第二章  Ⅱ

                ○


 黒鋼纏小竜リザーター・クロムの行動は単調だった。目の前にある物を手当たり次第に壊す。建物の壁を体当たりで砕き、蒸気二輪車を前脚で踏み潰す。強靭な爪と鱗は鋼鉄の塊だろうが容赦なく砕き、引き裂き、蹂躙する。正に、暴力の化身だった。周囲では人々の悲鳴が絶え間なく広がっている。このままでは、住民に被害が及ぶのは時間の問題だろう。

 クロムウェル・S・Q・ウィンチェスターはレビィと一緒に地上へと下りた。アマンダとエミリーは最初に居た建物の屋上に待機させる。今こそ、日頃の成果を実証する時だ。

 二人の動きに一切の無駄はなく、ほぼ全力疾走で魔物との距離を詰める。その速度は真夏の烈風であり、静けさは猫の足音と同義。そこに、魔術的な補助はない。学園で三年間も修練を重ねれば、貴族の御嬢様達は意思を持った銃と成り、剣と成る。

 手信号ハンド・シグナルでクロムウェルはレビィに『止まれ』と指示した。金髪の女は頷き、足を止める。敵との距離、直線で約五十メルター。二人は今、手頃な建物の裏手に身を顰めている。後数歩も進めば表通りだ。両者の左腕が別の生き物のように動く。 


『逃げ遅れた奴らはいないみてえだ。もう少し、近付くか?』


『いや、ここから撃とう。敵の能力を測っておきたい。まずは、牽制だ』


 クロムウェルが小銃の撃鉄を起こした。レビィがニヤリと笑みを浮かべ、同じように撃鉄を起こす。銃身に開いた穴である銃口が先端なら、末端の銃床は銃把へと続く木製の肩当て部分だ。右利きなら、此処を右肩に当てて銃を固定する。小銃とは、狙って撃つ銃器だ。銃身の下半分を覆い、支える木製部分を左手で掴み、銃床を肩へ、銃把を右手で握る。

 そして、クロムウェルは夏の熱気も焦燥も恐怖も全て忘れる。きっと、レビィも。

 狙いは当然、黒鋼纏小竜リザーター・クロム。王国や帝国の軍人と比べても、遜色ない見事な構えだった。彼女達は、有事の際には本物の戦場に駆り出される。ちょうど、今のように。クロムウェルは銃を支える左手の人差し指で、トン・トン・トンと銃の側面を叩く。三秒後、二人は同時に引き金を絞った。拳銃とは比べ物にならない轟音が大気を叩く。だが、銃口から零れる緋色と濃い橙色の発砲炎は拳銃よりも少ない。実のところ、発砲炎とは黒色火薬が燃焼〝しきれなかった〟現象に過ぎない。いわば、不効率の証明。拳銃を超える一〇〇〇ミリット・メルターの銃身内で、火薬は狂乱苛烈に燃焼を〝果たす〟のだ。

 音速の二倍強で放たれた魔石は臨界速度に達し、黒鋼纏小竜リザーター・クロムに激突、瞬間、紫電の鎖が十二条の憤怒となって巨体に絡みつく。王国が誇る武器商会『ランドブルズの聖槍同盟』産の小銃・ランドブルズM七型の五〇口径に刻まれた術式の名は『雷華葬送サンダラー・ザイン』。飛翔半ばで魔術に変化するのではなく、着弾と同時に発動させる方式で、魔石による有効射程範囲は最大四〇〇メルターに届く。鋼鉄を踏み潰しても平気だった魔物が、苦悶で身を震わした。堅牢な鱗が融解し、まるでオーブンに入れられた鶏のように湯気を噴く。


大当たりだな、糞ったれバロック・オールティ・ハレルヤ!」


「おっと、ここにもパトリシー信者がいたか。まあ良い。さあ、行くよ」


 勇猛果敢にも、二人は接近する。遠距離用の武器を持ちながら敵へ近付くのには、大きな理由があった。敵の注意をこちらに引きつけるためである。


「ここは『ベルヘルム』の生徒である僕達が守る。他の住民の皆さんは早く逃げてください! カナフィ街路ストリートに自警団二番街支部がある。さあ、走れ! とっとと走れ!」


 いつもの物静かなクロムウェルからは信じられないような、大きな声に隣のレビィが目を丸くする。その間にも二人の両腕は忙しなく動く、銃口へと紙薬包を入れ、長い突き棒で末端まで押し固めた。突き棒は銃身に沿うようにして収納する。ちょうど、傘立てのように。雷管を新しい物と交換した時だ。前方、右斜め六十メルター先から女性の悲鳴が。


