第一章  Ⅱ


 魔銃学園『ベルヘルム』では、言語学、数学、歴史、音楽、化学、物理学、機械工学、基本教養などは当然とし、軍馬や軍狼、軍鳥、蒸気自動車の乗り方、近接戦闘、医療、模擬戦、非日常生活サバイバル訓練なども行う。銃器に関しては、拳銃、小銃、特殊銃器まで幅広く、魔石による魔術弾の授業が四割、実弾が六割の比率である。戦闘に使用可能な純度が高い魔石は希少であり、良家の娘が集まる学園といえども、大量に入手するのは困難なのだ。また、魔術の欠点を補助するうえでも、実弾の授業はかかせない。銃の腕があってこそ、魔術がより一層輝くのだから。少なくとも、アディリシアはそう母親に教わった。

 どんな経緯か知らないが数年前、母に『アディリシア。こいつ、今日からお前のイヌ……ではなく『魔導鍛冶師』だ。壊さないように扱え』と渡されたカノン。そんな彼が二ヶ月前に開発した新型の輪転式拳銃が、彼女の価値観を崩壊させた。きっと、少女はその時、初めて〝銃〟を握ったのだ。これまでの全てを否定しても納得してしまう程の衝撃を、かの銃は持っていたのだ。つまりは、自己完結型管打式輪転拳銃。名を『レイン』と呼ぶ。

 全長約三三七ミリット・メルター。重量、弾丸と雷管の装填ナシで約一二八〇グラッム。肉厚で堅牢な銃身は特徴的な八角形であり、極限の精度を追求しているだけではなく、その重さにより発砲時の反動を軽減させる。従来の拳銃と比べ、部品も機構も増加しているというのに、その優美な外見は見事の一言に尽きる。また、銃身はネジが切られ、本体と完全に固定されている分、無駄なガタツキが一切ない。だが、なによりも目を見張るのは本体、そのものだろう。これまでの輪転式拳銃は、弾倉の上部を覆う部分がなかった。例えるならば、凹の溝に弾倉を乗せるような外見である。

 カノンが設計した拳銃本体は、弾倉の上部も覆うような設計である。心棒をずらして、横から弾倉を抜くだけの機構が、これを可能としたのだ。これにより、従来と比べて耐久性が大幅に向上している。六発用の輪転式弾倉には、流麗華美な薔薇の彫刻が施されてあった。銃器でありながら、芸術品としても評価が高い名器であろう。

 当然、魔術を扱う魔導具としての性能も高い。銃身に疑似的自立型精霊召喚の基礎術式を、輪転弾倉に属性付与術式を刻む。これにより、弾倉を交換するだけで術式の意味を切り替え、火霊や水霊の召喚や治癒、身体強化まで幅広く魔術を発動することが可能だ。ここまで戦闘に特化した魔導具など、王国や帝国の最新装備でも滅多にない代物である。

(あの男は、一体全体、どこでこれだけの腕を磨いたのでしょうか。まったく、得体の知れない、わんちゃんですこと。ふふふふふ。後で、身体にじっくりと聞いてみましょうか)

 最初の訓練から二時間後、つまり三分の二を終えた頃だ。立っている生徒の数は百六十人弱から五十人以下にまで減っていた。床にぶっ倒れ、身体全てで息をしている生徒はマシな方だ。中には、白い泡を吹いて痙攣している者までいる。そんな生徒には、他の生徒が容赦なく木桶バケツで水をぶっかける。安易な逃避など、この学園は絶対に許さない。アディリシアは一度も罰則を受けなかったが。さすがに息が乱れつつあった。発砲した回数は百三十五発。反動を受け止め続けた右腕の手の平は、すっかり真っ赤に染まっている。握力も、二、三割低下していた。大口径の四四弾丸だ。無理もない症状である。

 アディリシアは射撃訓練場内にある別室に居た。ここには、流し台と水道が用意されている。数人の生徒が木桶バケツに水を汲んでいた。友達だろうが容赦なく起こすのが優しさである。塩を多めに溶かすのは、慈悲だ。この学園に、弱卒は必要ない。

「いっそのことさあ、胡椒か辛子でも溶かした方が目が覚めるんじゃない?」

「あんたね、自分がやられた時のことを考えなさいよ。地獄見るわよ、地獄」

「これが塩水じゃなくて、甘い甘橙乃果汁オレンジ・ジュースなら私は大歓迎なんだけどな」

「三時の紅茶乃時間ティー・タイムの後にこれって、絶対に悪意があると思うんだけど」

 三年も学園で生活すると、随分と逞しくなる。言葉使いも随分と砕けていた。新入生を見て、懐かしそうに目を細めるのもこの頃である。牧場で馬や牛が水を飲むために使うような大きい木桶バケツに水を入れて片手で持つ様など、ある意味で男以上の貫禄があった。

