第四章  ⅩⅢ


頭を垂れるように身を低くしたリトラは『追葬の刃・レブナハート』を鞘に収めた。ヤレイがぞっと顔を蒼白に変える。姉が本気を出す構えを彼は知っているからだ。だからこそ、これから何が起こるのか、ありありと理解出来てしまうのだろう。一秒か、十秒か、一分か。薄暗い世界で、時間の概念は摩耗する。極限の集中力を前に、五感は切り替えられる。すなわち、一つの機械として。女の目蓋は閉じられていた。次の瞬間にも爆発してしまうかもしれない。極限に安定した不安定と言えば、変に聞こえるだろうか。しかし、それで正解なのだ。どんな瞬間でも全力で剣を放つ。それでこそ、聖導騎士なのだから。

ヤレイは言葉で姉を説得しようとしない。もはや、全てが手遅れだからだ。

 そう、説得の言葉はない。きっと、今、口から洩れたのは、心残りだった。

「なあ、姉ちゃん」

 リトラが細く、長く、息を吸う。そして、弛緩していた身体に電流が駆け廻る。

 それは、筋肉の瞬間的な爆発だった。だが、ヤレイの言葉も全くの同時だった。

「俺は、何になれば正解だったのかな?」

 かっと目を見開いたリトラが地面を蹴った。音さえ殺してヤレイへと肉薄する。騎士の頭が霞みの世界へと突っ込む。硬い石と石がぶつかり合うような音。剣撃の音ではなかった。それは、女が少年へと極限の頭突きを打ち込んだ音だった。弟の身体が強制的に地面へと叩きつけられる。そして、姉はやっと柄を握る右手に力を込めたのだ。

 奇妙なほどに、不気味なほどに、異常なほどに静寂だった。右足を軸に、その場で円を描くかのようにリトラの身体が独楽となって回る。引き抜かれた剣『追葬の刃・レブナハート』の刃を構成する『白光八界輝石フロア・ブロアーナ』が数段上の光りを手にした。そして、魔術は紡がれる。臨界速度突破。魔石の融解、再構築。聖なる騎士は今、真っ向から神へ喧嘩を売る。

 ――世界が白に染まる、埋め尽くされる。まるで、陽光の輪舞。周囲に群がっていた魔物全てが純白の波に囚われて無へと帰した。それはもはや、剣撃の枠を越えていた。ある意味で当然だろう。『再来を謳う十三柱の魔女グランド・ウィッチーズ』が七席、刃鉄と希望の導き手『灰塵の行路・バンジール』は剣士であり、魔女なのだから。奇跡の一つや二つ、起こしてみせよう。

「……ったく、この大馬鹿野郎が。何になれば良かっただ? はん。手前は手前になるしかないだろうさ。私はね、ヤレイ。あんたがどれだけ馬鹿で阿呆でどうしようもないぐらいにどうしようもない奴だとしても、それでいいんだよ。だから、無理だけはするな。あんたに世界は変えられない。私程度を倒せないようじゃ、ねえ」

 最後の剣は砕け、それでもリトラは真っ向からヤレイを見下ろす。少年は頭を押さえ、よろよろと立ち上がり、そして笑ったのだ。弱々しく、辛そうに、悲しそうに、だが吹っ切れたように苦く、笑う。

「ああ、くそ。やっぱり、姉ちゃんには敵わねえな」

「あっはっはっは。そうだろうそうだろう。弟が姉ちゃんに敵うわけないのさ」

 そうして、武器を失ったリトラがヤレイの手を掴み、弟を起こそうとして――――神々から見捨てられた世界で、人は何度でも試される。


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