第二章  Ⅲ

               ○


 黒鋼纏小竜リザーター・クロムの恐ろしい点は、強靭な爪でも、凶悪な牙でも、堅牢な鱗でもない。その出鱈目な自己再生能力だ。エミリーは小銃に装着した円筒の単眼遠見鏡スコープを覗き込み、口をへの字にする。あれだけの爆薬をくらって、もう再生が始まっているのだ。人間なら二十人は纏めて殺せる量の投擲弾が、牽制程度で済まされた現状に、少女は大いに嘆く。


「うわっ。あれ、私の自信作だったんだけどなー。やっぱり、魔物相手にはちと弱かったみたいだね。よーし、次は火薬の量を倍にして、鉄欠片を混ぜよう」


「ぐちぐち言うとらんで、ちゃんと狙っときな。八十メルター近く離れたここからじゃ、拳銃は当たらん。店ん中に入ったのは多分、生存者を助けるためや。うちらの補助が必要な場面がきっとくる。それまで、下手な真似は出来へん」


 アマンダは小銃を構えたまま、魔物を睨みつける。そして、ギシリと歯を鳴らす。


「怖いなぁ。実戦の空気は未だに慣れへん。命の一つ一つがえらい軽くなる。まるで、紙風船みたいや。軽くて、脆くて、簡単に〝くしゃっ〟ってなる。……絶対に誰も死なせへん。ここで命落としたら、これまでの時間が嘘になってしまうやろ。だから、負けへん」


 エミリーはアマンダの言葉に、胸の奥で茨の棘を感じた。赤茶髪の友は共和国『ディアマーテ』でも貿易都市として知られるセレナサーデ出身だ。数年前の紛争でセレナサーデは壊滅し、王国へと亡命した過去を持つらしい。いつも明るい性格の友は、時折、瞳に拭いきれない影を落とす。今、街の一角は恐怖の渦だ。もしかすると、当時の光景を重ねているのかもしれない。ならばきっと、ここで負けてはならないのだ。

 黒鋼纏小竜リザーター・クロムが視界を取り戻し、店へと突撃しようとする。エミリーはすかさず発砲し、魔物の脳天に『雷華葬送サンダラー・ザイン』を命中させた。半秒遅れて、アマンダの魔石も臨界速度に達し、紫電の牙を走らせる。黒い巨体が痙攣し、動きを止めた。


「遅いぞ」


「……はは。こりゃ、すまん」


 アマンダが苦味の濃い笑みを浮かべた時だ。頭上に大きな影が差す。まるで、雲が密度を増したように。エミリーは咄嗟に顔を上げ、息を飲んだ。そして、小銃を地面に捨てて輪転式拳銃を抜く。頭上から急降下したのは、翼を持つ荒熊、滑空落狂熊ベルア・グリズリア。地上を走るだけの熊が翼を生やし、一蹴りで木々を二十から三十メルター単位で滑空する魔物。全長三メルター。重量は二トゥン・グラッムに届く。まさに、動く破城槌だった。

 加速がついた重量から振り下ろされる剛腕。その爪は人間の頭部を容易く圧し折る。エミリーとアマンダは咄嗟に地面を蹴って回避に徹した。それで、正解だった。滑空落狂熊ベルア・グリズリアが着地しただけで、屋上が陥没する。まるで、隕石の落下。積層焼パイ用の生地を叩き落としたように、地面に敷き詰められた煉瓦が飛び散った。新しい脅威の出現に、三つ編みの少女は開いた口が塞がらない。滑空落狂熊ベルア・グリズリアが、この地方に生息しているはずがないのだ。それも、一体だけではない。二体、三体と屋上に急降下する。あっと言う間に、四体の魔物に囲まれてしまった。まさに、万事休す。壁となす魔物の灰色の剛毛が逆立っている。それは、獲物を前にして興奮している証拠だった。腹を空かせているのか、牙を覗かせる大きな口から涎を垂れ流している。閉じた翼の代わりに、両腕の爪が忙しなく動く。

 まるで、どちらから食べようか品定めしているかのように。 


「こりゃあ、あかんなぁ。……どないしよか?」


「うーん。そうだねぇ。……とりあえずさ」

 

 エミリーが輪転式拳銃の撃鉄を起こし。黄金の双眸を爛々と光らせる滑空落狂熊ベルア・グリズリアの頭部を狙う。その横顔は恐怖で引き攣るも、まだ、戦意は萎えていない。


「一匹でも多く、道連れにするってことでいいかな? ただじゃあ、死にたくないしね」


 二人は、魔物に勝るとも劣らない獰猛な笑みを浮かべていた。

「ああ、そいつはええな。うちらの棺桶には、上等な熊さんの毛皮でも入れてもらおうか。あの世への道は寒いらしいからな。毛皮の外套と靴があれば、言うことナシやろ」


 アマンダが小銃を固く握り直し、銃剣を伸ばす。エミリーが引き金を絞ろうとして、声。


「三打射撃開始。目標、滑空落狂熊ベルア・グリズリアの群れ。撃てえぇええええ!!」


 十重二十重の銃声が一斉に飛来。魔物へと音速超過の弾丸が次々と当たり、紫電の牙が花開く。それは魔術『雷華葬送サンダラー・ザイン』だった。雷撃に蹂躙された滑空落狂熊ベルア・グリズリアの剛毛が焼け焦げ、血肉が沸点を越えて爆ぜ飛び、双眸が白濁する。この魔物に黒鋼纏小竜リザーター・クロムのような再生能力はない。それでも、最後の力を振り絞るかのように魔物が血泡混じりの雄叫びを上げ、エミリー達へと襲い掛かる。しかし、音もなく着地して割って入ったのは同じく学園の軍服を纏う女傑達の背中。銃剣を巧みに操って爪を受け流し、返す刃で滑空落狂熊ベルア・グリズリアの脳天を貫く。小銃に採用された刃は重躁剛黒鉄アイン・クロオメテオ。鍛造造りの刃は、魔物の分厚い肉と皮を貫き、脳天に深々と穴を開けた。

