俺の部屋にいる妖精姫の名前が発音できない件

カクレナ

異世界から女の子が



 妖精世界の姫が俺の部屋にやって来てもうすぐ一年が過ぎようとしている。

 

 思えばこの一年間、実にいろいろことがあった。

 彼女と過ごしてきた日々を思い出すとそれだけで胸の奥が熱くなってくる。



 そう、すべては一年前のあの日。

 彼女が突然俺の部屋に現れたことから始まった――。



「――はじめ……まして」


 それが俺に向けられた彼女の第一声だった。




 新学期も始まったばかりという、とある春の日の夜。


 

 俺が自宅の部屋でひとり勉強していると、不意に机の引き出しがガタガタと音を立てて振動し始めた。


 引き出しの隙間から虹色の光が漏れ出てきたときには、すわ未来の青色猫型ロボットでもタイムトラベルして来たかと戦慄したが、開けてみれば中から飛び出してきたのは長い銀色の髪を持つ美少女であった。



 シルクのように滑らかなドレスに身を包んだその少女は、引き出しからふわりと舞い上がるとそのまま俺の部屋の床にぺたりと座り込んだ。


 彼女の肌はおよそ生き物とは思えないほど白く澄んでいて、その瞳は水晶玉のようにキラキラと輝いていた。――いや、水晶の玉の実物とか見たことないけど、それはそれ、これはこれだ。



 彼女の何もかもが一介の凡庸な男子高校生の部屋には場違いだった。


 何より異質な存在感を放っていたのは彼女の“背中から生えているもの”だった。


 彼女の肩甲骨のあたりからは白く透き通ったはね――羽根というよりも翅と表現するべきだろう――がすうっと伸びていて、それが彼女の呼吸に合わせてぴくぴくと上下していた。


 まるで妖精みたいだ……。素直にそう思った。



 彼女が声を発したのはそのときである。



「――はじめ……まして……。私は……来ました……別の世界から……その……妖精が……生きる。私は姫です」



 彼女は外国語の文章を機械翻訳にかけそこなったような片言でそう言った。


 彼女の話す言葉は個々の語や節の順番がはっきり言ってめちゃくちゃだったが、文意を受け取ることが不可能なほどではなかった。



 素人の英語でも単語さえ合っていればネイティブ相手にだいたい意味は通じるという。そういうレベルのあれだ。


 おそらく、『私は妖精が生きる別の世界から来た姫です』とかそういう感じのことを伝えたかったのだろう。「まるで」とか言っちゃったけど本当に妖精だった。



「私は……話して、います……あなたへ……向かって……を……通して……この石」



 そう言うと彼女は胸元のペンダントのような宝石を指した。



「この石は……言葉を……任意……の、相手へ……発する、合わせて……誰かに……それを……変換? ……する……自動的に……ことができます?」



 ええと……?



『私はあなたへ向かってこの石を通して話しています』


『この石は任意の相手へ発する言葉を相手に合わせて自動的に変換することができます』……そんな感じか?



 ――マジで機械翻訳かよ。



「えっと、つまり君は別の世界から来た妖精のお姫様ってこと?」


「……はい……です」


 どうやらこちらの言っていることは向こうに通じているらしい。


 状況は依然として呑み込めないままだったが、どうやら彼女に敵意はないようだ。

 こういうときはどうすればいいのか――。


 異世界からやってきた妖精への対応とか、正直なところ何をどうするのが正解なのかまるで見当がつかない。


 ましてや相手は女の子だ。しかもこの世のものとは思えないくらいの美人ときている(いや、実際この世のものではないのだが――)。


 時間の経過とともにだらだらと変な汗ばかりが背中の筋を流れていく。


 しかし不思議なもので、焦りが極まってくると今度は逆に妙に頭が冴えてきた。


 そうだ。初対面なのだからまずは自己紹介からするのが礼儀ではなかろうか?

