第九章 海底に眠るもの
第30話 レックダイバー・ルイス
――2018年2月1日、10時30分、ホワイトハウス、大統領執務室――
カワードはクララ・ブレイク首席補佐官を執務室に呼んだ。
「ナチス第四帝国にまで話が遡るとは予想外だった。その上に旧日本海軍の潜水艦まで登場するのだから、訳が分からん。一体我々は誰と闘わなければならないんだ?」
「V2を保有する可能性があるのは、第四帝国だけです。ハイジャンプ作戦で大打撃を受けた第四帝国が、70年以上の歳月を経て息を吹き返したと考えるのが妥当でしょう。
伊400型も日本で極秘裏に建造されて、枢軸国で協力関係だったナチスに供与されたものと考えれば説明がつきます。私はネオ・トゥーレが、第四帝国を継承した組織そのものであるか、或いは第四帝国がまだ現存しており、ネオ・トゥーレがそれを支援しているのだと考えます」
ブレイクは自説を述べた。
「モサドがネオ・トゥーレへの諜報活動を始めたのだったな。その後何か分かったのか?」
「まだ何も。ギャビンにはモサドとの接触を絶やさないように、指示を出してあります」
「クララ、ずっと気になっていたんだが、なぜこの時期に奴らが動き始めたのだと思う? 偶然だと思うか?」
「我々の管理金準備制度を妨害するつもりですね。タイミングからして、それしか考えられません。先日の会議でギャビンが言っていたように、管理金準備制度の情報は事前に漏れています。会見の日に合わせてV2を発射することも十分に可能だったはずです」
「君もそう思うか。今回の一件は意外なほどに大きな背景を持ち、しかも根が深そうだ。対応を誤れば、我がアメリカと言えど、無事では済まないな」
カワードの言葉は、半ば自分自身に向けたものであろうとブレイクには感じられた。
コン、コンと、執務室のドアがノックされた。
「入れ」
カワードの声と共に、扉が開いた。部屋に入ってきたのは、コレット国防長官だった。
「お呼びですか、大統領」
「ミサイル防衛網の再構築はどこまで進んだ?」
「メキシコ湾岸に配備されたパトリオットは、既に30%が東海岸に移動しました。西海岸のものは予定より遅れており、まだ10%ほどです。イージス艦と空母は……」
「進捗状況の報告は良い。配備がいつ終わるのかだけを言え」
「陸海空軍の戦力を調定しながら進めているので、まだたっぷりと3か月は掛かるかと思います。目下、ミラー統合参謀本部議長が直々に指揮をしているところです」
「1か月でやれとやつに伝えろ。これは戦争と同じだ。命懸けでやれと言ってやれ」
「分かりました、大統領」
コレットは急いで部屋を辞した。
「戦争ですか。確かにそうかもしれませんね」
ブレイクが言った。
「ハイジャンプ作戦に較べれば、子供の遊びのようなものだ」
カワードは皮肉気に笑った。
「ところで大統領、ハイジャンプ作戦と言えば、この間から気になっていたことがあるのです。公式部隊に別働隊、両方の陣容を合わせると作戦に参加した兵士は1万人を軽く超えていたはずです。
作戦の規模も凄いのですが、私はむしろ、よくそれだけの数の兵士に箝口令を敷く事ができたなと、そちらの方に驚きます」
「それは私も考えた。多分その問いに対する答えはこうだ――。
あの作戦で敵と接触する可能性があったのはパイロットだけだ。どんなに多く見積もっても1000人もいない。しかも彼らは海軍のエリートだ。
パイロット達だけに機密厳守を徹底させるのは、難しくはなかったと思う。一般兵士には重要な極秘作戦とだけ言っておけば十分だったろう」
「もう一つ腑に落ちない点があります。当時のアルゼンチン政府の姿勢は、一体どうだったのでしょう? 自国の領土が攻撃を受けたのです。何故アルゼンチン軍がアメリカ軍を攻撃してこなかったのかが不思議です」
「その答えは地下金庫室の中にあった。トルーマン大統領の口述記録によれば、トルーマンが、就任したばかりのペロン大統領に対し、ハイジャンプ作戦を黙認するよう、高圧的な姿勢に出て、受け入れなければアルゼンチンに宣戦布告すると脅したようだ。当時は今よりもっとアメリカの国力が、世界で図抜けていた時代だ。さぞかし効果があったことだろう」
「なるほど、そういう事ですか」
ブレイクは頷いた。
「そんな事より、クララ。次の国家安全保障会議では、IMFに管理金準備制度を発動させるための決議を行うつもりだ。もうこれ以上は待てない、君も覚悟をしておいて欲しい」
カワードの言葉にブレイクは驚きもせず、やはりという顔をした。
