エピローグ

 死者の町の朝は早い。冬の日がまだ昇らない闇の中、レンタルの霊安所に預けられた勤労ワイトたちが、霊柩バスに乗り込み出勤する。

 あるものは飲食店、あるものはハウスキーパー、あるものは工場に。霊柩バスの座席は、事前にワイト一体一体に登録するため、人間が乗り込んでも座る場所はない。

 それから一、二時間したところで、生きた人間たちの通勤帯だ。更に九時を過ぎ、ようやく空が白み始めたころ、サイゴは警察病院を訪れていた。

 折れた腕を吊り、顔にまだ青黒い痣を残し、頭に包帯を巻いたサイゴは、見舞い客と言うよりも、診察に来た患者そのものだ。

「や、お加減どうかな」

 簡素な入院着姿のマキールは、ベッドの上で半身を起こし、小説を開いていた。低体温症になり、脇腹を撃たれたりしたものの、少し疲れてるかな程度で、取り立てて重篤な様子はない。少なくとも、見た感じでは。

「おかげさまでね。多方面から怒られたが」

「そうだろうね」

 入院していたという相方の刑事とは、ちょうど入れ違いになる格好だったと言う。恋人の方も、さぞかし心配したことだろう。

「お前こそ、怪我はいいのか。そんな酷いのを隠しやがって」

 ゾンビの特性、痛覚の任意消去。サイゴも先日はそれに頼っていたが、怪我が無くなる訳ではないので、放っておくと取り返しがつかないことにもなりかねない。

 サイゴはややとぼけた声音で「ああ、多分大丈夫じゃないかな」と言い、「先生、生きた人間は専門外だし」という部分は飲み込んだ。

「多分?」

「一週間か二週間もあれば綺麗さっぱり。休みは今日だけだよ」

 本音では三日ぐらい寝ていたいが、自営業の辛いところだ。

 フィティアンはサイゴが怪我をしたことを知ると、勝手に診察して勝手に治療して、勝手に貸しにしていく、という行動をしばしば取る。実際その〝貸し〟を活用されて、面倒なことになったことも一度や二度ではない。

 しかし、フィティアンがあくまでワイト専門医である以上、生きた人間に対する治療行為は医師法違反だ。先日の点滴などは緊急事態だから追求はされないだろうが、マキールに今度の治療を知られては困る。

「それと、イー・メイファの葬式に行ってきたんだ」

 中国式の葬儀はとにかく派手に行われるものだが、二度目のそれは密葬と言っていいほどしめやかなものだった。

 アンダーテイカーが、自分で取り戻した遺体の葬儀に参列することは、業務上のアフターサービスの一種だ。慣例的なもので強制ではないが、サイゴは欠かしたことがない。喪主はイー・シーロン、妹の遺体は火葬に処した。

 ワイトは土に埋めただけでは、不活性状態のまま長く残り続ける。第一世代の簡素なものならともかく、現代のフィラメント入りは半世紀経っても動いてしまう。何の仕事も出来ないだろうが、大人しく横たわるただの屍にはならない。

 だから、故人の意向を無視してワイト化された遺体は、完全に破壊しなければならないのだ。薬で溶かすか、それとも、火で焼き尽くすか。

 マキールは、そうか、と短く答えた。その呟きは、小さな氷の棘だ。声を発した彼自身の胸に突き刺さる、呪いのような自責の痛み。それがサイゴにはありありと想像出来る。何しろ、あの少女はワイトにされたことで、二度殺されたのだから。

「ぼくらの仕事は終わりだよ、マキール。胸を張って」

「あんまり張ると、裂けることもある」

 友人の返しに、サイゴは嘆息して首を振った。冗談めかして言うぐらいには元気らしいと安心するが、ひやりとした辛気臭さは居心地が悪い。

「イー・シーロンなら大丈夫だと思うよ」

 だから、サイゴは彼が気にしているだろうことに話題を変えた。

 目を伏せると、雪が舞う中、沈痛な顔でうつむいていた喪主の青年が瞼に浮かぶ。彼は葬儀が終わると、墓地から直接、署へと連行されていった。

 けれど、その間際に、シーロンは言っていたのだ。

「〝ワン・イーシェンは、自分を殺さなかった〟って、彼は笑ってたんだ」

 シーロンが父親を撃った直後、シュエインが襲いかかろうとしたが、イーシェンは咄嗟に止めた。ワイトの腕力、そのまま息子を殺させることも出来たはずだ。

「イーシェンの思惑はともかく、さ。彼がそう信じて、希望を持てたなら、まだなんとかなるんじゃないかな」

「そうだな」

 ……そうだな、ともう一度。ようやく、マキールの白い顔が緩んだ。さざなみのように微かな綻びだが、張り詰めていたものをようやく手放したのだ。

 かと思ったら、先ほどとは別の緊張がその目口に宿る。きりり、と。

「ところで俺も、一つ報告することがある」

 サイゴは缶珈琲を開けかけて止めた。

「なに?」

「プロポーズされたんだ」

 ばちばちと花火のように目をまたたかせ、膝をぱん、と一つ打って、サイゴはようやく「おめでとう」と声を絞り出した。びっくりして喉が締まっていた。

「結婚するんだ? ダリオンさんと?」

 サイゴは、マキールが三年付き合った恋人の名前を挙げた。

「他に誰がいるんだよ」

 今度こそはっきりと、マキールは笑った。照れくさそうで、幸せそう、真夏の太陽のように眩しい、見ているこちらの眼がくすぐったくなる素晴らしい笑顔だった。

 様々な思いが胸に込みあげると、それが喉を突き上げ、人はまだら模様のため息を吐く。サイゴのそれは、たいへん長かった。

「なんだ、そんなに俺が結婚するのが意外か」

「いや、不意打ちすぎて」

「そうか」

 ニコニコと、しゃべりたくて堪らない様子のマキールは、しばしプロポーズの様子を事細かにサイゴに語って聞かせた。こんな当たり前の幸福に浸れるのも、生きていてこそだ。もっとも、国が違えば同性婚は認められないが。

 誰かが家族を喪って、誰かと誰かは家族になって、とかくこの世は理不尽だ。中でもこのインゴルヌカは、大手を振って死者が歩き出す不条理の極み、北欧のソドム。

 生と死があまりに曖昧になってしまったこの新世界、別れるべき時に別れなかった者に訪れる悲劇は、かつての世界よりもより大きな災厄を招く。

 サイゴは十年来の親友の手を取って、神父のように笑いかけた。頭の中身が天国の南外れを漂っていそうな、バカ善人じみた底抜けの祝福を。

「おめでとう、マキール。

 どうぞ、、お幸せに」

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インゴルヌカ番外編:グリーフワークス・アンデッド 雨藤フラシ @Ankhlore

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