第四章  Ⅰ


               ○

 一番街の港は市壁の外側にある。河へ食い込むように埋め立てた土地で、三方向を河に囲まれているような地形だ。陸路からの盗賊、魔物被害は無い。仮に、ここへ盗賊の船団が侵入を試みようとしたとしても、城壁を閉じれば都市に入ることは適わず、城壁の上に設置された大砲からの集中砲火を受けて壊滅は必至だ。良く出来た戦略機構だと、カノンは感嘆せざるをえない。もしも、ここが戦争時の戦略拠点となればかなり有利に物事を運べるだろう。

 カノンはアディリシアから、この都市は商人が自分達の利益を増やす為に、長距離用の船を泊めて船乗りを休憩させる場所を作ったのが成り立ちと聞かされた。確かに、金が多く集まるのだから盗賊、魔物の被害を防ぐための城壁は堅牢な方が無難である。

 ――それにしたって。と、カノンは城壁を見上げる。大型の魔物でも届かないだろう高さもさることながら、大型の攻城兵器を揃えないと破壊は難しいだけの耐久性と厚みもある。また、重厚な横幅があるからこそ、城壁の上には大砲などの兵器が設置可能で、常に見張り番が睨みを利かせている。一番街自警団支部がある場所も港近くで、まさに戦争を想定した造りだった。いささか物騒だと思うのは気のせいだろうか?

「うーん。それだけ、街が大切ってことだよな……守りたいから、か」

 母親だって、愛する子供を守る時は鬼と化すだろう。

 どうも心が荒んでいるとカノンはかぶりを振った。城壁が立派なのは、大都市の証拠で経済が潤っている証拠でもある。それを戦争云々と考えてしまう方こそ、無粋だろう。

 昼過ぎになって、彼はとある目的のために港へ訪れていた。

 港には多くの船が集まる。船の大半が蒸気駆動であり、絶え間なく灰色の煙を噴いている。当然、船には大量の荷物が積まれ、下ろすための大型の降動機クレーンや、荷物を保存するための倉庫も必要だ。ならば、働く人々の数も相当なものとなる。――結果、港の光景は圧巻の一言に尽きる。船着場に集まるのは、百台以上の蒸気船。細身で小柄な帝国の最新式高速船に、大型で堅牢な共和国の長距離船。王国の船は大砲を装備した元・戦船が多い。

 大型降動機クレーンは全長数十メルターの建物と結合するような造りであり、船着場へと向けて、まるで無数に巨大な海竜が首を伸ばしているかのようだった。鉄筋混凝固土コンクリートの頑丈な建物は、そのまま有事の際などに防波堤または矢倉の役目を果たす。 

 倉庫は昔ながらの煉瓦造りが多い。千人だろうが二千人だろうが余裕で人間を押し込める倉庫が数多く並んでいる。商会の支店や宿屋、娼館、賭博場も競うように乱立していた。

 そして、人、人、人。どこを見ても人がいる。ぱんぱんに小麦が詰まった麻袋を肩で担ぐ、浅黒く日焼けした男に、蒸気自動車を改造した貨物車トラックで樽一杯の海老を牽引する中年太りの男。肉体労働者の集団は挙って船から特大の木箱を数人かかりでせっせと下ろす。

 降動機クレーンの上で声を張り上げる若い男に、蒸気機械の整備をする老いた男。怒鳴りあっている二人は高価な上着を纏う商人風の男だった。そんな男達に負けない声で叫んでいるのは、泡麦酒ビール売りの女だった。挽肉入りの積層焼パイ、蜂蜜入りの煮団子、焼き饅頭。露店の数も目立ち、誰もが自分の商売に熱心だった。積み荷から零れ落ちた食い物目当ての浮浪児まで集まっている。常に賑やかな街でも、一番街ほど喧騒と熱気が似合う場所もないだろう。

 街を通る支流を進む蒸気艇用の貸付場や、新旧の建物、長年繰り返された工事などの影響で港には階段と段差が馬鹿みたいに存在する。そこを無数の人々でごった返すのだから、人混みに慣れない者は三分ちょっとで人酔いしてしまうだろう。

 王国産の良質な衣類を帝国が買い。帝国の高価な装飾品を共和国が買う。共和国で開発された蓄音機は王国の高級貴族が買い求める。豚はあっちで、小麦はそっち、魚はどっちで宝石はこっち。様々な国が交流を果たす様は、まるで世界の縮小図か。

