第三章  Ⅰ



 紙税、及び印刷税が廃止されたのは今から二十年以上も前の話だ。現在では数多の出版社が運営され、とくに大衆向けの雑誌が人気をはくしている。アディリシアが在籍している魔銃学園『ベルヘルム』でもっとも話題に上がるのは、他でもない港湾都市・アマンデールに本店を構える出版社『バフィリオン』が製作している大衆雑誌『週刊ホーワイト・キャッツ』だ。有名な歌劇オペラの演目や、劇団の情報、流行っている服や小物の情報、小粋な喫茶店の情報などなど。ともかく、街の流行りを一早く伝える最重要雑誌なのだ。これに敵うのは新聞ぐらいな物だが、質と量はやはり雑誌に分がある。なので、毎週金曜日になると、皆が一冊の雑誌に群がって話に華を咲かせる。


「この服ステキ! ピスパークの新作単一着ワンピース。やっぱり、今の季節は青が映えるわね」


「劇団・向日葵荘って二番街のどこだっけ? 大通りを抜けた先の三つ角だったかしらん」


「蜂蜜たっぷりの果実乃宮殿式焼き菓子フルーツ・タルトがこの値段? 嘘、信じられない。これは絶対行こう!」


 一度銃を握れば軍人に変わる彼女達も、今は一人の乙女として年相応に目を輝かせている。

 魔物の襲撃があった翌日の聖金曜日。三年から六年生までの選ばれた数割が通常授業を変更し、街の警備に当たっていた。アディリシアが属する三年三組は午後から、三年六組と警護を交代する。今はちょうど、昼休み。少女は六階にある談話室に訪れていた。

 談話室とは、生徒達の交流を目的とした部屋であり、内部は豪華な喫茶店のような造りだ。丸汎用卓テーブルを囲んで雑誌を読む乙女達。紅茶片手に談笑する姉と妹。隅の方で、後輩に勉強を教える先輩まで居た。皆が思い思いに過ごす中で、アディリシアは椅子に深く座り直して深々と嘆息を零したのだった。対面して座る三つ編みの少女、エミリーが手元に残った数枚の紙札カードに視線を落とし、勝利を確信した笑みを浮かべた。


「お、おお? これは私の勝ちかな? アディリシアも敗北の味を覚えちゃうかなー?」


 二人と同じく椅子に座って丸汎用卓テーブルを眺めるのは、クロムウェル、レビィ、アマンダである。今、五人は遊戯の最中だった。王国で広く浸透しているバスティルと呼ばれる遊戯である。十六種類四組、特殊札六枚計七十枚の絵札で遊ぶものであり、比較的短い時間で勝負が着くので、生徒達の間でなかなかに人気である。

 基本的内容=限られた枚数の中で役を作り、場に出す。役は揃えるのが難しい組み合わせ程、点数が高い。レビィ、アマンダ、クロムウェルの順で抜けていき、残ったのがアディリシアとエミリーだ。ちなみに、縦螺環ロールの淑女は負けなしである。今、歴史が変わるか。


「ふっふっふっふ。悔しいよね、アディリシアちゃん。けど、負けるって言うのは、誰にでもあるの。いつまでも勝ち続ける者なんて存在しない。潔く負けを認め――」


「――役の提示。神々、大陸、王国に続く民の名は『太陽の導き手』。いかがですか?」


 アディリシアが場に絵札を表表示で出す。アマンダが『やっぱりかいな』と呟いた。


 一瞬、何が起こったのか理解出来ないエミリーが表情を硬直させ、涙目で叫んだ。

「ええええ!? なんで、どうして!? なんでこんな土壇場でそんなに高い配役出せるの? 今の溜息何? え? 私が馬鹿みたいじゃん!」


 不服を喚き散らすエミリーだったが、アディリシア以外の全員が力強く頷いた。


「手前が馬鹿なのは、今に始まったことじゃねーだろ。札を交換する度に表情をコロコロ変えたら、誰だって手前の腹の内が見えるだろうさ。それを馬鹿って言うんだよ馬鹿」


「うち、共和国生まれやし、子供の頃から遊びまくってるってエミリー言うとったやん。それがもう、これやもんなー。エミリーの頭の中には、何が詰まってるんやろなー」


「少なくとも政海真底海老ジャンガラ・エビの味噌ではないことを祈りたいね。正直、通算百二十戦のうち、八割の確率でドンケツになっているのがエミリーという事実に、僕は驚愕を隠せない」


