第三章  Ⅳ


               ○


 リトラに案内されて足を踏み入れた地下街は、カノンの予想以上に〝まともな空間〟だった。元々は肉体労働者を住まわせる簡易宿泊施設的な建物だったのだろう。一階建の簡素な石造りの、横に長い直方体が好き勝手に並んでいる。四件が密集しているような場所もあれば、隅にひっそりと一軒だけが立っているような場所もあった。もしかすると、住めないほど倒壊した家は壊して資材にしてしまったのかもしれない。明らかに不格好な手作り感満載の粗末な家も少なからずあった。少なく見積もっても、全部で百軒以上ある。水脈があるのか、新鮮な水の匂いがする。そして、大勢の人で賑わっていた。

 荷車で廃材を運ぶ青年に、赤子を抱く少女。杖がなければろくに歩けないだろう老人が適当な岩に腰を下ろしていた。中には、木箱を椅子に、樽の底を机代わりにして博打をする者達までいる。それらの内、こちらに気が付いた全員が同じ反応を見せた。まず、カノンを見て『なんだ、こいつは?』と怪訝そうな表情を浮かべる。そして、隣のリトラを見て『なんだ、リトラの連れか』と、納得したような表情になる。先程から、その繰り返しだった。ちなみに、剣は戻って来た少年にちゃんと返しておいた。

 共和国の辺境、奴隷制度が根深く残っている貧困窟では、人間よりも獣に近い生活をしている人々が大勢いる。そこらと比べれば、ここでは一定の秩序があるらしい。


「随分と広い空間だな、此処は。ほぼ、半球で半径約六十メルター、一番高い天井までは約四十メルターか。……地上から百メルターも下ってないだろうに、丈夫な岩盤でもあるのか? これ、地盤沈下したら不味いだろうに」


「ふふふ。そうならないように、対策は済んでるさね。よーく、天井を眺めてごらんよ」


 言われた通りに天井を凝らして眺め、ふと気が付く。真っ黒な土肌に何か薄衣のような物が張り付いていた。さらに目を細めて、理解する。あれは、根だ。極細の根が放射状に広がっているのだ。


「あれは包伸広葛スパイデカズー。土に無数の根っこを伸ばす、それだけの植物さ。太陽光に長く当てると大きな葉を広げて面倒なんだけどね、ここは地下だろう? 松明や油注灯火台オイルランプだけだと、成長が制限されちまうのさ。包伸広葛スパイデカズーが膜になってくれるお陰で、ここの天井は頑丈だよ」


 なるほどとカノンは納得する。周囲にある光源は、油を注ぐ街灯だけだ。すると、前方から少しだけ強い光が近付いて来た。ゆらゆらと大きく火が揺れる。あれは、松明の光りだった。男は警戒するも、リトラが一歩前に出た。


「頭領様自ら御出迎えだとは、どういう風の吹き回しですかい?」


 リトラから話しかけられた〝若い男〟が酒と煙草で喉を焼いた者独特のしゃがれた声で笑った。


「だーはっはっはっはっはっはっはっは! 相変わらずな女だな、手前も。様なんてつけねーでくれよ。背中が痒くて仕方ねーや。暇だったからな、散歩のついでだよ、ついで」


 歳はどう上に見積もっても二十代には届かないだろう。身長はリトラとそれほど変わらず、着ているのは黒い上衣服ジャケッド下衣服ズボン腰巻ベルトには、剣や投擲用の小さな斧を提げている。短い髪は磨くのを忘れた銀のようにくすんだ灰色だ。陽光が当たらないせいか、その皮膚は不健康に青白い。それでも、元気は有り余っているらしい。まるで、秋の山で暴れる木枯らしが人の子となったかのように。つい、狐を連想してしまうほど目尻が吊り上がった視線で、遠慮なくカノンを上下くまなく観察する。



「ほーほーほー。お前さんが太矢ターレルを避けたってねー。……強いのか、コイツ?」


「そこらの盗賊が何十人束になっても倒せやしないよ。カノンは『魔導鍛冶師』なんだ。下手な真似してみろ。魔術が雨みたいに飛んで来るさね」


 己の手の内を明かされ、カノンは心臓を鷲掴みにされた心地だった。そして、ふと違和感を覚える。目の前の少年は『魔導鍛冶師』と聞いて、うんうんと頷いただけだった。言葉の意味を深く理解していないのか。それとも、もっと別な方向で思案しているのか。

 少年は、にかっと笑ってカノンへと右手を伸ばした。彼は黙って握り返す。すると、先に手を伸ばしたはずの少年は驚いたように目を丸くした。



「地下で住んでる奴の手なんて、汚くて触れないとか言わねーのかい?」

「俺は一人で銃を作ってきた。むしろ、俺の手の方が汚いぞ。なんせ、もう油が皮膚の皺に染み込んで、何度洗剤を使っても汚れが落ちないんだからよ」


 

ニヤリとカノンが笑う。目の前の少年は、釣られたように似たような笑みを浮かべた。


「ヤレイ。ヤレイ・アーシュだ。よろしく」


「カノン。カノン・レミントンだ。よろしく」



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