人の体が欠けていく ―末端切断の話―

 私が、車椅子の入院生活もだいぶ慣れ、そろそろ松葉杖に慣れていくようリハビリの段階が進み始めた頃、

 少しの間あいていた隣のベッドに、また患者さんがはいってきました。

もう七〇にも近いおばあちゃんでした。仮に、Aさんとしておきます。


 右足の膝上から下を、切断した患者さんでした。


 長く入院していると、指の先がない患者さんや、足や腕が片方ない患者さんを、けっこうな頻度で目にします。

これは、事故だけではなく、糖尿病が進行して合併症を起こした患者さんも多いようです。

                         

 糖尿病に至るまでの経緯はいくらかあるようなので、ここで深く掘り下げるより専門のサイトでもみていただいた方がいいと思います。

しかしなぜ、糖尿病で体の一部を失うのか。

                         

 糖尿病が進行すると、腎臓の機能が低下していきます。

 腎臓は、血液の中の老廃物や毒素を取り除いたり、新しい血を作ったり、重要な役目を担っているんですが、腎臓の機能が低下すると、毒素等が十分に取り除かれないままの血が、また体に送り込まれていきます。

 安全ではない血を送り込まれ続けると、血管が詰まり、体の末端部分が壊疽を起こしたりします。

 壊疽っていうのは、死んだ部分が腐っていくことです。

 壊疽は処置が遅れると、切断する必要がでてきます。

                                      

 ……ということを、

 Aさんの手術を担当した医師がおおまかに説明していたのを、隣で聞いてなんとなく私も仕組みを知ったわけですが。


 Aさんは、数ヶ月前にも糖尿病が原因で入院してきたのだそうです。

そのとき既に、「これ以上症状が進行したら切断もあり得る」という警告を受けていたといいます。

 Aさんのリハビリの担当さんが私のと同じ人だったので、ちらっと聞いたのですが、

 そのときはリハビリのメニューもちゃんと消化して、「もう入院しないように頑張ろうね」って、送り出したそうでした。



 Aさんの入る一週間ほど前まで、そのベッドは、低血糖による昏睡で担ぎ込まれてきたBさんが使用していました。

 糖尿病の方は、食事の前に血糖値を下げる薬を飲むそうなのですが、Bさんは、風邪気味で食欲が無く、あまり食べなかったのに、薬だけは欠かさず飲んでいたため、血糖値が下がりすぎたのです。

 糖尿病なので、当然食事もカロリー制限されたものを出されていましたが、病院から出だされるもの以外食べてはいけないと云われていたのに、よく勝手に飴をかじっていました。

 Bさんは五日ほどの短期入院で済みましたが、なぜ糖尿病だと判っていて、薬まで常用しているのに、食べるものに無頓着でいられるのだろう?

 自分だけは大丈夫って、思ってるんでしょうか。


 もしBさんが、Aさんと同時期に同じ病室に入院できていたら、すこしは意識も変わったのかも知れません。



 知り合いのご主人が、やはり糖尿病の診断を受けていたそうです。

 奥さんはいろいろ気をつけた食事を作っていたそうなんですが、ご主人のほうが食事制限を嫌がって、

 家に帰る前に、平気でラーメン等をたべたうえで、家でも食事をしたりと、食生活を改めませんでした。

 結果、失明寸前という事態を引き起こしたのだそうです。

 なんとか失明は回避できたということですが、そこまできてやっと、ご主人は自分の無謀さを自覚したと云います。



 Aさんも、昏睡状態で担ぎ込まれ、目が覚めたら脚を失っていました。

 壊疽が進行していたため、症状のひどい先端部分だけ切断しても、遠くない時期にまた壊疽が進むことが予測され、高齢のAさんでは数度の手術に耐える体力がないという判断がなされて、一度に膝から下を切断したのだそうです。

 その割に、とても明るく、患者さんや看護士さんとの会話にもよく混ざっていました。きっと、根が楽天的な性格だったのでしょうね。

ただ、周囲に対する依存が強く、少し努力すればリハビリも次の段階に進めるはずなのに、なにをするにも周りや看護士さんに頼り切り。

 自立を促すためにも、あまりかかりきりにならない方針の東病棟の看護士さんの対応を、「親切じゃない」と常に不満に感じている人でした。

車椅子でも家で生活できるように、家族の方も受け入れる準備を進めていたようなのに、

 本人には必要最低限の生活動作をする気すらとぼしかったようです。


 私は、Aさんが来て数週間後に退院しましたが、後日、診察ついでに同じ病室だった人の顔を見に行ったら、Aさんはもういませんでした。

介護病院に移ったのだそうです。

 確かに、介護を目的とした病院にいれば、十分な世話もうけられるでしょう。食事だって管理されるだろうから、糖尿病の進行を抑えるのにも有効かもしれません。


 でも、二度とAさんは、「一時帰宅」以外で、家に戻ることはないんでしょう。

ご家族は受け入れる気でいたようだし、ちょっと頑張れば家での生活も無理ではなかったはずなのに、残念な話です。



 やっぱり今も身近に、糖尿病のために薬を飲みながらも、医師からの忠告を無視した食生活を続けている知り合いがいます。

心配は心配だけど、本人に聞く耳がないのに、周りがあれこれ言っても通じないのは判っているので、なにも言わないでいます。

 一度失ってしまったら、どうしようもないものだって、世の中にはあるんだけどな。

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