Ⅳ 疑問符の使徒よ、死体を愛せ

「魚たちに死後の安寧を!」「アンデッド化は新鮮さの維持にならない!」「ところでカッターぜに恵んでくれね?」「食材の死後活性化処置を許すな!」

 やっと冬の日の出が見られる、朝九時のインゴルヌカ。気温氷点下の中、車道には霊柩車が群れをなし、勤め人や勤労ワイトが行き交っている。ある者は徒歩で、ある者は雪の上をソリで。そしてスシ屋の前には、プラカードを掲げた動物愛護団体が集まっていた。白い息に罵声を乗せ、もうもうたる気炎で霜を溶かしそうだ。

 死後硬直や腐敗を停止し、回復させ、擬似代謝まで付与する奇跡の妙薬〝還死作動剤アンザナテジック〟は、今やワイト製造以外にも生鮮食品の防腐に活用されている。鮮度を保つため半ワイト化された魚介は、死してなお明晰な意識を保ったまま、調理される感覚を味わうだろう。故に、そんな非道は認められない、というデモだ。

 夜勤シフトを上がったその帰り、マキールはデモ隊の喧騒を避けて警察病院に向かっていた。先日の事件から丸一日の間を置いて、ジュネイ刑事の見舞いだ。みやげに、手製のコルヴァプースティシナモンロールを持ってきている。

 病院の入り口では、三つ頭のロットワイラーが舌を出して、行き交う人々に愛想を振る舞っていた。インゴルヌカ市警のマスコットとして製造された、ケルベロス型ワイト・ドッグだ。マキールは三つの頭を右から順に撫でて、玄関をくぐった。

「どうだ、例のグール野郎とワイト、何か掴めたか」

 トナカイ肉のサンドイッチをほおばりながら、ジュネイは当たり前のように仕事の話をした。 手術を済ませ、落ち着いたとマキールが聞かされたのが昨日。顔色もよく、傷が塞がり切ってないことを別にすれば健康体そのものだ。

 四人用の病室は、漂白されたように無味乾燥な空気と、薬品臭がかすかに漂う廊下とは違って、生活臭や騒がしさ、温かみに満ちていた。サンドイッチの具とソース、パン生地の香りが、コルヴァプースティの甘いシナモンと混じって、患者たちの寝間着や寝具、個々のプライベートを隔てるカーテンにくっついていく。

「お元気そうで何よりです」

 小さく笑って、マキールは報告した。


                 ◆


 あの夜の現場からは、バイクの塗料や金属片といったお決まりの残留物に加え、ワイトの傷口を縛ったらしき布の繊維が回収できた。パトカーの車内に残された弾丸ともども提出し、そちらの鑑識結果を待っている。

 現在はっきりしているのは、使われた銃がノリンコM213だということ。露西亜の半自動式9ミリ拳銃、寒さに強いという取り柄を別にすれば、基本的信頼性は低い。

 そこから先の手がかり――あの少女ワイトは片足がなかった。それも、体内を流れる薬剤が揮発し切らず、蒸気を立てているほど新しい傷口。それならば、あのハイウェイに入る前、どこか近くでワイトによる殺人か戦闘が発生したはずだ。

 ハイウェイの出発点近くには中華街があり、マキールはその辺りの殺人事件について分署に問い合わせた。公権力があまり強くはない土地柄だが、それでもまったくの無力という訳でもない。出迎えた警官は、マキールに湾曲した幅広の二刀を見せてくれた。死体少女がふるい、ミッサを四分割したものとよく似ている。

「こいつはチンロンダオとかリウイップダオと言われる剣ですね、映画なんかでもよく見る、中国武術の武器です。ここの刃に欠けがあるんですが、明らかに何かを切断しています。脂はあるけど血はほとんど無い。代わりに、揮発した還死剤アンジーの痕跡と、フィラメント(死霊回路)の欠片がある。明らかにワイトを斬ったものです」