「いつかそう言われると思っていました。大統領の意図は、手に取るように分かります。事が複雑になればなるほど、シンプルな解決方法を望むのがマシュー・カワードという男。
あなたは管理金準備制度を強行するだけでなく、それを餌にしてあの潜水艦をおびき出し、一気に決着を付けてしまおうとしている――。違いますか?」
「君は私の事を何でもお見通しだな」
「あなたが、学生の頃から見ていますからね。大統領」
ブレイクは微笑んだ。
――2018年2月2日、10時00分、リスボン――
矢倉がフェリペのオフィスで、レックダイバーのルイス・ジルベルトを紹介されたのは、海上での調査を終えて港に戻った3日後だった。
ルイスは32歳で、引き締まった体に精悍な顔つきが印象的な男だった。15歳の頃からダイビングをやっていて、現在はフリーランスのレックダイビング・ガイド。年に何回かは沈没船の研究チームや、トレジャーハンターのサルベージチームから声が掛かるのだそうだ。
矢倉は簡単に自己紹介をして、自分がオイルダイバーである事をルイスに伝えた。そして調査のターゲットが、恐らく未発見の潜水艦であろう事を告げた。
ルイスは特に驚いた様子も無く「なるほど」と言って頷いただけだった。
ルイスの腕を探るために、矢倉は自分から質問を投げた。
「調査ポイントの水深は70m。一般的なガイドの潜れるレベルを越えているんだが、経験はあるのかい?」
「もちろん、大丈夫ですよ。ポルトガルでレックダイビングをやるなら、その程度の深さは常識です。逆にそこまで潜れないと、名所になっている沈没船には、お客さんを連れて行けませんからね」
「君は、年間で何ダイブくらい潜るんだ?」
「数えた事はありませんが、ほぼ毎日潜りますよ。比較的浅いところでは一日4ダイブ。70mクラスだと、一日2ダイブ。平均すれば、年間で1000ダイブでしょうか」
「危険な事に遭遇したことは?」
「しょっちゅうですよ。レックダイビングは腕に覚えのある上級者がやるものですが、そんなダイバーこそが一番危ないんです。自信過剰で、勝手な事をやる。そんなやつらが起こす、奇想天外なトラブルにいつも巻き込まれるのが、ガイドという職業です」
「仕事で気を付けている事は?」
「そうですね、絶対に無理をしないという事ですね。例えば2つの選択肢で迷ったら、必ず安全な方を選ぶ。行くか行かないかで迷ったら、行かない事を心がけています。それと、自分の能力が100だとすれば、お客には50の事までしかやらせません。そうでないと、不意のトラブルに対応できなくなりますからね」
矢倉は、ルイスの考えに安心感を覚えた。親近感と言った方が良いかもしれない。ルイスは自分と同じ思考をする男なのだと感じ取っていた。
「もう一つ質問させてくれ。仮に君と一緒に潜った客が、不注意でエアーを切らしてしまったとしよう。そんなとき、君ならどうする?」
「お客のエアーは、エントリー前に僕自身が一つずつ確認するので、そんな事は絶対に有り得ませんよ」
「仮にの話だよ。例えば沈没船の中に入った客の1人が、一瞬君が目を離した隙に、自分勝手な方向に進んでしまった。彼は船内を見て回る内に、進路を見失って出口に戻れず、パニックに陥ってエアーを消耗してしまう。これならあり得ない話ではないだろう?」
「考えにくい事ですが、有り得るでしょうね」
「船内を案内している内に、君は客が1人足りない事に気が付いた。さあ、どうする?」
矢倉の質問にルイスは、何の迷いもなく答え始めた。
「まずは他の客を出口に誘導して、浮上するように指示します。それを確認したあとで自分だけ船に戻り、いなくなったダイバーを探しますね」
「皆で手分けをした方が、発見が早いんじゃないか? それに、客たちだけで浮上させるのは、ガイドとして無責任だろう?」
「一緒に捜索させると、それによって誰かに、新たなトラブルが発生するかもしれません。僕は希望的な考え方をするのではなく、リスクの絶対量を確定させる方を選びます。他の客を誘導せずに浮上させるのは、確かにリスクではありますが、捜索に参加させるよりも遥かに安全です」
ルイスの回答を聞き、ますます矢倉は安心感を覚えた。この男ならばという感触があった。しかし、決定するにはもう一歩踏み込んでみなくてはならない。
小笠原で新藤にした、あの質問をしてみるのだ。
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