第四章  Ⅳ


 別の場所でも、長く険しい道を走っている者達がいた。カノン・レミントンは人生で最大の〝速度〟を身体全てで感じる。蒸気二輪車スチーム・バイク操縦棍ハンドルを回し加速輪アクセルを限界まで回す。速度計の針は百二十メルターを突破していた。まるで、粘度が増した大気の壁を突き進むかのような圧力を覚える。息が苦しい。夏場だというのに、身体がどんどん冷えていく。

 操縦棍ハンドルへと額を擦りつけるかのように首を前に傾ける姿は、まるで蒸気二輪車スチーム・バイクと一体化しようとしているかのよう。いや、本当にそうなのだ。今の彼は一匹の獣だった。一番街から五番街へと僅かな休憩も入れずに走る、走る、走る。目的地は己の家だ。大量の武器が眠っている。今、必要なのは火力なのだ。カノンは太股を絞めてしっかりと身体を固定し直す。ただ、その時だ。背中に柔らかく温かい感触が押し当て〝直される〟。

「いやー、速いねこれは。このまま遠くに行きたい気分だねー」

 カノンの腰に両腕を回して後ろに座っているのはリトラだった。あの酒場から、二人は大急ぎで移動する必要があった。この方法しかなかったのだ。それでも、一人の男として色々と不味い状況に、心臓がバックバックンと不整脈を続けている。今の光景がアディリシアに見付かれば、呼吸を断絶する自信があった。

「ところでカノン。リザイアをミーシャと一緒に置いて来てよかったのかい?」

「いいんだよ。姉ちゃんには姉ちゃんの理由があるのさ。……大丈夫だよ」

 そうでなければ、部下も連れずに一人で酒場に来るものか。リザイアは特級の武人でもある。いくら相手が強敵だろうと、簡単に遅れはとらない。そして、ミーシャもまた脳なしではない。相手は『ランドブルズの聖槍同盟』でも三指に入る重要人物だ。かの同盟を敵に回すのは、王国を敵に回すのと等しい。ならば、もっと別の方法がすでにあるのだ。

「随分とお姉さんを信頼しているんだね。安心したよ。仲が良くて羨ましいことだね~」

「なーに。お前ん所と比べれば小さいモンさ。ほら、ヤレイだっけ? アイツ、ちゃんと逃げてんだろうな。この分だと、地下街も無事なんて言えないぜ」

 屋根なんて高尚なものがない高速移動中。自然と声は叫びに近い物となっていた。カノンの大声に、リトラは首を伸ばして耳元で囁くように言う。何故か、いつも以上にはっきりと聞こえた。

「安心しな。アイツなら、大丈夫だよ」

 リトラが微笑んだ時だ。カノンは慌てて減速輪ブレーキを回す。グンッ! と世界が反転。車体を道路と並行から直角へと軌道変換。凄まじい慣性が二人を襲う。合成樹脂製の車輪が悲鳴を上げ、ガリガリと黒い線となって地面に削られる。悲鳴さえ許されない。死に物狂いで歯を食い縛って、辛くも耐えた。蒸気二輪車スチーム・バイク衝撃吸収装置サスペンションが役目を終えたと軋みながら歪な鳴き声を発する。生きていることがイマイチ信じられず、男はすっかり荒くなった呼吸を何度も繰り返したのだった。三十メルター先から道路が消失していた。完全に、陥没していたのだ。まるで、巨人の農夫が鍬を振り下ろしたかのように。

 亀裂から顔を覗かせたのは、脈動する赤黒い魔物だった。生皮を剥いだ人間の死体を一度、手・足・頭・胴体、部分ごとに分割。それらの各部位を三倍の大きさ、厚さにするために、豚や牛の内臓や血肉を盛りつけ、再縫合したような大型の魔物、腐血乱肉巨人フレッシュ・ゴーレム

 全長十メルターを越える剥き出し巨人、その数、全部で五体。岩石をテキトーに砕いたかのような形が不揃いな歯を並べる大口からは、粘っこい唾液が大量に溢れている。完全に行く手を阻んでいた。カノンは舌打ちし、保護眼鏡ゴーグルを外した。そして、拳銃を引き抜く。リトラも応戦しようとするも、彼は目線だけで制してしまった。

