第29話 反応あり

 翌朝はまだ明け方の、周囲が薄暗い内に、全員がフェリペに叩き起こされた。


 海面は前日とうって変わってほとんど波が無い。フェリペは「今日は絶好の調査日和だ。すぐに作業を始めて、日が沈むまでやるぞ」と張り切っていた。


 実際にこの日、船は滑るように海面を進み、昨日よりもずっと速度を上げることができた。

 フェリペは休憩の時間も惜しいといった風で、テレサの作ったツナのサンドイッチをほおばりながら、ずっと船の舵を切り続けていた。


 その間、ベニートは画面にかじりつき、トビアスはそんな二人の補助をしながら、甲斐甲斐しく動き回った。

 完全に3人のチームワークが出来上がっている中で、矢倉とテレサは時々コーヒーを淹れて皆に配る以外は、じっと待つ以外に無かった。


 正午になっても3人の行動は判を押したように変わらなかった。午後になるとやや風が出始め、海面には僅かな波が立ちはじめた。早朝から作業を始めようと言ったフェリペの判断は正しかったようだ。

 冬の風は冷たく、暖房の効いているはずの操舵室まで、冷気が忍び込み始めた。矢倉は厚手の防寒服を着ていたが、それでもじっとしていると体が震えた。

 しかし3人の元気な老人たちは、朝から着ていた薄手のダウンジャケットを脱ぎ捨てて、作業を続けていた。何とうっすらと額には汗が浮かんでいた。


 周囲が暗くなった頃、フェリペはようやく「今日はここまでにしよう」と言った。


 缶詰を開けて、皆で夕食をとりながら、ベニートがここまでの調査の報告をしてくれた。

「昨日と今日で、マルチビーム測距器で走査をした範囲は9㎞×9㎞。特定の場所を調べるには十分すぎる広さを当ったことになる」

「結果は?」

 矢倉が訊いた。

「何も見つからなかった」

 ベニートの答えはシンプルなものだった。


「何もって、本当に何も無かったのか?」

「なんにも無かった。データの解析結果は画像化してあるので、自分で見てみれば良い」

 そう言って、ベニートはタブレット端末の液晶画面を矢倉に手渡した。

 矢倉はその画面に映っている、海底の三次元地形図をじっと見つめた。


「そこに映っている地形は、一見立体に見えているが、実際は細かい点群データだと考えてくれ。一つ一つの点は音波ビームの反射結果だ。赤い色になるほど、反射が強い。即ち堅い物質がそこにあるという事だ」

 矢倉は画面をスクロールさせながら、データを端から隈なく見て行った。ふと矢倉の手が止まった。そこには船の形をした突起物があった。

「これは何だ?」と矢倉は訊いた。

「それは18世紀のガレオン船で、過去にもう発見されているものだ。水深50mを越えると酸素が少なくて生物活動が乏しいので、木造の帆船も腐食が緩やで、原形を留めているんだ。我々がこの2日間で調査した海域には、あと一つ同じような船が眠っている」

 矢倉はその後もずっと画面を見つめたが、やがて半ば諦めの混じったため息を漏らした。


「さて、次をどうするかだな」

 フェリペが言った。「我々に残された選択肢は3つ。1つ目は更に調査範囲を外に広げる。2つ目は探知幅を絞って分解能を上げ、もう一度昨日からの調査をやり直す。そして3つ目は、ここまでで調査を諦める。ここでのボスはマサキだ。お前がどうするか決めろ」

「沈没船探しは専門外だ。そう簡単に決められるわけがない。フェリペ、あんたならどうする?」矢倉は訊いた。

「決まっているさ、俺なら諦める。宝探しは確率の低いギャンブルのようなもので、運も大事だ。同じ場所に長く関わっていてもろくなことがない」


「それでは、こここまででもう諦めろと?」

「本心を言えばそうだ。しかしお前はまだ諦めきれないだろう。だから明日もう一日だけ、お前が気の済むような調査をしよう。それで終わりにしようじゃないか。残念だろうけどな……」

「分かったよ、フェリペ。そうしよう。今夜一晩、明日何をするか考えさせてくれ」

「もちろんだ。明日は日の出と共に起床だ。お前の望むことは何でもやってやるよ」

 フェリペの言葉を最後に、皆は早めの寝床に着いた。


     ※


 それはまだ夜が明けきらない時間だった。ベニートが興奮した面持ちで、眠っている矢倉の両肩を揺すった。

「マサキ、起きろ。まだ可能性が残っていたぞ」

「どうしたんだ、ベニート。まだ暗いじゃないか」

 矢倉は上半身を起こしながら言った。

「いいから起きて、これを見てみろ」

 ベニートはタブレット端末の画面を矢倉に見せた。一見したところ、それは何も目立った特徴もない、平坦な海面の地形だった。


「何もないじゃないか」

「そう見えるだろう。もっと良く見てみろ。ここだ――」

 ベニートが示した場所を拡大すると、そこには細長い葉巻型で、暗いブルーの領域があった。ベニートは更にその場所を拡大させ、更に3次元的に見えるように視点を斜め下方向に移動させた。


 画面に映っているのは、暗いブルーで塗られた葉巻型の窪みと、その上にぽつぽつと浮かぶ、数個のグリーンの点だった。

「これは何を意味しているんだ?」

 矢倉は訊いた。

「濃いブルーは、ソナーの反応が弱い場所。つまり通常ならば窪みに泥や沈殿物が堆積していると解釈すべきところだ。しかしこの場所だけは違う。濃いブルーの上部には、音波ビームを反響するポイントが点在している」