 汗で髪は乱れ、上衣服ジャケッドはとうに脱いでいる。白い中衣服シャツは汗あるいは塩水でびっしょりと濡れていた。身体の輪郭がはっきりと見える有り様である。それでも、生徒達に羞恥心はない。たとえ、ここに異性が居ようとも動揺はしないだろう。羞恥心など、二年前辺りに、ゲロと共に吐き出しているからだ。アディリシアでさえも、何度か吐いている。

 過去を振り返って微苦笑を浮かべたアディリシアは、手拭布タオルを冷水で絞っていた。そんな少女へ、トコトコと駆けよって来た一人の生徒が話しかける。 

「ねえねえ、アディリシアさん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかしら?」

 アディリシアは顔を上げて、絞っていない手拭布タオルを作業台に置いた。話しかけてきたのは、記憶が正しければ三年一組のエリスだっただろうか。小柄ながらも身体能力に秀で、腰まで届く長い赤髪の娘である。至近距離の対人格闘術が得意なはずだ。 

「構いませんよ。私に、何か質問でも?」

 アディリシアが胸元に右手を当てる。エリスは口元に手を当ててボソッと言った。

「学園にさ、アディリシアさんが持ってる拳銃と同じ種類の拳銃が用意されるって噂、本当なの? それってさ、やっぱり、成績上位者とか先輩達から優先されちゃうのかな?」

 その言葉を耳聡くも盗み聞きしていた生徒の大半が、等しく感心を示した。表向きは興味がないフリをしつつも、チラチラ見たり、わざとらしく近付いたりと露骨である。アディリシアは右手の親指と人差し指を、形の良い顎に当てた。

「少なくとも、今すぐではありませんわね。『ランドブルズの聖槍同盟』内で御熱い議論が重ねられているらしいですわ。もっとも、リザイア様ならば、あれの有効価値を正しく見出すでしょうけど。あの方は、武器に関する目利きが尋常ではありませんから」

 王都から南部に馬を一日走らせた場所にある決戦型要塞都市チェーロ・バレーナに本館を構える『ランドブルズの聖槍同盟』。木材、鉱石、火薬に装飾、武器に関する二十七の大商会を傘下に治め、十六の鉱山、二十四の森を独占。独自の海路、陸路を持ち、王国中に支部がある二十の工場では歴戦の職人八千人以上が日夜、武器を開発している。世界でも一、二を争う規模と実績を誇る特級の大大大商会だ。

 アディリシアが口にしたリザイア・K・D・エルアーデは『ランドブルズの聖槍同盟』が王都支店の局長であり、女傑と評すに相応しい人物だ。彼女自身が王家の血を引いている正統な高位貴族である。彼女に喧嘩を売るのは、百の貴族と家名に唾するのと同義であり、自殺行為だ。機嫌を一つ損ねるだけで、十の小商会が破産するとまで恐れられている。その経営手腕は、帝国『シュバルツァーゼール』の皇帝が直筆の手紙を書いて引き抜きしようとするほど〝凄まじい〟らしい。また、この学園の卒業生であり、十年前に起きた戦争『クリザリア防衛戦』では、彼女自身が軍人として戦い、多くの武勲をあげたことから『血霧薔薇の女傑』という過激で物騒な二つ名まで持っている。ちなみに、フランカ・D・レイジングとは学友であり、戦友だったらしい。

最近では、超巨大蒸気輸送車スチーム・レムドを応用した蒸気戦車スチーム・タンクの開発まで着手しているとか。王国に必要な人間の上位五人に入る御仁である。

「一応言っておきますけど、いくら私の御母様がリザイア様とは旧知の仲だとしても、私への対応で新しい銃が手に入るわけではありませんから」

「ちち、違うよ。私はただ、アディリシアさんが持ってる銃がカッコ良くて羨ましなーって思っただけだよ。私の家って、貴族って肩書きも恥ずかしいぐらい小さい家だし、専属の銃造師ガン・スミスもいないしさ。ねえ、アディリシアさんの銃を作った銃造師ガン・スミスってどんな人なの?」

