第一章  Ⅲ


 翌日の聖木曜日、穏やかな昼下がり。歴史担当のカノン・レミントン教師と、射撃訓練担当のフランカ・D・レイジング教師は学園の四階にある第七資料室へと訪れていた。主に、他国の歴史を纏めた書物が集められている部屋であり、生徒達が無断で入らないよう常に鍵がかけられている。

 鍵は職員室の金庫に保管されているのだが、学園の規則として、新任してから満期一年が経過していない教師には、鍵を渡して貰えない。一年が経過しない内は〝仮〟配属扱いだからだ。なので、別の新任以外の教師に、同行してもらわなければいけない。カノンは黴と埃臭い部屋の中で必要な資料を迅速に探しつつ、壁際に立っているフランカに怯えていた。明らかに、機嫌が悪そうな女神面だったからだ。冷酷な眼光が良く似合っている。

 部屋は狭く、空気が滞っている。本が太陽光で劣化しないように、窓の数が少なく必要最低限の光しか届かないせいで、昼過ぎだというのに薄暗い。しかし、その息苦しさはけっして、部屋のせいだけではないだろう。カノンは両手で本を数冊抱え、ぎこちなく笑う。 


「す、すみません、レイジングさん。せっかくの昼休みを邪魔してしまって。今度、必ず埋め合わせしますから。……って言っても、俺じゃ大したことも出来ませんけど」


 フランカの元に戻るカノン。元軍人の女は、男に鋭い視線を送り、小さく首を横に振る。


「この程度で借りを作ったと思わなくてもいい。済んだのなら、鍵を閉めるぞ」


 ビクッと肩を震わしたカノンは慌てて部屋を出た。何故だろう。廊下は蒸し暑く頬に汗が滲む程なのに、背中に流れるのは冷や汗だった。一方で、真鍮製の鍵を握るフランカの顔には汗一つ滲んでおらず、涼しげだった。これが、常に鍛えている人間の姿なのだろうか。時間がなかったとはいえ、彼女に不満を抱かせてしまったことに、男は後悔する。


「午後からは、また一段と暑くなりそうですね。そろそろ、雨が恋しいですよ」


 窓の外を見て、カノンは僅かに目を瞬かせた。馬で一分も走らない先にあるのは、学園が属している大都市・アマンデールである。ぐるりと白い城壁に囲まれた街は全体的に灰色で、空へと大量の煙を吐き出していた。もっとも、蒸気機関が発達した現代では、そう珍しくない光景である。少なくとも、大都市とあれば蒸気機関がなければ、街全体の機能を、とてもではないが賄えきれないからだ。彼から話しを振られたフランカはふと足を止め、窓の外をじっと見る。そして、掠れるような声でぼそっと言ったのだ。


「きっと、街では氷屋が盛況だろうな」


「え? こ、氷屋ですか?」


 まさか、そんな言葉が返ってくるとは想像もしなかっただけに、ついカノンは聞き返してしまう。すると、フランカが頬を少しだけ緩めた。それは、確かに、微苦笑だった。


「私のような女が氷菓子とは、驚いたかね。カノン教師よ」


「い、いえ、そういうわけじゃなくて。その、あの……済みません」


「この程度で一々謝らずともよろしい。君はもう少し、その謙りっぷりを直せ。軟弱な姿を生徒に見せるな。ここは王国の未来を背負う若者達が集う学び舎だ。教師が軟弱では、示しがつかないだろう」


「……善処します。それにしても、氷屋ですか。確かに薄く細かく砕いた氷に苺とか林檎の甘汁シロップを乗せた物は美味いですよね。蒸気魔導機械スチーム・マギカ・マシンの小型化が進んでから氷の値段も随分と下がりましたからね。夏場の氷菓子が王族だけの物だったのは十年も前の話。今では、十分に庶民の手が届く範囲だ。この分だと、休日に街へ出かける生徒は増えるだろうな」


 学園では、聖土曜日と聖日曜日を休日としている。街へ出かけるには、事前に外出許可状を取得しておかなければいけない。土曜の朝になれば、大勢の生徒が制服から素敵な私服に着替えて、我先にと街へ繰り出すのだ。そんな御嬢様を当てにした店や商い人が多く、毎週、ちょっとしたお祭り騒ぎになる。ちなみに、当番制で教師が見回りに出歩くので、悪さを働く生徒の噂は、今のところ聞こえてこない。上手く隠しているだけかもしれないけれど。カノンは、アディリシアがクロムウェルと仲良く一頭の馬に相乗りして街に出かける光景を思い出し、優しい笑みを浮かべる。しかし、すぐに表情を暗くしてしまうのだ。それは油と金属粉で黒く汚れてしまった歯車のように、簡単に拭いきれない苦悩だった。


「平和な時代に潤沢な設備と道具を揃えて戦いを学ぶなんて、本当なら間違っているんだろうな。常に剣を研ぎ続ければ、いつか、何かを切る。豚か、自分の指か、他の誰かか」


 カノンの沈鬱な嘆息に、フランカは眉間に皺を寄せて前髪を掻き上げた。彼の言葉に否定も肯定も出来なかったからだ。

 港湾都市・アマンデールは、王国『アークライラ』が統治するクルスタッロ大陸の南西に位置する、冬を知らない温かな気候の都市だ。南の海まで続く大河・ティフォーネの深く凹んだ湾曲部に位置し、人工的に支流を掘ったことで都市全体がぐるりと河に囲まれている。都市の成り立ちを知らぬ者は必ず『アマンデールは〝島〟だったのか』と間違えるほどだ。それだけの規模を誇るほど、広大なのだ。