「帝国産の白葡萄酒があるよー! 是非、王国の物と飲み比べてみてねー」

「煙草の葉を纏めて買うなら、俺の店『ヘロウズ』に来てくれ! 損はさせないぜ!」

「ねえ、そこの逞しいお兄さん。寝具台ベッドの上で私に操縦桿を握らせてくれないかしら?」

 灰色の霧の中で懸命に生きる者達を祝福するように太陽が光を注ぐ。河から流れる風が街中と比べ霧を薄めているのだ。 

 魚介類が大量に集まるせいで、流石に生臭さは隠せないものの、それさえ忘れてしまうほどの賑やかさである。

「ちっ。今日がただの休日なら、泡麦酒ビールと焼いた貝で一杯でも飲むんだけどなー。ついてない。あーくそ、酒が飲みたい。何か美味い肴と飲みたい。夏だぞ。暑いんだぞ? 太陽がギラギラなんだぞ? こんな時にキンキンに冷えた泡麦酒を飲まないでどうするんだよ」

 口から欲望がだだ漏れのカノン。数歩進めば肩をぶつけるような人混みの中を、器用に歩いて行く。目的の場所は港でも隅の方にある酒場である。知る人ぞ知る名店なのだ。

 まるで、物影に隠れるかのように、ひっそりと建っている酒場に入るカノン。厨房から料理を持って戻って来た初老の男性店主が野太い声で『おう、いらっしゃい!』と叫ぶように言った。

店主が共和国『ディアマーテ』出身なだけに、内装は母国特有の赤を基調とした派手な造りだった。壁に外纏衣マントのように真っ赤な布が張られているのだ。汎用卓テーブルは丸く、中央に調味料を揃えている。椅子は無く、立ち飲み形式だ。壁を飾るのは赤い布だけではなく、槍や剣、盾が飾られている。共和国『ディアマーテ』は軍事国である帝国『シュバルツァーゼール』と古くから領土問題で睨みあっているような図式であり、有事の際は民も即座に戦えるようにした名残らしい。もっとも、ここに飾ってあるのは刃が潰された模倣品だ。上から見れば〝凹〝のようになっている商売卓カウンターは半球の鍋がいくつも埋め込まれており、内部は竃のように火がくべられている。どうやら、調理場を兼用しているらしい。ああやって店内に美味そうな匂いを充満させる作戦だろうか。刺激が強い香辛料の産地で有名なだけに、空気が舌に届いただけでピリピリとするような感じがする。

 客の数は片手の指で数えられる程度だ。港で働く者達は総じて服が生臭くなるので、ほとんどが露店で軽食を買って飯を済ませてしまう。ここが満杯になるのは、太陽が沈んでからだ。だから、奥の汎用卓テーブルで遠慮なく飲み食いしている〝彼女〟の姿は、いささか、異様だった。カノンは躊躇なく、女に近付いた。彼が汎用卓テーブルを挟んで真正面に立つと、流石に彼女は食べる手を一旦、止める。にやっと、楽しげな笑みを浮かべたのだ。

「ここの油と大蒜で煮込んだ海老が美味しいんだよ。硬めに焼かれたパンがそえられていてさ。残った油を漬けて柔らかくして食べるのが素敵。酒は泡麦酒ビールで良いよね? とりあえず、泡麦酒ビールでいいよね? 私様はビールが大好きなんだよ~」 

歳は二十代後半から三十代前半だろうか。身長は約百七十センテ・メルター前後。髪は王国では珍しい漆黒。砕いた炭を丹念に水と蜂蜜を練り合わせたかのような、艶のある黒だった。腰の中頃まで癖一つなく真っ直ぐに伸びている。まるで、闇夜の静寂さをそのまま溶かしたかのように。ならば、黄金の瞳は夜を照らす満月の光か。旅人を導く灯火か。あるいは、騎士を惑わす魔女の鬼火か。右目には黒革の眼帯を嵌めている。肌は共和国産の稀少な白雪花石セント・アラバルスのように真っ白だった。それは硬質的な白。肌に、人間的な赤みがない。人間離れしたような美しさは同時に、人形が動いているかのような不気味さも際立たせていた。生きている人間か。生きている死人か。死人に落ちようとしている人間か。唇は淫靡な赤と桃色の中間。異性の魂を狙う夢魔がごとき豊潤な色気を湛えていた。

 ミーシャ・ドランケ。世界救済連合『レージェ・バザリスタ』の十二席。昼間っから酒を飲む。汎用卓テーブルには空になった酒杯がいくつも積まれていた。景気の良い客に、傍を通った若い娘の店員は嬉しそうにニコニコ顔だった。

「お前さ、指名手配されてる身の癖に、こんなところで酒飲んでんじゃねーぞ」

「えー。だって、お腹空いたし、喉渇いたし、せっかく都会に来たんだもん」

 流石に恥女丸出しの服装ではなく、落ち着いた色合いの単一着ワンピース姿である。カノンは、朝起きて朝刊を取りに行った際、郵便受けに入っていた手紙を読んだ時の頭痛を思い出した。

