第三章 Ⅴ
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ヤレイに案内された家は、頭領という割に皆と変わらない一階建の石造りだった。ただ、木製の扉は薄い鋼板で鍵が付けられている。窓にも鉄格子が嵌められ、外部からの侵入を防ぐような対策が施されていた。内部は椅子が数脚と
リトラが御茶を用意するために竃へ薪を入れる。男二人は椅子に座り、簡単な自己紹介を交わした。ヤレイは一年前に食中毒で亡くなった初老の男に代わって頭領となったらしい。それなりの悪事に手を染めたものの、殺しや女を手駒にするような真似はしていないとか。好きな食べ物や酒、最近気に入った音楽など、聞いてもいないことまでベラベラと話す始末だった。一方で、カノンも相手の機嫌を損ねない程度に話しを続ける。
「学園の教師ねぇ。可愛い子に囲まれて金貰えるなんて羨ましいな。だっはっはっははは」
「……本当にそう思うなら替わってみるか? 全員が拳銃装備して紅茶飲みながら弾道計算の話に花を咲かせるような連中だぞ。正直、生きた心地がしない。足音殺して首根っこに短剣を突きつける奴もいるぐらいだ」
「だっはっはっはっはっはっは。それでも、手に職があるのは良いことさ。此処に居る連中のほとんどは職なしさ。まったく、もうちょっとは住みやすくならねーもんかねー」
ヤレイの笑みに、拭いきれない影が落ちる。カノンは眉間に皺を寄せ、重く苦しくうなった。
子供の教育に力を注いでいるとされる王国『アークライラ』でさえ、識字率は大人で七割。成人していない二十歳以下の子供は四割にも満たない。自分の名前さえ書けない、読めない浮浪児が大勢いるのだ。教会の補助を得た無料の学校も、あるにはある。しかし、庶民にとっては暮らしが第一。親のために働く子供が大半なのだ。
無論、金を持っている連中。つまりは、貴族達も対策を打たなかったわけではない。むしろ、貴族の流儀〝ノブレス・オブリージュ〟とは、自分よりも弱い人間を守るのが美徳とされている。ゆえに、戦争になれば真っ先に馳せ参じ、寄付や支援団体の設立、慈善事業も必然とされている。カノン達が住む、アマンデールでも、貧困者を助ける行動が数多く続けられている。公園や教会を借りた炊き出しなども珍しくない。
しかし、それでも、光りに手が届かない者達が居るのも、また事実。
「で、そんな教師さんがどうしてこんな辺鄙な場所に来たんだい? まさか、ここで日曜学校を開くわけじゃないだろう?」
「学園や教師は関係ない。此処に来たのは、俺個人の趣味だ。……昨日の昼過ぎに起きた魔物襲撃事件を知っているか?」
質問に質問で返されたヤレイは、片眉を上げ、ぽんと右手の拳で左手を打った。
「ああ、あれか。こっちでも大騒ぎだったぜ。世界の終わりが来たんじゃないかって驚いたよ。地下に魔物が出なくて助かった。此処には、戦えないどころか、一人じゃ走れない人間が大勢いるからな。まったく、おかしな話だ。兄さんは事件を調べてるのかい?」
「そんなところだ。……で、こんなことを聞くのは不躾なんだろうがよ、聞くぞ」
一つ間を置き、カノンがヤレイを真っ直ぐに見詰めながら、容赦なく言った。
「都市の下に広がる地下に、何か〝変わった物〟はないか?」
曖昧な言葉に、ヤレイは両腕を組んだ。固く目蓋を閉じ、何か考えるような素振りを見せる。ややあって、こちらの反応を確かめるかのように右目だけを開けた。
「変わっているものねー。それは具体的に、どんな物だ? 学がない俺にも分かりやすいように教えてくれよ」
「そうだなー。ミーシャって女知ってるか? それと世界救済連合『レージェ・バザリスタ』って名前だ。今回の事件を引き起こした人物と、組織の名前だよ。何か知らないか?」
ヤレイは答えず、黙り込んだままだった。そのうちに戻って来たリトラが
「下手な腹の探り合いなんてするんじゃないよ。カノンは地下の人間が事件に関わっているんじゃないかって疑っている。ヤレイはヤレイで話し代が欲しい。それだけのことだろ」
女の取引がなんたるか理解していない切り出しに、ヤレイとカノンは目を合わせ、似たような嘆息を零したのだった。
「疑ってんじゃーよ、現状確認だ。そもそも、凶暴な魔物を地下から都市に送り込む方法なんて、あるわけないだろ。俺が聞きたいのはあくまで最近に変わったことはなかったか。それだけだ。当然、対価は用意している。ったく、話の組み立てが台無しだ」
