第一章  Ⅵ


               ○


 大都市ともなれば、当然のように街中が蒸気機関の駆動音で埋め尽くされる。まるで、魔王の喘息、あるいは、火竜の鼻息か。石炭を燃やすことで発生する煤煙のせいで、灰色の霧が途絶えず、昼下がりの太陽は薄らぼんやりと見えるだけだった。カノンとアディリシアが歩く十字の大通りを往来するのは、蒸気駆動の二輪車バイク三輪車トランクそして四輪車。今、遠くに見えたのは二階建ての大型バスである。四車線の決められた道を、多くの車達が力強く進む様は魔物の行進に負けないほどの迫力がある。もっとも、動きはやや〝緩慢〟だ。出力全開なら馬さえ追い越す蒸気機関は、事故防止のために厳格な法定速度が定められており、破ると重度の罰金を強制されるがゆえに、街中では全力を出せないでいる。

それでも、人々の生活を一変させるに足りる能力を誇るのだ。地上と地下を自由自在に繋げる蒸気機関車は街の大動脈であり、線路の上を機関車が駆けない日などない。まさに、蒸気によって支えられている街だった。蒸気革命は、今もまだ、続いているのだ。

 他の国、領土、町、村との交流はここ数十年で爆発的に増加し、アマンデールの人口も倍以上に増えている。人口過密に対処するため、四階から五階建て以上の背が高い建物が数多い。大通り周辺も例外ではなく、まるで巨大な迷路の中に居るかのようだった。

 木造の建物は皆無であり、ほとんどが煉瓦や石壁だ。これは、火事対策の意味合いが強い。炭や石炭の使用量が増えたための対策である。地面は石畳みが規則正しく敷き詰められ、街全体が灰色に染まっているかのよう。

 街の景色を埋めるのは車や建物だけではない。多くの人間が街の中で生きているからだ。まるで、お祭り騒ぎ。大通りは道に沿って建物が一個の壁であるかのように密集している。とくにパン屋や服屋、雑貨屋、貸出本屋などなど、人々の生活と精通した店が多い。当然、それを目当てに集まる者達が多く、周囲は人、人、人。まるで、人の洪水だった。宿を探す旅人風の男に、井戸端会議に精を出す主婦達。顔を真っ白に塗った道化師の仮装で玉乗りをする旅芸人一家。クレール(共和国北部の遊民族が使う五弦楽器)を陽気に掻き鳴らす者までいる。杖を付いた老夫婦が子供用服の店に入った。孫への土産でも選ぶのかもしれない。商いに尽力しているのは、壁がある店を持つ者だけではない。荷車を改造した移動式積層焼パイ売りや、大きな木箱に林檎を沢山乗せて売り歩く者もいる。最近では商売も一筋縄ではいかない。客を引き留めるために、大きな看板を身体で挟んで宣伝する〝ウィックサンド・マン〟が声を張り上げていた。

 季節は夏。外でじっとしているだけでも頬には汗が滲む。それでも、肌を露出した服を着ている者は誰もおらず、必ず長袖か外套コートを纏っている。そのうえ、帽子までしっかり被っているのだ。これは、煤煙による霧で肌が汚れるのを防ぐためだ。また、女性は亭主以外に肌を見せるのは下品とされている。どうしても、肌を晒せない理由があるのだ。

 港湾都市・アマンデールは、空から見れば楕円の形を成している。波止場は南に位置し、北東から南西に大きく緩やかに蛇行するティフォーネ河・本流を通じて、様々な町や都市と船を通じて繋いでくれる最重要地点だ。総じて、ここ一帯の波止場を含めた商館、船乗り用の施設が集まった場所を一番街と呼ぶ。傭兵組合は逆に北側に位置する。本流と比べて横幅が半分にも満たない支流の傍にあり、陸路とを繋ぐ橋に睨みを利かせるような効果をもたらす。こちらは四番街。旅人用の露店、宿、娼館などが集中している。

