第2話

——————四時間目——————


高校の授業内容はそう難しいものではなく、ノートと課題さえやっておけばテストで赤点を取る事はないだろう。

できるだけ囲碁の勉強時間を取りたいので授業は集中しないといけないのだ。


ヴー…ヴー…


(……)


ヴー…ヴー…


(……はぁ)


さっきからしつこく振動しているのは俺のスマホのバイブレーションだ。

誰からのメールかはもう分かっている。


(有紗……)


そもそも俺のアドレスを知ってる人間は少ないのでこのタイミングで送ってくる奴はだいたい見当がついていた。


取り敢えず俺が送る内容は一言だけ。


『五月蠅い』


メールを送信して少しすると、さっきまで隠れてスマホを弄っていた有紗がガクッとうな垂れた。


そもそも校内でのスマホの利用は禁止なんだけどな







——————昼休み——————


食堂で昼を摂りながらメールを見てみると、内容は

『今日も行っていい?』

とのことだった。


(これダメって送ったらどうなるかな...)


昨日全敗したのがそんなに悔しかったのだろうか。

正直有紗の実力は院生レベルだから相手をするのも結構疲れる。

昨日の夜もそれなりに打ったせいで今日の授業中すごい眠かったし。


「どうするかね…これ」

「デートのお誘いかい?」

「うぇ?」


いきなり隣から声をかけられて変な声が出てしまった。

顔を上げて見ると、知らない女子生徒だった。

はて、どこかであっただろうか。

見覚えがあるような無いような。


「む……その顔を見るに忘れられているね」

「すみません、どこかでお会いしましたか?」

「悲しいなぁ。まぁ昨日会ったばかりなのだけれどね」

「昨日?」


そう言われ思い返してみると、そういえば階段でぶつかった女子生徒と会話したことがあったな。


「すみませんでした。名前も聞いていなかったもので、記憶に定着していませんでした」

「うん、まあそうだと思ったよ」


彼女は軽く微笑むと持っていたトレーを俺のトレーの横に置き自分も座った。


「君は一年生だったね。私は二Aの冴木さえき涼香りょうか。よろしく」

「一年C組の烏丸からすまましろです」

「マシロ…あまり聞かない名前だね。うん、覚えやすくていいな」

「はあ…」


この人は何をしに来たんだろうか。

昼食を摂るにしろ、わざわざ遠い位置に座った俺のところまで来る必要はないはずだし。


「不思議そうな顔をしているね。私がここに来たのがそんなに珍しいのかい?」

「まぁ、なんでわざわざカウンターから遠いこの位置まで来たのかは疑問に感じますけど」

「君がいたから、というのでは納得してもらえないかな?」

「流石に納得できないですよ。まともな接点も無いのに」


「それはそうだね」と先輩は笑いながら言った。

彼女は持ってきたB定食を食べながら続ける。


「ところで、君はどこか部活動に所属しているのかい?」

「いえ、部活は入る気は無いので」

「そうか。この学校は部活動に力を入れているんだがそれは知っているかい?」

「えぇまあそこそこには」


この学校は学業よりも部活動に力を入れておりOB・OGには多くのプロのスポーツ選手がいる。

しかも、運動部だけでなく文化部でも多数の実力者を輩出していたはずだ。


「かく言う私も水泳部に所属していてね。部長として勧誘は怠れない訳なんだが、まあ強制するつもりは無いからね。残念だが諦める他ないかな」

「すみません」


放課後は部活動に時間を割きたくない。

ただでさえ平日は学校があって手合いやら研究会やらに参加できないのだ。放課後は碁の勉強をしなくてはならない。


「ただ、部長として誰も見学に連れてこないというのは少々マズイのでね。申し訳ないのだけれど明日の放課後、少しだけ時間をもらえないだろうか。そう長くは取らせないから。今日は先約がありそうだけれど明日ならどうだい?」

