Act0

「Film Garden」

 夜だった。

 ただ、遠くの地平線が朱く焼けていた。

 朝焼けなのだろうか、夕焼けなのだろうか。

 それは終わりにも見えたし、始まりにも見えた。

 辺りには、数えきれないほどのフィルムの残骸が散らばっている。

 まるで、黒い草原のようだった。

 それらに光が反射してきらきらと光っている。綺麗だった。

 一体、ここは何処だろう?

 僕はそんなフィルムの残骸の世界の真ん中、ぽつんと置いてある座席に座っていた。

 それは向い合って二つある、まるで汽車の座席のようだった。

 ただ、あるのは座席だけ。

 汽車も客車も何もない。

 向かい合った座席が一組、ぽつんとここにあった。

 そして、目の前の座席には髪の長い女の子が一人、座っていた。

「おはよう」

 女の子は笑顔で、僕に言った。

「おはようございます。あの、ここは何処でしょう? そして、僕は一体誰なんでしょう?」

 随分と間抜けな顔をしていたに違いない。

 そんな阿呆な質問をした僕を見て、女の子は可笑しそうにクスクスと笑い出した。

 でも、しょうがない。

 僕は自分のことを一切覚えていないようだったから。

「そうだなあ……どんな名前が良い?」

 女の子が手にルーズリーフとペンを持って、まるで取材でもするかのように僕を観る。

「えーと……」

 困ってしまった。

 答えを探して辺りを見まわす。

 フィルムの残骸、朝なのか夜なのか分からない曖昧な空……。

 大した成果は得られなかった。

 でも、一つだけ僕の心に湧き上がってくる感情があった。

 おずおずと女の子に言う。

「あの……誰かと繋がれるような、そんな名前が良いです。ここは随分と寂しいですから」

 そんな情けない僕の返事を受けて、女の子は「うーん」と口にペンを押し当てて考え始めた。

 なんだか、アヒルみたいな顔だった。

 赤い跡が残るほどペンを押し当てていても、名前は思い浮かばないようだった。

「……ごめん。先に他のことを決めようか」

「他のこと?」

「うん。他のこと。例えば、何かしたいことはある?」

 そう言われて、もう一度、辺りを見まわす。

 やっぱり、随分と寂しい景色だった。

「そうだなあ。……どこか別の場所へ、行ってみたいです」

「そう。それじゃあ、それを採用しよう」

 楽しそうに女の子は笑うと、さらさらとルーズリーフに何かを書き付けた。

 すると、いつの間にか僕らは汽車に乗っていた。

 座席が僕らごと、あるべき場所にすっぽりと収まっている。

「さて、次は行き先だ。どこへ行きたい?」

「……実は、何も覚えていないんです、僕。だから君の行きたい処へ」

「……やっぱり、それは避けられないか」

 女の子が少しだけ悲しそうに笑う。

 何か失礼な事を言ったのだろうか。

「あの……ごめんなさい」

「いや、君のせいじゃない……私のせいなんだ」

 どうしよう。

 何故だか僕は、女の子に悲しい顔をして欲しくなかった。

 でも、全然言葉が出てこない。

 言うべき言葉を知らない。

「君まで、そんな悲しい顔をしないでよ」

 また、女の子が困ったように笑う。

 そして、その顔のまま、僕に問いかける。

「ねえ……嘘はつき続ければいつか本当になると思う? 過去は一体どこに在ると思う? 自分の主観が、願望が入りまくった過去と物語に、大きな違いはあると思う?」

 何だか、難しい事を言う。

「分からない」

 なので、僕は正直に答えた。

 馬鹿だと思われただろうか。

 でも、しょーがない。

「分からない……か」

 女の子は何だか嬉しそうだった。

「それじゃあ、試してみようか」

 そう言うと、ルーズリーフに一本の線を引いた。

 一本、また一本と線を引いていく。

 どうやら、書いてある文の上に引いているらしかった。

 その度に、僕の身体が薄くなっていく。

 不思議と悲しくはなかった。

 ただ、やっぱり少しだけ気になったので聞いてみる。

「あの……僕はこのまま消えちゃうのですか?」

 女の子は優しい顔で、首を振った。

「消えないよ……。私が覚えているから。でも、このことは忘れちゃうかも、新しく書きなおすから」

「そうですか」

 やっぱり分からない事を言う。

 でも「覚えている」と言われて嬉しくなった。

 覚えていてくれるなら、良いかな。

 次第に薄くなっていく僕の身体。

 気づけば、また座席だけになっていた。

 女の子がぐるりと世界を見渡す。

 寂しい世界を、見渡す。

「旅をすることは、採用しよう。多少は、しょうがないか。うん。しょーがない。確かにここは寂しいや……」

 そう言うと、もう殆ど見えない僕の手を取って、また悲しそうに、でも少しだけ希望のこもった目で、僕を見た。

 その瞳に映る僕を見て、人に『見られている』と感じて、初めて僕は自分が存在していると思えた。

「……私は変われるかな。嘘は本当に、なるのかな。その時の私は、私なのかな」

「分からない」

 また正直に答えた。

「そっかー」と女の子が苦笑する。

 でも、消える前に一つだけ伝えたいことがあった。

