第三章  Ⅶ

                ○


 港湾都市・アマンデールの東に位置する六番街と七番街は様々な工場が多く集まっている、重大工業地帯である。自動車、家具、靴、衣服、船の部品、などなど、様々な商品が日夜製作されているのだ。その分、排煙は大量に蔓延し、日常的に濃い霧に包まれている。

 六番街の南から北に真っ直ぐ伸びるティーク街路を他の蒸気自動車に交ざりながら、カノン・レミントンは走っていた。もっとも、彼の足が人間の限界を軽々と突破したわけではない。彼は今、蒸気二輪車スチーム・バイクに跨って走行しているのだ。それも、大型の最新式。その上、自分で設計した品である。流石に全ての部品を手作業するわけにもいかず、業者に頼んだものの、性能はついつい頬を緩めてしまうぐらいに上出来だった。

 そもそも、蒸気機関スチーム・エンジンとは何か? 簡単に言えば、石炭を燃やし、水を沸騰、蒸気を発生させ、その圧力で気筒シリンダーを往復し、屈曲軸クランク機構で回転運動に変える機関を示す。現在、世界には有名どころだけを数えても百を超える、蒸気機関製造専門の企業がある。

 単動、複動、二気筒、三気筒、八気筒。様々な種類の蒸気機関スチーム・エンジンがある中で、カノンが設計したのは、最速を決める世界大会でも採用されている星型七気筒の蒸気機関だった。これは、一つの主駆動軸メイン・シャフトを七本の気筒が等間隔で円状に囲む仕組みである。全体的に小さく纏まるお陰で小型化が可能であり、その分、馬力を大きく出せるのだ。また、足回りも工夫し、滑らかな走行を可能にしている。他の車が気筒シリンダー屈曲軸クランクの運動変換が齎す振動に苛まされているのに対し、カノンの二輪車は、まさに滑るように走行していた。

 大型種でありながら、他の中型種よりも流麗で美しい外見は、勇ましき猛虎か。なおかつ、駆動する様は力強く、頼もしいのだ。石炭も混ぜ物ナシの良質な物を積み込み、燃焼具合も十分。後輪の側面にある排気筒から吐き出される煙も、限りなく透明に近い白だった。時速は約八十メルター。法定速度ピッタリである。本気を出せば、百二十メルターは出せるだろう。もっとも、蒸気機関でここまでの凄まじい速度が出せるのは、設計したカノンの腕が素晴らしかった。それだけではない。

 手袋を嵌めた手が操縦棍ハンドル加速輪アクセルを回したくなる衝動を抑えつつ、カノンは安全運転を心掛けた。油圧、水圧、気圧、速度、数種の計測器が良い塩梅の数値を維持していた。


(アディリシアがレミントン家に掛け合って高価な金属を仕入れてくれたからなんだよなー。機関に使われているやつなんて、軽さと耐久性が断トツな鬼硬黒閃業鉄ラングリッドバルタースチルだ。これ一台の値段なんか怖くてちゃんと計算したことねーし。俺が十年働いても揃えられるか分かったもんじゃねーぞ。ったく、こういう貸しが一番作りたくないんだよなー)


 七本の気筒が滑らかに軸を回し、車輪を回し、カノンを運ぶ。置き去りにされた白い煙はすぐに街の大気と仲良しになって消えてしまう。ちなみに、後ろにアディリシアを乗せたことは、これまでに数度しかない。理由は、単純に生徒と教師の関係だから。そして、肉付きの良い美少女と密着するせいで、理性が耐えられる自信がないからだ。

 自分が初心なのではなく、あっちが魅力的過ぎるせいだと責任転換する。男として多少、いや、かなり情けなかった。飛行帽の下、保護眼鏡ゴーグルの内でカノンは眉根を寄せる。

 速度を段々と下げ、大通りから狭い通りに枝を変える。こちらは住居区となっていた。一軒家よりも同じ形状の複合住宅が数多く並んでいる。朝になれば、職場に出かける者達で通りは一杯になるだろう。舗装された道路を、カノンは軽快に進んで行く。