「だっはっはっはっは。リトラはせっかちな女だな。せっかちな女なんざ夜に嫌わおっと、怖い顔しないでくれよ。まるで、獲物を見付けた殺人鬼みたいな顔だ。悪い悪い、冗談だ」
リトラの冷ややかな視線に、カノンは寒気を覚えた。きっと、地下の冷気だけが原因ではないだろう。湿っているのか、燃える薪がバチバチと油が弾けるのにも似たような音を奏でた。まるで、話しを急かすかのように。
「で、兄さんは、その、なんだ? ミーシャって女と変な名前の組織を追ってるってわけか。残念だが、俺じゃあ助けにならないと思うぜ? なにせ、この街の下に広がっている地下道は無数だ。使われなくなった下水道とか、鉄道が数え切れないほどある。此処みたいに大きな空間が広がっているような場所も、一つや二つじゃない。規模にもよるが、何かを隠されれば、そう簡単には見付けられないぜ?」
「……手前自身は協力していないんだな?」
カノンの問いに、ヤレイは紅茶を啜ってから答えた。
「少なくとも、俺は協力しないし、したくもない。確かに、地上に住んでいる連中に少なからず恨みはある。それでも、魔物を使って世界の終わりなんて望んでいない。この街が機能しなくなれば、俺達の生活だって危うくなるからな。俺一人の欲で、皆を危険に晒したくないよ」
嘘には聞こえなかった。それは確かに、大勢の者を率いる一人の頭領としての言葉だった。自分よりも若い少年の姿に、カノンは感心すると同時に、数年前の自分はどんな性格だっただろうかと思い出して軽い劣等感を覚えた。そして、そんな心を見透かすようにリトラがケラケラと笑う。此処に一番馴染んでいるのは、きっと彼女だった。
「ヤレイはでかい野望なんて持ち合わせちゃいないよ。コイツは優しい性格だからな」
「……その言い方だと、俺が弱そうに聞こえるからやめろ。これでも、傭兵として何度も窮地を脱してきたんだぜ。自警団の連中が束になっても負ける気がしねーよ」
「随分と仲が良さそうだな。二人はどんな関係なんだ?」
カノンが知っているのは、リトラが地下街について詳しい、その程度の内容だけであり、具体的に地下の住人達とどんな関係なのか御存じではない。すると、ヤレイが行儀悪く女を指差して不服そうに声を荒げたのだった。それは、変な言い方だが慣れた怒り方だった。
「腐れ縁だよ、腐れ縁。コイツも、元々は地下街出身だったからな。それを、爺さんに拾われていてててってててて!? み、耳引っ張んじゃねーぞ! 千切れたらどうすんだ!」
「アレイク司祭様って呼びな。司祭様が金も貰わないで日曜学校開いてくれるから、まともな職につけた奴だっているんだよ。ったく、この馬鹿も、もうちょっとは勉強してくれると助かるんだけどねー。頭領なったからって、調子乗ってんじゃないよ」
「調子なんて乗ってねーし! 姉ちゃんこそ聖導騎士になったからって偉そうにすんなよ」
「姉が不肖の弟を〝教育〟するのは、当然の行動さえ。それとも、本気を出そうか?」
姉と弟。それ以外の構図には見えなかった。カノンは紅茶を啜りつつ、
「なんだ、リトラも拾われた口か。――俺と、同じだな」
ギャーギャーと言い争っていた二人がぴたりと動きを止め、カノンを見る。学園の教師は美味そうに煙を吸いつつ、肩を竦めた。
「そんなに変なことを言ったか?」
「……私、カノンのことはアディリシアの飼い犬だって聞いていたけど、違うのかい?」
「嫌な言い方だな。別に、それは間違っていない。レミントン家に拾われる前の俺は孤児院の生意気坊主だった。それだけの話だよ。だから、それなりに愉快な生活を送ってきた」
カノンの瞳、その奥で真っ黒な何かが蠢いた。ヤレイが息を飲み、リトラが沈黙する。
「俺は、ヤレイを信用するよ。疑うようなことを言って、悪かったな。詫びって言い方も失礼だろうが、それなりに礼をする。酒か、食い物。それとも単純に金の方がいいのか?」
ヤレイの手は剣を振るって潰れた肉刺のせいですっかり硬くなっていた。相当に戦える少年がカノンを前にして圧倒されてしまう。
先に正気を取り戻したリトラが
「それは私が詳しくコイツと話しておく。悪いが、カノンは先に帰っておくれ」
「そうか? じゃあ、そうさせて貰う。じゃあな、ヤレイ。また、別に機会で」
紅茶を綺麗に飲み干し、
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