「俺が纏めて撃つ。リトラは離れてろ。お前の剣は、勿体ないぐらいに脆過ぎる」

 リトラが使う剣『追葬の刃・レブナハート』には弱点がある。強力無比な魔術は一度使用すれば、たちまち刃は形を失う。一振り一度の使い切りなのだ。こんなところで消費するには、あまりにも惜しい。それを十重に理解しているのだろう。女が忌ま忌ましそうに頷き、柄から手を離す。

「負けるんじゃないよ」

「なーに、安心しろ。俺だって、やる時にはやるさ」

 軽口を叩きつつ、カノンは拳銃の撃鉄を起こした。数だけなら、それほど難しくない敵である。腐血乱肉巨人フレッシュ・ゴーレムは巨大な分、動きが鈍重なのだ。六発入りの弾倉に装填された術式は氷製魔鷹『招来式・白羽曲ザイン・セルメダロ』。鋼の硬度を上回る氷の刃なら、巨人の首を断てる。

 巨人だけなら、問題なかった。そう、敵が巨人だけなら。引き金を絞りかけたカノンは目を疑った。彼から見て、一番右端に立っていた腐血乱肉巨人フレッシュ・ゴーレムが脳天から粉砕されたのだ。まるで、肉屋が挽肉でも作るかのように。あるいは、腐った卵を踏み潰すかのように。

 地震のように足元が揺れる。とてもではないが立っていられず、片膝を突いてしまう。地響きは都市の悲鳴だった。遅れて、カノンは理解した。巨大な魔物を一撃で絶命させた物の正体を。それは、さらに大きな魔物だった。途方もない質量が空から降って来たのだ。

 その身を鉄槌とした魔物の姿に、カノンは息を飲んだ。呼吸さえ、途絶した。溶岩が冷えることなく硬質化した鱗は紅蓮の輝きを秘めている。四肢が纏う筋肉は悠久の時を刻んだ大樹のよう。大きく広げた翼は端と端で四十メルターを軽く超える。長く伸びた首の終わりは捩じれた外皮が角と化した王座の主。紅蓮の双眸は炎を流し入れた灼熱。

 爪も牙も、勇壮無双の極み。背中には凶悪な棘が無数に生えている。その尻尾が一振りされるだけで、巻き込まれた二十人の民が死ぬ。動くだけでも災厄の一つ。それは世界でも例が少ない〝竜種〟の顕現。かの物の前では黒鋼纏小竜リザーター・クロムでさえ、餌でしかない。指定駆逐種――烈赫棘望帝火竜ボルケエウス・ドラゴン

「……リトラ、助けてくれ」

「……ああ、うん。無理だ」

 大人二人は『ああ、ここで死ぬのか』と納得した。堅牢な鱗を纏う烈赫棘望帝火竜ボルケエウス・ドラゴンは動く要塞の異名を持つ。『招来式・白羽曲ザイン・セルメダロ』では火力不足だった。凶悪な竜は自分の傍に他の生命は要らないとばかりに残った腐血乱肉巨人フレッシュ・ゴーレムへと襲い掛かる。爪が首を跳ね、牙が上半身を噛み砕き、尻尾の一振りで両断する。あまりにも一方的な展開だった。周囲に血肉が雨となって降り注ぐ。そして、かの竜が矮小な人間ではなく、先に腐血乱肉巨人フレッシュ・ゴーレムを襲った時間こそ、カノン達に齎された最大の幸運だった。

 カノンの前方、竜の背中を狙って光の刃が飛来する。太陽の欠片を鍛え上げたような半円の剛刃が堅牢な鱗に突き刺さった。完全に両断するとはいかないにしろ、血飛沫に竜の絶し難い咆哮が重なる。リトラが一気に駆けた。その身は砲弾と化し、跳躍。聖導騎士は目線を竜と合わせた。右手が霞み、閃光が真横一文字に走る。

「かっあああああああああああああああああああああああああ!!」

 鬼神の咆哮。砕けた『白光八界輝石フロア・ブロアーナ』が飛沫となって散った。カノンは左手で腰から新しい銃を引き抜く。それは、一見すれば胡椒入れ筒ペッパー・ボックスの拳銃だった。撃鉄を起こし、発砲。

 轟音が大気を叩く。六本束ねられた銃身、その銃口が纏めて火を噴いた。故障ではない。胡椒でもない。それは、一度に六発全てを発砲するように改造された拳銃だった。そして、その全てが臨界速度を超え、魔力の塊である魔石が分解、再構築される。さらに、融合。

