1-29.噴水

「はー……またいつもの日常生活が始まるんだなぁ」


 のどかだ。この町並みも、人も、全く変わっていないし、天気もいい。一日しか経っていないので、当たり前の事なのだが……。

「よっ!」


 後ろから誰かに背中を叩かれた。この声は悠さんだ。


「あ、悠さん、おはよう」

「おおっ!? 昨日は心無しかやつれて見えたけど、大丈夫みたいだね、良かった!」


 悠さんが喋り終えると、サクッと小気味良い音が響いた。

 悠さんの手を見てみと、右手には鞄を持っているが、左手はパンを掴んでいて、それを忙しなく口に運んでいる。


「あはは……まあ、色々とね……」


 一晩寝ても、相変わらず夢の事は覚えているが、疲れの方は、すっかり取れてしまった。

 思えば、黒蛇こくじゃと戦ってロビン君を助けたり、王立騎士に連行されて牢屋に閉じ込められたりと散々な目に遭ったものだ。


「じゃ、私、急ぐから!」

「え……もうそんな時間!?」


 僕は慌ててスマートフォンを取り出した。


「違う、違う。私、今日、日直だから!」


 悠さんが叫んだ。この短い時間で、もう随分と離れている。相当急いでいる様子だ。


「間に合うといいねー!」


 僕も叫んで手を降ると、悠さんは振り替えして、走っていった。


「急いでても、ちゃんと朝食は抜かないんだなぁ」


 さすがは悠さんだ。しっかりとしている。

 学校に行ってからは少し億劫かもしれないが、まあ……その状況も楽しむしかないだろう。

 あの牢屋で受けた拷問よりもマシだと思いたいものだけれど……。




「ぐるぅぅぅぅ!」


 中央広場に到着したまではよかったが、今までのとは違う、倍くらいの大きさのジャームが私の前に立ちはだかっている。


「凄い迫力だわ……」


 迫力に圧倒されて、委縮してしまう。

 このジャームさえ倒せば、この町の皆を助けられる。この町のジャームがほぼ一掃されているのは間違い無いのだ。

 この中央広場に来る間にも、三匹から六匹くらいごとの集団で襲ってくるジャームと偶に遭遇したくらいだからだ。恐らく、単体で町に散らばっていたジャームを掻き集めたのであろう

 なので、この中央広場にも、そう多くは居ないだろうと思った。けれど……。


「う……大きなジャームだわ」


 確かに、中央広場には、数匹のジャームしか居なかったが……最後に大物が待ち受けていた。

 仮に、大ジャームとでも呼ぼうか。大ジャームは、その大きさもさることながら、頭に生えている悪魔のような角や、剥き出しの、食い縛っているような歯も備えている。普通のジャームと比べて、更に威圧的な風貌をしているのだ。

 回りには、数匹の普通のジャームも居るが、それだけだ。あの大きなジャームを倒せば、この一帯の安全は確保出来そうだ。

 しかし、大きなジャームは何をしてくるか分からない。もう少し近付いて様子を見たい。


「……ん?」


 近付こうと思ったが、少女が手を強く引っ張っている。その手は震えてもいる。


「えっと……あそこの階段の下がいいかな。そこでじっとしていて」


 私は手近な隠れるところを探し、少女に言った。

 あんな大きくて怖いジャームを目の当たりにしているのだから、この反応は、当然だ。私自身だって、逃げ出したい気持ちで一杯なのだ。


「逃げて。あれには誰も勝てない……」

「え……」


 少女の口から出た言葉に、私は少し身震いをした。


「誰も……勝てなかったの。皆、死んじゃったの……」


 少女の泣きそうな顔が、私の心に突き刺さる。


「大丈夫だよ。お姉さん、こう見えて強いんだから!」


 私はウインクしながら力瘤を作ってみせが……勿論、全然膨らんでいない。


「……」


 少女は不安な顔をしながら、そっと手を離した。


「すぐ戻るからね。そしたら町の皆と会えるから」


 私は努めて自信満々な雰囲気で話した。

 本当は怖い。今からでも逃げ出したい。あのジャームには、この町の人が束になっても敵わなかったのだ、体力も魔力も消耗している私が勝てる自信なんて無い。そう思いながら、隠れ終わるまで少女を見守った。


「でも、やるしか……ないよね」


 体の震えを必死に堪える。あの少女に、そしてこの町に、希望は私しか残されていない。


「……」


 慎重に広場を進んでいく。あの大きなジャームに気づかれないように、慎重に距離を縮め、間合いを取る――ここだろうか。ここからなら、ブリザードストームの範囲に全てのジャームを巻き込める。