「……で、会って話がしたいってどういうことなんだ? 悪いけど、俺。お前が欲しい情報も金もコネも権限もないぞ。教師にとって、休みは貴重なんだぞ。せっかくの聖土曜日だ。本当なら、昼間まで惰眠を、貪るはずだったんだぞ」

 カノンの愚痴に対し、ミーシャはニャハハハと笑った。敵の意図が読めず、カノンは戸惑うばかりだった。このことはアディリシアには秘密である。今頃、彼女はクロムウェル達と繁華街で遊んでいることだろう。学生にとって、休日は遊ぶ時間である。

「まあまあ。積もる話があるだろう。酒でも飲んで、ゆっくり語ろうよ」

 ミーシャが酒を勧める。カノンは頑として首を横に振った。それでも、酒場で何も注文しないのはどうかと思って果汁の水割りを注文した。それと、小鉢をいくつか。

「なんだいなんだい。随分と辛気臭い注文だねー。男なら、一番高い酒を持ってこいぐらい、言ってみたらどうだい? そんなんじゃ味気ないじゃないか。だろう?」

 心に隠した娘の愚痴が聞こえたのか? カノンは肩をビクッと震わし、声の主と目が合った。そして、あんぐりと口を開けてしまう。深みある渋美声ハスキーの持ち主を包むのは、黒に限りなく近い藍色の貫頭衣トゥニカ。ゆったりした袖付きのくるぶし丈単一着ワンピース。額には鋼の鉢金。頭衣布ヴェールを被っていないのは暑いからか。聖職者であるリトラ・トエンディが酒場に登場する。彼はただ、目を丸くするばかりだった。

「よっ、リトラ。元気? 私はすっごく元気」

「あっははははっは。私もすっごく元気だよ」

「え? お前ら、知り合いなの? 仲良しなのか」

 カノンは二人を交互に眺め、困惑するばかりだった。リトラは当然のように、武器を携帯している。次の瞬間には殺し合いに発展し兼ねない緊張感を覚えているのは、彼だけなのか。ミーシャがお代わりの泡麦酒ビールを飲みつつ、片目を閉じる。

「十年振りってところかな。随分と大きくなったねー。胸とか犯罪的じゃん。何詰まってるの? 夢と希望? それとも肉? あれか。脂肪たっぷりだね。それとも、母乳?」

 ミーシャが笑い、リトラが笑う。カノンは心臓を凍らせた。二人の利き手に緊張が走っていたのだ。あ、駄目だ。殺し合いになる。せめて、他の人達は逃がそうと腰の銃用革鞘ホルスターから銃を抜きかけ、新しい声。

「落ち着け、貴様ら。その喧嘩。私が買っておこう」

 今、一度死んだ。カノンは確かに、銃声を聞いたのだ。今日初めて、ミーシャとリトラ、その両方が頬を引き攣らせる表情を見た。

 カノンはぎこちなく振り返った。外へと続く扉の前に立っていたのは、太陽が如き鮮烈な〝女傑〟だった。

燃える黄金とも謳われる髪が微かな風に揺れる。それだけで、強い圧迫感が胸を襲う。

 夜明け前の瑠璃色を濃く溶かした瞳に宿る意志はどんな剣よりも硬く、鋭く、力強い。

 白き肌には戦場で負っただろう傷の跡が残っている。激戦を勝利し生き抜いた証しだ。

 目が眩むような美しさなのに、先に覚えてしまう感情は畏怖だ。それは、人の上に立つべき王の血を継承している何よりの証拠だろう。

 装備するのは、戦闘用に特化し、余計な飾りは無く、実用性だけを追求した銀の軽鎧。左右の腰には業物だろう剣を一振りずつ吊るし、背中には負い革で長物の銃器を三丁も背負っている。銃用革鞘ホルスターは右太腿に巻き、大口径の輪転式拳銃が収められている。そして、形を成した熱風の如く纏うのは、深紅の外纏衣マント。これが、頂点の証明か。

南で名を馳せた大都市チェーロ・バレーナに本館を構える『ランドブルズの聖槍同盟』が王都支店・局長のリザイア・K・D・エルアーデ。十年前の戦争で戦い抜き、『血霧薔薇の女傑』とまで謳われる女が目の前に居た。無表情のまま両腕を組み、店内を眺めている。たったそれだけだというのに、カノンは冷や汗を流していた。

「おう。久しいな、弟よ。元気だったか? 手紙の一つでもよこせばいいものを」

 リザイアが彼を見付ける。鋭き眼光、声に、カノンは背筋を伸ばした。その様子を見て、ミーシャとリトラが男を指差し、力一杯に驚愕した。

「「弟!? マジで!? 嘘だぁ!?」」

 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る