Ⅶ 初めて言おう、「殺せ」と

「ざっとマイナス二十五度ってところか。笑えてくるな」

 両腕をさすり、同じ所をぐるぐると回りながらマキールはぼやいた。コートとジャケット、そして銃を奪い取られ、シャツとズボン一つの体は震えが止まらない。

 分厚いコンクリート壁に囲まれた、五メートル四方の部屋。左右に並べられたメタルラックには、袋に包まれた人間の手や足がある。恐らく違法なUD義肢。

 この切実な寒さは、サイゴらと三人で、トナカイ猟に出かけた時のことを思い出す。あの時は予報にない猛吹雪に見舞われたが、今と違って防寒具や、暖を取る手段があった。更に、その時よりも最悪なのは、殺意を持ってこの状況に放り込まれていることだ。それに加えて商売気――死ねば体を売り飛ばされる。

「死体用冷凍庫で凍死ってのは、御免被りたいんだが。なあ?」

 明るい、しかし無理が隠せてない声で、マキールは犠牲者仲間に話しかけた。壁にもたれたイー・シーロンはそれに答えることなく、うなだれている。こちらは服も手付かずのライダースーツ姿。自由になった手の片方には、ハンカチが巻いてある。

「そう落ち込むな。俺はともかく、お前が死ぬまでここに閉じ込められるってことはないだろ。誰かがお前を出しに来たら、それが脱出のチャンスだ。頑張れ」

 励ましの言葉を受け、青年はやっと口を開いた。俯いたまま、暗い声音を出す。

「チウコウが来たら、どうしようもないですよ」

 そんなことはマキールも分かっている。チウコウに追い詰められた時、あのふざけた刺青が、本当に狼の顔に見えた。あれとまたやり合うことは避けたいが、次に扉が開く時、誰が来ようと全力で抵抗するしか無い。

「希望を無くすと早死にするぞ。若いんだから諦めるな」

「放っといて下さい」

 ずるずると背中を壁にこすりつけ、シーロンは霜色の床に腰を降ろす。「体を冷やすぞ」とマキールが声をかけた矢先、彼は激して床を拳で殴りつけた。

「おれだって分かってますよ! ただ、結局何もかもあいつの手のひらの上なんだ。おれは妹を取り返したかっただけなのに、関係ないあなたまで巻き込んで……」

 半ば涙声になる青年の前にしゃがみこみ、マキールは視線の高さを合わせた。

「関係ない訳がないだろ」

 覗き込んだシーロンの顔は、既に唇が紫色になっている。自分も同じように、血の気のない顔をしているのだろう。ここに放り込まれてもう何十分経ったか、いつあの扉が開くか分からない。死の予感をひしひしと覚えながら、強いて己を奮い立たせた。自分を親指でさして、自らに言い聞かせながら、語りかける。

「俺は刑事だ。霊安課の、死体を追う、警察官だ。お前ら家族が嫌だと言っても、ずけずけ乗り込んで捜査する権限がある。立派な関係者だぞ、文句あるか?」

 シーロンは目を見開き、ばつが悪そうに瞳を泳がせた。

「いや……文句とか、そんなじゃなくて……申し訳ないなって……」

「謝るなら、見当が違う。ジュネイ刑事を殺しかけたことを俺は許してない、それを謝罪するなら法の裁きを受けろ。それ以外で、俺はお前に謝ってもらうことは何もない。仕事だからな。こんな目に遭っているのは、単に俺のしくじりだ」

 言い終わると、マキールは立ち上がってまた庫内を歩きまわり始めた。とにかくじっとしていると、そのまま血の流れまで止まりそうだ。出来ればここを外から開けてもらう前に、自力で脱出する冴えたアイデアでも降ってこないものか。

「刑事さん」

 呼ばれて振り返ると、シーロンがこちらを真っ直ぐ見ていた。もう床に座り込んではいない、しっかりと両足を踏みしめて、背筋を伸ばしている。

「ここを脱出したら、あいつを。ワン・イーシェンを、逮捕してくれますか」

「必ずな」

 訊かれるまでもないことだ。きっぱりと言い切る。

「……おれは」

 一度言葉を切って、シーロンは息を吸い込んだ。

「おれは長いこと、ぬくぬくと暮らしてきました。何不自由なくって言うんですか、ぼっちゃん育ちって感じで。父と母は少し、うまく行ってないこともあったけど、幸せだったと思います。それが、妹が死んで、だめになった」