 多連式結合魔術。疑似的な質量を展開。飛翔半ば、小粒な六発の弾丸は巨大な一個の槌と化す。古い時代、城の壁を破壊した戦争道具〝破城槌〟が君臨する。彼が使う魔導具の中ではもっとも〝遅い〟攻撃だ。質量を空中に生み出す分だけ、発砲から着弾までの時間が彼我の距離五十メルター内で半秒もある。ゆえに、今が最高の瞬間だったベスト・タイミング

「『甲破掃界式・真槌ザインベル・アルダリオ』だ。大人しく食らっとけ!!」

 両眼を断たれた竜は動きを鈍らせる。リトラが額を蹴って後方に宙返りしながら着地。

 魔神の鉄槌が真正面から烈赫棘望帝火竜ボルケエウス・ドラゴンを打つ。絶大な質量が大きくぐらついた。蒸気機関車同士の激突を見ているかのようだった。腹を打たれては苦悶するしかない。

 竜の腹部が大きく膨らんだのは、絶望への扉が開きかけた合図だった。

「竜の吐息ドラゴン・ブレスだ。リトラ、こっちに来い! 防御魔術を張る!」

 カノンは空になった六発銃を地面に捨て、新しく拳銃を引き抜いた。単発式拳銃には防御魔術『光甲装陣アルミダー・レイズ』が封印されている。だが、一発だけで竜の猛火を防げるか? 彼が撃鉄を起こし、引き金を絞った時、リトラとは違う別の影が地面を滑るように現れる。

 竜の吐息ドラゴン・ブレスは広範囲を紅蓮の猛火で薙ぎ払う。それは、灼熱の濁流。逃げ場などない。だから、近付く人間がいるとすれば、余程の阿呆か大馬鹿だった。とうとう、竜の口腔から火の粉が漏れ出した時、短く切り揃えた硬い質感の金髪を玉のような汗で濡らした女傑が、鼻で笑った。

「ふん。なにが竜だ。王国の軍人を舐めるな、この蜥蜴風情が!」

見知った横顔にカノンが『あっ!』と叫ぶ。彼女は、フランカ・D・レイジング。同僚だった。彼女は右手に握っていた短い投擲用の槍に限りなく近い、だが、けっして違う禍々しさを秘めた〝それ〟を遠慮なく烈赫棘望帝火竜ボルケエウス・ドラゴンへと投げつける。どれだけの膂力か。弓矢による射とまるで遜色ない速度で槍が虚空を駆ける。槍は竜の下顎に激突し、閃光。

 解放されたのは、暴風。それも、砂が混ざった質量ある暴力。魔術を以って、砂漠の国に吹き荒れる嵐が顕現したのだ。高速移動する粒子の群れは、あらゆる物を金鑢のように削り取る。それはカノンが使った多連式結合魔術と同じ原理だった。思い出す。あれは、武器商会『ランドブルズの聖槍同盟』が先月に発表したばかりの最新兵器だ。槍の柄に火薬と雷管、そして魔石を埋め込み、一度に十から二十の発砲を、鳳仙花の種のように重ねて魔術を発動させる、戦争用の魔導具だ。金剛石を研磨するのは金剛石。粒子だろうが竜の鱗に勝る硬度を誇る極小の死神が縦横無尽に暴れ回る。

 嵐が終わった時、摩り下ろされた山人参のように首から上を失くした竜が力尽きたように、どうと倒れた。その揺れに、フランカは二本足で立ったまま応える。勇猛な美姫の登場に、カノンは声を詰まらせた。すると、先にあちらが微苦笑を湛えたのだった。ふと、彼は数日前を思い出す。ああ、うん。彼女は綺麗だなーと思った。

「こんなところで、なにをしているんだ、カノン・レミントン教師よ。とてもではないが、か弱い一般市民には見えないな。……自作の魔導具を持って、戦場で遊んでいる最中か?」

「誰がこんな場所で遊ぶかよ! いや、遊んでないっす。え、ってか、今、なんて」

 今、フランカは聞き捨てならないことを言った。同僚の女は、さらりと秘密を明かす。

「君が学園に来た本当の目的を私は知っている。アディリシアの母上から聞かされたのさ」

 ――確かに今、心臓が停止した。カノンは腰から下を失ったと勘違いした。それほどの衝撃だった。彼はアディリシアの母から直々に聞かされた。『手前が手前だけの兵隊創るのはいいけど、他の教師や関係者にバレたら金玉抉るから』と。なのに、何故、フランカはアディリシアの母から聞かされたというのか。それはつまり、そういうことなのか?

