Ⅲ 尸娘花街

 人が死ねば土に返る、それが常態であり、例外などありえない。そのような常識は、前世紀までで終わってしまった。

 ゾンビ――容姿も記憶も生前のままに、しかし人格や体質はまるで別人と化す、蘇生化現象、またの名を偽復活ぎふっかつ。中身も故人のままならば、遺族たちはよみがえりを受け容れていたかもしれない。だが、いつかは以前のように戻るのだと信じ、共に生活を続けても、ほとんどは傷つけ合うだけの結果に終わった。

 そうしてゾンビたちに待っていたのは、私刑による殺害、公権力による迫害、虐殺、隔離と監禁。人間扱いされず、ただ追われる身の彼らは、同族同士、手を取り合って身を守るしかなかった。

 かくして生まれた相互扶助組織が、今日のゾンビ・マフィア・クランである。組織は生活のため、あるいは苛烈な迫害に対する復讐のため、ほとんどが犯罪やテロリズムに手を出すしかなかった。中には、逆にゾンビを搾取する側に回っている組織さえある。なんにせよ彼らは、ネクロポリス暗部に深く関わる存在だ。

 中でも中華系マフィア最大勢力が、〝尸解幇シーチエパン〟。傘下に大小様々な犯罪グループを抱える彼らによって、インゴルヌカ中華街は半ば治外法権と化している。


 色とりどりな灯籠の明かりが、鮮やかな原色が散らばる街角と、そこかしこに積もった雪を照らしていた。凍てつく夜気にぬるぬると混ざるのは、蒸した米や肉、熱いスープや甘い点心の匂い。そこにふわりと、関帝廟かんていびょうの香が差し込んでくる。

 飲食店、ホテル、武道場、個人医院に劇場、様々な施設や商店が、その二階に住居を載せていた。商店街とも住宅街とも繁華街ともつかない、それらが渾然一体となった独特の景観は、ここの特徴だ。あちらこちらには、エスニックな装いで着飾った女性たちが、艶冶えんやな微笑みを浮かべて呼び込みに立っていた。

哥哥にいさん、安い保ちます」

「私は多くのことを服务サービス! あなた近づく行ってきました♪」

「天国陳列! 明朗会計!」

 深く入ったスリット、むき出しの四肢。にも関わらず、その口元は、白い息も文句もこぼさない……たどたどしい言葉遣いも、ワイトだからだ。

 インゴルヌカの中国人街は大きく、莫斯科モスコヴァのそれとは比べものにならない。北緯66度の厳しい寒さにも慣れ、零下13度の夜にも露店と人通りが絶えることはなかった。誰もが少々窮屈な思いをし、多少なりとも肩をぶつける混雑の中、人と人の間をするすると、流れるように歩いて行く青年がいる。

 サイゴ・ムカイラ、雑踏から頭一つ抜けそうな長身ながら、彼はその場に一体化したようにつかみ所無く歩いていた。その様をじっと観察する者がいたならば、幽霊のようだと思っただろう。ついさっきまであちらにいたのに、ふと気がつけば、そちらに移動して、周りの人々はまったくそれに気がつかない。

 その背後には、影のように喪服の女性が付き従っていた。

 顔をつば広の帽子とベールが覆い隠し、紫に染め上げられた豊かな髪は、人種の判別さえ容易にさせなくしている。この女もまた、出で立ちこそ異様ながら、前を行くサイゴに負けず劣らず優雅な身のこなしで歩いていた。

 二者が目指したのは、角を数度曲がって路地の奥、階段を下った先の地下だ。両開きの出入り口には、右に「雲日」、左に「陰諧」と朱筆で記されている。

 薄汚れたコンクリートも剥き出しの通路、片側に時折現れる鉄扉は固く閉ざされているが、かすかに足元を震わす歓声が聞こえてくる。中の熱狂が、霜付くようなこちら側にまで伝わってきそうだった。そこを抜けた突き当りの部屋に、サイゴは入る。

 広々としたアクアリウム付きの個人オフィス。まるごと水槽になっている壁の一面と、中華木格子の枠を背に、こざっぱりとした紳士が黒壇のデスクに向かっている。室内には、輝く水面の波紋と錦鯉の魚影が投げかけられていた。