そして、二番街の繁華街は都市中央の大通りに集中している。卸売市場の三番街とほぼ統合している状態であり、繋がりが強い。いくつかの組合も、ここに集中している。

 市庁舎は都市の中央からやや西へ寄った場所にある、五番街に設立されている。近くには自警団本部が設置されており、有事の際は、ここが一大拠点となって都市防衛の要となる。東に位置する六番、七番街は工業系の施設が並び、職人気質の連中が多い。

 住宅街は身分からくるどうしようもない格差のため、一か所に集中せず、五番街近くにある高級住宅街の六番街。また、四番街とほぼ統合された庶民用の住宅地である七番街などがある。と、カノンはアディリシアの話を全力で思い出していた。彼らが足を運んだ薬屋があったのは、傭兵組合が属している四番街の隅にある裏通り。裏道は複雑で、地元人でなければ、あっと言う間に迷ってしまうだろう。


「……ところで、なんでアディリシアまで付いて来るんだよ。頼むから、止めてくれよ」


 カノンはぶつからないように注意しながら歩を進める。そんな彼は、右手に杖を握っていた。しかし、別に足が不自由なわけではない。杖とは腰の曲がった年寄りが持つ歩行補助器具。というのが本来の使い道だが、貴族の間では杖を持つことそれ自体が一種の価値とされている。もっとも、貴族だけではなく、それなりに位が高い人間、あるいは、位が高いと自負する人間も杖を握るのだ。また、自衛用の棍棒の役目も担っており、仕込み銃や剣などの物騒な杖も存在する。カノンが持つ杖は内部に鋳融かした鋼鉄が仕込まれた特別製だ。これで頭を叩けば、金槌で胡桃を取り出すように頭蓋骨が砕ける。

 一方で、貴族の女性は日傘を差すのが一般的だ。日焼け防止と御洒落、そして自衛のためでもある。アディリシアが握る藍色の傘は布地部分が防弾、防刃用で、なかなかに剣呑な仕上がりである。――そう、カノンの右隣りに、当然のように彼女が居るのだ。


「あら。私が隣を歩くことを許可しているのです。至上の名誉としなさいな」


「ここは店の外だぞ。もしもバレたらどうするつもりだ? ったく、我儘だな、お前」


 不幸中の幸いか。人々が密集しているお陰で、二人が並んで歩いているようには見えない。しかし、もしもバレてしまえば教師が生徒と授業中に〝いちゃいちゃ〟している一大事件である。そんなことになれば、学園設立以来初の大事件であり、大珍事だ。辞職だけで済めば運が良い方だろう。最悪、貴族の娘を誑かしたと処刑になりかねない。


「御安心を。ほら、外套コートを民間用に替えました。アネラスの店に、変装用の一装備を置いているのです。ですので、そう簡単にはバレませんわ」


 優雅に微笑むアディリシアが纏うのは、左胸に学章である『小銃を握る聖乙女ディアナ・メサイア』が縫われた灰色の外套コートではなく、一般人向けの何の変哲もない藍色の外套コートだった。そして、頭を隠すのは帽子ではなく、羊毛の万能衣ショールである。女性の間では、帽子よりも巻き方一つで見栄えが変わる万能衣ショールの方が人気である。また、寒くなれば肩掛けに、雨の際は雨避けに。荷物を運ぶ際は風呂敷代わりに。そんな生活の知恵が詰まっているのだ。

 カノンは随分とくたびれた縁が丸くて黒い帽子を深く被り直し、周囲に不安げな視線を走らせる。こんなことで人生を終わらせたくはないからだ。高潔な貴族であるアディリシアは、そんな彼の横顔をチラチラと見つつ、ふと思い出したように口を開く。


「そういえば、カノン。貴方が開発した銃は、いつになったら量産されるのですか? 学園の生徒なら、十分に性能を使いこなせるはずですか、見縊っているのですか?」


「随分、突然な話だな。……別に、見縊っているわけじゃないさ。けど、色々と問題が残っているんだよ。アディリシアに渡した自己完結型管打式輪転拳銃は、はっきり言って、大量生産に向いていない」


