終章


 こんな例え話がある。恋仲の男が女を怒らせた場合、どうなるか? という話だ。

 帝国『シュバルツァーゼール』の女は、自分の怒りがどれだけ正統的なのか論理的に説明する。共和国『ディアマーテ』の女は隣人や周囲と外交を始め、男を孤立させる。そして王国『アークライラ』の女は、まず笑う。だが、目は全く笑っていない。殺気さえ隠し、チャンスを窺うのだ。男に御灸を据えるチャンスを。もっとも怒らせると怖いのは、王国の女だと。逆に帝国の女は怒りを長引かせず、後腐れがないとされる。共和国の女はともかく外交上手で先に男が折れるのが通例となっている。

 そうして、王国では女の気迫にいつだって男が後悔し、二重三重に首を絞められるのだ。

「酒や! 酒が足りへんぞ! どんどん持ってこーい! なはははっはははははははは」

「ちっ。そこまで言うなら手前で持ってこい! つーか、なんで私がこんな仕事を……」

「えー。だって、料理は私が作るって言ったのはレビィちゃんでしょ?」

「ならば、酒も見繕うのが本当の料理人と言うものだろう。まさに、僕達の宴を輝かしいものにする光りそのものだね。ところで、僕はそろそろ林檎酒を飲みたいんだけど」

 ここは、食堂だった。どこの? 学園ではなく、とある家の。そして、白い布が敷かれた汎用卓テーブルには様々な料理が並べられていた。ローストビーフに、政海真底海老ジャンガラ・エビの丸焼き、海老味噌と乳性柔泡液バター・クリームを混ぜた調理汁ソース付き。白身魚の塩窯焼き。グラタン。酒の肴になりそうな料理が盛り沢山だった。そして、食卓を囲むのはアマンダ、レビィ、エミリー、クロムウェル。そして、

「賑やかですわね、カノン」

 極上の女・アディリシアと、

「先生は猛烈に泣きたい気分だな……」

 限界だと項垂れる男・カノンだった。ミーシャが海に身を落として丸々一週間後の聖土曜日、それも夕方。半ば強制的に宴は始まった。生徒が教師の自宅で酒盛りを始めるなど、世間的には一発で打ち首ものだ。ゆえに、彼の顔は酒に溺れたわけでもないのに、少々青褪めている。  

「ってか、なんで俺の家なんだ?」

 すると、当然のように隣に座るアディリシアが酒杯に注がれた赤い葡萄酒を全て飲み干してから、カノンへと言う。その口調は、主人が犬に命令するそれだった。

「此処で見た聞いたことは誰にも言わない。分かりましたね?」

 宴前提の釘刺しに、カノンはがっくりと肩を落とす。賑やかなのは嫌いじゃないが、他の相手が生徒だけなのは駄目だ。酒の席で、こう論理的に不味いからだ。先程から、彼は舐めるように一杯の酒をちびりちびり飲んでいるだけである。すでに顔を真っ赤にしてゲラゲラ笑っているアマンダとは対照的に、辛気臭い飲み方だった。やはり、耐え切れるものではない。さり気なく、席を立つ。怪訝そうに眉を顰めたアディリシアへと小声で一言。

「煙草を吸ってくる。すぐに戻って来るよ」

「……好きなだけ吸いなさいな。まったく」

 嘆息一つを背中に零されて、カノンは廊下へと出た。当然、こんな精神状態で煙草を吸っても美味くはない。二階の寝室で横になって休憩だ。そう決めて階段を上がる。通路を間違えるはずがない。部屋を間違えるはずがない。――それでも彼は寝室の扉を開けた時、一瞬だけ『あ。間違えた』と勘違いした。誰もいないはずの部屋に、その女が立っていたからだ。一度、扉を閉め、大きく深呼吸。そして、再び開けた。やはり、現実だった。

「な、なんで、ここにいるんだよ、姉ちゃん。いや、本当に何してんだよ」

 リザイア。弟の断りなく、弟の寝室に無断侵入する。だが、悪びれる様子など、全くない。堂々と寝具台ベッドに潜り込んでいた。まるで、犬が主の温もりを求めるかのように。

「なーに、弟がちゃんと安眠しているか確認しているのさ。なかなか良い寝床だな。他の女の匂いはしないが、アディリシアと一線は越えていないのか?」

「……学生の間は、そういうことをしないって決めたんだよ。つーか、もう。本当に何でこういうことをするかなー。ほら、さっさと出ろ。こんなとこ、アイツに見られたら俺が殺される」

 無表情ながらも何やら不服そうに眉をハの字にするリザイアをなんとか引き摺り出す。

 リザイアは乱れ髪に軽く手櫛を入れ、カノンを一瞥した。そして、まるで世間話でもするかのような気楽さで語る。

「ヤレイの身は、こちらで預かることにした」

 慈悲ではなかった。だから、カノンは喉奥を詰まらせた。今、都市は復興作業の真っ最中だ。魔物から壊された建物は数知れず、戦った者達の多くが傷を負った。ミーシャ達が襲撃する前の状態に戻るには、最低でも五年はかかるらしい。もっとも重要な点は、裁かれるべき人間はもう、どこにもいないということだ。人々は怒りの矛先を誰にも向けられない。もしも、こんな状況でヤレイが事件に加担していたと知られれば、どんな末路を辿るかは、子供の火遊びよりも明白だろう。そして、リザイアはけっして、優しい女ではない。