「……」


「この葉巻の輪郭はとてもきれいな形だ。自然に出来た窪みや亀裂にしては、出来過ぎていると俺は思う」

「どういう事なんだ?」

「ここには葉巻型で、しかも音響ビームを反射しない何らかの固体が沈んでいる可能性がある。上部に浮かんでいる明るい点は、その個体の表明に、部分的にビームを反射する箇所があるのだと思う」


「葉巻型の固体と言えば……」

「――そうだ、潜水艦だ」

 ベニートはニヤリと笑うや、すぐにフェリペとトビアスを叩き起こした。二人は眠そうな目をこすりながら画面を注視し、やがて同時に「やったな、ベニート」と言った。


「マサキがあんまり真剣なので、皆が寝た後で、全データをあらゆる可能性を検討しながら、もう一度当ってみたんだ。そうしたらこれを見つけた」

 ベニートが自慢げに答えた。

「可能性としては、まだ五分五分だが、この場所は調べて見る価値があるぞ。今日の調査はこれで決まりだなマサキ?」 

 フェリペはそう矢倉に訊いたが、矢倉に異存など無かった。

 トビアスは「ようやく俺の出番が来たな」と言って、両手の指をポキポキと鳴らした。


 やがて周囲の騒ぎに気が付いたテレサが起き出してきて、「皆嬉しそうだけれど、何かあったの」と訊いた。

「今日は最高の日になるかもしれないよ」と矢倉は答えた。

 明けなずむ空の下で、フェリペが駆るベッティーナ号は、トビアスの発見したポイントに一直線に向かっていた。

 そこはセルロイドの板に掘られていた場所の2㎞南。小数点二位以下の誤差に収まる場所だった。


 問題の海域まで来るとすぐに、ベニートがマルチビーム測距器のスキャニング範囲を絞り込んで海底を調べ始めた。そうすることで、計測精度を上げる事ができるからだ。

 マルチビーム測距器は対象範囲を面で捉えることができるため、狭い範囲を調べるのであれば、船は移動しなくて良い。ベニートの指示に従って、フェリペは微速前進と後進を繰り返した。


 データが蓄積されるに従い、ベニートが見つめるタブレット端末の中では、先程までは拡大すると隙間だらけだった海底の地形が、段々と像を結んで行った。

 ベニートが潜水艦ではないかと推測した葉巻型の物体は、音響ビームを反射するポイントの数が段々増えてくると、おぼろげにその輪郭が想像できるようになった。

 見えている画像は何とも形容しがたかったが、敢えて例えるとすれば、海底に空のガラス容器が横たわっているようなものだろう。ぼんやりと立体形状がつかめるものの、その中には何も入っていない形と言えば良いだろうか。


 ベニートがデータを採り終えると、今度はトビアスがベッティーナ号の船尾から、MADの曳航体を海面に下した。それは長さ1.2mほどの円柱状のもので、先端が水の抵抗を受けないように丸くなっており、後方にはV字型に尾翼が突き出していた。それは魚雷のようにも、或いはロケットのようにも見えた。

 先端部には船が曳航するためのワイヤーが繋がっており、そのワイヤーの中心部は、船とデータのやり取りができるように、同軸ケーブルになっていた。


 MADの曳航体は、波の影響を受けないように、海面から3m程の深さを移動させる。

 先程とはうって変わって、今度は曳航体が水平に近い状態に保てるように、船は5ノット程の速度を保ちながら、目的地点を中心に半径200mで、円を描くように周回した。


 いつもは陽気なトビアスが、このときばかりは、まるで別人かと思えるような険しい表情で、モニター画面を注視していた。そしてそのすぐ脇には、ベニートのタブレット端末が、立て掛けるように置かれていた。

 採取したばかりの深度データは、MADを操作する上での、重要な参照情報らしかった。


 操作卓の上には、幾つものダイアルとボタンが並んでおり、トビアスはそれら全てを完全に把握しているらしく、全く手元を見ることなく操作を続けていた。トビアスが何かの動作をする度に、モニター画面は、分光スペクトルのように虹色に変化していった。

 矢倉は気になってそれを後ろから覗き見たが、一体それが何を意味しているのか、皆目見当がつかなかった。

 2時間ほどそうした後で、トビアスはフェリペに「もう船を止めてもいいぞ」と声を掛けた。


 トビアスはそれからすぐさま解析作業に入った。ピリピリとした緊張感が周囲に漂い、誰もトビアスに話しかけようとしなかった。


 それから1時間が過ぎたころだった。

「出来たぞ」というトビアスの声が聞こえ、皆が彼の周りに集まった。

 目の前の画面にあるのは、薄暗い背景の中にある、赤い色で塗られた楕円形だった。


「ベニート、このMADのデータを、海底の地形画像に重ねてみてくれ」

 トビアスはメモリーカードをベニートに渡した。ベニートはそれを受け取り、タブレット端末で読み込んだ。

 しばらく作業を行った後、ベニートは今朝と同じように、ニヤリと笑った。ベニートが差し出したタブレット端末の画面には、マルチビーム測距器が捉えた葉巻型の上に、ぴたりと重なるように、赤い図形が重なっていた。


「やったな、マサキ。おめでとう」

 フェリペは右手を差し出した。矢倉はその手を握り返した。トビアスもベニートも近寄ってきて、二人の握る手に、自分の手を重ねた。

「さあ、暗くならない内に家に帰ろうか」

 フェリペはそう言って、ベッティーナ号のエンジンを掛けた。


 煙突からは、黒煙が立ち上った。



――第八章、終わり――

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