第28話 3人の老人

 その日の夕方、矢倉は玲子に国際電話を掛けた。東京との時差は8時間。玲子はまだ起きている時間だ。

 矢倉は電話に出た玲子に、廃村になった村を糸口にして、祖父の足跡を見つけた事を伝えた。カロリーナという老女と出会えたことも。

「よかったわね、あなたの夢の一部が叶ったじゃないの」

「もう村には、僅かな老人しか残っていなかったんだが、逆にそれが幸いしたんだな。しかし、夢が叶ったと言っても、今のところはまだ半分だ。残りの半分は、まだ潜水調査を行うべき海域さえ絞れていないんだから」

「きっと、そちらも上手く行くわよ」

「そうだと良いんだけどな」


「ところで、ポルトガルの情勢はどうなの、デフォルトの影響はあるの?」

「輸入物資の値段が高騰しているらしく、物価は上がっているらしい。しかしクレジットカードで決済しているから、むしろ円高の恩恵で何でも安く感じるよ」

「ポルトガルは、ユーロで経済が他国と連結しているので、ハイパーインフレにはなりにくいのよ。だけど、これからもじわじわと物価は上がり続けると思うわ。そちらの人たちは、これからが大変よ。

 今後は他国がポルトガルの国債を引き受けてくれないので、財政難に陥るのは確実よ。このままだとインフラなどの公共投資ができなくなるので、一年も経つと、同じ国と思えないくらい寂れると思うわ」

 矢倉には荒廃したオンダアルタ村の様子思い出され、ぞっとする思いがした。


「こちらでは随分と良くしてもらっているから、人ごととは思えないな」

「恩返しをするつもりなら、ポルトガルの国産品をたくさん消費してあげることね。これから毎日、ポートワインを一本飲むようにすれば良いわ。支払いはクレジットカードではなく、現金でするのよ。私へのお土産もポートワインにして頂戴。

 それと、誰かにに仕事を依頼するときには、円建てで決済してあげると良いわ。きっと喜ばれるわよ」


「そうするよ」

 矢倉はポルトガルで起きている事の重大さを、改めて感じながら電話を切った。



――2018年1月28日、7時30分、リスボン――


 ベッティーナ号の出港は、フェリペが約束した通り、打合せの日の二日後に決まった。

 当日の早朝に波止場に行くと、船の上では薄手のダウンジャケットを着た3人の老人が、出港の準備をしていた。

「マサキ、こちらへ」とフェリペが手招きをした。

 矢倉が近寄ると、フェリペは船の上から、隣にいる二人を紹介した。


「こっちの背の高いやつは、ベニート・ガビオラ。マルチビーム測距器を扱わせたら右に出るやつはいない。データ解析の腕も抜群だ。こいつは以前、ポルトガル海軍にいて、センチュバルという哨戒艦の副艦長まで務めたんだ」

 ベニートはウインクで矢倉に挨拶をした。


「向こうの体格の良いやつは、トビアス・ブランコ。トビアスは空軍にいて、対潜哨戒機のP3Pで分析官をやっていた。この船ではマルチビーム測距器の担当だ」

「よろしく、マサキ」と言って、トビアスは被っていた帽子を取った。

 見事と言って良い程に形の良い坊主頭は、太陽の光を反射して眩しく光った。

「よろしく、トビアス」

 矢倉は笑顔で応えた。


 フェリペは「それからもう一人」と言いながら、2人の仲間の方を向いた。

「あっちにいるお嬢さんはテレサ。今俺が狙っている女だから、ベニートもトビアスも手を出すんじゃないぞ」

 フェリペがそうテレサを紹介した途端に、二人が同時に「そんな約束などできるものか」と真顔で答えたので、5人はその場で、腹を抱えて笑い転げた。


 矢倉はテレサに、「調査には同行しなくて良い」と言ったのだが、彼女は何もしないで給料だけ受け取る訳にはいかないと言って、調理係として船に乗りこんだ。

 ベッティーナ号は年代物で、フェリペがセルのモーターを回した途端に、操舵室脇の煙突はディーゼルエンジン特有の黒煙を吐いた。

 エンジンの回転が落ち着くに従い、それは青白く水蒸気を含んだ温風に変わり、しばらくの間、そこに空気の揺らぎをつくっていたが、船の出港と共にすぐにそれは風に散った。


 船はテージョ川の河口に向かい、大きな吊り橋の下をくぐって、大西洋に出ようとしていた。矢倉が見上げるその橋は、5日前に車で渡った “4月24日橋” だった。

 外洋に出ると、少し波が高くなった。フェリペは冬の海にしては大人しい方だと言った。


 船の上で矢倉は、老人たちと話をした。ベニートもトビアスもフェリペの幼馴染で、軍を退役してからフェリペを手伝うようになったのだそうだ。フェリペは「俺たちはチームだ」と誇らしげに言っていた。