 カノンは足を止めぬまま語る。すると、アディリシアがいつの間にか右手に赤い果実を持っていた。熟刺酸甘桃レムンピーチーは皮ごと齧るのが美味い果物である。喉でも、渇いたのだろうか。


「続けるぞ。輪転弾倉の中心を通る心棒は真っ直ぐじゃないと発砲、回転、発砲、回転っていう繰り返される機構が上手く動いてくれない。だから、妥協案として、心棒は本体に固定し、弾倉と銃身を取り外す従来の機構に弾丸を突き固める操作棒を取り付けただけの拳銃が開発された。弾倉上部を覆う設計が出来ない分、強度は落ちるが、弾倉を一々取り外さなくても弾丸の装填が可能になった。これでも、十分に戦力向上に繋がるだろうさ」


 眠たげに欠伸を噛み殺すカノンへと、アディリシアは赤い果実を片手に小首を傾げた。


「わざわざそんな面倒臭いことをせずとも、コレを作った時の設計図を『ランドブルズの聖槍同盟』に渡せばよろしいじゃないですか。そのような取り決めで、お母様も交渉に撃って出たのでしょう? 半端な物を渡せば、逆に反感を買うというものです」


「まあ、本来なら、その通り。けれど、これには大きな理由が三つある。一つは、心棒を本体から独立させた機構の再現が困難であること。銃器としてだけではなく、魔導具としての意味合いも持つんだ。高い精度と強度が求められる。はっきり言って、大量生産に向いていない。いくら大商会とはいえ、一丁作るごとに赤字になるような物は作りたくないだろうよ。そして、二つ目は今が休戦時代であること。新型の大量生産は不味い。帝国や共和国との間に火種を落としたくないのさ。最後の三つ目が、自己完結型管打式輪転拳銃そのものへの不満さ。どうも、商会上層部の連中が『こんな複雑な機構は過酷な戦場で必ず不具合を起こす』だの『弾の交換が簡単過ぎると、兵士が弾の無駄遣いをする』って申し立てたらしいぜ。ったく、勘弁してくれて。って言いたくなるな」


 呆れた文句だと、カノンは開いた口が塞がらない。耐久値や強度を含めた性能実験はすでに済んでいる。従来の拳銃に勝っても劣る点は何一つない。結局のところ、連中は若造が大きな手柄を掴むのが〝嫌〟なのだ。あまりにも子供じみた発想に、思わず頭痛を覚えてしまう。


「御母様も愚痴を零していましたわね。『ああいう手合いは、すでに脳味噌がカビているのさ。自分で理解出来ない、したくない、しようとしない。まるで、犬の糞に群がる蛞蝓だな』と。パトリシー・メイスンの歌にもこんな一節があります。『手前の馬鹿さ加減を理解するのは、馬鹿が馬鹿よりもマシになる唯一の方法だ』ってね」


「……あのさ、いい加減にパトリシー・メイスンの歌を引用するの止めろよ。それ、学園だと有害楽曲ポイズン・ソングに指定されているからな。どうして歌いながら酒飲んで奇声上げて暴れる女が人気なのか、まるで分からねえなぁ。お前の友達のウィンチェスターは聖日曜日の教会通いを忘れない良い子なのによ。このままだと、手前、不良の道を真っ直ぐ突き進むぞ」


「あら、私に頭が硬い女になれと。私にとって、パトリシー・メイスンは人生の教科書ですわ。何も趣味がなく、休日は部屋に籠って研究する根暗男よりはマシですけど?」


 真珠のように白磁の歯で熟刺酸甘桃レムンピーチーに齧りつきながらアディリシアが微笑む。最近の子供はどうしてこんなにも大人に刃向かうのだろうかと、カノンはなんだか悲しくなって目頭に涙を浮かべた。だが、彼の嘆息を一瞬で掻き消したのは、人々の悲鳴だった。