「天から降るは純麗じゅんれいなるあおき刃……ブリザードストーム!」


 青透明に輝く氷の刃が、ジャームたちに降り注ぐ。


「ぎゃあぁぁぁぁぁ!」


 ジャームの断末魔が響く。


「く……!」


 間髪入れずにに、次の詠唱を始める。


「荒ぶる風よ、厚き壁となって我が身を包み込め……ウインドバリア!」


 大きなジャームが生きていて、こちらに突進してきているのだ。


「きゃあっ!」


 ジャームの肩と、ウインドバリアが衝突し、激しい衝撃が体に伝わってきた。


「舞い散る風よ、その犀利たる力を以て、形ある物を断て……スラッシュサイクロン!」

「グァァァ……」


 大ジャームの体全体を風の刃が覆い、大ジャームを襲う。大ジャームは悶えながら、その巨大で鋭い爪を私に向かって掻き払う。


「あ……」


 私が咄嗟に後ろへ飛び退くと、私のすぐ前を、大ジャームの爪が掠めた。


「我、放ちしは、疾風(はやて)の先の、更にその先を斬り裂きしものなり……ソニックブレード!」

「ギャアァァァ……」


 突風の刃に貫かれた大ジャームは、激しい咆哮をあげた。


「はぁ……はぁ……」


 咆哮はやがて聞こえなくなり、やがてジャームは地に伏した。

 大きなジャームは、普通のジャームの何倍も強かった。普通のジャームの群れと一緒に襲ってこられたりしたら、危なかったかもしれない。


「あら……?」


 足に誰かが抱きついた。誰だかは分かる。きっと、大ジャームが倒れたのを見て、階段の下から出てきたのだろう。


「怖かったでしょ? 頑張ったね」


 私は、ぎゅっと足に抱き付いて離れない少女を、そっと撫でた。


「エミナよ」


 不意に、頭の中に声が響いた。


「エルダードラゴン様?」

「よくやったぞ。もう、その町からは、ジャームの気配は殆ど感じない」

「よかった……」

「だが、新たなジャームが向かっているようだ」

「新たなって……」

「エレン!」

「……?」


 突然、噴水の方から声が聞こえた。


「お母さん!」


 少女は叫びながら噴水の影へと走っていった。その先には噴水の影があり、一人の女性が立っていた。少女はその女性に抱き付くと、女性も子供の背にゆっくりと手を回した。


「おお……!」


 今度は老人らしき声が聞こえてきた。


「あなたが……あなたが勇者様……!」


 いつの間にか、噴水はぴたりと止まっていて、池に溜まった水も無くなっていた。そして、その底に開いた穴から、人が続々と現れている。


「え……私は……」

「エミナよ、そなたが勇者なのだぞ」


 エルダードラゴン様の声が、頭の中に響く。


「来るべき時が来たら、力なき者は、身を隠してじっと耐え忍ぶしかない。だが、彼らは今、勇者エミナという希望を手にした」

「ジャームから身を守るために隠れて、ずっと私を待っていたと……?」

「そういう事だ。そなたは希望。その事が今、証明された」

「それは……」


 本当に私なんかでいいの? そんな気持ちが頭を横切る。


「おお、貴方様が勇者……こんなに若く、しかも少女だとは……」


 老人が一人、話しかけてきた。


「貴方は?」

「この町の長老です。お助けいただいて、感謝の言葉もありません」


 老人は、私の周りを一通り見回すと、更に範囲を広場全体に広げて、もう一度見まわした。そして、見回し終わると肩をがっくりと落とした。


「どうやら、全滅したようですな。騎士も傭兵も、皆、勇敢に戦った。中には相当手練れた者もおったのですが……」

「そんな……全滅……」

「悲しい事です。人の力では、もうどうにもならんのかもしれませぬ」

「ごめんなさい、私……」

「謝る事はありません。あの化け物たちは、人が相手をするには強力過ぎたのです」

「人が相手をするには……」


 思わず、言葉がぼそりと口から出る。人が相手をするには協力ならばそれを倒した私は……。


「エミナよ。そなたにはまだ自覚が無いであろうが、既にそなたの力は剣豪や大賢者と呼ばれている者に迫ろうとしている」

「剣豪……大賢者……」


 その言葉を聞くだけで、私の体に震えが走った。

 どちらも、その分野の全てを極めてもなお、到達の難しい領域に達している人だ。

 そういう人は、同じ人間とは思えないくらいの力を持っている。そして、私にもそういう力があると、エルダードラゴン様は言っている。


「さて、戸惑っている暇は無いぞ。この者達は無防備だ。守護していた者達は、既にジャームの餌食になった。隠し部屋とていつかは見つかってしまうし、ずっと隠れていても飢えて死ぬだけだ」

「どうすれば……この町に留まって、今この町に向かっているジャームを倒す……?」

「いや、そうしたとして、また第三、第四のジャームが送り込まれるだけだろう。私がこの者達を、旧支配者の手の届かぬ場所へと転移させる」

「そうか、私達みたいに、転移させれば……」

「そうだ。が、今は少しずつしか転移させられん。その間には、何回かのジャームの襲撃があるだろう。そなたには転送の時間を稼いでもらいたいのだ」

「私がどこまで出来るかは分かりませんが、出来る限りは。どれくらいの人数をいっぺんに転移させられるのですか?」

「一人ずつだ。まずは長老、そなたから」

「申し訳ない。そろそろ儂も跡継ぎを考えねばいかん時期かもしれんのう……」


 長老は、そう言いながら、私の目の前から、文字通り姿を消した。


「さて、後は、怪我人、医療関係者、子供、女と一人ずつ飛ばしていく。そなたも出来る限りジャームの進行を阻止してほしい」

「分かりました。でも、私とミズキちゃんは、いっぺんに山脈に転移したのに……」

「情けない事だが、こちらに回す力が無いのだ。旧支配者の妨害を退けねば、こうやって話す事も叶わぬ。そして……そなたにしてもらいたい、もう一つの事とも関わりがある」

「もう一つ……?」

「そうだ。ミズキの居る場所が分かった」

「ミズキちゃんの! 本当ですか!?」

「うむ。だが、あまり良い状態とは言えない。魔族に捕らわれているのだ。目を覚まさせて、幻から解放させてやらんとならぬ」

「そんな……」

「そなたの力を借りたい」

「私の? でも、どうすれば……」

「祈るのだ。私がそなたの祈りを届ける。そなたはミズキに祈ってほしいのだ」

「祈る……」

「そう。祈るだけでいい。そうすれば、我が力によって、その祈りをミズキに届けよう。そうすれば、ミズキをこちら側に引き戻す事が出来るだろう」

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