。


「でもこの間、SNSで『やばい、表紙しか出来てない。死にたい』って書いてましたよね。ホントにゆっくり描いて間に合うんですか?」


「あがぅっく……!」

 だがサキグライダーの新たな質問を喰らい、トカゲ怪人は宙に飛んだ。十メートルほど吹き飛んだトカゲ怪人は最終的に地面へめり込むように衝突。顔面が埋もれ、体も死んだようにぐったりとへたばる。アレグライダーの勝ちは目の前だったっ!


「更なる大ダメージみたいな描写ぁー!?」

 そしてレドグライダーはこの不自然な戦闘シーンを見て、再び叫んだ。


「さ、サキ氏……。あんた、俺様のフォロワーか?」

「はいっ。SNSでフォローしてますし、トカゲ怪人さんの作品はずっと買ってますよ。会場では眼鏡かけてるんで、トカゲ怪人さんは気付かなかったんでしょうかね?」

「秘密結社がSNSすんなよ……。サキも怪人見たんなら報告しろよ……」


 トカゲ怪人は地面から顔を引っこ抜き、サキグライダーに問いかける。するとサキグライダーは嬉しそうにスマートフォンのSNS画面を見せた。確かにそこにはトカゲ怪人のアカウントらしきアイコンがある。それを見ているレドは、サキの警戒心のゆるさに底知れぬ危機感を感じている。


「で、でもその投稿をしたのは秘密のプライベートアカウントだぞ? なんで俺様が中の人だと知ってるんだ!」

「そんなの検索したら分かりますよ。だっていままでの犯行をタイムラインで言ってたじゃないですか」

「え」


 困惑するトカゲ怪人を尻目に、サキはスマートフォンを操作しだす。やがて画面に表示された文字を、サキは暗唱し始めた。


「ほら、この投稿とか。『世界征服が忙しいけど、絶対新刊出すのでお楽しみに! 構想も出来上がってまーす!』」

「ぐわあああああーっ!?」


 それはまさにパンドラの箱。同人誌ぐらいすぐできるだろ、と甘い考えをしていたかつての己自身が書いた文章。呪われた過去を思い出した恥ずかしさで、トカゲ怪人はボディブロー一発分のダメージを喰らった。

 しかしサキには、トカゲ怪人の後悔を察する事は出来ない。過去のボディブロー案件は次々と暗唱される。


「『大手同人サークル、青春音楽隊のデモ音源聞いてる。これ聞きながら偽札作りしよう……』」

「ぐがあああああーっ!?」

「『政治家洗脳後のタコストラテジーは楽しいなぁ。誰かフレンドマッチしませんかー?』」

「ぐなあああああーっ!?」

「『犯行実況のネコ生してたらもうこんな時間。今日は絵を描けなかったなー』」

「ぐばあああああーっ!?」


 過去の自分の甘さを次々と晒され、トカゲ怪人の体は崩壊寸前であった。


「なんでダメージ受けてんのっ!? あと投稿がゆるすぎるっ!」

 当然これは不自然なシーンなので、レドのツッコミ案件となった。


=====


 サキの連続ボディブロー暗唱は、レドの制止により幕を閉じたが、ダメージは残る。トカゲ怪人は半泣きで過去の投稿を後悔し始めた。


「あぁ、なぜあの時タコストラテジーやったんだ……。なんでネコ生やったんだ……。ちゃんとしてたら、もう描き上がってたはずなのに……!」

「こんなしょうもない後悔、今まで見た事ねぇな」

「もういい、帰る。俺様、早く漫画描かなきゃ精神が死ぬ」

「豆腐メンタルかよ……」


 トカゲ怪人は力なく立ち上がり、ふらふらとビル街を立ち去ろうとした。レドもその姿の悲壮感が半端ないと思ったので、追いかける為のやる気が完全に失せてしまった。

 


「ちょっと待ってよ、トカピースさん」

 だがそこに待ったをかけたのは、ここまで特に発言をしていなかったブルグライダーだった。


「トカピース?」

 レドは聞き慣れぬ名前に首をかしげる。


「うん、トカゲさんは『トカピース』って名義で活動してるよね?」

 ブルグライダーがそう質問すると、トカゲ怪人は振り向いてややめんどくさそうに答えた。


「……は? なんでブルグライダーが俺様の名義知ってるんだ。まだ教えてなかったはずだろ?」

「それより今溜まってる進捗って漫画だけなの?」

「あ、あぁ。ゲーム画像の依頼とかもあったけど、それは片付けたな」

「がっつり絵の仕事に手を出してるんだな、お前……」


 ブルの質問に対し、トカゲ怪人は素直な答えを返す。レドはそれを聞いて、トカゲ怪人の悪役感が迷子になっている事を肌で感じ取った。



 しかし、再び開かれたブルの口から予想外の質問が飛び出た。



「でも僕のサークル、CDジャケットの入稿用データを貰ってないよ。もう出来てるのかな? 進捗どうなってるの?」


 ……長い沈黙。その間、ブルグライダーは直立不動、レドグライダーは質問の意図がよく分からず困惑、サキはポケッとつっ立っていた。そして質問を聞いたトカゲ怪人は、次第に冷や汗がダラダラと流れ体も震え始める。目に見えて呼吸も乱れていた。

 トカゲ怪人は何度も呼吸を整えた。何度も、何度も。そして声を発せられる程度に呼吸を整えると……ブルに質問をし返した。


「え、えっと。お前のサークル名は?」



「『青春音楽隊』だよ。この間、デモ音源送ったでしょ?」



「ぎゃあああああああああっ!?」

 その一言と共に、トカゲ怪人は爆裂消散! 爆音と共に消え去ったのであったっ!


「また爆発したー!?」

「さては忘れてたねアイツ……」

 こうしてビル街には、驚き叫ぶレドと静かに怒るブルと爆炎をSNSにアップするサキだけが残った。



 ブルグライダーがメールで依頼したデータ案件が、トカゲ怪人の精神にとどめを刺した! だが油断はできない! 秘密結社ヤバノーキは諦めないだろうし、締切も近づいている! 負けるな、アレグライダー! 負けるな、トカゲ怪人!

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