冷静な人々 その7――大学病院のM先生

 産後およそ一か月後には、子どもだけでなく母親も健診を受けることになっています。そういうわけで、退院するときにあらかじめ予約していた日時に、再び出産した病院を訪れた私です。


 最近では、小児科を併設した産婦人科のクリニックもあるそうですね。小児科が一緒であれば、産後何かあっても離ればなれにならずにケアしてもらえそうですし。子どもが小さいうちは、本当に母子ワンセットで行動せざるを得ない場合が多いから助かりますよね。


 ちなみに、息子の一か月健診の予約はもちろん生まれた病院の小児科に入れてありました。でも、ふたりの健診日をうまく合わせることはできなかったんですね。こういうとき、小児科と産婦人科だけを標榜する医院なら柔軟に対応できるのかもしれません。でも、大きな組織である大学病院では難しくても当然ですよね。


 新生児の一か月健診は曜日と時間が固定されていました。その曜日になると、生後一か月の赤ん坊とその母親がどどーっと集まってくるわけです。大学病院って、スタッフ数も多いけれど患者数も多いですからね。健診日を固定して集約するのは、健診に必要な要員の確保であるとか、測定などの作業を効率的に進めるためとか、きっと様々な理由があるのでしょうね。


 息子は母に預けてお留守番。久しぶりの単独行動です。決して遊びに出かけるわけじゃないのに、バスと電車を使って淡々と移動をするその時間が、ひどく新鮮で心地よく感じられたのを覚えています。


 担当のM先生は、退院時の診察をしてくださった先生でした。中堅の女性の先生、なのかな? すごくさっぱりしていてクールでカッコいい印象のかたです。でもね、優しいのですよ。どちらかというと淡々とした口調の先生で、ともすれば「きつい人」と誤解されそうな雰囲気もあるのですが。でも、違うのです。


 M先生は分娩にもかかわってくださった先生でした。残念ながら、いざ生まれるときはもうシフトチェンジ後の時間で、別の先生にバトンタッチされていたんですけどね。カイザーにするかどうかを迷いつつ「もう少し様子をみましょう」と判断したのがM先生です。あ、飲まず食わずの分娩になったことを決して恨んだりはしていませんからね(爆)。


 そのときの先生の台詞、よく覚えているんですよ。先生ね、「頑張ってみましょうか。一緒に頑張りましょう」って言ってくださったんです。「赤ちゃんも頑張ってるから。お母さんも頑張って!」とかじゃなくてね(笑)。


私が「とにかく“中の人”の快適さと安全性を優先で。まあ、切るときはひと思いにすっぱりいっちゃって下さい」と言うと、M先生は「“中の人”ですか?」と笑ったのでした。


 一か月健診の結果はとくに問題ありませんでした。母乳は「分泌少量」でしたけどね(苦笑)。そのことについて、先生と少しお話をしました。


「分泌量に限らず乳腺炎になるときはなるので。気になったら受診をしてくださいね」


「げっ。出なくてもなるんですね……」


「そうなんですよー。これまでは混合ということですが、今後は――?」


「ミルクに移行しようと思っています。あまり出ないほうですし、マッサージに通って頑張りきれる気持ちも体力もないので……」


ここはカッコつけても仕方がないので正直に打ち明けた私ですよ。すると、先生はこう言ったのです。


「うん、いいと思いますよ。初乳も十分飲ませていますしね。まあ、完母にこだわるのは親のエゴといえばエゴですから」


ちょっと……ううん、かなりびっくりしましたよ。もちろん、私としてはすごく勇気づけられたし、元気をもらえたわけですけど。


 でもね、思うんです。もし、患者が私でなくて「絶対に完母がいいんです。張りたいんです!」という人だったら――。きっと、先生は「完全母乳でいけるのに越したことはないですからね」と、頑張りたい気持ちを否定することなく励ましたでしょうね(笑)。もちろん、それを不誠実だなんて思いませんよ。先生の思いやりが、素直に嬉しくありがたかった私ですから。


 例えば、完母を熱望する女性の診察結果が、完母が難しい状況だったとしても「執着するのは親のエゴですよ」などという言い方は、医師としてどうかと思うじゃないですか。そりゃあ、ときには厳しいことを言わざるを得ない状況もあるでしょう。でも、どういう言い方をするかも医師の技量と思いやりだと思うのです。


 よくよく思い出してみると、先生方も看護師や助産師の皆さんも「頑張りましょう!」とは言っても「頑張って!」とは言わなかったんですよね。少なくとも、私自身は言われた記憶がないのです。あ、ひょっとして――自分が言われて嫌なことは聞こえない都合のよい耳になっていたとか?(爆)。


それはさておき、助産師さんたちは皆さん明るくフレンドリーで、いつだって「私はあなたと赤ちゃんのために頑張りますから!」というメッセージを発信しているように感じられたのです。


 ちなみに――その後、息子はこちらの病院の小児科にたいへんお世話になることになるのですけどね。私が産婦人科を訪れるのは、これが最後となったのでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る