第四章  ⅩⅠ


リザイア・K・D・エルアーデが次にどの酒を飲もうか迷っていた時だ。ミーシャが唐突に席を立ち、扉へと足を進める。その横顔には、水飴と濃度が濃い酒を等分に混ぜて煮詰めたような表情が浮かんでいた。つまりは、狂気と恍惚が。商人兼軍人の女は、もしかすると友達になっていたかもしれない彼女へと、声をかけた。そろそろ終わりだった。

「この世界に神を降ろし、その果てに汝は何を見る? いや、何を得ると言うのだ?」

「決まってるさ。……私様は、魔術を憎む。この世界は、もう一度、審判の元に裁かれる」

 ミーシャが扉を開ける。そして、リザイアも後ろから着いて行く。黒髪の女が、露骨に嫌そうな顔をした。それでも、軍人は退かない。商人として、損得の話も残っている。

「邪魔はしないさ。安心しろ。どっちが死んでも負けても、私は欠伸を噛み殺すだけだ」

「……君も、面倒な人だねー。まあ、私様としてはありがたい限りだけどさ」

 そうして、二人で外へ出る。――ミーシャの頭部が腐った西瓜に爆薬を詰め込んだかのように吹っ飛んだ。リザイアは扉の影に身を顰めて血肉と脳漿の飛沫から身を守る。石畳みの地面を砕いたのは、弾丸の軌跡。遅れた銃声と飛翔音。少なく見積もっても、五百メルターは離れた位置からの長距離射撃。これだけの腕を持ち、かつこの都市に居るだろう人間を、彼女は四人ばかり知っている。きっと、その中で唯一の雄が撃ったのだ。

「強いぞ、私の弟は。何せ『クリザリア防衛戦』に参加した。『極点を穿った九人』の一人だ」

 地面に零れ落ちたミーシャの右眼球に、畏怖の光が灯る。傭兵に偽装した帝国の兵団一万五千騎との百日間にも渡る攻防が続いた『クリザリア防衛戦』。敵が拠点とした旧バルヘルム要塞に爆薬を仕掛けるために選ばれた、王国軍の先鋭九名。まさか、あの男が、その一角だというのか。

「あれはな、武器を考えるのと同じぐらいに、戦うのが〝得意〟だ」

 リザイアが目を細めて語る。彼女は、弟がどういう人間なのか、アディリシアよりも理解している。だからこそ、此処に来たのだから。カノン・レミントンは臆病で、情けなくて、美人に弱くて、なんていうか本当に『もうちょっとちゃんとしてくれ』と言いたくなるようだ男だ。それでも、戦うと決めれば平気で悪鬼になるのが彼なのだ。容赦しない。慈悲などかけない。殺すと決めたら殺す。まるで、線路が定めた道筋しか選ばない蒸気機関車のように。――世界救済連合の動きは、王国側に見えている。あくまで一部分。きっと、あちら側の思惑だった。問うているのだ。『俺達はこんなことをするけど、そっちはどうだ?』と。彼女が此処に来たのは、見極めるためだ。ミーシャが、やはり倒れずに首を軽く振る。まるで、時計の針が逆走したかのように、細胞が分裂を始め、頭部が再生する。『破滅を選ぶ偽神アルバルト・セーバー』と化した彼女は一体、何を得て、何を失ったのだろうか。

 そして、カノンはどうして、追撃の弾を撃たなかったの? それはきっと、

「……見ろ、ミーシャ。この私が世界で唯一恐れた女の〝娘〟が登場したぞ」

 彼女は、堂々と真正面から歩を進め、こちらに向かってくる。まるで、此処が、筋書きが定められた舞台の上であるかのように、彼女の登場は〝しっくり〟くる。

 鮮烈なまでに至極で、無駄に極上で、当然に上等な美しい少女だった。歳は確か、今年で十六の三年生だっただろうか。身長は目測ぴったりの百七十二センテ・メルター。白百合のようにきめ細かな肌には瑞々しい張りがあり、健康的な赤みが差している。腰の半ばまで届く艶やかな髪は、月明りを煮詰めて細く梳いた金色の輝きを秘めている。頭の左右で三つずつに別れた縦螺環ロール。本人から手紙越しに語られた呼び名『ベルヘルムの攻城砲リボドゥカン』。多銃身の斉射銃砲と同じ名前だった。本人は、そこそこ気に入っているらしい。

