第25話 消えかけた足跡

 ブレイクが描きこんだ線は、まずは4本。ポーランドとオーストリアから、それぞれスペイン、フランスに向けて伸びる陸路のルート。次に描いたのが、スペインから大西洋を南下してアルゼンチンに向かう貨物船のルートが1本と、フランスを出てフォークランド諸島の西を抜けて、最南端のフエゴ島に向かうルートの1本だった。

 地図への書き込みが終わると、ブレイクはそのまま話を続けた。


「戦費の移送が軌道に乗ると、ほどなくして同じルートで人員の移動も始まりました。まずはトート機関の技師たちです。

 トート機関とはナチスの下で、軍事目的の土木工事や建設工事を行っていた技術集団です。創設者のフリッツ・トートはアウトバーンの建設を行ったことで知られています。


 次に移動したのが、主にナチスの優勢種保護政策であるレーベンスボルン計画の中から選抜された若者と子供です。

 計画では総数10万人を送り出す予定だったようですが、終戦間際の混乱もあって、実際にはどれくらいの人間が海を渡ったのかは分かっていません。


 ドイツを占領した連合軍が調査したところ、若者を中心に25万人以上の人間が消えている事が明らかになっています。当初は戦争の混乱下で発生した死亡者や行方不明者かと思われましたが、すぐにそうでない事が明らかになりました。

 当時のドイツはワイマール憲法下で戸籍と住民票がきちんと整備されており、戦争中もそれがきちんと機能していたため、国内に於ける人の移動はトレースすることができたのです。


 結論を言うと、25万人は文字通り消えていました。それはとてもドイツ国内に潜伏できる人数ではありません。また当然ながらこの人数は、戦後南米各地に避難したドイツ人たちとも重なりません。


 1944年6月の、連合軍のノルマンディー上陸以降は、アルゼンチンへの移送ルートは、ドイツ本国からとノルウェーからのUボート便だけになりました。

 アルゼンチンに送られたものは、金、宝石、人間だけではありません。諜報記録には、フランスに配備されていたV1も移送されたと記されています」


 一通りの説明を終えたブレイクは、マイクロフィルムリーダーから目を離し、カワードの方を向いた。

「大統領、私の想像ですが、恐らくV2やザビアも送り出されていたのだと思います」

「我が国に撃ちまれたV2と化学弾頭は、その時に持ち出されたものという事か?」

「確証があるわけではありませんが……」


「ナチスの亡霊が、今回のミサイル着弾に関与していることは間違いなさそうだ。真実に迫るには、やはりハイジャンプ作戦の内容を確認しなければならないな」

 カワードはブラウンに視線を送った。



――2018年1月23日、9時00分、リスボン~ファロ――


 矢倉はテレサと共にファロに向かった。そこはリスボンからは車で3時間弱。ポルトガルの南端と聞いていたので、温暖な場所なのかと思うと、リスボンとまったく気候は変わらなかった。

 道路脇の木に、桜そっくりの白い花が一面に咲いており、矢倉がそれに見惚れていると、テレサはその木はアーモンドなのだと教えてくれた。


 旧市街の古い街並みを通り抜けて、海側に出たところに目指す場所はあった。

 そこは予め老人ホームだと知らされていなければ、リゾートホテルだと思うような、綺麗な低層の建物だった。

 面会所の大きな窓からは、周囲のラグーンを見渡す事が出来た。矢倉がずっとその景色を見ていると、不意に後ろから声を掛けられた。施設のスタッフが押す車椅子に座った品の良い老女。それがカロリーナ・エスキベルだった。


 矢倉とテレサは、彼女に促されてソファーに座った。簡単な挨拶をすませると、テレサはメモを取り出して、早速カロリーナに話を聞き始めた。カロリーナは饒舌だった。


「その男の人が村に来たのは、世界がまだ戦争をしている最中だったわ。ポルトガルは戦争には参戦していなかったけれど、村の沖合でも時々戦闘があったので、私達はいつ巻き込まれることかと気が気でなかった。


 男の人は海からやってきたの。海岸に流れ着いたところを、偶然に通りかかった教会の神父様が助けたのよ。3日三晩眠って、目を覚ました時には、その人は記憶を無くしていたわ。少しの英語と、少しのドイツ語が話せて、自分の名前もどこから来たのかも、思い出せないと言ったそうよ。


 神父様はその男の人に、名前が無いと不便だろうと言って、カルロスという名を与えてあげたわ。

 子供だった私は、初めて東洋人を見たのだけれど、とても優しそうな人だったので、私は一目でカルロスのことを気に入ってしまった。カルロスは私達子供と遊びながら、段々とポルトガル語を覚えていったわ。

