第一章  Ⅴ


  

               ○


 アディリシアはカノンを店の外に待機させた。アネラスは、わざわざ彼を仲間外れにした彼女へジーッと視線を送る。すると、貴族の娘は苛立ちを隠そうともせずに前髪を掻き上げたのだった。窓から差し込む陽光に照らされた少女の瞳は濃い琥珀色に変化していた。それは、卑下も謙遜も拒否する姫騎士としての意志が込められた双眸であった。


「他の誰でもない。カノンは私の物ですわ。たとえ、相手が戦友だろうが渡す気などありません。パトリシー・メイスンの歌にもこんな一節があります。『狼から獲物を奪ってみろ。たとえ、地獄の果てだろうが手前を追って来るぜ?』ってね。分かりましたか、アネラス・トバカイル・ギラーテ・ウィ・クル・セプラターレ・モンモーレ?」


「おやおや。僕自身さえいつもは忘れている僕の名前をわざわざ覚えているなんて、アディリシアはやっぱり変わっているね。安心してくれよ。他人の亭主を奪う程、森の民は卑しい一族じゃない。まあ、男の方から来てくれるなら、例外だけどね」


 アネラスはアディリシアに背を向け、棚の一番奥に置かれていた箱を一つ、手に取った。それを汎用卓テーブルに置く。木製の箱で、大きさは手に乗る程度。林檎でも入っていそうな正立方体だった。褐色肌の娘は、ゆっくりと蓋を開けた。


「さて、これが約束の品だ。けれど、君もせっかちだね、アディリシア。遠運赤眉燕ミカジロオオツバメの伝書を使った数時間後には授業を利用して直々に取りにくるなんて。この程度の大きさなら、手紙と一緒に渡すこともわけないのに。どうして、そこまでして秘匿に拘るんだい?」


「誰にも知られるわけにはいかないのです。とくに、カノンやクロムウェルには。あの二人だからこそ、見付かるわけにはいかない。私の性格ぐらい、知っているでしょう?」


「その通り、だからこそ、僕はこれ以上、何も言わないよ。けど、一言だけ忠告させてくれ。……無理はするな。故郷より遠い地で初めて出会った友を、僕は失いたくないからね」


 箱に入っていた柔木封コルク閉じの硝子瓶を外套コート収納口ポケットに押し込んだアディリシアがくすぐったそうに肩を竦めたのだった。アネラスの瞳が真摯な色を映していたからだ。どうやら『妖精森の紡ぎ手』とは、義理堅く、優しい性格らしい。だから、ついつい口を開く


「安心しなさい、アネラス。私のような女が、この程度の場所で死ぬわけがないでしょう」


 絶対の自信が溢れるアディリシアの姿は、まるで太陽のよう。自らが煌めく。他の誰かを照らす。鮮烈で、忘れようがない高潔な魂の輝きだった。多少の不安など吹き飛ばせ。危険など、知ったものか。彼女は間違いなく、誇り高き銃士だった。


「そうだったね。君が、この程度で臆するわけにはいかないか。なら、それでいいさ。じゃあ、商売の話をしよう。……その薬、六グリードでどうだい?」


「構いません。もともと、私がアネラスに無理を言ったのです。相応の値段でしょう」


 アディリシアが取り出した革袋はカノンが持っている物よりも重く、ジャラジャラと力強い音がした。紐を解いて、金貨を六枚掴み取る。すべて今年に打たれた新品で、ピカピカと眩しく光り輝いていた。簡単に払ったものの、六グリードとなれば、港で積み荷を運ぶ肉体労働者の給金、約二ヶ月分だ。流石は王国でも随一の高位貴族。金銭感覚が庶民とは隔絶している。


「そういえば、あなたの目から見て、あの駄犬――カノンはどんな風に見えましたか?」


「将来は君の尻に敷かれそう――おっと、そんなに睨まないでくれよ。殺意が頬に当たってこそばゆい。まったく、銃士はせっかちだね。冗談の一つや二つ、流しておくれよ」


 困ったものだと苦笑しつつ、アネラスが両手を顔の高さまで上げる。そんな様子に、アディリシアが口調を苛立たせたのだ。


「だったら、真面目に答えることですね。これは、真面目な話なのですから」


 アディリシアの言葉に、アネラスはすぐに答えない。形の良い唇を右手の人差し指と中指でゆっくりと撫で、その瞳から感情の色が薄まる。魔術に精通した一族である『妖精森の紡ぎ手』は、全てを見透かす瞳を持つと謳われた。それは、今でも通じる神秘なのだ。

アディリシアは、〝良い人間〟と〝悪い人間〟の区別をつけるのが他者よりも上手い。魔術を使う銃使いとして常識の外側に触れているからこそ、人間の本質をおぼろげながらも感覚で知ることが出来るのだ。そして、アネラスは彼女以上に〝人を見る目〟を持っている。だからこそ、異国で異人がここまで、商売を繁盛させているのだから。


「僕には、悪い人間には見えないな。ただ、良い人間ってわけでもない。ああ、この場合の良い人間というのが誰も傷付けないって意味ならね。――彼は、そうだな。強い覚悟を持っている。とても、強い覚悟だ。自分の目的の為なら、平気で邪魔者を殺すだろうね」


 まるで、見てきたかのようにアネラスが語る。アディリシアは、僅かな寒気を覚えた。


「まあ、アディリシアはせいぜい、寝具台ベッドに誘われないように気をつけたらどうかな?」


 アディリシアの顔が、怪訝で歪む。アネラスが口元を緩めていたからだ。


「……アネラス。貴女、やっぱりテキトーなこと言ってないかしら?」


「ふふ。――さてね」



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