 後にこの水槽で人魚を飼ったのが原因で、部屋の主ご自慢のアクアリウムがぶち壊されるはめになるのだが、それはまた、別の話。

 魚のように冷たい仏頂面を上げ、紳士はサイゴに声をかける。

「やあ、彩呉ツァイウー。来てくれて嬉しいよ」

 人目を避けて作られた、地下賭博場にして闇の闘技場〝林鵙鶲剧院ピトフーイ・シアター〟――そのオーナー・チェンに、サイゴは軽く頭を下げた。

「どうも、大人タイレン。……その名前は、あまり好きじゃないんですが」

 彩呉あやくには前生の名であって、この自分のものではない、というのがサイゴの意識だ。前にもそう伝えたが、この中国紳士はどこ吹く風だった。

「それで、今夜は何の御用でしょう? 僕に、と言うより、彼女にですかね」

 背後に付き従う喪服の女を一瞥し、サイゴは小さく肩をすくめた。チェンがわざわざ彼女を連れてくるように言ってきたので、シアターの興行に貸してくれなどと言われるのではないかと心配している。

「リングに上がってくれるなら、君でも彼女でも大歓迎だがね。残念なことに、そういう話じゃないぞ、鎮伏屋チェンフーウー。シーチエパンの幹部殿が、お前をご指名だ」

 オフィス奥の隠し扉を開けて、チェンは二人を案内した。サイゴはフリーのアンダーテイカー〝鎮伏屋ちんふくや〟を営んでいる。アンダーテイカーとはよろずワイト請け負い業者、民間武装墓守、死体専門私立探偵、そんな所だ。チェンとは昨年の仕事で知り合ったが、それ以来何かとサイゴを気に入ってくれている。

 奥の廊下は、それまでの粗末な内装からがらりと雰囲気が変わった。剥き出しのコンクリートが漆喰の壁や真紅の絨毯になり、陶磁器や絵画が飾られ、どこかの屋敷にでも迷い込んだかのようだ。この場所を知って一年になるが、どこまで広いのかとサイゴは考えこむ。花のような香まで炊かれ、ここがどこだったか忘れそうだ。

 数度階段を昇り降りした所で、チェンが「後はあちらに聞いてくれ」と手のひらで指し示した。その先には、漢服(中国服)の男が大扉の前に立っている。

「VIPルームだ。あまり失礼のないようにしてもらえると、ありがたい」

 分かりました、と物柔らかに微笑んで、サイゴは扉に向かった。

「来たかい、先生。俺はシーチエパンの咎狗チウコウだ。今は、な」

 漢服の男は握手を求めて手を差し出してきた。灰色の髪だが、まだ年若いように見える。シワこそないものの、顔全体に狼の刺青が入っていた。

 手を握ると、チウコウの肌は異様にすべらかで冷たい。それに、皮膚からほのかに漂うマカル・インセンス……彼がワイトでないのなら、この手は死者の手だ。

 アンデッド(UD)義肢。死体活性を施術された手足や臓器は鮮度を保ち、ほとんどの人間に拒絶反応を起こさず適合する。更に、ある程度の危険を顧みないのであれば、生身よりも優れた身体能力を得ることまで可能だ。

「どうぞよろしく」

拜托了よろしく

 この男はどちらだろうと考えながら、サイゴはチウコウが大扉を開ける様を眺めた。外向きに開くその隙間、品良く赤で統一された部屋が見える。

 一見して高級中華料理店の個室かといった風情だが、その瞬間、サイゴが感じたのは優雅さではなく、殺伐とした風だった。物理的な形を持ったそれを、背後の同行者が四本の腕で受け止める。

回来もどれ雪螢シュエイン!」

 襲撃者はその一声で部屋の隅へ飛び退り、直立不動の姿勢を取ると、こちらに向かって鈴が笑うように微笑みかけた。綺麗な女性で、翡翠色のマンダリン・ガウンに、亜麻色の髪が良く似合っている。一瞬前までは、麗々しい鉄のつけ爪でサイゴの喉を掻き切ろうとしたとは思えない、見事な変わり身だった。

