1-30.吉田

「ふぅ、よっこら……うわっ」


 自分の席に着くなり椅子に座ろうとしたが、急に視界がぐるりと回り、後頭部に痛みが走った。


「いった……むぐ……」


 頬に当たる冷たい感触。何をされているのかは、もう分かった。


「吉田……君……?」


 いつものように、吉田くんが僕にちょっかいを出してきただけだ。

 僕が座ろうとした瞬間に椅子を引き、床に倒れたところで顔を踏む。これも何回もやられたことがある。


「おはよーーーう桃井君」


 吉田君は相変わらずニヤニヤと楽しそうに、僕の頬をグリグリと踏みにじっている。


「むぐぐ……はぁ……」


 こんな事をされているのに、溜め息が出る。こういう時、前なら悠さんが止めに入ってくれていたのだが……。


「おおい、どうした?少しは抵抗してみろよ。それとも俺の靴の裏が美味しいのかなぁ?」

「……」


 少し、イライラする。

 前は、毎日のようにやられていたから、知らず知らずのうちに慣れていたのかもしれない。

 吉田君本人も言っているし、少し抵抗してみようか。そんな感情も沸いた。

 でも……このまま放っておけば、何かの間違いで、悠さんが生きてて、助けに来てくれるのではないか。そんな風に思ってしまう。


「うん……?」


 いや、悠さんは生きている。そう……昨日、見たのだ。悠さんは生きている。


「悠は死んだ! お前のせいで、悠が死んだんだぞ!」


 僕に罵声を浴びせるように怒鳴るこの声は、吉田君とは別の声だ。


「え……」


 顔は踏みつけられているので動かせないが、どうにか目だけを動かして、もう一人の誰かを見る。


駿一しゅんいち君……?」


 僕の頭上には、駿一君の姿があった。駿一君も僕のクラスメイトだが……駿一君は、いつも人と距離をとって一人で居る事が多いので、あまり関わりは無い。


「お前が負担をかけてたんだよ……お前が、悠にな!」

「ぐぶっ!」


 お腹に強烈な痛みが走る。駿一君のパンチが僕のお腹に入ったのだ。


「お前の存在は、悠にとって邪魔でしかなかった。お前が足を引っ張ったから、悠は……!」


 そういえば、悠さんが言っていた。駿一君とは中学校から同じクラスだったって。

 確かに、それなら余程ショックだったろう。

 でも、それは勘違いなのだ。


「うぐ……ま、待って。悠さんは死んでない。昨日、見たんだ」

「何だよ。苦し紛れにそんな嘘か?」

「本当だよ。昨日、あったんだよ……」

「幻覚でも見たんだろ。お前は悠に依存してたからな」

「幻覚って……会って、話しもしたのに……」

「じゃあ、何で悠は、あの日から一回も学校に来てないんだ?」

「え……来てないの?」

「何を今更……ふざけて誤魔化そうとしてるなら、容赦しねえぞ」

「おらおら! クールな駿一様がご立腹だぜぇ!?」

「ううっ……うっ……」


 吉田君が、これでもかと何回もお腹を蹴る。


「や……やめて……」

「あぁ? どの口が言ってんだ? 無責任に悠の事を引き合いに出して、駿一をからかったんだぜ?」

「そ……そんなつもりじゃ……」

「うるせえ! あっははははははああ!」」


 吉田君は、これまで以上の力で僕を蹴り、愉快さを抑えきれないといった様子で思い切り笑った。


「うぅ……ご、ごめん……」

「反撃しなよ」

「……え?」


 声が聞こえた。悠さんの声だ。


「いまの桃井君だったら、そんなやつ相手にならないよ」

「……悠さん?」

「そうだよ。私だよ」

「ふ……二人共……悠さんが……」


 吉田と駿一は悠さんに気付いていないのか、相変わらず僕に蹴りを入れている。


「見て……見てよ……!」