 貴族の中には、専属の銃器設計師である銃造師ガン・スミスを雇っている家がある。莫大な投資が必要かつ個人の能力にムラがあるので、よほど金に余裕がある者でなければ、雇えない。そもそも、優秀な設計師は『ランドブルズの聖槍同盟』のような商会にスカウトされてしまうので、学園の生徒でも雇っている者は極一握りである。

「……あの男ですか? そうですねぇ。面白い男とでも言っておきましょうか」

 アディリシアの瞳にだんだんと嗜虐的な色が滲み出てくる。その変化にエリスは気が付いていない。無邪気な十六歳はニコニコと笑みを絶やさなかった。

「面白い人なんだー。良いなー。仲は良いの? やっぱり、職人って頑固なのかな?」

「ええ、とても頑固ですよ。自分が言ったことは絶対に曲げない、不器用で愚かで、可哀想なぐらい頑固です。それでいて、自分の仕事には一切妥協を許さない真摯な気質でもあります。パトリシー・メイスンの歌にもこんな一節があります。『そいつはどうしようもないロクデナシだ。それでも自分の値打ちを分かっている程度には利口なのさ』と」

極上の笑みを湛えるアディリシア。ただ、ふと我に返ったように咳払いを一つ。

「さあ、お喋りはこれぐらいにして手を動かしましょう。ミス・フランカを怒らせると面倒ですわ」

 彼女の言葉に、全員が慌てた様子で自分の作業に専念したのだった。

フランカ・D・レイジングは厳しい教師である。手を止めて呑気に喋っている姿が見付かれば、たちまち罰則を叩きつけられるのだろうから。


               ○


 魔銃学園『ベルヘルム』は寮制度である。学園の敷地内に建てられている寮は、流石は貴族の娘用に建てられただけあり、王都の高級宿泊施設ホテルと遜色ない造りだ。校舎を見下ろす怒涛の八階建てで、一部屋を二人から四人の組み合わせで共用している。

 一階、六年生。二階、五年生。三階、高学年用の大浴場、食堂、娯楽室等の各施設。四階、四学生。

五階、三年生。六階、低学年用の大浴場、食堂、娯楽室等の各施設。七階、二年生。八階、一年生。

 といった住み分けがされており、余程に重大な用事でもない限り、別の部屋に泊まるのは御法度である。例外として、姉と妹の関係になった先輩後輩の『S』は同棲を許される。

 また、各学年の成績上位者には個室が優遇され、専属の使用人を雇うのを許可されるも、あまり人気ではない。人気なのは実は、四人の組み合わせだったりする。貴族の御嬢様となれば、暇そうに見えて、その実、相当に厳しい生活をしているのが常だ。金銭面ではなく、教養という面で。絵画、楽器、言語、卓上作法テーブル・マナー、踊り、歌、作曲、詩、刺繍、歌劇オペラの知識、総合演劇ミュージカルの知識、その他諸々。朝から晩まで訓練、鍛練、修行の毎日。私は家の操り人形なのかと文句が滝のように溢れ出る。そんな堅苦しい生活をしてきた娘達にとって、親しい友達と和気藹々過ごす生活が何と心地良いことか。たとえ、ここが軍事を学ぶ場所だとしても、孤独よりも絆を選ぶ者が多い。

 さて、授業が終わった生徒達は一斉に寮へと集まる。まずは、一日の汚れを洗い流すために、淑女にとってもっとも嬉しい入浴の時間だ。大浴場には、様々な風呂が用意されている。水風呂、普通の御湯風呂、香草ハーブ湯、薬草湯、蒸し風呂。石鹸や整髪剤も用途や好みに合わせて数十種類揃っている。ちなみに、風呂場で泳ぐのは、非日常生活サバイバル訓練が本格的に始まる四年生からが最も多い。逆に、最も大人しいのは、髪の洗い方が覚束ない一年生ではなく、三年生だ。三学年になると、授業のレベルが段違いで跳ね上がる。風呂場で騒ぐ余裕はなく、誰もが身を清めることに専念する。さらに補足すると、S関係の姉妹が一緒に入浴するのは禁止されている。フランカ教師曰く『私達の代だと平気だったのだが、なんでも鼻血を流す生徒が多いから禁止されたらしい』そうだ。