「うーん…まぁ少しなら。でも俺は運動できませんし入れませんよ?」

「分かっているよ。来てくれるだけでいい」


そう言って先輩は微笑んだ。

笑みを見て一瞬ドキッとしてしまった。

冴木先輩はかなり美人だ。

セミロングの艶やかな黒髪がそれを際立たせている。

俺は動揺を悟られないように箸を進めた。

先輩はそれに気づいたのか将又はたまた、偶々なのか軽く笑うと席を立った。


「ではまたね。明日来るのを待っているよ」

「え、えぇ。また」


飯食うの早すぎだろ……。








——————夕方——————


「だぁーッ!とーりょー投了

「ありがとうございました」


じゃらじゃらと石を分け、碁笥ごけにしまう。

結局今夜も有紗と碁を打っていた。

負けた有紗の方はバッタリと後ろに倒れたまま起き上がってこない。


「おい、石片付けろよ」

「勝てないぃ〜悔しいぃ〜」

「プロに置き石3つで何言ってんだよ。互先じゃあるまいし勝敗なんて気にするなよな」

「だって勝ちたいもんは勝ちたいし」

「手抜いたらお前怒るし勝つしかないじゃん」

「でも悔しいぃ〜」

「どうしろってんだ…」


結局有紗の石も俺が片付ける。

置き石を3つ置いて負けてもアマの中じゃかなりの腕なんだし気にする必要はないと思うんだがな。


(俺が言っても無駄なんだろうが…)


「今日は帰る」

「送ってくか?」

「いい。碁会所よって憂さ晴らししてくる」

「おいおい…まぁ気をつけて帰れよ」

「うん。明日こそ勝つから」

「はいはい。あ、いや明日無理だ。ちょっと用事できた」

「じゃあ明後日……は手合い日だから、日曜日。休みだし朝から打つ」

「はぁ……まぁいいよ」


勝手に予定を決めていくと彼女は足早にマンションを去っていった。

全くもって嵐のような女の子である。


(とは言っても有紗強いから俺も勉強になってるんだけどな)


所々鋭い一手を打ってくる彼女は俺にはいい刺激になるのだ。

プロの手合いなんてどの手もビシビシしたものだから常に気を張っていないといけない。

彼女との対局はいい息抜きになるのだ。疲れるけど。

有紗が互先で俺に勝つ日もそう遠くないかもしれないな。








——————翌日放課後——————


約束通り俺は学校の屋内プールに来ていた。

学校のプールにしては設備がかなり整っている。

25Mプールの他、深度6Mのシンクロ・飛び込み用プールがあったり筋トレ用のジムも設置されている。

そんな中、俺は目的の人物を見つけると歩み寄った。


「こんにちは、冴木先輩」

「やあ。本当に来てくれたんだね」

「まあ特に予定も無いですし。一応約束しましたからね」


学校指定のスクール水着を着ていた先輩なのだが、なにぶんスタイルが良すぎて目の毒になっている。

出るとこは出て引っ込むところは引っ込んでいる。

というか若干サイズ小さそう。


「来てから思ったんですが、俺、来る必要ありました?」

「うん?どういう意味だい?」

「いや、だって…」


俺は周りに目を向ける。

プールサイドには多数の男子生徒が俺と同様に見学に来ていた。

女子の姿もチラホラある。

別に俺が来なくても見学者はいた訳だ。


「あぁあれか。下心で来るものたちは数に入れてないよ。私はやる気のある部員が欲しいんだ。あの中に本当に競泳に対し真摯でいるものは……残念だが二、三人しかいないね」

「俺はいいんですか?」

「君は下心で来た訳じゃ無いだろう?」


確かにそうだ。

とは言ってもあの男子生徒達の気持ちも分からない事はないが。

なにせ水泳部は結構可愛い女子が多いしな。


「そういうことも含めて私は君を呼んだのだからね」

「そうですね」

「さて、私は一本泳いでくるよ。見ていくといい。認識が変わるかもしれないぞ?」

「じゃあ、拝見させてもらいます」


冴木先輩は部員を何人か集めるとスタート位置についた。

俺は邪魔にならないよう他の見学者の側に退がった。

プールサイドにいたギャラリーはレースが始まることに少し歓喜している。

そして選手達は、合図と共に一斉にプールに飛び込んだ。





圧倒的実力差で冴木先輩が一位になった。

50M26秒というタイムは早いのではないだろうか。詳しくないからよく知らないけど。

先輩は水から上がり濡れた身体を軽く拭うと、俺や他の見学者のいるプールサイドに近寄ってきた。


「ふぅ…どうだったかな?少しは印象が変わったんじゃないか?」

「えぇ、そうですね。すごく力強い泳ぎでした」

「そうか、それは良かったよ」


俺が答えると周りの男子達も口々に先輩を褒め称えてきた。

勢いに押しのけられた俺は、そのままギャラリーから離れ近くのベンチに腰掛ける。


(あ、先輩口は笑ってるけど目が笑ってないなぁ…)