「彼女曰く『あの駄犬だけだと不安だから、貴女も生徒選びを手伝って欲しいの』らしい」

 つまり、最初から信用されていなかったのだ。カノンは目の前が真っ暗になった。そんな彼を見て、リトラがやれやれとばかりに肩を竦める。

「まあまあ。そんなに落ち込むなよ。……それよりもフランカ。ちょいっと頼みがある。カノンと一緒に、コイツの家まで向かってくれ。そこに、武器があるらしい。生憎と私は野暮用を思い出してしまってね、ここからは別行動だ。そういうわけなんだよ」

「え? おい、待てよ。教会に戻るんじゃなかったのか? 蒸気二輪車スチーム・バイクナシだと、遅いぜ」

 ひき止めようとするカノンの肩をフランカが掴んだ。金髪教師は小さく、首を横に振る。

「行かせてやれ。だがな、リトラ。……無様な真似は許さないからな」

「はん。誰に言ってんだい? アンタこそ、ソイツと上手く踊りなよ」

 少しだけ、フランカの頬が朱に染まったことに、カノンは気が付けなかった。

 カノンは少しだけ迷うも、その左手に持っている拳銃をリトラに渡す。唖然とする女へ、男は言ってやる。

「ちゃんと返せよ」

 リトラは、一瞬だけ、今にも泣き出しそうなほど、顔を歪め、吹っ切れたように微笑む。

「あいよ。次に会う時は、酒場だね」  

 どこか調子の外れた言葉を残して、リトラは去る。その背中が完全に見えなくなると、入れ違いになるように数名の学園生徒が集まって来た。その中の一人に見覚えがある。先に、向こうから話しかけてくれた。

「カノン先生、大丈夫でしたか? まったく、まーた戦場に出て。危ないんだから、もう」

アリス・R・T・ユーリィー率いる五年四組一個分隊、計十二名。等しく苦笑する。

 先程、竜の背中を撃ったのはアリスだったのだろう。彼女の両手は羽風掴星銀ウィンゼルシルバリスが美しく輝く胡椒入れペッパー・ボックス式の小銃を構えている。カノンは無性に煙草が吸いたい気分だった。自分が作った魔導具に命を助けられるなど、とても絶妙な気分になる。素直に誇ればいいのに、背中にむず痒さがウズウズと浮かんでしまうのだ。

 フランカが生徒一同を一瞥し、続けて、カノンへと容赦のない視線を移す。

「今、学園が保有する魔導具を総動員し、三学年以上は街や学園で魔物の討伐を。一、二年生は住民の避難を補助するように命令している。……不思議なことに、魔物は武器を持たぬ住民は襲わない。まるで、そう調教されたかのように。その分、建造物や武器を持つ自警団、傭兵、我々銃士側は存分に壊そうとするがな。まあ、今の時点で魔物の嗜好など、どうでもいい。現在、最も重要なのは武器が――火力が全く足りていないということだ。さっき倒した烈赫棘望帝火竜ボルケエウス・ドラゴンと同格の魔物が未だに残っている。さあ、どうすればいい? 王国からの軍隊を待つ時間などないぞ。何か、方法はあるかな、カノン教師よ」

「……その答えを、俺は一つしか知らないな。ああくそ、なんつーか、イライラする。だが、吹っ切れた。悩んでいたんだよ。俺が持っている魔導具を誰に使わせるべきだろうってな。あの、レイジングさん――」

「――フランカだ」

 カノンが目を点にする。フランカ・D・レイジングは生徒が見ている前でも、実に堂々としていた。

「私のことは名前で呼べ。いいな? あと、敬語もいらん。媚びる男など軟弱の極みだ」

「い、いや、別に媚びているわけじゃないんですけど」

「敬語使うな! それともあれか? 貴様は私を年上扱いするのか? そうなのか?」

 そんなことを言われても本当に年上なのだから困る。カノンは不満を覚えるも、今は一刻の猶予もない。覚悟を決め、目の前の我儘な女傑で言う。生徒達からの『あんたら、こんなところで何やってんすか』という視線を全身に感じつつ、知らないフリをしながら。

「フランカ。君に頼みがある」

 満足そうに、女は微笑んだ。

「ああ、なんでも言ってみろ」

 


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