 双眸は王族にだけ許された王国産の最高級宝石・秘想金碧石トゥルー・アレキサンドライトの切れ長。太陽光、魔術の光、蝋燭の光。様々な光の種類と加減で色を変える性質を持つ。世界が薄布に包まれたかのように暗くなる時間帯。その瞳は蒼を強める。冷酷な色を露わに、剥き出しに、顕現させる。

 すらりと伸びた肢体は細く、しなやか。だが、華奢な印象イメージはない。それは、無駄なく鍛え上げられた証しだった。リザイアには劣るものの、胸元は豊かな膨らみを誇り、太股と尻の肉付きも見事の一言に尽きる。まさに劣情の具現か。夢魔が地上に降りたがごとし。数多の華美な宝石と精緻な金銀で装飾された小銃のように欲望丸出しで苛烈な女だった。

 艶やかな空気を纏いながらも、けっして下品ではない。豊潤で濃厚な色気と共に、年相応の可憐さも合わさった彼女は、美しくも凛々しいのだ。それは、荒れ地に深紅の花弁を咲き誇らせる一輪の薔薇であり、研鑽が重ねられた宝玉の冴えだった。美麗であり淫靡。極限の黄金比によって紡がれる人間としての極致。神に愛された容姿の持ち主なのだ。

纏うのは卒業生として懐かしさを覚える白い中衣服シャツに、濃い緑色の上衣服ジャケッドと同じく濃い緑の下衣服ズボン。太股と尻の輪郭がはっきり見える窮屈そうな意匠デザインは、一年生の時は恥ずかしかったものだ。腰を締める腰巻ベルトには、いくつかの小物入れ《ポーチ》が付いている。銃用革鞘ホルスターは右脚の太股に堂々と巻かれていた。どこに保管しているのか思い出せない、外套コートは磨くのを忘れた銀のような灰色だった。腰から下が、女用下衣スカートのように広がっている。革の長丈靴ブーツは長い遠征でも壊れないように耐久性に特化している。由緒正しき学園の〝野戦用装備〟であった。リザイアが『長丈靴ブーツの意匠が少し変わったな』と誰に言うでもなく呟いた。

 少女は負い革で二丁の小銃を背負っていた。腰巻ベルトには『レイン』とは別に三丁の拳銃を吊っている。リザイアは頬の端を糸で吊るような笑みを浮かべた。

「見ろ、ミーシャ。あれが、これから〝お前達〟が相手する銃士だ。二世代目の魔術は魔石と魔銃があれば成立する。ゆえに、魔導具を量産すれば、それだけ強者が生まれる。私の弟をなめない方が良い。あいつは、王国の歴史を変える」

 弟の自慢に不満たらたらな文句を愚痴ったのは、他ならぬアディリシア・W・D・レミントンだった。

「あら、いくら高性能な武器を作っても、それを扱う銃士が一流でなければ話になりませんわ。パトリシー・メイスンの歌にもこんな一節があります。『御屋敷の一等御高い花瓶様に雑草を入れてみな。誰も本当の価値に気付かなくなるさ』ってね。……それにしても、リザイア〝御義姉様〟。このようなお戯れは止めてくださいと何度言えば理解してくれるのですか? エルアーデ家とレミントン家が懇意にしているのは何も、お互いの尻ぬぐいをさせるわけではないのですよ? まったく、これだから自分勝手な女は困ります」

 リザイアは、同族嫌悪という言葉を脳裏に浮かべたが、一々指摘するのは面倒なので、神妙な顔つきで頷いた。そして、すっかり頭部を再生させたミーシャの肩を軽く叩く。

「ほれ、最後の戦いだ。存分に命を奪い合え」

 軽い調子で生死を語るリザイアは店の壁に背中を預けた。両腕を胸の前で組み、じっと二人を見詰める。


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