 入浴が終われば楽しい夕食となるが、ここでも問題が多々ある。あってしまうのだ。

 食事は、基本的に大皿で大量に用意され、生徒達が自分で好きな物を好きなだけ選ぶ方式だ。料理人は全員が一流であり、王国の料理は勿論、帝国の肉料理や、共和国の麺料理、熱砂の国『カルメターレ』の香辛料をふんだんに使ったコロリ飯も揃っている。学園の傍にある街は港湾都市のアマンデール。毎日引っ切り無しに船が往来し、様々な食材が集まるからこそ、可能な光景だろう。実家だと、お腹一杯食べるのは下品だと叱られる貴族の娘。規則から解放され、さぞかし自由に食事を謳歌するのだろうかと思いきや、実は違う。

 厳しい訓練を終えた者の中には、嘔吐や気絶などで体調を壊した者が必ず居る。なので、豪快に焼いた肉に食らいついている者もいれば、逆にスープを少し飲んで手を止めてしまう者もいる。上級者になると、料理を包んで貰って部屋で食べるどころか、六年生辺りになると、包んだ料理を肴にして酒盛りをしたりする。

 入浴、食事を終えると時刻は夜の八時を回る。消灯時間は十一時。つまり、三時間は自由な時間を得られる。もっとも、アディリシアは嘆息と愚痴を盛大に吐き出したのだった。

「授業に一日出なかった分の課題を宿題にするなんて、あの婆は性根の腐った外道ですわね。ああいう人間が、自分の厳しさを優しさと勘違いしている愚か者なんです。パトリシー・メイスンの歌にもこんな一節があります。『お前さんはいつも怒鳴っているが、その額に浮かぶ皺が一つなくなった方がよっぽど子供は素直になるだろうさ』ってね」

 五階の一室。階段からもっとも近い三二四号室。アディリシアは椅子に座り、机を親の仇であるかのように睨みつけていた。油注灯火台オイルランプの優しく柔らかい明かりに照らされる机の上には、小難しい数式や図形が描かれた紙が数枚も並んでいる。端には分厚い本が何冊も積まれていた。そして、少女の右手に握られているのは共和国産の高級万年筆。

「王国産の小銃・ランドブルズM七型の五〇口径による二百メルター先の敵を狙った狙撃の成功率を求めよ。なお、弾丸重量、弾丸の種類、火薬量、重力低下、風速、風向き、天気、湿度、狙撃手の位置、敵の位置は以下の通りにする。なにが、以下の通りですか。時間経過による各種条件の変化を敢えて書かない鬼畜風情か! どんだけ捻くれているんですかあの婆は。まったく、こっちは眠気を堪えてまで午後の授業に間に合うように馬を跳ばしたというのに。こっそり狙撃でもしましょうか。あの澄まし面を」

 文句を零しつつ万年筆を高速で紙面に走らせるアディリシアの瞳は薄い緋色に染まっていた。そんな彼女の様子を後ろで眺めていた銀髪の少女が淡い微苦笑を零す。

「そう言いつつも、参考書も機械式計算機アナピューターも使わないで複雑な条件を暗算するなんて、君にはつくづく思い知らされるね。僕が知っている世界はなんと狭いことか。僕自身の無知なのか。あるいは、この世界そのものが矮小なのか。どちらにせよ、罪深いことに代わりはないか。僕はいつか、この世界を完璧に理解する権利は得られるのかな?」

「……クロムウェル。頼むから、その詩的臭い口調は止めてくれるかしら?」

 アディリシアが首だけを後ろに曲げて、彼女をギロッと睨みつける。部屋の内部は、廊下に続く扉を背にした状態で、真正面の壁に机が二つ仲良く並んでいる。左手側に二段式の寝具台ベッドと本棚があり、右手側にもう一つ扉がある。こちらは、小型浴槽付きの洗面所だ。朝は此処で身嗜みを整える。そして、部屋の中央には丸汎用卓テーブルと椅子があり、同居人であるクロムウェル・S・Q・ウィンチェスターが座っていた。

 身長はアディリシアよりも拳一つ分小さい。小振りだが形の良い胸元を、漆黒の寝巻で隠している。髪は肩を隠す程度の長さで、後ろ髪を残しながらも左右を赤い絹布で纏めている。細い肢体で、どことなく猫を想像してしまう。自分が大好きで自由奔放な野良猫を。瞳は夕焼けの端っこを薄く削いだような明るい黄色。真ん丸で、興味を引いた物を絶対に逃がさない自信で満ちていた。常に薄く笑っているような少女だ。今も、こちらを楽しそうに眺めている。汎用卓テーブルに白い皿を置き、夕食で入手しただろう真っ赤に熟した林檎を二つ乗せていた。そして、折り畳み式の短片刃ナイフを右手で弄んでいる。

