中の人が男性でよかった件 ――「異性のことはわからんよ」という逃げ道

 エコーで確認するまえから、中の人は男性という気がしていました。直感といえば直感です。けど、今思うとやっぱり希望的観測というか、そうあって欲しいという願望が少なからず入っていたように思います。


 それはなぜか? そこにもまた母性の欠落という問題が横たわっているのですね。正直、女の子だとしんどいだろうなぁという気持ちがありました。だって、どうしたって娘は母親の背中をみながら本人なりの母親像をつくっていくわけで……。それって自分にとっては耐え難い重圧に思えたのです。


 今さらですが、母性って何なんでしょうね(苦笑) ホルモンの分泌が影響しているにしても、その強弱の差や有無の違いはどうしてあらわれるのでしょう。ひょっとして遺伝子レベルでの個人差とか? それともやはり、環境的な要因が影響するのでしょうか?


 私、子どもの頃とても苦しかったんです。内向的(内省的)で、女子の社交というのが下手でしたし。いつも考えすぎて完全に女子をこじらせちゃっていたんですよね(汗)


 女の子を育てるということは、ある意味その辛い経験を追体験するようなところがあるのだろうと。実際、私の友人にその話をしたら「同感だ」と言っていました。彼女には小学生の娘さんがいるのですけどね。友人曰く「娘の思春期のことを考えたら、私のほうが心折れそうになる……」と。


 誤解のないように申しますが、決して「子どもは男の子のほうがいい」とかそういう話じゃないんです。こればかりは、どちらが育てやすいかなんて断定できませんもの。相性とか環境とか様々な要素が複雑に絡み合って、状況は刻々と変化するものでしょうし。


 そういえば小学生のとき、母に「私が生まれたとき嬉しかった?」と聞いたことがあったんです。すると、母からはこんな答えが返ってきたんです。「嬉しいとか嬉しくないとか、そういう気持ちじゃなかった」と。そして、その感情は嬉しいを超越した大きな喜びというわけではありませんでした。


 これ、当時はかなり衝撃的でしたね(苦笑)母曰く「これから一人の人間を育て上げなくてはならない責任感でいっぱいだった」と。そして、それはまさしく私が出産したときに感じた思いと同じだったんですね……。あーあ、親子ってなぁ(苦笑)


 ちなみに、もっと大人になってからはこんな話も聞きました。「子どもが欲しいか欲しくないかを考える余地はなく、作って産むものだと思っていた。そのことに何の疑問も持たなかった」と。まあ、時代ってのもあったとは思うんですけどね。


 母が私を身ごもったのときは二十二歳くらいだったのかな? 当時は今ほど晩婚化がすすんでいたわけではないでしょうけれど、それでも若くしての結婚・出産ですよね。


 そして、若さゆえの未熟さもさることもながら、転勤族の妻だったので、知らない土地で実家も遠く、頼れる人もいなくて……とてもとても辛く淋しい思いをしたのだそうです。


 私、母から一度も「孫の顔を見たい」と言われたことがないのですよ。「結婚しない人生も、出産しない人生も、それはそれでアリでしょう」というのが、私が母から継承した価値観でした。母自身は何の疑問も持たずに結婚して二児の母となったのに……(苦笑)。


 ちなみに、やはりというか私の妹も同じ価値観を受け継いでいるようです。結婚はしていますが子どもはいません。周りからは「妹さん、子どもは作らないの? できないの?」といった質問をされることもあります(苦笑)ですが、私たち姉妹にとっては「何が疑問なの?」という感じです。


 「結婚=パートナーと永遠の愛を誓って子どもをもうけること」という考えが主流であることは知っています。また、結婚と子どもは別という考えは、おそらく理解されにくいマイノリティであることも。結婚して子どもを産むことには理由なんて要らないけれど、産まないとなると説明を求められる世の中です。


 中の人が男性だと判明したとき、どこかほっとしている自分がいました。父性というのがどういうものかはこれまた謎ですが、とりあえず母性の問題からは少しだけ解放された気がしたのですよね。


 私、母性をもたない自分を蔑んでいるわけではないのですよ。でも、女の子が生まれたとして、娘が自分と同じような女性に育ってしまったら――そう思うと、けっこう苦しいものがありました。


 母と娘の関係って、女同士だからこその大変さがあると思うんですね。もちろん、だからこその素晴らしさもあるのだろうとは思います。ただ、私にとっては、子どもが異性であることは大きな救いだったのです。


 中の人のことを「子」というよりは「個」として捉えることで、私は母性の呪縛から逃れようとしたわけですが。子どもが異性であることで「個人を尊重しよう」という考えはいっそう強まったように思います。


異性 → 所詮はわからないもの → 他者


おそらくですが、こういったプロセスで私にとって都合のよい(爆)ほどよい距離感を設定したのだろうと。


 「異性のことはわからんよ」という割り切りは、けっこう使えるスキル(?)ですよ。ときには、子どもを夫にまかせる口実にもなりますし。育児がうまくいかず行き詰ったときも「誰も悪くない、私も悪くない。異性なんだからわからなくて仕方ない」などと、これまた都合よく自分を責めない方向でスルーできたりしますから。


 子どもって「授かりもの」であり「預かりもの」なんですよね。誰に託されたかといえば、それは――世の中だったり神様だったり宇宙だったり(えっ!)、いろんな言い方ができるのでしょうけれど。


 勇者はいずれ我が家というパーティを抜けて新たな冒険へと旅立って行く人です。まあ、昨今はなかなかそうはならず我が家にいつまでも残留するパターンもあるようですが(汗)


 とりえあず、縁があって結成されたパーティですし。互いに個人を尊重しながら、親分も子分もなく、仲間として横一列に並んでいきたいものです。


もっとも――ドラクエ的には縦一列にぞろぞろ歩いていくのでしょうけど(笑)

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