Ⅷ 冥家団欒の理

 全身を包帯にくるまれた死体は、人種も性別も年齢も不明瞭な、一律の〝素体〟にパッケージングされていた。下処理を済ませた、ワイトの材料たち。

 まるで死体の森といった趣きだ。彼らは冷凍食肉のようにフックで吊るされ、列を作って並べられる。

「いつも悪いね、エヴァ。バカなことをしたって思うだろ? 〝あなたは死体が好きなんじゃないか〟ってさ」

 その間に開けた通路を、サイゴとエヴァ49はよろめきながら歩いていた。時折床を叩く滴には、血の赤と薬の黒が混じっている。空気中ではすぐ揮発する還死剤は、混ざり物があるとそのまま液体中に残るのだ。

 血に染まったコートと薬に汚れた喪服。一人と一体、どちらも満身創痍だった。

「でもさ、マキールが死んじゃうと、困るんだ」

 サイゴは左腕を折られ、それに肩を貸すエヴァ49も、左の主腕に脱落した右副腕を握りしめている。痛みこそゾンビの特異体質で消しているが、疲労まではどうにもならず、歩みはさほど早くはなかった。

「僕のことを知ってる人が死ぬと、この世から僕に関する思い出が消えていく。……それって、僕の心がひとかけらも、ふたかけらも消えるってことだよ。だから……」

 エヴァ49は主人の独り言には何の反応も返さない。ただ黙って肩を貸し、サイゴの体を気遣いながら目的地へ急いだ。

 冬のインゴルヌカは、屋外に犠牲者を放置しておくだけで、一晩も待たずに死体が出来上がる。だが、警官を始末するならもう少し人目を気にした手を取るはずだ。ここには必ず、死体用の冷凍庫がある。マキールらが閉じ込められているならそこだろう、とサイゴは見当をつけていた。

「……あれだ」

 アコーディオン式ビニールカーテンを潜った先に、重々しい両開きの扉があった。扉上部のプレートに、死体用冷凍庫の表示。

 サイゴはエヴァ49から体を離し、一人で立つと、懐から鍵を取り出した。頭にありったけの銃弾を叩き込んだ後、チウコウから奪い取った物だ。

 失血と疲労のせいか、それ以外の理由も含めてか、解錠の手が震えた。

「頼む、間に合え、間に合え……」

 分厚い扉の向こうから、苛烈な冷気が漂ってくる。寒い。冷凍庫より気温の低い夜に、グールと取っ組み合いをしたこともあった、走ったこともあった。だが、これは、自分が知っているそれとは違う。血の流れが、怯えに引いている。

 ああ、自分は怖いのだ。もし間に合わず、マキールが死んでいたら、と。サイゴは心臓の上を押さえて、もどかしく冷凍庫を開け放った。早く彼の無事を確かめたい、けれど、もし、駄目だったら、どうするか。その時自分がどうなるか、分からない。

「凍死は、ゾンビ化率が特に高いって言うよね……」

 そう言ったサイゴの声音は、歯の根が合っていなかった。もしマキールがただ死ぬだけではなく、まったく別人の偽生者ゾンビになったなら。その時は二度と、親友だった者に関わろうとは思わないだろう。それが何より互いのためだ。

「君はさ、死体にも死人にも、まだならない方が似合ってるよ」

 庫内の壁にもたれて、二人の人間が座っていた。マキールとシーロンが、肩を寄せ合うように足を投げ出し、ぐったりと動かない。

 大きくふらつきながらサイゴは冷凍庫へ転がり込んだ。メタルラックにぶつかり、死体のパーツを蹴飛ばして。

 手を握り、体を揺すると、マキールは虚ろな目でサイゴを見た。辛うじて意識がある、少なくとも中程度の低体温症。手足をマッサージしたり、むやみに体表面を温めれば、冷えた血液が内臓や心臓に流れ込んで、かえってとどめを刺してしまう。

 応急処置のマニュアルでは「とにかく安静にさせて救急車を」などと書いてあるが、今それをやっても、死ぬのを待つだけだ。

 マキールの背と腰は既に霜つきそうだった。それを壁から引き剥がし、サイゴは強くその体を抱きしめる。間に合った、自分は間に合った。まだ助かるとは限らないが、今は、彼を助けられたのだ。