 一言一言を絞り出す、苦しげな話し方だった。シーロンが口をつぐむと、庫内の静寂には、機械の低い唸りだけが残る。彼はしばらくして、「そう、ワイト葬」と思い出したように沈黙を破った。マキールは軽く首を傾げる。

 火葬、土葬、水葬、鳥葬。その他にも遺灰を弾丸に詰めたり、ダイヤモンドに加工したり、果ては宇宙にばら撒いたり。葬儀は多種多様に変化している。そして、世界でもインゴルヌカぐらいでしか見られないであろうものが、遺体をオーダーメイドワイトに加工するワイト葬だ。オウナス川の〝人魚〟が有名だが、しかし。

「葬儀のためでも、未成年はワイトには出来ないぞ」

「はい」とシーロンはうなずいた。「おれも母も反対しました。どんなに言っても父は聞き耳を持たなくて……それで、とうとう別居まで」

 その挙げ句が、息子の暴走というわけか。遺体の盗難届は出ていたが、音沙汰が無いことに業を煮やしたのだろう、とマキールは検討をつけた。

「生きてれば間違いは取り返せる、が、一人で取り戻そうとしたのがまずかったな。ここを出たら壁に大書しておけ」

「そうします」

 言って、初めてシーロンは微笑んだように見えた。見えた、というのは、なんだか頭がぼんやりして来て、マキールには自信が持てなかったからだ。扉が開くまで、あとどれぐらいかかるか。まだ、分からない。


                 ◆


 オーロラの無い夜空は、殊のほか月の光が冴える。冷気が虚空を引っかいて、びゅうびゅうと音を立てながら、放棄された船を揺らしていた。かつては、木材の輸送や観光に使われた砕氷船さいひょうせんに、数多の鮭漁船。

 インゴルヌカ中心エリアから遥かに南下した、川沿いの倉庫街――その一角を、ワン・イーシェンは専有していた。

 倉庫の中二階に設置された事務所に、サイゴはエヴァ49と共に足を踏み入れる。簡素な階段の下には、迷路のように積み上げられたコンテナ群が広がっていた。

「いやはや、こんなに早く娘が手元に戻ってくるとは! やはり先生にお願いして良かった。鴆大人チェンタイレンの紹介なだけはあります」

 はしゃぐような喪主クライアントに対し、サイゴはどうも、と短く答えた。イーシェンの傍らには、亜麻色の髪の女ワイト、シュエインが控えている。

 メイファの入った棺桶は、部屋中央に設置した長い台の上に置かれた。壊れ物を扱う手つきで、イーシェンは蓋を開け、娘の顔を見て溜め息を漏らす。

 彼は死体の頬に手を当て、しばらくじっとしていた。その横顔をサイゴは観察する。死んだ娘との再会、息子と仲違いした父親は、何を思うだろう。

「血の絆は、死してなお断ち切れない。そうは思いませんか? あなた」

 不意にイーシェンに話しかけられ、サイゴは「ええ」と頷いた。その直後に、しまった、と顔をしかめる。だが否定の言を続ける気にはなれなかった。

「親と子の関係は、死んだところで変わらない。でなければ、墓を弔う者がいませんからね。それはつまり、魂が違っても、家族は家族、ということと同じです」

「そう信じたいですね」

 話を合わせながら、サイゴはイーシェンの手を見る。手の甲に刻まれた刺青を。それは、インゴルヌカ市民の過半数が持っている、ゾンビの身分を示す印だ。ただ、彼の場合はその上からアレンジを加え、更に別の刺青に変えているようだが。

「私も昔は、信じていた」

 イーシェンの呟きに、サイゴはこの男の半生を想像した。魂が違っても、家族は家族。ならばゾンビである彼は、前生の家族に、どう扱われたか。サイゴは、前生の母親自身の手で、己の葬儀を出されたものだ。イーシェンが手を叩く。

「さあ、始めましょうか」

 指示されたシュエインは数本の注射をメイファに打つと、起動用の電圧機を用意した。首筋の針電極から通電され、二度三度少女の体が痙攣する。

 血の代わりに薬が通う死者のまぶたが、フィラメントに運ばれる電気によって持ち上がった。葡萄のような黒目は、質の悪い還死剤のためか、少し乾いている。

 華奢な身を棺桶からもたげ、少女の屍は首を巡らせて父を見た。

爸々パパ

「メイファ」

 あらん限りの力で娘を抱きしめ、イーシェンはそのまま彼女を持ち上げて、床に降ろした。だがまだその体は離さない。サイゴは待ちながら、連れていたエヴァ49に棺桶を片付けさせることにした。シュエインも薬や電圧機を仕舞っている。