 それはたとえ相手が異世界の来訪者でも変わらないだろう――。



 そんな俺のことを妖精の彼女は表情をピクリとも動かさないまま見つめていた。



「そうだな――俺……いや、私の名前はオウジ、有野田ありのだオウジという。高校二年生だ。とりあえず――と言ってはなんだけど、君の名前を教えてもらえないだろうか?」



 ふむ。少々ちぐはぐな言い方になってしまったが、非常事態を前にしているわりにはなかなかに紳士的な対応じゃないか。グッジョブ俺!

 内心はヒヤヒヤのドキドキだけどな‼


 

 彼女は少し思案するようなしぐさをしたのち、こちらに向き直った。



「私……の……名前は……*●*//△$△*×*¥◎☆**##*です」


「――え?」



 …………なんだって?


 肝心の部分がはっきり聞こえなかったのは俺の耳が悪いせいだろうか。



「ごめん……よく聞き取れなかった……。たいへん申し訳ないのだけども、もう一度言っていただけないだろうか?」



 俺がそうお願いすると、彼女はこちらを見つめたまま小首をかしげ、数十秒ばかりの沈黙を挟んでから再び口を開いた。



「*○¥*▲▲**#*◎×*@*です」


「……なんかさっきと微妙に違くない?」


「違くないです」


 いや、どっちにしろ聞き取れないことに変わりはないのだけども……。


 

 ――その後いくらか彼女と話してみて分かったこと。



 どうやらあちらの世界の固有名詞――とくに人名はこちらの世界の発音ではうまく言い表すことができないらしい。

 だいたい背中から翅が生えて動いている人種なのだ。口や喉の構造もこちらの世界の人間とは異なっているのだろう。



「今更だけど、どうして俺の机の引き出しから出てきたんだ?」


「それは……あちらの世界と……こちらの世界とを……つな、ぐ……? ゲート的な門が……? 幻想次元断層の狭間、の収斂、を受けて……アレした影響でなんやかんやでアレして……?」


「なんやかんやでアレして」



 どうも込み入った内容になると翻訳がうまく機能していないようだ。

 決して片言なのをよいことに細かいところを誤魔化しているわけではないと思う。

 ……ないと信じたい。

 『ゲート的な門』って意味被ってるけど原語ではなんて言ってるんだろうとかそういう疑問はこの際ささいなことだ。異文化交流に多少の齟齬は付きものである。



 ――そう、異文化交流。

 彼女がこの世界を訪れた主たる目的もそこにあった。



 彼女は妖精世界の姫であり次期王位継承者だ。王族としての見聞を広め、あらゆる事態に対処できる実力を付けるために人間世界に修行に来たということらしかった。



 なんと言うかどこかで見たことありまくる理由だ!

 ベタ過ぎて逆に怪しいくらいだ。



 そもそも何故、妖精世界の姫が俺の部屋にピンポイントで現れたのか。



 彼女の片言の説明を俺なりに掻いつまんで要約すると、なんでも俺の家のある土地が妖精が生活するのにちょうどいいエネルギーバランスの地点らしく、異世界の住人がこちらの世界で生きるのに適している場所ということだった。



「妖精が生活するのにちょうどいいエネルギーバランスってなんだ?」


「それは……地脈の流れ? 的な……力の……が、私たち妖精の身体の……生命活動? ……の根源となる……アレした影響でなんやかんやでソレして……?」


「なんやかんやでソレして」


 ――まあ、専門的な話は俺もよく分からないしな。



 事情はだいたい把握できたが、聞けば彼女は行く当てがないうえに異世界の妖精はパワースポット(俺の家のことだ)を離れ過ぎるとこちらの世界では次第に弱ってしまうらしい。

 妖精の王族修行、見切り発車過ぎる。



 ここまで話を聞いてしまった以上、見捨てるのも忍びない。

 たいへん都合のいいことに俺の両親は仕事柄、長期出張が多く家にほとんどいない。

 悩んだ末に俺は彼女を俺の家で受け入れることにした。



「まあ、これからよろしく頼むよ、お姫様」

「こちらこそ……よろしく、です……オウジ、さん……」



 そんなわけで、妖精のお姫様が俺の部屋に住むことになったのである。

 必然的に人間の世界における彼女の生活は主に俺が面倒を見る流れになった。


 

 とはいっても、相手は王族。対する俺は一般庶民だ。

 本当に俺なんかが彼女の側にいていいのだろうか?