 巨体が背中から次々に倒れる。呆然とするエミリーとアマンダに声をかけたのは、砂漠の国の暁にも似た、濃い金色の髪を、狼の尻尾のように靡かせる〝先輩〟だった。


「良かった。どうやら、間に合ったみたいだね。五年生のアリス・R・T・ユーリィーって分かる?」


 即座に反応したのは、アマンダだった。頬を上気させ、アリスと名乗った先輩へ、キラキラと輝かせた視線を向けたのだった。


「五年四組のアリス先輩や! 王国軍と一緒に烈赫棘望帝火竜ボルケエウス・ドラゴンを討伐した『竜殺しのアリス』! うわっ感激やわ。助けてくれてありがとうございます。ほんま、助かりました」


 アマンダの歓迎っぷりに、屋上へと集まった十人の先輩達がニヤニヤとした視線をアリスへ向けた。『よっ、五年四組のエース!』と囃し立てる者までいた。『金色の狼』とも評される少女は気恥ずかしいのか、わざとらしく咳払いした。


「正規軍と一緒に竜と戦っただけで『竜殺しのアリス』って言われるのは、すっごく不本意なんだけど……ともかく。君達は、まだ戦える? 今、街は相当に不味いことになってるよ。あちこちで魔物が暴れている。学園に非常警報が発動されたの」


「じゃあ、じゃあ、この騒動って、まさか、帝国や共和国からの攻撃なんじゃ。それか、悠久独立魔導都市国家『マギア・アムネートゥルム』の魔術師が召喚術を使って……」


「落ち着けえなエミリー! ともかく、戦うしかないやろ。先輩達、お願いします。下でうちらの友達二人が黒鋼纏小竜リザーター・クロムと戦ってます。助けるの、手伝ってください」


 エミリーの懇願に、アリス含め先輩銃士の視線が鋭さを増した。そして、淀みなく小銃の弾丸を再装填する。アマンダ達よりも、その動きは数段早かった。たった二年。されど、二年という歳月は、銃士をより高みへと送り届ける。鍛練の末に鍛練。文字通り、血が滲むような時間が彼女達をそうさせた。黒鋼纏小竜リザーター・クロムの名を聞いても、五年生は恐れない。


「五年四組、一個分隊。これより、後輩及び民間人の救出を開始する。戦術は攻撃式十四番を採用。全員、気合を入れろ。私達の背中を見る後輩達の前で、無様な真似は許さない」


 アリスの声に全員が声を合わせた。まるで、一個の巨大な生物と化したかのように。


「「「応っ!!」」」


 エミリーは当然、先輩達がクロムウェルやレビィのように、屋上から下へ階段か空中街路でも使って下りると思っていた。しかし、アリス達は、あろうことか次々と〝跳び下りた〟。まるで、集団自決でも企てたかのように。唖然とし、半秒後、愕然とする。


「えええ!? ちょ、嘘! アリス先輩? アリス先輩!? なにしてんですか!?」


 三年生二人は大慌てで屋上の手摺から下へと首を曲げる。地面へと見えない手で引っ張られていた先輩達の落下速度が不自然に遅くなった。まるで、空気の粘度が変化したかのように。音もなく、先輩達は着地した。エミリーは気が付けただろうか。アリスの右手に単発式の小口径拳銃が握られていたことを。この拳銃は、大気を操作して落下を緩慢にする、移動用の術式が刻まれた魔導具なのだ。今、まさにクロムウェル達が入った店の中へと突撃しようとした黒鋼纏小竜リザーター・クロムの背中を、数発の『雷華葬送サンダラー・ザイン』が撃ち抜く。


「あ、あれが、五年生か……まるで大違いや。って、見惚れてる場合やないでエミリー。うちらも協力を」


 アマンダが言いかけ、声を失う。頭上に再び影が差したのだ。即座に反応したエミリーが小銃の銃口を向け、大きく目を見開いた。空を駆けたのは、魔物ではなかった。灰色の馬に跨った金色の縦螺環ロール。誰が呼んだか『ベルヘルムの攻城砲リボドゥカン』。こちらを一瞥もせず、前だけを見たまま躊躇なく屋上を一蹴りして地上へと再度跳んだのだ。残された二人は、ポカンと口を開けるばかりだった。


「今の、もしかして、アディリシア・W・D・レミントンさんでごぜーますかですか?」


「おい、エミリー。口調が変わってるやないかい。いや、ほんまにアディリシアかいな?」


 二人は顔を見合わせ、はっとし、大慌てで地上へと下りたのだった。無論、三階から飛び降りず、階段と空中街路を使って。

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