 ぎしぎしと階段を軋ませる足音が上ってきた。何かと思っていると、のっそりと事務所の扉をくぐり、コートに漢服姿の狼面が現れる。チウコウだ。

「いよう、主子だんな。坊っちゃん見つけましたぜえ」

 野卑な口から出る報告に、サイゴは背筋に緊張を走らせた。イー・シーロンがあの後すぐチウコウに捕まったとすれば、刑事のマキールが見逃されるはずがない。

「それは重畳」

 にっこり笑って、イーシェンは娘から身を離した。チウコウは口をへの字に曲げ、やや面白くなさそうに言う。

「ただ、少し余計なオマケが付いちまってな」

 エヴァ49が棺桶を退かせた長台の上に、チウコウは警察手帳とバッジを置いた。サイゴの背筋に走るものが、突き刺さる冷たさに変わる。

「霊安課の刑事ですか、厄介な」

 手帳を開き、イーシェンは顔写真を確認した。サイゴも立つ角度をずらしてそれを見る。金髪碧眼、百合のような白皙の顔――間違いなくマキールだった。

「まあ、今は坊っちゃんともども、特別室で休んでもらってまさ。綺麗な顔してんのに、刑事じゃそのまま使えねえから、勿体無えですがね」

 ワイト化は死体の処理としては非常に都合が良い。商品価値を損なわないため、こうした場合に好まれるのは〝血抜き〟か〝凍死〟だ。特別室という言い方と、ここが倉庫であることを踏まえれば、マキールは後者だろうか。

 知らん振りするなど、サイゴには出来なかった。追う相手が相手なだけに、いずれマキールがこうした危険に出くわすことは予想出来なかった訳じゃない。だが、今この瞬間に殺されかけているなら、何を投げ出してでも助けねばならなかった。

「あの、すいません」

 口を開いたサイゴに、イーシェンはにこやかな愛想笑いを向けた。

「ああ、申し訳ない! 先生には充分な報酬を――」

「お金のことならご心配なく、もう結構です。ただ、一つだけ欲しいものが」

「なんです?」

 ふう、とサイゴは小さく息を吐き出す。全身のうぶ毛が焦げつく気分。自分の中でどうしようもない思いが膨れ上がり、今にも破裂しそうなのを堪えていた。

「その刑事さんの身柄を、こちらに頂けませんか。彼は友人なんです」

「それは出来ません」

 即座にイーシェンは断った。

「既に我々は警官を拉致し、監禁し、死に追いやろうとしている。今更解放するのは、組織にとって不利益となります。どうぞご理解いただきたい。ああ、でも」

 丸眼鏡の奥で、イーシェンは目を細めた。

「彼が〝話の分かる〟警官ならば――友人のあなたから説得して下さい。それ次第では、こちらも考えましょう」

「それは出来ません」

 サイゴは先ほどの答えを、そっくりそのまま返した。

「あいつは、致死性の毒を飲まされて、解毒剤が欲しければ言うとおりにしろと言われても、そのままファッキューサインして死んでいくようなやつです」

 彼が賄賂のたぐいで懐柔されるようなタマなものか。サイゴは腹の底から笑いが込みあげるのを感じていた。実際、口元は歪んでいる。

 ただし、愛想笑いではなく、殺意に。

「おいおい、先生」

 チウコウが半分馬鹿にしたように、半分面白そうに言う。

「この状況で言う冗談かねえ?」

「別に笑わせようと思ってませんよ。笑えなくしてやろうとは思ってますけど。さて、僕の仕事はここまで、あなた方との関係もここまで。後は身内優先だ」

 サイゴは設定こそしたものの、ついぞ使う機会のなかったコマンドワードを口にした。手のひらでイーシェンらを指し示す。

「エヴァ、

 言葉の意味より先に、気配を察知してチウコウが動く。だがそれより早く鮮やかに、エヴァ49の両腕両複腕にM67破片手榴弾――アップルグレネードが現れた。

 信管に点火から炸裂まで五秒弱。エヴァ49はサイゴを、メイファとシュエインはイーシェンを、それぞれ掴まえて殺傷圏内から脱出させる。

 轟音が倉庫中に響いた。

 コンポジション爆薬が炸裂し、事務所内を死の嵐でいっぱいに満たす。半分転がり落ちる形でサイゴとエヴァ49は階段の下へ。イーシェンはどうしたかと首を巡らせようとした矢先、血まみれのチウコウが目の前に迫る。あの状況で、一人だけ前に出て、爆風を振り切ってきたのだ。狼の顔は心底楽しそうに笑っていた。

