第三章  Ⅷ


               ○


 飯を食った。アディリシアと、そして意外にもレビィが率先して作ったらしい。カノンが素直に『美味かった』と言うと、背が高い金髪の少女は、頬を朱に染めて『と、当然だろうが』と照れ臭そうに返事をしたのだ。一方で、縦螺環ロールの銃士は『これも全ては、輝かしい未来のためですわ』と、無視したいけど絶対に無視してはいけないことを宣言する。

 さて、全員が居間にある四角い汎用卓テーブルを囲んだ。アディリシアからカノンは、上座に座ることを許された。全員分の紅茶が用意され、真っ先に口を開いたのはレビィだ。

「カノン先生よ。私らはアディリシアから聞いたんだ。アンタが学園で教師をやってる、その本当の意味を。だから、はぐらかすなよ。私は、無駄に長い前置きは嫌いなんだ」

 教師にここまで喧嘩腰な態度を取る生徒はレビィだけだろう。けっして、カノンの威厳がないとか、そういう理由ではないと信じたい。男は紅茶を少しずつ口に含んだ。王国の夏は夜、時として真冬並みに冷える。暖炉ではすでに、薪が轟々と燃えていた。

「……そうか。なら、逆に聞くぞ。お前達は、俺の目的に乗ってくれるのか?」


 薪が乾いた音を立てて爆ぜた。誰も、何も言わなかった。だから、カノンが言葉を続けた。


「俺は、俺が作った銃を装備させた特殊部隊を設立する。傭兵でも、王国の銃士でもない。政治の枠に囚われない、超法規部隊だ」


 誰かが唾を飲み込んだ。カノンは今、これまでの常識を引っ繰り返すことを言った。ともすれば、反乱とも誤解され兼ねない言葉である。特殊部隊の設立。言葉にすれば簡単でも、待ち構えている問題は山積みだ。アディリシアでさえ、茶杯を持つ手が微かに震えている。王族の血を引く上級貴族の彼女は、大抵の融通を利かせられる。ならば、そんな彼女が戸惑う問題は、どれだけの重みか。次に口を開いたのはクロムウェルだった。まるで、知識を求めて毒の林檎を齧った賢者のように、瞳孔の奥を愉悦でぐらつかせている。


「王国は表向き、平和を維持しているが、現実は薄情で激烈だ。帝国や共和国と睨み合いを続けているのはまだマシ。本当の敵は内部にある。たとえば歴史の授業でも熱心に語られる、小国『ノワール・メージュ』が滅んだ三十年前の大戦『ザナン・グラン海峡攻略戦』かな。そもそも、この小国は王国内に領土が在り、何百もの間、独立を保っていた。けれど、とある事件を切っ掛けに『アークライラ』と激突し、滅びを余儀なくされた」


「確か『ノワール・メージュ』に侵略するのは国家間法違反やって、当時の女王様は迫るのを受ける一方やったんやっけ? それもおかしいやろう。二つの国が仲良しこよしで互いの領土を守っていたのに、一方が破ったんや。なら、王国側が律儀に守る必要あらへん」


 簡単に言えば、少年AとBが居た。二人は仲良しで、絶対に喧嘩しないと誓っていたのにBがAを一方的に殴ったのだ。それでも、Aは自分から拳を握らなかった。

 そんなアマンダの不満に、カノンが歴史の教師として補足した。


「当時は帝国に加え、共和国も不安定だったからな。相手側が先に契約を破ったからって、王国側も破れば、他の国に〝建前〟を与えかねない。『ノワール・メージュ』は王国の脆さを良く知っていたんだよ。……そして、それだけの暴挙を犯すだけの力を持っていた」


 そう、そこがおかしいのだ。いくら一方的に戦を吹っ掛けたとしても、領土や軍力の差は歴然としている。二十と三十の差ではない。少なく見積もっても、百と三の差はあっただろう。すぐに資源が枯渇し、小国は疲弊するはずだった。ならば、どうして数年間も戦い続けることが出来たのか? カノンの言葉を、アディリシアが奪う。


「世界に呪いを振り撒いた女神・レイン。そして、世界を見捨てた『沈黙した古き神々アルバンス・サーバー』と契約して得る異能。多大な不幸を受けてもなお、欲望を欲する愚かな人間が得た力」


 噂話の領域すら越え、もはや〝神話〟だった。本当にあったかどうかさえも分からないのに、人々を畏怖させる物語。長い時を経てもなお、紡がれる物語。


「えーっと、なにそれ?」


 エミリーが首を傾げる。知らなくて当然なのだ。カノンが口を開きかけ、先にクロムウェルが説明してしまう。


「現代の魔術が二世代目、過去の魔術が一世代目。そして、神や精霊の奇跡が零世代目とされている。古き神との契約は〝人間が扱う一世代目の魔術〟なんだ。その能力、効果、威力は絶大とされ、一説には大陸一つを両断した者までいたとされる。恐らく、今の銃士が百人束になったところで、たった一人の〝契約者〟には敵わないだろうね。と、僕は文献で調べたわけさ。この戦力差も、僕が何カ月もかけて計算し尽くした結果だよ」