                 ◆


 何とも面倒なことになった。いかにイーシェンがパンの中でそれなりの地位にあろうとも、警官を殺す時は上役の判断を仰がなくてはならないものだ。それを無視して、こっそり始末しようとした挙げ句、邪魔をされてしまった。

 倉庫街を引き払って一時間、チウコウに連絡がつかない。今までに無かった事態、奴はもう駄目なのだろう、と車上のイーシェンは判断を下した。シュエインは片足首がないため、メイファに運転を任せている。彼は助手席で頭を掻いた。

チェンめ、あの鎮伏屋とチウコウと、どちらもろくな者ではないな」

 ワイトの強さは肉体の性能と、人工知能が積んだ経験に左右される。

 戦闘プラグインはあくまでプログラム、手数や柔軟さには欠けるため、軍隊などでは短期の〝新兵訓練〟さえ施すほどだ。実戦経験が浅いワイトは、単にフィラメントで強化された身体能力でごり押すしかない。

 チウコウはワイトの腕と、生きた人間の経験、修練、判断力を備えていた。あれがやられたとすれば、それなりに場数を踏んだ戦闘ワイトと、そのマスターがすぐ傍にいたことが不味かったのだろう。もし、イーシェンがシュエインを加勢させていたら、結果は違ったのかもしれないが……。殺しの技を仕込ませたのは余興のようなもので、戦闘でむやみに傷つけたくはない。

「この償いは高くつかせてやるぞ」

 苛立たしげにイーシェンは電話をかけた。数度のコールの間に息を整える。

「やあ、花梨ファリー。私だ。久しぶり」

 電話に出た妻は最初息を飲み、すぐにきつい口調で問いただした。

「……ああ、知ってるよ、石竜シーロンのことだろう。あの子は今こっちにいるんだ。嘘じゃないさ、口もきいてくれないが」

 嘘ではないが、事実は隠している。捕らえたらすぐ冷凍庫へ放り込むよう指示したのは彼自身だ、最初から顔も合わせていない。

 息子の命など、その程度のものだ。娘が死んだのだから、それぐらい何もおかしくはあるまい。一人死ねば、二人死んでも、いい。

苺花メイファのほうも、うちの者に探させた。二人に会いたいだろう? そう、場所は……」

 だからイーシェンは決めたのだ。家族みんなで、もう一度仲良く暮らすために、何を犠牲にしてもいい、と。血の絆は断ち切れないのだから。


                 ◆


 釘のように太いワイト用の点滴針はかなり痛かった。温かな輸液を体中に巡らせてくれたのはありがたいが、なぜ人間用の点滴ではないのか。

 マキールが横たわったベッドの傍らでは、十一歳の男の子が誰かに当たり散らしていた。薬物と死体の城に座す少年王、砂糖まみれのかんしゃく持ち。

「ボクはさあ、還死科医なんだよね。死体専門、人間は診ないんだよ。分かってるのかねキミは! 人体は扱うけれど、生きてるのはお・こ・と・わ・り!」

「緊急避難ですよ、先生。おかげで二人とも助かりそうで、感謝してます」

 幼い怒鳴り声もどこ吹く風といったその態度は、サイゴだ。マキールは点滴を見上げていた視線を外し、ゆっくりと傍らへ首を動かした。

「……ドクター・フィティアン」

 見た目は十一歳、中身は確か四十代。ゾンビとして目覚めて以来、歳を取ること無く過ごしている特異体質者だ。

「あ! 起きたなポリ公!」

 フィティアンは無遠慮にこちらを指さす。

「中程度の低体温症だ、それぐらいならまだぴんぴんしてるだろ。とっととうちのクリニックから出て行ってくれないかね!」

 棘を隠そうともしない声音に、マキールは苦り切った顔で身を起こした。このワイト専門医とは古くからの知り合いだが、初対面時からやけに嫌われている。

「毎度思うんだが、あんたどんだけ悪どい商売してるんだ」

 霊安課を毛嫌いするということは、違法な死体の取り扱いでもしているのかと思えるが……マキール個人を恨んでるような節さえ感じられる。

「痛くもない腹を探られたくないだけさ」

 ケッとコメディアンじみた仕草で吐き捨て、少年医師はその場を去った。

「まあまあ、今回は手当てしてもらったんだし、角立てないで行こうよ」

 部屋を出るフィティアンを見送って、サイゴは保温ポットを取る。何とやり合ったのか、顔の半分が青黒く腫れていた。用意された三人分のカップを見て、やっと隣のベッドにシーロンが寝ているのに気づく。

