少女

 僕は森の奥へ奥へと進んで行った。人がほとんど通ることがないからか、両脇に生い茂る草が少しずつ道幅を狭め、道はどんどん細くたよりなくなっていく。木々が天辺てっぺんの方で道の上に覆いかぶさるように重なり、あんなにも明るく輝いて道を照らしていた月は、少しずつその重なる木の葉に遮られていった。そのせいでだんだんと薄暗くなり、足元もおぼつかなくなってくる。

 僕は懐中電灯も何も持っていない。月明かりを頼りに歩いていたから。しかたがないのでスピードを落として、ゆっくりと慎重に進んだ。

 目が少しずつ慣れてくると、なんとなく物の輪郭は見えるようになったきた。

 けれど、何か小動物がいるのか、急にガサゴソと下藪が動く音がしたり、頭上で鳥がバサバサッと羽を震わせる音が聞こえると、不気味で逃げ出したくなってくる。


 怖いわけではないけれど、──いや、やっぱりちょっぴり怖いかも。


 不気味さを我慢して、どきどきしながら一体どれくらい歩いたのか、急にひらけたところに出た。

 空を覆っていた枝々がなくなり、ぽっかりとあいたその空間には月明かりが注がれている。


 蒼い世界。

 そのあまりの美しさに息を呑む。月光が照らす花畑。蒼白く見えるのは月見草? 木々も蒼い影を落としている。まるで絵の中に迷いこんだかのような、静かで、音のない世界。

 

 その美しい景色の真ん中に、一人の女の子が風景に溶け込むように座っている。


 こんなところに女の子? こんな時間に?


 腰の辺りまである長いサラサラの黒髪。真っ白なワンピース。月を見上げる人形のように白い横顔。

 とても神秘的な光景だ。本当に、美術館にある絵画のよう。


 僕の気配を感じたのか、女の子がふとこちらに視線を向けてきた。そして首をちょこっと傾けた。


「お兄ちゃん、誰?」

「僕はゆずる。君はここで何をしてるの? 子どもが一人でいる時間じゃないよ」


 女の子は立ち上がって僕の方にやってきた。思ったよりずいぶん幼い。僕より三つか四つ年下だろう。


「お兄ちゃんだって十分子どもだと思うけど」


 いたずらっぽい笑みを浮かべてこまっしゃくれたことを言う。


「僕はいいんだよ。それより君の名前は?」


 そう訊いた途端に、笑顔は引っこんで、泣きそうな顔になる。


「わからない」

「わからない?」


 自分のことなのに?


「家は?」


 女の子は黙って首を振ると、また空に浮かんだ月を見上げた。ぽろりと涙が頬をつたう。そのまま一言も口をきかない。時だけが流れていく。


 月を見上げて静かに涙を流す姿は、かぐや姫を連想させた。ずいぶん幼いし洋服だけど。


 少女は中々泣き止まない。

 泣きたいのは僕の方だ。早く先へ進みたいのに。


 不意に少女は涙を拭いて、月から僕に視線を移した。


「お願い。私がだれか一緒に探して」


 泣き腫らした赤い眼でじっと見つめられ、溜め息を吐く。


 ふうっ。


 お願いしたいことがあるのは僕の方なのに。


 それでもこんなところに泣いている女の子を一人で放っておけないのも確かなので、僕は頭をカリカリと掻いて提案した。



「えっと……。僕はこれから幽月邸に行くんだけど、君も一緒に来る?」

「幽月邸?」

「知らないかな? この近くだと思うんだけど」

「知らない」

「満月の夜にそこを訪れて主のお眼鏡にかなえば、願いをかなえてもらえるんだよ。君はそこで自分のことを教えてもらえばいいよ」


 女の子の目に光が宿った。ぱあっと明るい顔になり僕に抱きついた。


「弦お兄ちゃん、ありがとう」


 甘い花の香りがふわりと鼻先を掠めた。


「弦お兄ちゃんは何をお願いするの?」 

 

 歩きながら女の子がきいてくる。日本人形のような顔立ち。黙っていれば大人しそうに見えるのに、ずいぶんおしゃべりなようだ。

 別に隠すこともないので答えてやることにした。


「会いたい人がいるんだ」

「会いたい人?」

「うん」

「誰?」

「父さんと母さん」

「どうして会えないの」

「……死んでしまったから」


 言ってしまってから、すぐに後悔した。言葉に出してしまったことで、悲しみがまた胸に押し寄せてくる。

 悲しくて悲しくて涙が出そうになるのを、ぐっと我慢した。


「どうしても伝えたいことがあるんだ」

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