「見ろ! カフィナック街路ストリートの方が火事だ! 黒い煙が上がってるぞ!」


「まさか、事故? 嫌だねぇ。あそこではうちの主人が働いているのに」


「自警団に連絡か? けど、二番街の担当がもう現場に向かってるかも」


 人々の間に、不安が波紋となって広がる。カノンもアディリシアも足を止めて、それを睨みつけた。確かに、二番街の方向から黒い煙が朦々と上がっているのが視認できる。此処との距離を考えれば、ただの事故にしても、あまりにも煙が〝多い〟。相当に不味い事態だと、簡単に予測出来る。二人は自然と目を合わせて、頷いた。目的は一緒だった。

 街の中心である二番街は、四番街からなら、南へと馬で十分の距離だ。歩きでは、有事に間に合わない。こんなことなら蒸気二輪車スチーム・バイクに乗って来るべきだったとカノンが後悔した時だ。アディリシアがおもむろに輪転式拳銃『レイン』を引き抜いた。


「とっとと道を開けなさい! この私の邪魔をする者は。何人たりとも許しませんわ!!」


 鋭く、冷たく、張りがある声に、周囲の人々がアディリシアへと怪訝そうに視線を向け、全員が悲鳴を上げた。大通りのど真ん中で銃を構える者など、頭がおかしい人間だと相場が決まっているからだ。しかし、少女が脱いだ外套コートをカノンに押し付けると、皆が気付くのだ。彼女はけっして、頭がおかしい人間ではないと。むしろ、その逆だと。

 少女は右足の太股に銃用革鞘ホルスターを巻き、腰には幾つかの小物入れ《ポーチ》と一緒に、鞘に収めた軍用の湾曲剣サーベルを吊っている。誰かがアディリシアを指差した。その顔には驚愕と歓喜が満ち溢れていた。 


「学園の軍服だ。見ろ、あの金色の巻貝みたいな髪。レミントン家の御嬢様だ!」


「れれ、レミントンって、あのアディリシア・W・D・レミントンかい? 『ベルヘルムの攻城砲リボドゥカン』て呼ばれる、凄腕の銃士。皆、道を開けろ! 天下の御嬢様の御命令だぞ!」


「おらおらー、さっさと道を開けろ! 頼むぜ、銃士様。俺達の街を救ってくれ!」


 人々を包み込む空気が、不安から歓喜へと反転する。アディリシアは月の光を薄く裂いたような笑みを浮かべた。彼女は、こんな空気が大好きだったからだ。民の期待に応えるのが、貴族の名誉だからだ。狼狽するカノンを尻目に、少女は『レイン』の撃鉄を淀みなく起こす。両手で握り、狙いは足元。大きく息を吸い、引き金を絞る。銃口から吐き出されるのは緋色と濃い橙色の発砲炎。中心を抜けたのは、魔石の弾丸。石畳みの地面に触れる直前で臨界速度に達し、術式が解放される。魔石が魔力として分解、再構築、展開。

 弾丸は青白い光を発し、大量の空気を集める。まるで、極小の台風を形成するかのように。人々が外套コートの裾や女用下衣スカート、帽子を手で押さえる中で、アディリシアだけが優雅な笑みを崩さない。そして、生まれ落ちる。空気に灰色の霧が混ざっているからこそ、はっきりと見える。それは馬だった。大量の空気を圧縮して形成された魔造の獣だった。

 魔術の奇跡に人々が声を揃えて驚愕する。アディリシアは颯爽と馬に飛び乗り、馬と同じく空気で形成された手綱を握った。


「アディリシア・W・D・レミントン――参ります! はぁあああっ!!」


 手綱を振るい、アディリシアは前傾姿勢を取った。そして、馬が勇ましく嘶き、逞しい四本の足で地面を蹴った。空気で形成されているからだろうか。馬の蹄独特の音が皆無だった。だが、その加速、瞬く間に少女の姿を視界の奥へ奥へと運んでしまう。まさに迅雷。

 歓声を上げる民衆。その中で一人、外套コートを押し付けられたカノンだけが呆然としていた。


「あの、俺は、置いてけぼりですか?」 


 当然。彼の問いに答えてくれる者は誰もいない。

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