先ほど言っていた通り下心で来た奴には興味ないんだな。

それでもちゃんと相手するあたりいい人だと思う。

暫くすると会話を終えたのか先輩が近づいてきた。


「すまないね、放置してしまって」

「いえ、冴木先輩って人気なんですね」

「あんなもの達に人気があったところで嬉しくはないよ。私が好きなのは素直で真っ直ぐな人だからね。君のような物事をはっきり言う子は好みだよ」

「買いかぶりですよ。俺はそんな素直じゃないです」

「話していれば分かるさ。まぁ君がそう言うならそう言うことにしておこう」


なんだかこの人には隠し事が出来なさそうだ。

その時、入り口から一人の男子生徒が入ってきた。

彼はキョロキョロと辺りを見回すとこちらに駆け寄ってきた。


「冴木〜!ちょっといいかぁ?」

「うん?なんだ橘か。プールサイドは走るな」

「悪りぃ悪りぃ。って珍しいな、あの冴木が男連れとは」

「彼はそういうのじゃないよ。見学者だ」

「そうか、冴木は面倒くさいから告っても無駄だぞ?」

「は、はぁ…」

「こら橘、面倒くさいとはなんだ」

「いや多分みんな思ってるぜ?自覚ないの?」

「全く、失礼な奴だな。白君は気にしないでくれ」

「は、はぁ…」


三人で軽く笑っていると突然、橘さんが「あぁ!こんなことしてる場合じゃない!」と大きな声を出した。


「冴木、水泳部の新歓中悪いんだが一緒に来てくれないか?スゲェ強い一年が来てんだ!」

「ほぉ、それは良かったな。だがなんで私が行く必要があるんだ?」

「来てみりゃわかるから!頼む!この通り!」

「む……一つ貸しだぞ」


冴木先輩はあまり進まないようだが、頭を下げられた所為か渋々引き受けた。


「すまない。私から呼んでおいて申し訳ないが少し席を外させてもらうよ。溜まるようで悪が、お詫びはまた今度させてもらいたい」

「いいですよ、お詫びなんて。というかまだ時間ありますし、ついて行ってもいいですか?」

「げっ!い、いや君は来なくても大丈夫だよ」


俺も来ると言ったらなぜか動揺しだした橘さん。

それを見た冴木先輩が悪い笑みを浮かべた。


「新歓週間中一年生はどこの部活動を見に行っても問題はないからね。君が来たいのであればついて来るといいよ」

「お、おい冴木…」

「すまないな、橘。私には一生徒である白君を拘束することはできないのだ」

「これだから冴木呼ぶの嫌だったんだよ…部長め…後で覚えてろよ…」


なぜか恨みごとを言い出す橘さん。

悪い笑みを浮かべる冴木先輩。

同級生なのに、なんだか上下関係がはっきり見えるな。


「じゃあ行こうか。橘」

「その格好で行くのかよ」

「そっちに行った後も水泳部の練習があるのだから仕方ないだろう。でもまあ校内をこの格好で歩くのは流石に恥ずかしいからな、ジャケットぐらいは羽織るさ」

「そうしてくれ…」


冴木先輩は身体をタオルでしっかり拭くと近くにあった大きめのジャケットを羽織った。


「これでいいだろう?行くぞ」

「あ、あぁ」


冴木先輩は有無を言わさずプールから出て行った。

俺と橘さんは放心しながらもその後を追った。



「なあ一年生、なんか逆にエロいよな」

「ま、まぁそうですね…」










向かった先は旧校舎の部活用教室だった。

教室のネームプレートには『囲碁部』の文字。

中に入ると、十数名の生徒がいた。


「弱い弱い弱すぎるよ。先輩、ちゃんと囲碁の勉強してるんですか?」

「ぐっ…くそっ!」

「あぁまたそんなところに…救いようがないなあ」


教室の中には対局相手の先輩を見下した言葉を次々吐く男子生徒がいた。

あれがおそらくさっき言っていたスゲェ強い新入生だろう。


「…あれか。私を呼んだ理由は」

「あぁ、あいつにみんなやられてんだ。最初は礼儀正しそうな奴だったんだけど、うちの部員に三人連続で勝ったらつけあがりやがったんだ。文句言いたかったけど実力差があり過ぎてどうにもできないんだ」

「成る程、確かにああいった輩は早めに摘んでおいた方が今後の為だな」

「頼む冴木。お前しかいないんだ」

「いいだろう。相手してやろうじゃないか」


なんだか冴木先輩の表情が少し変わった気がする。

橘さんは気づいてないみたいだけど。


「白君、悪いんだが一度戻って私の着替えを持ってきてもらえないか?」

「え?あぁ、はい。分かりました」


どうやら冴木先輩は本気になったようです。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る