河の幅は、子供が横に百人並んで両腕を伸ばしても届かぬ広さ。大人が五十人縦に並んでも全く届かないほど深い。これだけでも堅固な防御となるのに、そこへ、石造りの頑丈な二重の城壁が合わさるのだから、ほとんど要塞と化していた。

 もっとも、休戦時代である現在、この都市に戦の臭いは無い。王国三指に入る大都市に相応しく、港には常に蒸気船と人で溢れ返り、様々な品々が毎日大量に運ばれてくる。例えば、人口約一万六五〇〇人を養うための肉や魚、小麦に果物、野菜、酒も数多な地方から数多な種類が揃えられ、帝国や共和国からの商船も珍しくない。毛皮や染料の取引が特に盛んで、衣類や靴、装飾品が有名である。年に一度、都市の誕生祭を祝う際に行われる『解放自適な服装自慢大会ファッション・ショー』で優勝することが、女性達の夢であり、羨望だ。

 外部と繋がる行路は支流にかけられた三つの巨大橋のみで、朝から晩まで引っ切り無しに旅人、商人、近くに住む村人が訪れる。

 クルスタッロ大陸を南に下れば帝国領のラインべルツ大陸だ。つまり、アマンデールは帝国『シュバルツァーゼール』とのほぼ国境付近に位置するため、開戦ともなれば真っ先に戦火を浴びる都市である。ゆえに、魔銃学園『ベルヘルム』の存在は一種の牽制という意味合いが強い。カノンは、この学園を〝ただの学び舎〟などという〝過小評価〟などしていない。この学園には、もっと重大な意味がある。


「学園を都市内に作らず、支流よりも外側の地にわざわざ建てたのは有事の際に、ここを軍事拠点にするためだ。学園は堅牢な石壁に覆われ、防御力に秀で、巨大な時計塔は敵を睨みつける観測塔に替わる。寮はそのまま、兵士の駐屯場所となる。これだけの生徒と銃器、魔導具が揃っているんだ。戦力は王国軍の一個大隊にさえ届く。仮初の平和が薄氷でないことを祈るしかないな」


「……我々に出来ることは、生徒共を食われるだけの豚から狼へと育てることだ。その結果、どうなろうと私の知ったことではない。せいぜい、政治が崩れないことを祈るんだな」


 フランカが冷酷な判断を下す。そして、怪訝そうに眉を顰めた視線をカノンに向けたのだ。まるで、露天商の怪しいオッサンから怪しい商品を売りつけられたかのように。


「ところで貴様。随分と〝面白い考え〟を持っているな。ただの歴史教師にしておくには勿体ない。軍事講習に参加してみる気はないか? 生徒も、たまには違った教師に教わった方が新鮮だろう。そういえば、名字はレミントンだったか。アディリシアの親戚筋か?」


 カノンの心臓が、火薬で撃ちだされた砲弾のように跳ね上がる。学園では、レミントン家の養子になったことは秘匿されている。当然、アディリシアとの関係も秘密だ。王国全土を見回せばレミントンの名だと珍しくないものの、学園では彼と彼女二人だけだ。危うく本を落としかけた彼を見て、フランカは眉間に寄せた皺を深くしたのだった。女教師の目付きがさらに鋭くなる。男は、蛇に睨まれた蛙のように身体を硬直させてしまう。


「随分と動揺しているな。……怪しいな、カノン教師よ。まるで、割った皿を隠した子供のようだ。そういえば、貴様はあまり自分のことを話さないな。寡黙なだけかと思ったが、この調子だと本当はお喋りなのか? ならば、意図的に隠しているということか? ふむ。一度疑えば、とことん怪しく感じるな。どこの大学で教員免許を取った? 王都のファルクールか、アイツベルか。まさか、帝国のファギナマユールというわけではあるまい? まさか、在籍していた大学の名を忘れる程、ボケたわけではないだろう?」


(んな、こと言われても、あの婆が学長とグルになって俺を無理矢理、教師にしただけっだつーの。教員免許なんて持ってねーよ。たまたま、歴史に詳しかったから歴史担当になっただけだ。つーか、この人、なんかいつもと雰囲気がおかしくねーか? やばい。ここでバレたら、最悪、撃たれる)


 フランカは腰のベルトに銃用革鞘ホルスターを吊っている。収められているのは、大口径の輪転式拳銃だ。黒いタイト女用下衣スカートから覗く生足に視線を奪われれば、忽ち、冷酷な銃口が待っている天国&地獄スタイル。白い胴衣服ブラウスから覗く胸元に視線を向けようものなら、御礼の拳が待っている希望&絶望風情。すっかり喉を干上がらせるカノンだった。しかし、


「……まあ、今は聞かないでおこう。人の過去を根掘り葉掘り聞こうとする程、私は不躾な女ではないさ。君が悪い人間ではないことぐらい、目を見れば分かる」


 意外。フランカはすぐに視線から冷酷さを消したのだ。そして、やや申し訳なさそうに微苦笑する。カノンは目を点にしてポカンとするばかりだった。


「ふふふふ。驚かせてしまっただろうか。私なりの冗談だったのだがな。やはり、慣れぬことはするべきじゃないな。私もまだまだ、修行が足りないらしい。精進が必要だな」


 何か納得するようにフランカが頷く。そして、口元を片手で押さえ、何かブツブツと呟く。ややあって、ふと思いついたように、わざとらしく言ったのだ。


「やはり、君には借りを一つ作っておこう。女性の頼みだ。男なら、快く聞いてくれるだろう? ねえ、カノン・レミントン教師」




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