 学校の勉強では絶対に必要ない計算に熱心なクロムウェルに、アディリシアのような気の強い友達がいて良かったとカノンは思った。


「そんなに凄いのー? じゃあ、どうして小さな国は負けたの? そんな強い人達がババーンって暴れたら、王国の方が滅びちゃうんじゃないの?」


 疑問だらけの生徒を持って嬉しいのは、いつも生徒に怖がられるか馬鹿にされるカノンのような人間だろう。一人の男は、一人の教師として、エミリーへ簡潔に説明する。

「『沈黙した古き神々アルバンス・サーバー』と契約した人間は、等しく呪いを貰うんだ。文献に残っている事例が幾つかある。『不壊の剣神・レグナザイト』と契約した者は、かの剣神が所有する協力無比な〝神様の剣〟が扱えるようになる。だが、力を使い続けると自分自身の身体が剣と成り果てる。レグナザイトが持つ剣の大半が〝元人間〟だとよ。他にもある。『幻牢の甲神・カシュルタン』と契約した者は、全ての攻撃を阻む障壁を生み出せる。そして、力を使い続ければ、どんな人間だろうと一枚の鱗に変わり、カシュルタンの外皮に取り込まれるそうだ。命を閃光弾のように、刹那で使い切る。それが『沈黙した古き神々アルバンス・サーバー』と契約した『破滅を選ぶ偽神アルバルト・セーバー』の末路だ」


「そして、全員が強力な力を得たわけではないらしい。一度、滅んだ力だ。再現するのは相当に困難だったはずだよ。王国の軍人千人を倒すために『破滅を選ぶ偽神アルバルト・セーバー』は一体必要。その一体を再現するために、どれだけの人間が犠牲になったか。結局『ノワール・メージュ』は、ほぼ自滅したって感じだね。まあ、教科書には異能のことなんて、書いてないけれど。憶測の域を出ない話さ。ところで、カノン先生。随分と話が脱線したようだから、元に正そう。先生は、有事の際に法で縛られない組織が欲しいんだろう? それが、どれだけ困難なのか、まさか知らないわけがないだろう? 貴方は一体、どれだけの〝手札〟を持っているんだい? まさか王国や帝国、共和国と互角に渡り合えるほどの手腕を持っているのかい?」


 クロムウェルの意見はもっともだった。仮に、その便利な特殊部隊が設立されたとしよう。誰が文句を言うのか? 真っ先に矛先を向けるのは帝国だろう。『王国が平和を脅かす組織をつくった。我が国に危険が迫る。だから、我が軍も真似して兵力増加する』などと言われれば、何も文句は言えない。カノンは紅茶を啜ってから質問に答える。


「特殊部隊の活動範囲は、王国内に限定する。あくまで自衛専門の部隊だ。これなら、共和国も帝国も強くは口出しできないよ。ああ、そもそも、特殊軍なんだぜ? その存在も纏めて秘匿にするに決まってんだろ。だから、誰の目にも邪魔されない。闇に潜み、闇で生きて、闇と戦う。それが、俺の理想とする組織だ。少数精鋭。一騎闘千の猛者達」


 バレなければ問題ない。それはもう、子供の発想だった。正義感に熱いレビィが真っ先に感情を爆発させた。


「お前、馬鹿か?」


 三年生でも下から数えた方が早い学力のレビィから馬鹿と告げられたカノンは、妙に気分が良かった。薄ら寒い正義で『素晴らしいです先生!』などと言われた日には、発狂してしまう。これは、けっして正義の行いではない。理不尽な暴力を、さらに暴力で上塗りする悪鬼の所業だ。ゆえに、だからこそ、彼はこの場で若き者達に伝えずにはいられない。


「俺は、この国を変えたいんだ。……悔しいが、俺が表舞台に立つだけの椅子は、もうない。これからを変えるのは、間違いなく君達なんだ。俺の話を、悪い夢だと思って忘れてくれても構わない。ちょっと気になった。その程度でいいんだ」


 長く彷徨い続けた旅人が、やっと旅の終わりを知ったように笑った。疲れて、擦り切れて、本当に終わりが正しいのかどうかさえ分からない。何を得たのかさえ分からない。カノンの夢は他人任せだった。そして、他人任せである以上、希望通りの方向に転んではくれない。彼の第一理解者であるアディリシアは黙って空になった杯にお代わりを注いだ。

 音もなく立ち上がったレビィが暖炉に薪を足した。エミリーとアマンダがお互いに顔を見合わせる。クロムウェルがさらっと言った。


「僕は、参加してもいいかな」


 まるで、ちょっとした旅行に出かける。その程度の感情しか表面上は見えなかった。

 カノンが目を点にする。すると、今度はレビィがニヤリと笑った。まるで、とびっきりの秘密を共有する悪友のように。


「誰も、嫌だとは言ってないだろうが。面白いじゃねえか。なんだよ、おい。暴れさせてくれるんだろう? 戦わせてくれるんだろう? なら、私は何も文句は言わねえよ。銃を寄こせ。後は、私が何とかしてやる。こういうことがしたくて、私は銃を握ったんだ」

 猟犬と化したレビィへ、アマンダが肩を竦めて忠告を一つ飛ばす。


「そこまで言うつもりあらへんけど、うちも乗る。……闇の闇、さらに底の真っ暗闇。正義の目が届かない場所に、本当に撃つべき敵がいるんや」

 そして、エミリーが元気に手を挙げた。夕食を食べたばかりのせいか、その目はちょっとだけ重そうだった。


「皆が戦うなら、私も戦う。って、それだけじゃなくて、その、私が戦いたいと思ったからです! 昨日、先生が助けてくれなかったら、私達、魔物に殺されていたかもしれない。難しいことは分からないけど、先生が皆を守ったのは本当のことだもん。だから、私は先生を信じるよ」


 不審がられると思っていただけに、カノンは何も言えない。代わりに、目頭に熱い物が込み上げた。もう止まらなかった。胸の内に秘めた想いを全て吐き出すかのように、彼は一気に語り出す。そんな彼の横顔を、アディリシアはただ、じっと見つめた。

 結局、クロムウェル達が家を出たのは、すっかり夜が更けてしまってからだった。

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