 戦友数名の容赦ない批判に、エミリーは三つ編みを振り回す勢いで拗ねる。そこらの街角で菓子をせがむ幼子と変わらない光景だった。


「私が弱いんじゃないもん! 皆が強過ぎるだけだもん! レビィなんか絶対にイカサマしてる癖に! 五回連続で一番上がりなんておかしいもん!」


「バーロー。バレないイカサマはイカサマじゃねーんだよ。なんか証拠あるのか? え?」


 レビィの鋭い眼光に、エミリーは言葉を詰まらせる。その間に、アディリシアは並べられていた絵札を緩慢な動作で回収した。その様子に、クロムウェルが片眉を上げる。



「アディリシア。どうかしたのかい?」


「え? ……別に、なんでもありませんわ」


 アディリシアが咄嗟に作り笑いを浮かべるも、レビィが睨みつけるように少女を見下ろす。ガリガリと後ろ髪を掻きながら口を開いた。


「なんか、隠しているだろ。――あの先公のことか?」


 鋭い指摘に、アディリシアが息を飲んだ。そして、絵札と一緒に用意していた紅茶を一口だけ飲む。勝負に熱中していたせいで、すっかりと温くなっていた。小さく息を吐き、疲れたように目頭を揉む。


「概ね、正解ですわ。私の憂いは、あの駄犬のせいです。……皆さんは、今回の事件。どのように考えていますか?」


 唐突な質問に、アディリシア以外の皆が顔を見合わせる。そして、代表するようにクロムウェルが言った。この中で一番、聡明なのは、彼女である。一番馬鹿なのは、エミリー。


「魔物の大量発生。そして、世界救済連合『レージェ・バザリスタ』と名乗ったミーシャ。この二つに関連性があるのは明らかだ。今、街は混乱に包まれている。早急に手を打たないといけない。街で魔物が出現するなんて、安全の信頼性は薄れ、大きな不幸に繋がる」


 今回の事件。学園側が把握している中でも、十ヶ所にも及ぶ場所で魔物が出現した。幸いにも死者は出なかったものの、建物や街路、停まっていた蒸気自動車などを含めた〝人間以外の物〟の損害は著しく、今も交通規制がされている場所が多い。都市で発行される朝刊の全てが、事件について様々な議論を述べていた。


「このアマンデールって街は色々な国から船が往来する。まさに、王国経済の主力と呼ぶに相応しい場所だ。もしも、街中に魔物が出るから商売は控えるなんてことになれば一大事だろうね。商売の要である様々な船貿易が凍結したら、それだけ金貨何百万枚って損害だろう。商会の中には悠久独立魔導都市国『マギア・アムネートゥルム』の大魔導士様が着る単一外衣ローブに使われる『重さを知らぬ七聖獣』の毛皮を扱っている奴らもいる。まさに、都市の存亡を賭けた問題だ」


 都市とは多くの人が集まり、多くの物事が複雑に絡み合う。まさに、時計のようなものだ。幾つもの歯車、羽根、部品が組み合わさり、一つの時を紡ぐ。もしも、どれか一つでも欠ければ、たちまち壊れてしまうのだろうから。


「……それだけや、ないで。ここは帝国『シュバルツァーゼール』との国境付近や。帝国様が『アマンデールから漏れ出した魔物がこちらの国に来ると危険だから軍を配置する』なんて言われたら断りきれん。あっちに武力介入させる理由を作らせてしまう」


 ギシリと、アマンダが奥歯を強く噛み締めた。その横顔には、妄執にも似た殺意が浮かんでいた。数年前の紛争で壊滅した、彼女の故郷・セレナサーデ。戦を先に仕掛けたのは帝国側だった。恐らく、過去の事件と今を重ねているのだろう。