 木々が適度に茂り、小川が流れている。自然が豊かに残っているのは、工場からの排煙を少しでも防ぐためだろうか。適当な場所で昼寝するのも素敵だろうと、カノンは思った。

 共同庭園で花や野菜を育てる御夫人達に軽く手を振ったり、道路に飛び出した子供に注意したりと十数分。やっと目的地が見えてきた。同時に、カノンが目を丸くする。


「……なんだ、こりゃあ。いや、本当になんで?」


 カノンの家は二階建てのこぢんまりとした家だった。異様に背が高く、強固で厳重な鉄柵でぐるりと覆われている以外は普通の家である。化粧漆喰の白い壁は排煙のせいで灰色に汚れてしまい、赤い三角屋根から伸びる四本の煙突の内、台所と繋がっている煙突だけが朦々と香ばしい煙を吐き出していた。待て待て、ちょっと待て。何故、煙が? 住んでいるのは彼だけのはずだ。空き巣狙いの強盗か? いや、強盗が逃げずにパンを焼くなんて聞いたことがない。腹の底がぎゅーっと抓られたかのような悪寒を覚える。背筋から、脂汗が噴き出した。違う。そんなはずないと否定するも、やはりそうとしか思えない。

 カノンは庭にある石造りの小屋に蒸気二輪車を停めた。右足で乗降補助枠サイドスタンドを蹴るように起こし、ゆっくりと降りる。そして、手袋は外さないまま、棚から二輪車専用の火掻き棒と、鉄製の桶を取り出す。彼が開発した二輪車は、座席のほぼ真下に蒸気機関スチーム・エンジンが位置し、すぐ傍に石炭つまり燃料を入れる場所が在る。走行を終えても燃え切っていない石炭は、危険防止のために必ず取り出さないといけないのだ。蒸気二輪車スチーム・バイク乗りにとっての、鉄則である。正式な条例などなくても、これは暗黙の了解なのだ。

 燃料庫の扉を火掻き棒で器用に開け、そのまま鉄製の桶へと赤熱した石炭の欠片をガリガリと掻き集める。朝に二、三キローム・グラッムは入れた石炭は、手の平の乗る程度しか残らなかった。庭の井戸から組んだ水を注ぐと、ジュウッ! と一瞬だけ良い音を立て、白い煙を少しだけ昇らせる。放熱用に燃料庫の扉は開けたままだ。再度乗るには、新しい石炭と水を注ぎ、燐寸か何かで火を入れなければいけない。ちなみに、二輪車内に設置された貯水庫に注がれた水を沸騰させられれば構わないので、薪や紙でも最悪の場合は走行可能である。もっとも、速度は極端に落ちてしまうだろうけど。

 蒸気二輪車スチーム・バイクに挙げられる短所の一つは、再始動までの時間である。


(確かに、二輪車っていうのは整備や維持が面倒で乗っていない奴ら、とくに女には嫌われる乗り物だ。だが、この躍動感と疾走感がたまらない。これこそ、男の浪漫溢れ――)


「おおおおおお! マジで蒸気二輪車スチーム・バイクじゃねえか! すげー! あんた、こんな良い物乗ってたのかよ。なあなあ、近くで見ても良いよな? なあ、良いよな?」


 男の渋い余韻が全て台無しになった。小屋へと興奮気味な様子で現れたのは、短い金髪で、巨乳で、高身長な少女・レビィ。カノンの確認も取らず、蒸気二輪車スチーム・バイクへと近付く。


「この黒い外見、まるで闇を切り取ったみてえだ。操縦棍ハンドル周りの計測機も渋いじゃねえか。機能重視な設計が私好みだぜ。大型の割にこの流麗さ、かはっ、たまんねえな。御上品に見えてド変態な蒸気二輪車スチーム・バイクだなこん畜生が!」


 怒っているのか、喜んでいるのか。とうとうカノンが目眩を覚えた時だ。さらに聞き覚えがある声が集まって来る。

      