 マキールとジュネイが彼女と遭遇した夜、中華街では一件の殺人事件が起きていた。被害者の男は李滝雲リー・ロンユン、中華系マフィア・霊屍龍リンシーロンの幹部だ。護衛に一体の女ワイトがつけられていたが、そちらは見事に解体されていた。

 恐らく、最初に女ワイトの四肢を落として動きを封じた後、片足を失いながらロンユンを殺害、そして逃走という順序だろう。

 ワイトはフィラメントという万能神経回路と、そこにプログラムされたゴーストにより制御される。これは高度なコンピューターのようなもので、ワイトが見聞きしたものも、フィラメント内にログとして記録が残る仕組みになっていた。

 女ワイトのログ解析の結果は当たり、ロンユンを殺害したのは、あの少女ワイトだ。それを放ったのはロンユンと対立する組織内幹部か、同組織に敵対的なマフィアだろう。先日の死体泥棒が、仕事を終えた彼女の運び役ならば、それらの組織に属している可能性が高い。そこから辿っていこうと決めたのが、今日の進捗だ。


                 ◆


「それと、ドライブレコーダーから、ワイトの方は確認出来ました。名前は益苺花イー・メイファ、享年十四歳。昨年食品アレルギーで死亡し、死体安置場から盗まれたと届け出があったものです。記録によると、甲殻類アレルギー」

 若く、美しく、外傷のない死体……闇市場に出せば引く手あまただ。マキールは胸のあたりをそっと抑えた。心臓の表面は乾いてひび割れだらけ、余計なことを考えれば、――ばきり、と。脈打つその拍子に、亀裂が入って裂けてしまう。

 その裂け目から覗くのは、あの夜見た少女の顔だ。記憶の中のそれは、雪明りの中、実際に見た時よりもくっきりと脳裏に描かれた。瞬きをしてそれを振り払う。

『パイア、お前は俺にとってたった一人の親友だったぜ』

『そいつは死んだよ、俺は〝黒犬〟だ!』BANG!

 ベッドを隔てるカーテンの向こうでは、患者がテレビの映画を観てくつろいでいるようだった。スタントマンに大量のワイトを使い、過激なアクションで話題になった〝スキーバルカオンの黒犬〟。マキールも、何も知らない子供の頃は大好きで、家族に隠れてこっそり観ていたものだ。今は違う。スキーバルカオンに限った話ではないが、インゴルヌカで作られたアクション映画は、すっかり苦手になってしまった。

(どいつもこいつも、少しは死者を敬えってんだ、クソ)

 胸中で毒づきながら、マキールは平静を装った。あの夜からずっと、怒りと悔しさで、頭の中がドロドロと濁っている。

 ワイトに襲いかかられて、自分は無傷で生存、相方は負傷するも後遺症の可能性無し、状況的には優良な結果だ。運が悪ければ二人とも死んでいる。

 だから、次に自分がするべきことは、己の無力感を噛みしめたり、ジュネイに謝り倒すようなことではなかった。それが分かっていてなお、マキールは苛立ちに身を焦がしている……その理由は明快だった。

 あのワイトが、まだ年若い少女だったからだ。

 法的には、喪失者ロスト登録がある人間だけが、死後ワイト化に提供されるが、未成年は登録もワイト化も出来ない。

 不慮の事故や病で亡くなったにせよ、殺されたにせよ、調達から製造加工、そして運用の全てが違法。ましてや、子どもの死体に、人を殺させる、およそまともな良心というものが感じられない外道な真似……。

 マキールはこの都市を愛しているが、同時に忌み嫌ってもいた。

「ヤツはシャオメイって言ってやがったな。商品名か、それともメイファの愛称か」

 ジュネイは紙コップを手に言葉を切ると、最後のサンドイッチを珈琲で流し込んだ。

「オレも出来るだけ早く戻るが、きちんと追い込めよ。家族の所へ嬢ちゃんを帰してやろう」

「そうですけど、おやっさんは元々働きすぎですし、この際休暇と思って楽しんでくださいよ」

「すっかり生意気言いやがって」

 笑いながら、ジュネイは見舞いの菓子パンにかじりついた。

「朝からモリモリ食べますね」

「病院食じゃ足りねえんだよ、血と肉を作らにゃ。ミッサはどうだ?」

「修理ついでにメンテに出しました。しばらくは、E.E.と仕事になります」

 E.E.=エドワード・エンジャー(我慢強いエドワード)。主に人間をワイトの攻撃から庇ったり警護したりするのが役目であり、肉の盾として頑丈に作られている人型警察ワイトだ。常日頃から気軽に運用できる代物ではないが、警官が襲われたことを鑑みて、今回使用許可が降りている。