「ハ! 中々狂犬じゃねえか!」

「知ったことか!」

 知ったことか。そう吐き捨てる自分を、もう一人のサイゴが冷静に観察している。正面から喧嘩を売るなんてばかだな、チェンにだって迷惑がかかるだろう、と。

 だが、二人の意見は結局は一致するのだ。こいつらは友を殺そうとした、だから殺す。友人のマキールやビリー、かつて保護者代わりだったフィティアン、師匠のヒュウガ。いや、事務所で一緒に暮らしている、あのふてぶてしい丸すぎる猫だろうと、自分の身内に手を出す輩は、必ず消してやると決めていた。

 マキールには祖父母が、両親が、兄と姉が、甥と姪が、将来を誓った恋人が、いる。自分のような根無し草とは違うのだ。彼を家へ帰してやらなければならない。

 最初に言われた依頼は果たした、前金分の仕事もした。普段ならアフターサービスも怠らないのが信条だが、今回はスポイルする。こいつらはもう、自分の依頼人ではない。殺すべき敵、忌むべき害獣。速やかにぶち殺して、消す。

「お前とは一度やりあってみたかったんだ。鴆师兄チェンシーションから聞いたぜ! 一対一で尸鬼ワイトを下したんだってなあ!?」

 チウコウの前蹴りを、エヴァ49が四本の腕全てで受け止める。それでも胴の辺りから軋みが上がるほどの衝撃。サイゴはその後ろで発砲するタイミングを狙う。

「オーナーと同門か」

「そんなトコよ!」

 チウコウが拳法の弟弟子だなどと、チェンからは一言も聞いてない。

ちん〟は中国の伝説に登場する、猛毒を持つ妖鳥だ。そのため、それを名乗るチェンにも毒手拳の達人であるという噂がまことしやかに囁かれている。サイゴはチェンがそれを使った所は見たことがないが、彼の両腕がUD義肢なのは確かだった。

 サイゴが撃ち、チウコウが殴りかかり、エヴァ49が拳を捌く。頭脳の殆どを焼かれたE.E.と違い、喪服の淑女は純粋な戦闘型であり、連携も取れていた。

「お前の相手をしてる暇はないんだ」

 苛立ちが憎悪になって、言葉の端々から滴る。チウコウの笑いに神経をますます逆撫でにされる。ああ、早く笑えなくしてやる、二度と笑えなくしてやる。

「つれねえなあ! 楽しもうぜえ!」

「うるさい! 死ね!!」

 悲鳴を上げるように、サイゴは絶叫した。心臓が恐ろしい速度で脈打って、恐怖も憎悪も憤怒も区別がつかない。ただ殺意だけがくっきりと、胸に穿たれている。

「エヴァ、こいつを殺すんだ、そしてマキールを探すんだ。それを邪魔する奴も、襲ってくる奴も全部殺せ。殺せ、殺せ、殺すんだ!」

 そんな命令を下したのは初めてだった。守れとか迎え撃てと言ったことはあった、その結果相手が死ぬことも。だが、殺せと言ったことはただの一度もなかった。

 ……今、この時までは!

「ハハハハハハ!」

 嘲笑と共にチウコウの拳がサイゴの頬を抉り、腕を削り、腹を突いてくる。深く達するより先に、サイゴの銃弾が、エヴァ49の腕が、何とかそれを制した。その間に、周りのコンテナがへこみ、砕かれて、ぶっ飛ばされていく。

 頭を打っていたイーシェンは、短い気絶から目を覚まして、それを見た。事務所を挟んでサイゴらの反対側、二体のワイトに守られほぼ無傷。メイファはイーシェンを部屋の外へ引っ張りだし、シュエインは身を挺して爆轟から庇った。

「ああ、なんて酷い……」

 その結果、シュエインの右足首から先はまるごと無くなって、黒い蒸気を上げている。メイファは五体満足だが、細かな破片が幾多の傷を作っていた。

「チウコウ、そいつは必ず始末しなさい。死体を綺麗に残すことは考えなくていい、豚の餌にしてやる!!」

 愛娘たちへの嘆きを怒りに変え、イーシェンは倉庫を脱出していった。

 チウコウの拳がサイゴの左腕を砕く。

 サイゴのリボルバーがチウコウの右目を潰す。

 エヴァ49のサブマシンガンがその胸を爆ぜさせる。

 だが血の饗宴は、その後も続いた。

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