第四章  Ⅹ


 何度、敵を切り裂いただろうか。魔物か、人か。聖導騎士・リトラは肩を上下させながら呼吸をやっと維持していた。いつもの彼女なら、たとえ三倍の数と質の敵を相手にしても涼しい顔だっただろう。今は、違う。目の前に弟がいるという事実が、精神を摩耗させるのだ。たった十メルターの距離がなんと遠いことか。地面には足の踏み場も占領する程の死体が転がっていた。半蜥蜴半人リザーディマン程度なら、たとえ百体束になっても彼女なら倒せる。

 そう、倒せてしまうのだ。白銀眩しい刃が真横一文字に蜥蜴の醜い頭部を断った。ごとりと地面に首が転がる。その双眸からは透明な涙が。誰も彼もが、リトラに懇願する。

「タスケテ」「タスケテ」「タスケテ」「タスケテ」「タスケテ」「タスケテ」「タスケテ」「タスケテ」「タスケテ」「タスケテ」「タスケテ」「タスケテ」「タスケテ」「タスケテ」「タスケテ」「タスケテ」「タスケテ」「タスケテ」「タスケテ」「タスケテ」「タスケテ」「タスケテ」「タスケテ」「タスケテ」「タスケテ」

「黙れぇええええええええええええええええええええええ!!」

 気合を刃に乗せる。そうしなければ、心が折れてしまうから。ヤレイは隠れているままだ。それが、気に入らない。たまらなく気に入らない。あの日、少年は姉のために命をかけた。幼くも愚かなほど勇敢な心を持っていた弟が今、魔物の後ろに隠れている。

「いい加減にしな、ヤレイ! こんなことして、ただで済むと思ってんのかい? マンデールは帝国との国境に近い場所だ。この事件が表沙汰になってみろ。最悪、戦争が始まるんだよ。多くの人が死ぬ。何が目的だ? 何があんたをそうさせた?」

「……俺は、世界を変えるんだ! この力があれば、王様だって、俺の言うことを聞く。あの人は言ってくれた。これが、始まりになるって。神様がもう一度降りれば、平等に裁判が下される。悪人は全員、天罰が下って、そして――」

「その〝悪人〟に、自分が含まれていないって、どうやって証明出来るって言うんだい?」

 歪んだ熱に溺れていたヤレイの双眸に、乾いた理性が戻った。すぐに、表情は凍える。まるで、猛毒を孕んだ花が芽吹くように、ゆっくりと、その顔は淀む。闇に染まる。愚かな少年は、全てを否定するように、首を横に振った。

「ち、違う。俺は、そんな、違う、違う!」

 呆気ないと、誰が笑えるだろうか。貧困窟である地下街で生きる住民は、等しく知性が下がる。一つのパンを盗むために、野犬と争うような連中だ。ちょっとだけ語ればいい。酒でも奢って、夢を魅させる。銀貨一枚で浮浪児は人を短剣で刺す。

「嫌だねえ、貧乏暮らしっていうのは。美味い酒とちょっとばかしの金、そして力を貰えれば、簡単に騙される。私はね、自分が獣になるのが嫌で、剣を握ったんだ。……けどね、ヤレイ。私は、あんたと生きた数年間まで、否定しない。あの時は、お前さえ居てくれれば、それで良かったんだ。……ごめんよ、ヤレイ。今の私は聖導騎士だ。だから」

 一拍。リトラは『追葬の刃・レブナハート』を鞘に収めた。真価の剣撃は鞘を線路とした加速が必須。それはつまり、これから彼女は〝本気〟を出して戦うということだ。

「私は、此処で、あんたを斬る」


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