「多分、二人には見えてないと思うよ」

「? ……ど……どういう事?」

「私にも分からない。でも、桃井君、このままじゃ死んじゃうかもよ? でも、桃井君は、もう力を手にいれたんだ。そいつらくらい、簡単にやっつけられるよ」

「力って……?」

「魔法」

「……!」


 一瞬、僕の思考が停止した。蹴られている痛みも感じなくなった。

 ――そして、その一瞬の後、どっと痛みが流れ込み、疑問も次々と浮かんできた。

 何故、悠さんが魔法の事を知っているのか。

 僕は今も魔法が使えるのか。

 悠さんは何故、二人には見えないのか。


「魔法の事を……知っているの」

「うん……私、知ってる」

「あれはもう使えないよ。僕はもう、普通の人間なんだ」

「違うよ。桃井君が使おうとしないだけ。さあ……桃井君には力があるんだよ。何でも出来る力が……」

「そんな……僕には、そんな……うぐっ」


 二人のどちらかは分からないが、腹に蹴りが入った。鈍い痛みが走る。


「ああ……そろそろ飽きてきたなぁ……そろそろ殺すか?」

「あぐっ……うあっ……」


 腹、背、手足……至るところを蹴り飛ばされる。


「はっはぁ」


 僕の顔に、冷たい感触が走る。


「それは……」

「ナイフ。これで胸を一突きしたら、どうなるかなぁ?」


 僕は牢屋での事を思い出し、怯えた。

 激しい痛みで呼吸も出来ず、動く事すらままならない。どうしていいかわからず、ただ死を待つしかない絶望。それはまだ、脳裏に焼き付いている。


「あ……っ……や……やめて……」

「死ね死ねぇ!」

「ひぃ……っ!」


 瞬間、目の前が真っ白になった――そして……次の瞬間には、それまでとは違う光景が広がっていた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」

「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 そこには、全身を激しく燃やしながら、のたうち回っている二人の姿があった。


「え……た、大変だ!誰か!」


 僕は叫びながら、無我夢中で傍らにあったカーテンを引きちぎった。


「よ、吉田君! 駿一君!」


 二人に呼び掛けながら、必死の思いで二人にカーテンを被せ、体を叩く。


「誰か!助けて!救急車呼んで!」


 叫び続け、叩き続け――やっとのことで火が消えた。そして、僕は少しだけ冷静さを取り戻した。


「吉田君……?」


 二人はピクリとも動いていない。


「駿一君……」


 呼び掛けても一向に応える気配がないので、僕はそおっと、カーテンをどけた。


「あ……あぁ……」


 死体だ。

 苦しそうな顔をしたまま、真っ黒焦げになって微動だにしないそれを、僕は死体だと直感した。


「ぼ……僕は……」


 足が震える――動悸が止まらない――熱くもないのに汗が出てくる――。


「ひぃ……」


 どうしていいか分からない。頭が……おかしくなりそうだ。


「はぁ、はぁ。はぁ……」


 僕は、いつの間にか走っていた。そして、気付いた時には、僕は自分の部屋に居た。


「殺した……僕が……吉田君を……」


 手の震えが止まらない。クラスメイトを殺した恐怖、そして。思っただけで、人を殺すことができてしまう恐怖……恐怖に心が支配されてしまいそうだ。




「はぁ、はぁ……」


 もう三、四回くらい、ジャームの集団が攻めてきただろうか。町に攻めてくるジャームは、段々と強力になっている。

 最後に倒したような大きなジャームは、最早、珍しくなくなっている。普通のジャームに混じって、数で押してくる。


(ミズキちゃん……)