 宿題が終わったら、一緒に食べようという意味だろうか。アディリシアは万年筆を動かす右手に集中しつつも、クロムウェルへと話しかける。その程度には寛容な少女だった。

「昨日の盗賊退治、貴女も参加すればよろしかったですのに。三組どころか、三年生で一番小銃の扱いが上手いのは貴女でしょう。貴女が安全な場所から狙撃してくれれば、もっとスマートに終わるはずでした。怠惰は不幸を招く悪魔の香辛料ですのに」

「あっはっはっはっ。そうはいかないよ。分かっている癖に。僕だけが働くのは無粋ってものさ。全員が等しく経験するべき。そうだろう? 君はもっと、自分の仕事を誇りたまえ。君のお陰でいらない犠牲者は減るだろう。村の人達だって喜んでいるはずさ。それとも、お礼は言われず、逆に鍬を持って追いかけられたから早く帰って来たのかい?」

 クロムウェルの言葉に、アディリシアは苦丸爪辛子スミダラガラシの新芽を噛んでしまったような表情を作る。礼を言われなかった? 鍬で追いかけられた? とんでもないと、首を横に振ったのだ。そんな〝情けない理由〟で、急いで帰って来たわけではない。

「涙を流して感謝されました。このままだと、礼だと牛を潰されかねない勢いだったので、慌てて帰った次第です。まったく、あんなに喜ばずともよろしいですのに。銃士が民を守るのは、当然の義務ですわ。パトリシー・メイスンの歌にもこんな一節があります。『剣を持った奴が鍬を握った奴を助ける。そこに、なんの不思議がある?』と」

 アディリシアが頬を柔和に変える。奢りでも、焦燥でも、思考停止でもない。彼女は心の根から、魂の芯から貴族であり、銃士なのだ。友の姿に、クロムウェルは眩しそうに目を細める。

「それでこそ、アディリシア・W・D・レミントン。『再来を謳う十三柱の魔女グランド・ウィッチーズ』が第四席。慈愛と戦意を滾らせる者『閃陣の痩躯・レミントン』の末裔だ」

「……御先祖様が何者であろうとも、私が何をするかなど変わりませんわ。私は私がしたいようにする。やりたいように行動する。ただ、それだけの話です」

 自分の身に流れる血を否定するわけではない。むしろ、誇り高いのだ。だからこそ、血を言い訳にしてはいけない。それは、思考停止と同じなのだから。貴族だから、偉大な魔女の末裔だから、軍人である母の娘だから。違う、そうではない。他の誰でもない私〝だから〟そう選択する。アディリシアは自分自身が大好きな女だった。

「ふむ。ミリーズの詩文百二十八番が七節『汝が力を信じよ。汝が思うよりその闇は小さい』ってところかな。君が傍にいると僕は随分と安堵するよ。そして、退屈しないで済む」

「私も貴女と時間を共有するのは悪くないと考えていますわ。パトリシー・メイスンの歌にもこんな一節があります。『愚かな神は信じなくても隣の友は最後まで信じろ』ってね」

 両者見つめ合い、ほぼ同じタイミングで首を傾げた。口は笑っていた。だが、目は笑っていない。クロムウェルが先に口を開く。まるで、事前にそう決めていたかのように。

「君は事あるごとにすぐ、パトリシー・メイスンの歌を引用するね。あんな、酒場の酔っ払いがゲロを吐きながら聞くような歌のどこが良いんだい? 神経を疑っちゃうね」

「クロムウェルは何かと新約聖書の言葉を言いたがりますね。聖書とは詰まるところ、綺麗事を無駄に長く、面倒臭く、かつ薄めた程度の言葉。それを一冊丸暗記するなど」

 と、アディリシアがこらきれないと鼻で笑う。クロムウェルは熱心な正教徒であり、毎週日曜日になると必ず街の教会に通う。両者睨み合い、だが、どちらともなく顔から力を抜く。そして、クスクスとケラケラと本当の笑顔で、笑い合ったのだ。

「そろそろ課題も終わるので、林檎を剥いてくれますか? なるべく、大きめに」

「だけど皮はなるべく薄く、だろう? 君の好みなんて何でも知っているさ」

 下手な〝おべっか〟を使わない二人は、学園でも仲の良さで評判である。アディリシアはクロムウェルが林檎を剥く音を耳の隅で聞きながら用紙を綺麗に片づけるのだった。



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