 いつも同じ仲間なのに、なぜ合流に2日も掛かったのかも教えてくれた。二人は今、老人ホームで暮らしていて、長期に沖にでるときには、施設に健康診断書を出さなければ、外出許可が出ないらしい。それで病院の予約に時間が掛かったのだそうだ。

 トビアスは一度、沖に出ていた時に心筋梗塞の発作を起こし、ドクターヘリを呼んで大変な騒ぎになったと言って笑っていた。


「目的の海域に来たぞ」

 フェリペが声を上げたのは、船が港を出てから3時間以上が過ぎてからだった。 皆が集まると、フェリペはテーブルに海図を広げ、調査手順の再確認を行った。

「まずは指定された緯度経度を中心に3㎞×3㎞のブロックを調査する。マルチビーム測距器の探知幅は200mに設定。結構波が有るので、船の速度は12ノットほどに抑えて、3㎞を7往復半する。

 そこで何も見つからなければ、一つ北のブロックに移動してそこを調査。そこでも見つからなければ、次はその西のブロックに行く。その後は同じようにして、反時計回りに調査の範囲を広げていく」

 フェリペの言葉に、ベニートもトビアスも当然と言うように頷いた。


「マサキは何か質問があるか?」

 フェリペが矢倉に訊いてくれた。

「MADはいつ使うんだ?」

 矢倉が尋ねた。

「教えてやるよ」とトビアスが口を開いた。

「MADが登場するのは、マルチビーム測距器でターゲットを絞り込んでからだ。MADはセンサーを曳航しなければならないので、初めから使うと、船の方向転換に時間が掛かるんだ」


「あんたが乗っていた対潜哨戒機では、MADで潜水艦を炙り出していたんだろう。最初から使った方が、話が早いんじゃないか?」

「マサキは誤解しているようだが、対潜哨戒機というのは、幾つもの情報を複合して運用するものなんだ。MAD単体では潜水艦の居場所などわかりゃしない。

 MADは地磁気の微妙な乱れを感知するデリケートなセンサーで、感度を上げ過ぎると、沈没船以外にも、海底の鉱物鉱床にも反応してしまう。まずは調査すべき場所を絞り込むのが最優先だ。それから周囲の状況を把握し、手動で感度を微妙に調整していく必要がある」


「自動的に判別してくれるものだとばかり思っていたよ」

「自動化なんて、遠い未来の話さ。本来潜水艦というのは移動体なので、識別が楽な部類のはずなんだが、進行速度が遅いと周囲の反応物に紛れてしまうし、正確に南北方向に移動されると、地磁気の乱れが生じないので、MADが反応しなくなる。対潜哨戒機なんて大袈裟な呼び方をしているが、結局その中で一番威力を発揮するのは、分析官の経験と勘だよ」

 矢倉とトビアスが話している間に、フェリペはもうベッティーナ号を所定の速度で動かしてはじめており、ベニートは操作卓に座って、モニター画面にじっと見入っていた。

 2時間ほどすると船は、最初の1ブロックを走り終えた。


「どうだ、ベニート、何か見つかったか?」

 フェリペの問いに、ベニートは「目ぼしいものは、何もないな」と答えた。

「それじゃ、次のブロックに行くぞ」とフェリペは手際よく、更に船を進めた。

 二人のやりとりからして、随分とこの種の調査には手慣れているのだなと矢倉は感じた。


 テレサの作ってくれた遅い昼食を食べて、午後も同じ作業がずっと続いた。

 日が傾く頃には、マルチビーム測距器で3ブロックの調査を終えたが、沈没船らしき影は見当たらなかった。


 船はそのまま、沖で夜を明かした。

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