 それだけは、何故かしっかりと、言葉になった。

 女の子が最後の線を引く直前。

 僕はその言葉を口にした。

「君が来てくれて良かった。君と話して、やっと僕は僕を知れたのだから」





 淡い光の中で、目を覚ました。

 そこはさっきまで『あいつ』と居た草原だった。

 ただ、もう『あいつ』の姿は無い。

 代わりに隣に別の人の気配を感じた。

「おはよう」

 髪の長い女の子が隣に座って、落ちてくるフィルムの破片達を眺めていた。

「ねえ、本当に綺麗ね。これ」

 そう言って、屈託なく笑う。

 僕は身体を起こすと、その横顔を見つめた。

「君は、酷いやつだ。自分達が何者か、なんて考えなくて良いのに。ただ、この空想の世界を楽しんで旅してくれれば、それで良かったのに」

「『試し』はどうだったの?」

 僕は言葉を遮って言った。

 女の子はまだ空を見上げたまま、ため息をついた。でも、笑顔だった。

「失敗したよ。やっぱり、私は私だった。空想の物語には、いくら頑張っても過去が……私自身が入り込んじゃうみたいだ。そして、それは空想のままだった……それは君が一番よく知ってるでしょ?」

「……うん」

「でもね、悔しい事に、それでもやっぱり君は『あいつ』じゃないし、私は『アカリ』じゃない……。空想の物語は、本当には、ならなかった。でも、私が本当だと思っている過去と同じ場所に在る。そして、胸が焼けつく程、恋焦がれるその場所に、私達は辿り着けない。そこに辿り着けるのは、私達に良く似た、別の誰かだ」

 すっと、女の子の頬に涙が流れた。それでも、まだその顔は笑顔を保っていた。

「君達に嫉妬するよ」

 何だか、ずっと見ているのも気が引けて、僕も同じように空を見上げる。

 ひらひらと、オレンジ色に淡く輝くフィルムが落ちてきていた。

 きっとあの一つ一つに、物語があるのだろう。

 きっと世界中の、ありとあらゆる空想が。過去が。物語が。

 そこに込められた、切なくなるほど愛おしい願いが。

 ただ、ひらひらと、フィルムになって落ちてきていた。

「でも、一つだけ、良かった」

 何時の間にか女の子の顔は笑顔では無くなっていた。

「また『あいつ』に逢えて……良かった……」

 嗚咽混じりの声だった。

 次第にその声は、子供のような泣き声に変わっていった。

 僕はその声を聞きながら、じっと空を見上げる。

 女の子は、やっと泣くことが出来た。

 空想の物語の果てに、やっと声をあげて泣くことが出来た。

「僕らは、子供だから。しょーがない」

 誰に向けるわけでもなく、そう呟いた。




 ひとしきり泣いた後、女の子は立ち上がった。

「もう、行かなきゃ」

 晴れ晴れとした笑顔だった。

「うん。……生きて、『あいつ』と一緒に、たくさん、世界を観て」

「まずは『あいつ』を叩き起こさないと」

「約束したから、大丈夫さ」

「そうだね」

 そして、『あいつ』と同じように僕に手を差し出す。

 その手を握る。

「ねえ、カガミ」

 まるでアカリのように女の子が僕の名を呼んだ。

「私は、これからたくさん、世界を観て……物語を書くよ。でもね、それは私達の物語じゃない。カガミ達の物語だ。私達の観た世界を、記憶をあげるよ。でも、君達は私達じゃない。その世界を観るのは君達だ。同じ世界なんて存在しない。君達が観た世界が、君達の世界だ」

 そこまで言って手を離すと、最後に僕の胸を指さした。

「それを、忘れないで」

 女の子が一歩後ろに下がる。

 そして、空を見上げて。

「君の世界を、空想を、物語を!」

 演技かかった声で、そう叫んだ。

 最後に、もう一度微笑むと、女の子はフィルムのような淡い光の粒子を残して、空の向こうへと、自分の世界へと帰っていった。





 女の子が居なくなった空を見上げる。

 変わらず、フィルムは落ちてきていた。

「……。」

 大きく息を吸い込むと、胸ポケットから一枚のフィルムを取り出した。

 真っ白だったフィルムだ。

 それを、そっと空にかざす。

 そこには、今、僕とアカリが写っていた。

 二人で手を繋いで、笑っている。

 それは、間違いなく、僕らの観た世界で、過去で、物語だった。

 この続きは一体、どうなるのだろう。

「カガミ!」

 後ろのほうから、懐かしい声がする。

 ああ、そうだ。

 とりあえず、それから始めよう。

 僕らの物語の続きを、それから始めよう。

「アカリ!」

 僕は振り返ると、声のした方に駈け出した。

 フィルムがまるで水しぶきのように舞っていた。

 その光の中をアカリが走ってくる。

 僕も、たくさんのフィルムを舞い上げながら、走って行く。

 まるで、空へとフィルムが還っていくようだった。

 傷のついた右手が、アカリにふれる。

 そして、その華奢な身体を抱きしめて。

 そして……。

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The fragment of a film. 水上 遥 @kukuru

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