第四章  Ⅲ


               ○


「戦争の歴史は戦闘糧食の歴史でもある。今でこそ高い栄養素と手軽さから焼き菓子のように小麦粉に混ぜて作った速効栄養補給食ショートブレッドに含まれる落花生は元々、家畜や奴隷用の餌だった。当時の軍内では食料不足を改善する為とはいえ、豚の餌を食べることに強い反発が生まれ、下級士官の間では勝手に『これは家畜のように国に尽くせと女王様の御達しだ!』と好きな解釈をしていたらしい。また食材を戦場で短時間、かつ効率的に作るために調理器具も発達した。その代表的な物が野戦用炊事車フィールド・キッチンだ。蒸気自動車を改造して造られた移動する台所。これにより、王国軍の食事情は大きく発展した。温かくて美味い飯が食えれば元気が出るのは日常だろうが非日常だろうが変わらない」

 と、長ったらしい講釈を垂れたクロムウェルは中型六人乗り蒸気自動車ガルバニーの後部座席で二十分前に買ったばかりの焼き菓子クッキーをザクザクと小気味良い音を立てて食べ始めた。そんな友の様子を見て、窓に御凸を張り付けていたエミリーが瞬時に反応を示す。

「っちょっと、クロムウェルちゃんずるい! 私も! 私も食べる!」

「ああ、この馬鹿! 身乗り出すな! この車屋根がないんぞ! 危ないやろが!」

「手前ら死にたくなければ手伝え! 私だけに難しいこと押し付けてんじゃねえぞ!」

 今、二番街は大混乱に陥っていた。半蜥蜴半人リザーディマン黒鋼纏小竜リザーター・クロム 冷華死舞姫フェイン・シェーゼット滑空落狂熊ベルア・グリズリア に煉罪被甲獅子グラン・ライアーガ凶眼黒影蜘蛛アーリッシュ・スパーダ。世界中に生息する魔物の中でも凶悪で知られる種族が一斉に溢れ出したのだ。いたるところで火の手が上がっている。人々の悲鳴は絶え間ない。まさに混沌か。世界の終わりが訪れたかのような災厄が今、顕現している。

 大都市御自慢の四車線の街路は急いで逃げようとするあまりに激突事故が多発し、恐怖と焦燥が飽和状態にあった。そんな中で、車と車の間を縫うように生徒五名は蒸気自動車ガルバニーで移動している。もはや、安全運転などしている場合ではない。レビィは必死な形相で右へ左へと操作環ハンドルを操作する。後、五分も経てば車道にまで人々が溢れかえり、完全に足止めをくらうだろう。金髪で背が高い少女は、ずっと歯を食い縛っていた。

「ところで、レビィはどこで車の操縦を覚えたんだい? 学園で車の運転免許を取得するのは十八歳になってからだろう。ゲホゲホ。ああ、御茶が欲しい。ちょっと喉が痛い」

「人の気も知らねえでボリボリ菓子食ってんじゃねえぞボケが! オヤジの運転を今、必死こいて思い出してんだよ。こん畜生が。おい、アディリシア。手前、ちゃっちゃと誘導しやがれ。こっから先公の家までの道のり知ってんの、手前だけなんだぞ」

「……このまま大通りを真っ直ぐですわ。それにしても、呆れましたわ。せっかくの休日が台無しです。パトリシー・メイスンの歌にもこんな一節があります『まるで熱湯にブチ込まれた蛙の踊りを見てるみてえだ。最高に糞ったれな気分だぜ!』ってね」

 アディリシアは助手席に、レビィの隣に座っていた。こちらはすでに、右手に輪転式拳銃を握っている。一発も撃たないのは、一早くカノンの家に到着するためだ。今、街には大勢の学園生徒が集まっている。その証拠に、魔物を討伐する生徒の姿が車内からでも観察出来た。傭兵や自警団の人員も集結しつつある。大都市・アマンデールはそう簡単に陥落するほど、やわではない。そして、今の少女達には大きな使命があった。レビィにとっては、戦友や自警団、傭兵達と協力せず、逃げ回っているように見える自分が情けないのだろう。噛んだ下唇から、血が滲んでいた。血管と理性が千切れる一歩手前である。

「おい、アディリシア。手前の話は本当なんだな。あの家に、魔導具があるんだろう?」

「その通り。カノンを見縊らないでくださいな。あの大馬鹿は中毒者と評するに相応しい馬鹿です。地下倉庫にこれまでに作った魔銃を保管しています。それがあれば、私達は王国の完全武装した一個大隊にも負けない火力を得られる。今の装備はでは返り討ちに合うだけですわ。お分かりですか、レビィ? 焦りは禁物ですわよ?」

 皮肉気味な微苦笑を浮かべながら、アディリシアは上衣服ジャケッド裏収納口ポケットから喫煙筒パイプを取り出した。彼女が使う喫煙具の材質は、共和国産の白短硬鮮躑躅木コーパル・ブライヤ。木材の中でも断トツで難燃性に優れており、軽く丈夫で喫煙筒パイプの材料には持って来いである。長年愛用してきた証しか、木目は赤みが力強い茶色。密度を高めた琥珀のような光沢だ。吸い口は、極上の乳性柔泡液バター・クリームにも似た色味がある。象牙ではない。こちらは、王国でも寒冷地として有名な北の難所・バスエール山脈に住む凶暴な猪、猛絶火目強猪グリンブルスティの牙である。喫煙筒パイプの材料としては三指に入る高級品だ。細部の銀装飾も見事であり、これだけでも一財産である。

 吸い口は緩やかな弧を描く。これは、口に咥えた時に垂れても火が零れないようにする配慮だ。火口を留めていた柔木封コルクを外し、口に咥える。燐寸を一本擦り、橙色が濃い火を灯す。刻んだ煙草は王国では広く親しまれているフォーテム&クラップ。息を吸いながら、慎重に火を当てる。徐々に煙が昇り、段々と燃焼が安定してくる。喫煙筒パイプの煙は肺ではなく、舌で楽しむものだ。林檎をふんだんに使った焼き菓子のように香ばしく甘い香りは、自然と頬が緩んでしまう。


 ――王国では十八以下の喫煙は禁止されている。御嬢様は自分の欲望に正直だ。


「……手前、頭のネジをどっかに落としたのか? さっきの菓子屋か? それとも、御袋さんの腹の中か? 糞ったれ。ああ、上等だ! しっかり掴まってろ。馬鹿野郎共がっ!」

 誰もが『お前だけには言われたくない』と冷ややか視線を作った。レビィは構わずに車を加速させる。灰と赤い景色は後ろへと絶え間なく凄まじい速度で流れて行ったのだ。


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