「まだ少し頭がぼやけてるんだがな。確かお前は、ワン・イーシェンの仕事を受けたんだよな? サイゴ。しかもなんだ、その酷い顔は」

 差し出された珈琲を受け取って、一口。内臓に広がる熱に、思わず溜め息が出た――心底美味い。カフェインに脳がきゅっと引き締まる気がした。

「それは依頼された遺体を届けた時点でチャラだよ。このアザは必要経費」

 こともなげな口調。なるほど、と熱い珈琲と一緒に、感覚がする。サイゴが仕事熱心なのはよく知っていたが、イーシェンが自分たちを殺そうとしているのを受けて、無理やり依頼を切り上げてきたに違いない。

「おかげで、お前に助けられた訳だ」

「まあね」

 瞼を伏せたサイゴの表情は、どこか満足気だった。教会でのやり取りを思い出す……何か言ってやりたいが、まだうまく言葉が出てこない。

「助かった。ありがとう」

 結局は月並みな礼になってしまった。

「うん、死んじゃ駄目だよ、マキール」

 死体が好きなくせに、とからかおうとしたが、それはやめておいた。サイゴが来てくれなければ、本当に自分はあのまま凍え死んでいただろう。

 苦労して極太の点滴針を抜きながら、マキールは首を傾げた。サイゴが手早く止血して、特大の絆創膏を貼り付ける。

「しかし、なぜイーシェンは自分の息子まで殺そうとしたんだ?」

 ごそり、とシーロンのベッドが動いた。

「起きていたか。俺たちはまだ助かる範囲だったが、お仕置きにしてはキツすぎたな。お前の父親は何を考えている?」

「……分かるわけないですよ、そんなの」

 力ない声が、丸まった毛布からかすかに聞こえる。マキールはベッドを降りて床を踏みしめた。全身に重く倦怠感がのしかかっているが、歩くには問題ない。

 毛布の虫には、問題が山積みのようだったが。

「あいつは、メイファの遺体さえあれば、おれなんか死んだっていいんだ」

「飲めよ、体を温めたほうが、気持ちも楽になる」

 珈琲を注いだマグを勧めると、おずおずと毛布がめくれて、手が伸びた。シーロンの顔は青白く、自分もこうだったのかと薄ら寒い気持ちになる。

「〝血の絆は、死してなお断ち切れない〟。〝かつてはそう信じていた〟」

 不意につぶやいたサイゴを、マキールは振り返った。

「ワン・イーシェンはそう言っていた。彼はゾンビだよ、前生の家族たちに、よみがえってなお受け容れられると期待して、裏切られたのかもしれない。いや、家族も一度は受け容れて、最後は諦めてしまったのかも」

「それが、なにか……?」

 シーロンは訝しんだが、マキールはあることに思い当たって、顎を撫でた。

「奴は自分の娘をワイトにした。彼女の死が事故か陰謀かはさておき、それがきっかけで家庭にひびが入った。しかし……」

 その先の答えは、あまり言いたくはない。言葉を濁した武装墓守の子孫を横目に、鎮伏屋は自身の見解を口にした。

「死んだ娘と同じように、妻も息子も殺してワイトにすれば、元通りの家庭円満。彼が望んだのはそういうことだと思うよ、僕は。だから君を冷凍庫から出さなかった」

 ごとりと、まだ半分ほども残っていたマグが床に転がり、中身をぶちまけた。

妈妈かあさん!」

 シーロンはベッドを降りようとして転げ落ち、着ていたシャツとズボンを珈琲まみれにした。サイゴが腕を引っ張って立ち上がらせる。

「まあ落ち着いて落ち着いて」

「電話を……母に逃げろと……」

 マキールは室内を見渡して電話機を探した。霊安課に自身の無事を報告するのももちろんだが、イー・ファリーを一刻も早く保護しなくてはならない。

 サイゴは、今日の昼間に遺体を奪った当の青年に、全く逆のことを申し出た。

「イー・シーロンさん。アンダーテイカー、鎮伏屋のサイゴです。妹さんの遺体を取り戻すのに、僕を雇いません?」

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