 はじめの内は3歳児のようなたどたどしい言葉づかいだったけれど、彼は元々頭の良い人だったのでしょう。1年もすると、私達と普通に話が出来るようになった。


 カルロスには言葉の習得以外にも、驚かされたことがあったわ。彼には医学の心得があったの。カルロスは、それをどこで覚えたのか分からないと言っていましたけどね。


 私たちの村には医師がいなくてね。病人にとっては、隣町の病院に通うのは大変なことでしたよ。通院の途中で倒れてしまう人もいたくらい。

 だからカルロスのような人は村には貴重だったわ。カルロスは医者でなかったけれど、普通の医者よりも優れていたと思う。


 隣町の病院ではいつまでも病気が治らなかったのに、カルロスの見立てで良くなった人達が沢山いて、やがて隣町からも、カルロスに診て欲しいと言って、患者が村に来るようになったくらいよ。

 神父様は村人から寄付金を募って、彼のために教会の一角に診療所を作ってあげたわ。カルロスも神父様に感謝して、一生懸命に働いた。


 私も彼に命を救われたことがあるの。インフルエンザから肺炎を合併したときのこと。両親はスペイン風邪の猛威を思い出し、もう私は助からないと諦めたそうよ。でもカルロスは必ず治るからといって、症状が落ち着くまでの1週間ほど、それこそ寝ずの看病をしてくれた。

 オンダアルタは小さな村なので、住民のほとんどが、一度や二度は彼に危ないところを救われた経験があると思うわ。


 カルロスは30年も村にいて、住民に本当に尽くしてくれた。でも、あるとき突然に、村からいなくなってしまったの。

 カルロスに関係があるかどうか分からないけれど、彼がいなくなる直前に、立て続けにおかしな出来事があったのを覚えているわ。


 始めは村の沖合で、戦争の頃の潜水艦が見つかったの。イワシ漁の網が海底に引っ掛かったので、それを外そうと若い漁師が素潜りで潜った時、偶然そこにあったのよ。警察に知らせたらちょっとした騒ぎになって、まだ船には火薬が残っているらしいというので、海軍の軍艦が来てそれを引き上げて行った。

 一人乗りの小さな潜水艦で、日本のものらしいと言う噂を聞いて、私はもしかするとカルロスは日本人で、それに乗って日本からここにやって来たんじゃないかしらと思ったわ。


 それからしばらくしたある夜突然に、ドイツ語を話す男たちが村に来た。そしてカルロスの診療所で、長い間話し込んで行った。カルロスがいなくなったのはその翌朝の事だったわ。私たちは初め、カルロスがどこかの村に呼ばれて、往診に行ったのだろうと思っていたのだけれど、彼はそれきりもう村には帰ってこなかった。


 それからまた数日が経って、今度はユダヤ人がカルロスを探しに来るようになったわ。村の人間にしつこく彼の事を訊きまわっていたけれど、誰もカルロスの事はしゃべらなかった。

 そいつらはカルロスに害をなすやつらだと、皆が感じ取っていたからよ。一週間ほどすると諦めたようで、それから来ることはなくなった。


 私は子供の頃、海岸で何度かカルロスが、海の向こうをじっと見つめている姿を見たことがあるわ。彼はひとしきりそうした後で、決まって呪文のような言葉を呟いて、それから両手を合わせて目を瞑った。あれはきっと東洋式のお祈りよ。今振り返ってみると、きっとカルロスは記憶を無くしてはいなかったのではないかしら。


 30年もの間、異国で違う人間として過ごすのって、一体どんな気持ちなんでしょうね。私には想像もつかないけれど、きっとものすごく寂しかったはずよ。もっと良くしてあげればよかった……。私たちはあんなにお世話になっていたのに……」


 テレサはメモを確認しながら、カロリーナからの話を一通り矢倉に伝えた。矢倉はじっとそれに聞き入った。

「その人物――カルロスは、きっと僕の祖父だ。確たる証拠は無いけれど、間違いないと思う……」

 矢倉はそれだけ言うと、言葉に詰まった。


 カロリーナはポルトガル語で、独り言のように何かを言った。そしてテレサが、それに答えるように彼女に何かを告げた。カロリーナはよろよろと車椅子から立ちあがり、矢倉に歩み寄り、矢倉の頬に自分の頬を当てて何かを言った。

 矢倉がテレサに視線を送ると、テレサはたった今、カロリーナと交わしたばかりの会話について説明をしてくれた。


 さっきカロリーナはマサキに、「あなたの顔は、カルロスそっくりだ」と言ったんです。それで私が「この男性はカルロスのお孫さんで、カルロスを探しに日本から来たんですよ」と教えてあげました。

 たった今、彼女があなたに言った言葉は、「お帰り、カルロス。あの時はありがとう」


 矢倉はカロリーナの顔を正面から見つめた。そして「こちらこそありがとう」と言って彼女を強く抱きしめた。


――第七章、終わり――

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