妊婦の我慢とユニバーサルデザインという思想

 理屈っぽいタイトルですが、なんてことはありません。「可愛い赤ちゃんのためだもの。なんだって我慢できるでしょ?」みたいな言い方されるとなぁ……という話です。


 そりゃあ実際は我慢するんですよ。妊婦になれば酒や煙草を我慢するのは当然ですし。人によっては、貧血の薬を飲んでは辛い副作用に耐えたり、嫌いな食べ物を頑張って食べたり、逆に好きな食べ物でも控えなければならなかったり。


 妊婦なのだから当然の義務? やって当たり前? できて当たり前? そりゃあ、禁煙なんて「できません」じゃすまされませんし。できるとかできないとかじゃなくて、やるしかないですからね。


 けど、禁酒も禁煙も食事制限も簡単なことじゃないですよね? その難易度は妊婦だって普通の人と同じだと思うのですよ。妊娠したら体調が変って酒や煙草が嫌いになるっつうなら別ですが、そういうわけじゃないですよね。


 私はもともと酒・煙草はやっていなかったので、その点での我慢はありませんでした。けれども、甘いものを控えたり、ウォーキングをしたり、そういった節制(摂生)はそれなりに努力したと思います(病院が体重管理にもんのすっごーく厳しいところだったので)。


 すべて必要な努力ですよ。そんなことはわかってるんです。わかっているからこそやるわけですよ。でもですね、「赤ちゃんのためだもの☆頑張れるわよね♪」みたいな言い方をされるのは、なんだか辛いものがありました。


 なにしろほら、母性が不発に終わっていますから(苦笑) 赤ちゃんのために頑張る自分? 誰それ? どこの人? ってなわけですよ。


 「赤ちゃんのため、赤ちゃんのため」って、もちろんそれはそうなんでしょうけど。でも、こういう言い方もあれですけど、なんだか胡散臭い宗教みたいな気がして。ちょっと嫌悪感を抱かずにいられなかったんですね。


 そういえば、少し話はそれますが――学生の頃にこんなことがあったんです。私が行っていた大学には保育学科がありまして。「幼児体育」などの担当教員が、他学科の体育講義などを担当することもあったんですね。


 私が履修した体育講義の担当も保育学科の教員で、アラフォーの女性教授でした。すると、講義の内容はどうしても子どもの話に偏りがちになり……。その教授の口癖は――「あなたたちは、いずれお母さんになる人たちだから」でした。私、これがどうにも嫌で嫌で。


 まあ、私も若かったですし(苦笑)「決めつけないでよ!」みたいな反発心が余計に強かったのかもしれません。でもやっぱり、「いずれ母親になるんだから興味あるでしょ? 勉強しておきたいでしょ?」みたいな態度には、今思い出しても釈然としないものを感じるんですね。


 さて、話を元に戻しましょうか。「赤ちゃんの為ならどんなことだってできるでしょ?」という考え――というか、そういう念の押し方って、やっぱりどこかカルト宗教じみている気がするのですよ。


「辛い? 我慢ができない? あなた、赤ちゃんのこと考えてないの? 本当に考えているならできるはずだわ」という論理。これって、私からすると――。


「たかだか百万円のツボが買えないの? 素晴らしいご利益がある尊いお品なのに? 神様のことを本当に思っているなら、どんなことをしたって手に入れられるはずだわ」


ってのと、なーんか同じ匂いがして……。え? ぜんぜん違う話ですかね?(笑)


とにかくまあ、あれですよ(どれだよ……苦笑)。「素晴らしい母性があるなら、なんとでもなるだろ?」的な言い方も、「赤ちゃんのことが大事なら頑張れるはずだよね?」という圧力のかけ方も、「それってどうよ?」と思うわけです。


 その頃、ちょっとうんざりしていたのですよね……。妊娠中期に入ってから、自治体や病院が主催する母親学級に参加する機会がありまして。保健師さん(とくに古参の人)なんかが言うわけですな。「赤ちゃんも頑張ってるから☆ママもガンバ!」みたいなことを(汗)。


 もちろん、そういう励ましが心に響くという妊婦さんもおられるのでしょう。おそらく、そういった感覚のほうが一般的なのだろうなと思います。「頑張っているのはママだけじゃないよ。ひとりじゃないよ。赤ちゃんも一緒だよ」と。素直にそう受け取って元気になれるという人が多いのかなとも思います。


 ただまあ、私はそういうふうには捉えることができなかったという……。まったく、どこまでひねくれているんでしょうね。困ったもんだ(苦笑)


 そして、そんなときにたまたまテレビで知ったのが、ユニバーサルデザインという思想でした。ユニバーサルデザインというのは、決して障碍者や高齢者に特化した配慮ではなく、そういった方々も含めた「様々な(年齢、性別、人種など)人」が利用できる設計のことをいうのだそうです。


 例えば――スロープって、車いすの人だけでなくベビーカーの人も助かりますよね。まだ階段を上がれない幼い子でも、スロープだったら頑張って歩けるかもしれません。障碍の有無に関係なく多くの人が利用できる優しい設計というわけです。


 この話題を取り上げたテレビ番組の中では、ユニバーサルデザインとバリアフリーの相違点などにも触れられていました。そして、印象に残ったのが「弱者に優しい設計はみんなに優しい設計である」というコメンテータの方の言葉でした。なんというか、私は自分なりの落としどころを見つけた気がしたのです。


 胎児のためによいとされることは、母体である自分のためにもよいことが多い。このことをあらためて自覚したんですよね。もちろん、好きなものを我慢するのは精神的にしんどいです。やりたくないことを頑張って続けることも同じく辛いです。でも、決して体にとって悪いことはないはずなんです。


 むしろ、健康を考えるならプラスのことが多いのですよね。お酒の量は減らせたほうがいいでしょうし、煙草だってやめるに越したことはありません。


適度な運動や食事制限、体重を把握してしっかり自己管理することなんて、ダイエットの基本ですからねえ。女子としては使えてお得なスキルですもん(笑)


 まあ、打算的っちゃ打算的でしょうか(苦笑)「じゃあ、自分に得がなかったらやらねぇのかよ!」って話になっちゃいますからねえ(汗) けど、やるもやらねえも、妊婦に課せられる我慢って逃れられないわけで……。


 どうせやるなら、我慢じゃなくて「自分のためのスキルアップ」みたいに考えられたほうが楽しいと思ったんですね。RPGで新しい呪文やら特技やらを習得をしていくみたいな気持ちで(笑)


 そういうわけで、私は「赤ちゃんのため」というより「自分のため」という感じで、運動も食事も頑張りました。中の人については「彼は彼で自分の仕事を粛々とすすめているようだ」という認識で見ていましたよ(苦笑)


「体の器官を作るのって大変そうっすね」


「まあそれなりに。ですが、今のところ問題なく作業をすすめていますよ」


「あ。この前、我慢できなくてわらび餅食べたら尿検査で糖出ちゃってすんません」


「そんなこともありますよ。こちらはエコーで愛想がなくて……」


「ああ、腕で顔が隠れちゃってた件ですか」


「タイミングが悪くて申し訳ない」


「先生は顔を確認しようと躍起になってたけど、あまり気にしないでください」


「かたじけない……」


なんだ、この会話……(苦笑)「かたじけない」って武士かよ!(爆)


 実は、中期に入って胎児がある程度の大きさになったときに、性別は教えてもらっていました。男性だと聞かされたときの感想は――


「やっぱりね(知ってたよ)」でした(笑)


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