 ジャームを相手にするのと同時に、ミズキちゃんへの祈りも続けているが、未だに反応は無い。


「エミナよ、これで最後の一人が転移された。後はそなただけだ」

「はい……あっ!」

「どうした?」

「まだ、もう一人子供が……」

「何? 気配を見逃したつもりは無いが……分かった、先にその子を飛ばそう。気配を探すので、しばし……」

「エルダードラゴン様?」


 突然、エルダードラゴン様の声が聞こえなくなった。


「エルダードラゴン様?」


 再び呼びかけたが、返事はない。


「どういう……あっ!」


 エルダードラゴン様の事と、疎らに現れるジャームの相手で気付かなかったが、少女はすっかり、何匹もの大ジャームに取り囲まれている。

 私は急いで駆け出した。

 早く……これ以上ジャームが増えたら、少女を守りきれない。いや……もう無理かもしれない。


「天から降るは純麗じゅんれいなるあおき刃……ブリザードストーム!」


 諦めちゃいけない。私は、そう心に決めて、大ジャームの集団にブリザードストームを放った。

 魔法の中心に居た大ジャームのうち二体は、もがきながら倒れた。

 範囲魔法のブリザードストームで、大ジャームを二体纏めて倒す事が出来たという事は、恐らく、魔力は更に上がっている。


「……!」


 いつの間にか背後に回り込んでいた数匹のジャームに気付いた。

 踵を返して、そのジャームの方へと向き直る。しかし、ブリザードストームで仕留めきれなかったジャームも私の方へと走ってきて、合計十二匹のジャームが私を包囲した。

 周りをこの数の大ジャームに取り囲まれているのなら、無傷で全てのジャームを倒すのは無理だろう。


「潤いを以て我が身を等しき存在より守りたまえ……ジェルプロテクション」


 私の周りに透明な液体が発生し、私を包み込み――ふっと消えた。見た目には何も見えないようになったが、魔法による干渉の軽減という効果は残っている。


「自分もダメージは受けるけど……」


 多少、自分を巻き込むことになるが、仕方がない。


「紅蓮の大火炎よ、全てを覆い、燃やし尽くせ……エクスプロージョン!」


 手から大きな火の球が飛び出し、私のすぐ下の地面に着弾し、激しい爆発を起こした。


「ぐぅっ……!」


 ジェルプロテクションで魔法効果を軽減するとはいえ、私は爆発の中心に居る。体に衝撃と痛みが走った。

 囲んでいたジャームの方は、エクスプロージョンによる高温に直に晒され、苦しみもがいている。


「グオォォォ……」


 爆発が収まると、そこには十二匹の黒焦げになったジャームが横たわっていた。


「危ない! ソニックブレード!」


 私は子供の方を見た瞬間、新たに現れた三体のジャームが子供を取り囲んでいるのに気付いた。どこから現れたのか考えている時間は無い。急いでファストキャストのソニックブレードを唱える。

 私の手から放たれた高速の風の刃が、少女を囲んでいるジャームのうち一体を両断した。


「風よ、その身を鋭き螺旋の形に変え、万物を貫く刃となれ……ドリルブラスト!」


 少女の元へ走りながら、私はドリルブラストを唱えた。


「たぁぁっ!」


 手の周りに渦巻くドリルブラストで、ジャームの背中を突く。

 ジャームの体がぐらりと揺れた。私はジャームが倒れるのを待たずにジャームの横に回り込んだ。


「く……」


 残り一匹のジャームは、私の方には見向きもせずに少女を狙っている。私の目に、ジャームが、今まさに少女に手を振り降ろそうとする瞬間が映る。

 間に合わない……いえ、まだ諦めるには早い。まだ少女を救える全力で少女の方へと走り――ジャームと少女の間へと滑り込み、少女を覆うように思いきり体を広げる。


「ああっ!」


 ノンキャストのウインドバリアを展開しきれないうちに、背中に激痛が走った。威力は多少、軽減されている筈だが、殆ど無防備な状態の打撃だ。体へのダメージは大きい。

 吹き飛ばされ、視界がぐるぐると目まぐるしく揺れる。どうにか体が地面に打ち付けられ、衝撃と痛みが私の体を襲う。


「ぐ……!」


 首を振って気を取り直し、魔法を唱えた。


「傷つきし闘士に癒しの光を……トリート!」


 更に二回地面を弾み、家屋の壁に叩き付けられて、ぐるぐると回転していた景色は止まり、私の体は地面に転がった。


「く……はぁ……はぁ……」


 痛みは和らいでいる。トリートのおかげだ。


「我、放ちしは、疾風(はやて)の先の、更にその先を斬り裂きしものなり……ソニックブレード!」


 私の手から放たれたソニックブレードが、再び少女を殴ろうとしているジャームを葬り去った。


「お姉ちゃん!」


 少女が駆け寄ってきた。


「大丈夫……もう治ったから」


 体の傷は治った。が、体力も魔力も、消耗が激しい。よろよろとしか立ち上がれない。


「もう大丈夫だからね。ジャームは全部、倒したから」


 とは言ったものの、これからどうすればいいのだろうか。エルダードラゴン様との連絡もとれないままだ。


「エルダードラゴン様……」


 試しに問いかけてみるが、やっぱり答えは返ってこない。


(ミズキちゃん……)


 ミズキちゃんへ祈っても、相変わらず反応は無い。


「……」


 急に襲ってきた孤独感に苛まれ、少し泣きそうになる。が、ぐっと堪えて思考を巡らせる。

 今頃、ジャームは更なる軍勢をここに向かわせているだろう。エルダードラゴン様と連絡が取れなくなった以上、この町に留まっていては危険だ。かといって、どこに逃げればいいのか。ここに来たのはエルダードラゴン様の移転によるもので、自分はこの辺りの事は何も知らない。迂闊に動いても危険かもしれない。


「エルダードラゴン様……」


 そして、未だにエルダードラゴン様との連絡も取れない。


「どうしよう……」


 そう呟いた瞬間、私はは感じ取ってしまった。自分の後ろに居る存在が放つ、途轍もない威圧感。そして、恐怖を。


「脆い人間の中でも、取り分け華奢な姿をしているが……」

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