「いやあ、良い尸娘シーニャンをお持ちだ」

 円卓の向こうに座る男が、繰り返し拍手しながらはしゃいで言った。インゴルヌカ弁インゴリッシュではないものの、中国語混じりのフィン語。筋骨隆々とした体を丈長の漢服に包み、丸眼鏡をかけている。短く刈った髪はよほど固いのか、ほとんどが逆立っていた。

「どうも、王以仙ワン・イーシェンと言います、向良先生シアンリアン・シィエン。こちらの彼女はシーニャンのシュエイン、そちらのチウコウと同じく私の護衛みたいなものですね。試すようなことをして申し訳ない……シーニャン、つまり美しい女性の尸鬼シーグィには大変興味がありましてね」シーグィは中国語でのワイトのことだ。

「チェンから、あなたは女性のシーグィを連れていると聞いたもので、つい」

「いえ、大丈夫です」

 一歩間違えれば死んでいたかもしれないと思いながら、サイゴはやたら柔和な愛想笑いを見せた。彼に付き従う喪服の女は、イーシェンの言う通り、人間ではなくワイトだ。喪服の上にケープを羽織り、普段は四本の腕を隠している。もし、自分が死んだら死んだで、サイゴは良いワイトになれそうな気がしていた。

「寛大な方で助かるねえ」

 後ろ手に扉を閉めながら、皮肉っぽい口調でチウコウが言った。主人の道楽に呆れた、と言わんばかりの様子だ。当のイーシェンはまったく気にしない風だが。

「ところで、彼女の名は何と? どこで造られた品です? 出来れば顔も見せていただきたいですね!」

「エヴァネッセンス・フォーティーナイン、アンサタ社のブラックウィドゥ・シリーズです」

 矢継ぎ早に質問するイーシェンに応じて、サイゴはエヴァに帽子を取らせた。紫の瞳を持つ細面、彫像のように硬質な容貌が露わになる。イーシェンの眼が爛々と輝きを増して、燃え上がっていた。

「アンサタ? ああ、安赫公司アンホーコンスーですね! しかもハイコスト・ハイグレードな多腕型とは趣味が良い……!」

 別に自分は、フリークス趣味で彼女を選んだ訳ではないのだがなあと思いながら、サイゴは「それで、本日は何のお話でしょう?」と促した。イーシェンはようやく「ああ、失礼!」と、椅子を勧める。卓の上には中国茶と軽食の用意があった。飲茶ヤムチャというやつだろう。イーシェンが指を立てて振る。

「チウコウ」

 促され、主人の背後で腕を組んでいた狼面が口を開いた。

「あんたは腕が立つ司鬼導手スーグィタオショウだ、ってチェンが言っていたからな。そこを見込んで、あるシーニャンを探してもらいてえのさ」

〝司鬼導手〟は中国語でアンダーテイカーのことだ。滑るような動きでシュエインが動き、卓の上に数枚の写真を置いた。そのままそよ風のように、元居た位置へ戻る。

 写真には、亜細亜系の可憐な少女が写っていた。恐らく十代前半、長い黒髪を二つに束ね、白く広い額を出している。大きな瞳は濡れた葡萄ぶどうのよう。

 身につけている服は古風な民族衣装、髪や耳や首もとをさりげなく飾るアクセサリー類は、一見控え目のようだが質の良い、極めて高価なものだ。そのことから、大切に……あるいは、わかい美を売り物にされているように見える。

「名は苺花メイファ。享年十四歳でした」

 ぽつ、とイーシェンがつぶやき、チウコウが言葉を継ぐ。

「最近、旦那が買い取ったシーニャンでね。先日ちょっとした仕事に出したんだが、野良の食屍鬼グールズが盗んだらしくて、帰ってこねえ。この嬢ちゃんを取り戻すのが再優先だが、ついでに盗っ人連中も捕まえてくれりゃ報酬は倍だ」

「前金もお支払いしますし、失敗してもそれを返せとは言いません。額面はこのような所でいかがでしょう? 先生」

 イーシェンから申し分のない額を提示され、サイゴはそれを引き受けた。未成年は通常ワイトにすることは出来ないが、それでも愛好者は多い。

 よくある仕事だ、少なくともこの時は、そう思っていた。

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