「お、本当に蒸気二輪車スチーム・バイクがある。カノン先生って二輪車乗りやったんやな。知らんかった」


「おやおや、レビィちゃんが水を得た魚のようですなー。それとも、玩具を貰った子供?」



「風を運ぶ鋼鉄の騎馬か。僕も多少は興味があるよ。これを自由に扱えたら素敵だろうね」

 カノンから見て、右からエミリー、アマンダ、クロムウェルが順に並ぶ。目眩を通り越して頭痛と吐き気を覚える歴史教師。そして、止めとばかりに彼女の声が鼓膜に届く。


「あらあら、どうしたのかしら? カノン。そんなに辛そうな、泣き出しそうな、悔しそうな、甘えさせたくなるような顔をして。もっと笑いなさい。この私がいるのですから。パトリシー・メイスンの歌にもこんな一節があります。『ここに素晴らしい女が居るんだぜ? 手前は泣くんじゃない。もっと笑うべきだ』ってね」


 すると、レビィ以外の三人が『でましたパトリシー中毒者!』『こいつは重傷だぜ!』『聖書を読まないといけないね、すぐに』などと囃し立てる。アディリシアはアディリシアで『もっと私を褒め讃えなさい』と、言葉が上手く通じていない様子だった。

 カノンは意識をなんとか危篤段階から病人段階まで引き上げる。今、気絶したら不味い。きっと、何かが起こってしまう。そんな、嫌な予感がした。大人の威厳を保つために、大人は大人らしく、大人らしい咳払いをした。子供一同は『はいはい。先生の話はちゃんと聞きますよ』と、肩を竦め、苦笑しているが、言わずにはいられない。


「なんで、お前達がこんなところにいるんだ? 今は、二番街の警備をしているはずだろう。こんな場所でサボっていたら、フランカ先生が怒るぞ。どんな罰則があるか分かったもんじゃない。ほら、さっさと帰れ。……頼むから、帰ってくれよ。此処、俺の家だぞ」


 段々と声をか細くしながらカノンが指摘するも、アディリシアは退かないし、媚びない。


「あら、元々、ここはレミントン家が貴方に与えた家です。ならば、私が泊まってはいけない道理なんてないでしょう?」 


 カノン・レミントンはとうとう足腰に力が入らなくなり、近くの棚に肩を預ける。彼が数カ月前の聖日曜日に作った棚は、大人一人分の体重を受けても、微かに揺れただけだった。一方で、アディリシアは優雅な笑みに自虐的な色を混ぜ始める。もう、末期だった。


「学園に非常事態警報が出ているのは御存じでしょう? 街に魔物が出る危険性がある以上、全生徒が一々寮に戻って過ごすなど愚策。ですので、三年生以上の内、三分の一が半日だけ都市で、生活することになったのです。私含め、此処に居る五人は午後と就寝時は街で過ごします。ちなみに、朝になれば学園に戻り、午前組と交代です。常に、街へ銃士を駐在させる。まさか、教師である貴方が知らなかったわけではないでしょう?」


 そういえば、今日の朝に学園長からそんな話しを聞いたような気がする。カノンは随分と古くなった記憶を掘り起こし、目の前が真っ暗になった。まさか、そういうことなのか。

「一応言っておくけど、僕達は夕食を食べたらちゃんと学園が指定した宿泊施設ホテルに戻るよ。流石に、男性教師の家に乙女が集まって一夜を明かすなんて、もしもバレたら大問題だからね。ちなみに、周囲の住民には事前に説明したよ。街で起きた事件について、先生と相談したいから夕食の時だけ集まるんだってね。誰も変な憶測を覚えず、逆に、熱心な生徒達だって感激してくれたなー。これは、銃士が危険な存在ではなく、国の剣であり盾であることが認知されている証拠だよ。僕の方こそ、元気を貰ってしまったよ。あっはっはっ」

 クロムウェルがわざとらしく笑った。それでも、飯を食えば帰ってくれることに、カノンは極大の安堵を覚えた。だというのに、アディリシアは笑みを崩さない。

「まあ、私は帰りませんけど。何故なら、此処がカノンの家であり、私の家だからです」

 御嬢様は絶対に揺るがない。縦螺環ロールを微かに揺らし、アディリシアは犬歯を見せるように艶やかな唇を、薄い三日月形に裂いたのだ。

「さあ、夕食にしましょう。もう、準備は終わっていますのよ?」

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