「流石に、昨日の今日であの糞野郎に関する情報は集まらねーか。ったく、忌ま忌ましい」


 レビィが露骨に顔を顰めて舌打ちする。ミーシャと出会ったのは、彼女とクロムウェル、アディリシアの三人だけだった。人相書はすでに自警団及び全生徒に伝えている。もっとも、恥女が口にした世界救済連合という名前は伏せ、ただの火事場泥棒ということにされている。これは、余計な不安が民に流布しないようにする学園長や自警団・団長の配慮だった。

 世界救済連合『レージェ・バザリスタ』の名前を知っているのは、学園長と五・六年生の一部。自警団の団長と副長。傭兵組合の長。教会の聖導騎士。ここにいる五人。そして、カノン・レミントンだけだった。アディリシアは紅茶を飲み干し、絵札を混ぜる。



「ところでさ、事件と先生、何か関係あるの? 私、よく分からない! なんでなんで?」

 エミリーが元気に首を傾げた。正直なのが彼女の長所でもある。クロムウェルが黙ったまま微笑んで三つ編み少女の頭を撫でた。アディリシアが咳払い一つして、言葉を続ける。


「あの駄犬。私の許可なく早まった真似をしたのです。……それが、腹立たしい!」


 憤怒。赤熱した斧を振り回す古の魔神を彷彿とさせる表情に、他四人は口元を引き攣らせた。アディリシアは三年生の中でも血の気が多いことで知られている。それでも、ここまで怒りを露わにするのは初めてだった。


「か、カノン先生は一体全体、何者なんだい? ただの教師が魔導具を持っているなんておかしい。それに、彼の言葉だと、まるで自分で銃を作ったかのような語り方だったけど」


「そうそう。カノン先生、羽風掴星銀ウィンゼルシルバリスの加工するのは大変だったって自分で言ってた。先生って銃の鍛冶師さんだったの? 不況で教師に鞍替えしたとか?」


「あれだけの魔導具を作れる人が、わざわざ教師にならんでもええやよ。不思議やな~」


「あの野郎、ただもんじゃねーな。いつもの冴えない顔と大違いだ」


 皆が好き勝手に語り、アディリシアへと視線が集中する。あの場には、アリス含め他の生徒もいた。遅かれ早かれ、噂は回ってしまうだろう。気高き魔女は形の良い顎に手を当て、思考の歯車を少しばかり回した。この四人なら、いいのだろうか。


「……私は、皆さんを友だと認識しています。聞く聞かないで、その関係が崩れることはない。そう信じています。だから、答えてください。カノンが、この学園の教師になった本当の意味を、知りたいですか? もしも、知ってしまえば、後戻りは出来ませんよ」


 脅しではない。それは、忠告だった。四人は顔を見合わせ、まず真っ先にレビィが言う。


「この私がビビると思ってんのか? 笑えない冗談だね」


 レビィは椅子に深く座り直す。まるで、聞くまで此処から離れないと意思表示するかのように。続けて、アマンダとエミリーが頷いた。


「私は聞くよ! カノン先生の正体、聞きたいもん」


「せやせや。此処で聞かんと、ただの臆病者やもん」


 そして、クロムウェルが最後に嘆息を零した。銀髪の少女は、アディリシアへと、困ったような笑みを送る。


「僕は君が思っているよりも善人ではないかもしれない。それでも、君の友で有りたいと思う。そして、僕は自分が知らないって言うのが猛烈に嫌な性分なんだ。聞かせておくれ」


 全員の意見が一致する。アディリシアは、愛おしい者を見るように目を細め、僅かに後悔を覚えた。まだ、伝えるには早すぎるのではないかと。カノンと約束している。彼女の方から語るのは禁止していないものの、彼の意見を無視する形になってしまう。

 それでも、思う。今回の事件は異常だ。だからこそ、こちらも相応の力を用意しなければいけない。アディリシアは周囲をさり気なく見回し、四人に部屋を出るように視線だけで促した。こんな時に悪知恵が働くのがエミリーだ。無駄に大きい声で『そういえば、宿題が残ってたんだ』と立ち上がる。レビィ、アマンダ、クロムウェルも適当に会話を繋ぎ、当然のように立ち上がった。


「じゃあ、レビィ達の部屋で勉強会でもしようか。アディリシア、講師役を頼むよ」


「ええ、では、しっかりと教えて差し上げます。皆さん、覚悟してくださいね」









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