 身分違いもいいところなのではないだろうか……?

 そう思うときもあった。



「この、妖精王の一族、だけに……伝わる紋章……を……あなたと、私で、握って……あなたが、私の……本当の名前……真名? ……を呼ぶことで……ふつうの人間……である、あなたと……妖精の、私のあいだに王族の契約を結ぶことが……」


「なんかいかにもなファンタジー設定出てきたけど、だから本当の名前は発音できないんだって」あと、機械翻訳のレベルがちょっと向上してる気がする。



 発音するのが無理とはいえ名前を呼ぶことができないといろいろ不都合が生じる。

 便宜的に彼女のことは『ヒメ』と呼ぶことにした。


 そりゃあ俺だってできることなら本当の名前で呼びたい。

 しかし妖精世界の特殊な発音はただの人間の俺には相当難しい代物であった。



 彼女の名前を呼ぶ。

 そのために俺なりにできる得る限り工夫や努力もした。


 方言や言語学の専門書にも手を出し、延いては非文字文化の翻訳の方法までも独学で勉強した。

 その甲斐あって夏までには部分的ではあるがかなり近い発音に至るまでになった。



 妖精の王族たる彼女のフルネームが実は最初に教えてくれた長さの約10倍はあると聞いたときにはさすがに心が折れかけたが――。




 俺がひとりで発音の仕方に悪戦苦闘しているあいだにも、ヒメの妖精界での執事がやって来て我が家に居座ったり、それを聞きつけた妖精王が引き出しからやって来て俺の机を大破させたり、妖精王が引き連れてきた妖精界の大軍勢が俺の家を大破させたり、ついには妖精城がまるごとやって来て町の半分を壊滅させたりと、まあそれなりにいろいろなことがあったが俺とヒメの関係はおおむね良好だった。

 家と町は妖精の力で気がついたら元に戻っていた。俺の机は破壊されたままだった。おい、妖精王。




 妖精王が町に来たときには、王の魔法の力でヒメが俺の高校に通うことになった。

 もちろん学校に通うとなると名前が必要になるので、仮に『伊勢階いせかいヒメ子』という偽名を名乗ることになった。



 ここで学校の他のやつらは知らないヒメの実名を俺だけが知っている――とかになれば、俺とヒメのあいだに『秘密の共有』的な関係が生じるところなのだが、残念なことに彼女の実名は俺も知らないのでそういう展開はなかった。



 ヒメとの生活はのんびりとしたものばかりではなかった。

 妖精界の王位継承者であるヒメはつねにさまざまな勢力に命を狙われており、たびたび異世界から刺客がやって来ては俺たちの日常を脅かした。



 ヒメが魔神に誘拐されたときもあった。

 捕まったヒメの名前を叫ぶことは俺にはできなかったが、魔神のほうはふつうにヒメの本名を連呼していた。まあ、あいつら異世界の住人だしな……。

 ちなみに妖精の一種である魔神はパワースポットである俺の家から離れるにつれて徐々に力を失っていき、最終的に俺はヒメを助け出すことができたのだった。



 そんなこんなで学校生活をともに過ごし、幾度かの危機を乗り越えた俺とヒメは、いつしか強い信頼関係で結ばれていた。

 それはやがてお互いに友情以上の感情になっていて――。



「なあ、ヒメ。最初はびっくりしたけど、俺、お前と出会えて本当によかったと思うよ」

「ふふっ。私もです、オウジ」



 引き出しから出てきた頃は無表情だったヒメも今ではよく笑うようになっていた。

 俺がいて彼女がいる。ただそれだけの幸せがずっと続けばいいのにと思った。



 妖精世界の姫が俺の部屋に現れてもうすぐ一年が過ぎようとしている。

 俺はまだ、正しく彼女の名前を呼ぶことができない――。




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