「なあマッケ。お前、この仕事どう思う。事件じゃなくてな、霊安課をよ」

 唐突な問いに、マキールは我に返ると「好きですが」と答えた。ジュネイが髭を震わせて苦笑する。

「そうじゃねえ、好みじゃなくて信念の話だ。ここは世界に名だたる頽廃都市たいはいとしインゴルヌカだぜ! 死体活性術ボディリブートが誕生して数十年こっち、毎年ずんどこ流入しやがるゾンビどもを養うにゃ、昔ながらの産業だけじゃ頼りねえ。そこで、ばばんっと主要産業に仕立てられたのが、ワイトの製造と運用だろ」

「それに、UD移植」

 付け加えたマキールに、ジュネイは半かけのパンを振って「そうだな」と答えて、続けた。この都市では、何事も死体がなくては始まらない。

 車の衝突実験、メイド、介護、ファッションモデル、工場務め、事務、映画のスタント、歌にダンス、医学薬学の臨床実験、臓器移植、ありとあらゆる分野で。

「俺たちゃその町で、死体の濫用に青筋立てて、密売や盗難を取り締まってんだぜ? なあ、ばかばかしいって、思わねえか?」

 ワイトが様々な面で役立てられ、社会に貢献していることはマキールにも分かっているが、あの存在が世に悪をはびこらせる大きな原因になっているのでは、という疑念を、彼はどうしてもぬぐえなかった。ワイトを造る、そのために死体が盗まれ、買い取られ、裏に表に関わらず売り飛ばされる。本当に、その死体の持ち主が生前、こうなることを同意していたかどうかも考慮されずに。

 いや、そもそもが、自分はワイトが嫌いだろう、とマキールは考える。

 それは故人から体を略奪する行為だ、生前、その人が決して行わなかったことを行わせ、自分では持つことがなかった知識を死者に対して持つことで、彼らを犯してしまう。それは人間が人間ではなく、ただのオブジェクト、所有できるような対象物に変えることだった。死者がよみがえる以前から、死体は「物」なのだから。

 インゴルヌカは死者をおそれない、神を畏れない、ただ物として扱い、現世の利益だけを見る。だから。

「俺たちは、疑問符です」

 その答えに、ジュネイは面白がるように片眉を動かした。

「死者の安寧を妨げるべきか、遺族の元に返すべきか、その体を休ませるべきか。俺たちは倫理委員会でもなんでもないし、死体の使い方に口出し出来る訳じゃない。ただ、それでいいのか? と問い続ける。それが霊安課の仕事だと思ってますよ」

「疑問符ね、まあ悪くねえな」

 ニヤリと口の端を歪め、ジュネイ刑事は若い相棒の胸を軽く小突いた。

「どっちかってえと、その使い走りってトコだが。でも忘れんなよ、俺もお前も、この都市の一部なんだ。動く死体の働きに養われて、ここまででかくなった。その分ぐらいの責任は、果たさなくちゃよ」

 はい、と答えながら、マキールは柔和な笑みをたたえた友人の顔を思い出していた。いつかの夜、サイゴはなんと言っていたか。

――僕は結構、死体って好きだよ。

――ワイトってみんな、死んでるってだけで、なんか可愛いんだよね。

 あの時、自分はそれをネクロフィリアと呼んだが、果たしてそんなことを言えた立場だろうか。マキールはワイトが嫌いだ、それは間違いない。

 だが、自分もあいつとは違う意味で、死体が好きなのだろう。

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