「まさか、造るつもりなのか、古い神々との契約者を」

「ふーむ。弟は私が非道な人体実験をするとでも思っているのか? 安心しろ。得よりも損が大きいことになんて、商人は手を出さない。何より、ヤレイの傍にはリトラがいるんだ。手を出してみろ。その瞬間に首が飛ぶだろうさ」

「そうか、リトラが。アディリシアも後悔していたよ、あいつを撃ったことを」

「……本人は、気にしないでと言っていた。つまりは、そういうことなのだ」

 終わった話しだと、リザイアは慰めてくれたのだろうか。カノンは不器用な姉の優しさに淡い微苦笑を浮かべる。

「カノンよ。今、こちらで世界救済連合について調べている。そちらも、早急にことを進めろ。ミーシャが言っていただろう。これから、大きな戦が始まると。帝国側の動きが怪しい。共和国も信用出来たものではない。我々も力を備えなければいけない」

 問題は山積みだ。カノン達は、ミーシャに手を貸しただろう組織の名前〝だけ〟しか知らない。もしも、古い神々の力が〝当然〟になれば、待っているのは神代の戦争だ。どれだけの被害が出るかなど、想像もしたくない。早急な解決が求められるのだ。そして、敵が正体不明の組織なら、いつか必ず政治的な障害にぶつかる。その時、何が必要だろう?

 彼が何か言うよりも先に応えたのは、薔薇を飾った宝剣のように凛々しくも美しい少女だった。

「何も、問題ありません。私達なら、簡単に解決してみせましょう。パトリシー・メイスンの歌にもこんな一節があります。『手前は難しく考えすぎなんよ。こんな物、縄を剣で切るのと、何もかわんねーだろうか』ってね。戦って、勝つ。ただ、それだけの話ですわ」

 アディリシアが腰に手を当てて胸を張り、自信たっぷりに語る。その姿は、己が勝利を疑わない女神のよう。だが、表情は反転し、リザイアを鋭く睨みつける。

「私の男の寝室で一体、何をしているんですか、御義姉様。お客様なら、ちゃんと正面の玄関からお入りください。それと、フランカとアネラスが到着しました。対応をお願いします」

「え? お、おい、アディリシア。アネラスはともかく、フランカ先生を呼ぶって、おい」

「御安心を。本人にはすでに言質を貰っています。男女の〝あれこれ〟がない限り、今日のことは黙認すると。アネラスも、特製の果実酒を持って来てくれました」

 するとリザイアが『アネラスの酒か。うむ』と、そそくさ部屋を出てしまう。これで、二人きりだ。カノンも出て行こうとすると、その背中をアディリシアに睨みつけられる。

「少し、私と、御話し、しましょうか」

 言葉一つ一つを切った強い言葉に、カノンは黙って頷く。アディリシアは当然のように彼の寝具台ベッドを椅子代わりにした。

「なんだか、とんでもない事態に巻き込まれましたわね。まったく、運命とはいつも過激ですわ。ならばこそ、乗り越え甲斐があるというものですが」

「……俺は正直、もっと平和な人生を歩みたいんだけどな。ったく、命がいくつあっても、足りそうにない。今回は本当に疲れた。そして、何も得られなかった」

 後頭部をガリガリと掻いてカノンは嘆息する。一つ得たものがあるとすれば、彼が作った銃の性能を世間に知らしめることが出来た点か。まさか、リザイアはそれを狙っていたのではないか? ミーシャに、小国の真実を伝えるのを最後まで渋っていたのは、それが狙いだったのか。世界は剣一本で都合良く解決しない。多くの障害を抱えて、そのまま進まなければいけない。もどかしくて、武器しか造れない自分が情けなくて。

「アディリシア。俺は、ちゃんと戦えるかな」

「あら、何を今更。貴方は私が選んだ男です。当然でしょう?」

「……前から聞きたかったんだけどな。どうして、俺なんだ? 他に良い男なんて、沢山いるだろう?」

 カノンはアディリシアの隣に座る。少女は、薄い蒼に染まる瞳で真っ直ぐに彼を見る。

「そんなの、当然でしょう」

 そして、嗜虐的な笑みを浮かべて言ったのだ。


「貴方程に、屈服させがいがある男はいない。それだけです」


 手放しで喜べない。カノンは微苦笑を浮かべるしかなかった。アディリシアはおもむろに立ち上がり、廊下へと続く扉に手をかける。

「さあ、戻りましょう。葡萄酒が良く冷えています。当然、麦酒も」

 カノンは頬を右手の人差し指で掻きつつ、立ち上がる。彼女の背中を追うように、歩を進める。いつか、全てが『ああ、こんなこともあったな』と笑える日が訪れるのだろうか。

 これから、沢山、怒り、悲しみ、笑い、嘆くだろう。それでもきっと、彼女が居れば、何も恐れることはないのだ。  

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ベルヘルム~魔銃学園の銃士達~ 砂夜 @asutota-sigure

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