「まだ、まだお店の中に娘が! ケイトが! ケイトが中にぃいいいいい!!」


 必死で手を伸ばし、足を動かす女性を後ろから掴んで離さないのは夫だろうか。クロムウェルはすぐに理解した。そして、レビィに伝えるまでもなかった。


「ちょうど良い! 特大の花火を上げてやる。目ん玉かっぽじってよおおおく見やがれ!」


 レビィが小銃を掴んでいる手を離す。負い紐を基点にして、小銃がぐるんと回って背中に当たる。金髪の銃士は右手に輪転式拳銃を引き抜き、立て続けに発砲する。六発の鉛弾が黒鋼纏小竜リザーター・クロムの右眼球へと吸い込まれ、血が爆ぜた。間髪を入れずに小銃を発砲。残った左眼球へ紫電の毒蛇が食らいつく。血が沸騰し、気化し、血霧へと変わった。

 それでも、魔物は倒れない。それどころか、眼球が超高速で再生していく。急速に膨張、増加した細胞が傷を補完していくのだ。まるで、時計の針が逆に回り出したかのように。黒鋼纏小竜リザーター・クロムは、その再生能力から厄介と評される。帝国に残った文献によれば、胴体から真っ二つになっても生き残った個体が存在したらしい。クロムウェルは舌打ちし、だが片頬だけを歪める笑みを作った。この程度の、想定の範囲内だからだ。

 クロムウェルの右腕が頭上高々と伸ばされ、そのまま肩の高さまで振り下ろされる。それが、合図となった。


「レビィ!」


「了解だ!」


 黒鋼纏小竜リザーター・クロムが視界を取り戻し、憎き敵を、愚かな人間を食らわんとクロムウェル達に接近する。だが、二人への距離を詰めるのは敵わなかった。天から飛来した〝何か〟が魔物の頭部に激突し、轟音と共に爆破。赤黒い猛火が大輪の花を咲かせる。途方もない風圧に二人は危うく転び掛けた。まるで、見えない巨人の手に押されたかのような衝撃に目を見開く。レビィが容赦なく怒気を露わにした。


「あの糞馬鹿ドチビ! 何が『ちょっと弱めだから牽制ぐらいになるかも』だ!? ただの黒色火薬じゃねえ。コイツは軍用の爆用火薬ダイナマイトだ! これをどこで作ったんだ? 寮か? 寮なのか!? 私が寝ている横でこんな危ねえもんを作ってたのかよ、あの阿呆のすっとこどっこいは! この戦いが終わったら、絞めてやる」


「けほけほっ。まあまあ、落ち着きなよ。……どうやら、予想以上に利いたみたいだ」


 クロムウェルが口元を片手で押さえつつ、小銃の銃口で黒鋼纏小竜リザーター・クロムを差した。すると、まるでタイミングを計ったかのように、腐った水瓜が地面に叩きつけられたかのような御音がした。大蜥蜴の頭部から夥しい量の血と脳漿が滴り落ちているのだ。下顎の歯並びがはっきり見えるほど、頭部が損傷している。人間で言えば左脳の四割が削り取られ、右脳はほとんど、吹き飛んでしまっている。苦痛の吐息か。喉奥から血の塊がいくつも吐き出される。だが、まだ死んでいない。それでも、自己治癒能力が完了するまで猶予があった。


「クロムウェル! ともかく、ガキを探すぞ。このデカブツ、今の装備じゃ殺しきれねえ」


「ああ、そうだね。じゃあ、どっちが先に見付けるか、競争しよう。負けた方は、共和国ウララン領ウリリリ村に伝わるウロロロ汁の一気飲みなんてどうだい?」


 クロムウェルが口にした飲み物の名前に、レビィが一瞬、顔を顰め、そして『上等!』と頬を歪める。学園では『あれは体罰の一環だ』とまで言われるウロロロ汁は飲めば半日は意識を失う。そして、一週間は飲み食いする全ての味が苦いとしか判別出来なくなる。

 身体にすこぶる良いお茶で、とくに二日酔いには劇的な効果がある。金を賭けるよりも、余程に危険で愉快で興奮する勝負だった。


「その澄まし面、恐怖と絶望で歪めてやるよ」


「ああ、それは結構。同じ言葉を君に返すよ」


 お互いに顔を見合わせ、目の前の料理店へと二人は足を踏み入れたのだった。

 民を助けるためなら、危険もいとわない。それが貴族であり、銃士だからだ。


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