第5話 美しいものを閉じ込めていたい

 晶子の顔は小作りで、ほっそりとした鼻や小さな唇に比べ、目だけが際だって印象深かった。それは、他の部位に比べ、割合に目が大きかったからでもあるし、その目が、白い面に彫刻刀ですっと切り込んだように、この上なく美しい形をしていたからでもある。輪郭自体が陰をなし、奥にはまる瞳に奥行きを与える。濡れ輝く様は、まさに宝石のようであった。



 晶子は、幼い割に大人びたまなざしを持った少女だった。周囲の大人たちに、子供らしくないと言われ続けていた阪口が思ったのだから、よほどのものである。晶子が入院していた小児病棟は特に重篤な症状のこどもが多かったそうで、患者の入れ替わりも激しかった。入院して最初は、友達を作っては喜んでいた晶子は、そのうちに友達を作ることをやめた。晶子の退院が決まったときに、父母は喜んだが、晶子は表情を変えなかった。退院の日、玄関を出たところで病棟を見上げ、「生きたまま外に出てごめんね」と呟いた。それを聞いて、父母は大いに晶子を危惧した。

 阪口が呼ばれたのは退院から数ヶ月した頃である。晶子はすっかり人形のように、部屋に閉じこもって暮らしていた。


 その頃、阪口は、すでに自分の中に暗い欲求を見出だしていた。初めは何かを大切にして形を残したいといった程度だったように記憶している。幼い頃から昆虫が好きだった阪口は、昆虫標本にのめり込んでいった。美しい昆虫達の、形をとどめていたい、それを眺めて陶酔する。聡明だった彼は、その気持ちが、次第に氷のように固く、それでいて炎のように激しく凝っていくことに気づいていた。

 阪口はこの結晶を否定しなかった。むしろ、これに自分を委ねようと思った。すでに、阪口には欲しいものも失いたくないものもなかったからだ。


 美しいものを閉じ込めていたい。

 死んでいれば体の支配は容易だ。けれど、死ねば魂は失われている。

 魂が無ければ、全てを逃がしたのと同じだ。

 魂を閉じこめていたい。魂を持つ体ごと、すっかり閉じ込めてしまいたい。


 肉体の支配は容易だ。依存させてしませばいい。暴力による支配、薬物による支配、快楽による支配。それは精神の歪みを引き起こす。いつしか肉体と精神は乖離して壊れてしまう。そうではない。

 存在を依存させたいのだ。それも自分に。清らかに歪まぬままの魂と体を支配したい。谷川の水を鹿が乞うように自分を求めて欲しい。



 阪口は、晶子の頬を両手で捕らえた。顔を傾けて唇を寄せる。晶子の瞼が下り、瞳が隠される。

 唇と唇が触れ合う。晶子の小さな舌が、阪口の薄い唇の中に入ってくる。怯えながら、けれど、そうせずにはいられない性急さで滑り込んでくる小さな舌を、阪口はあやすように吸ってやる。晶子はぎゅうぎゅうと阪口の胸元の服を掴み、阪口が強く抱きしめてやると、やっとその手を阪口の背中に回した。小さな舌が小刻みに前後し始め、阪口はそこに唾液を含ませてやる。「ん、ん」と鼻を鳴らして、晶子は阪口の唾液を嚥下した。

 随分とおいしそうに飲む、と阪口は思ったが口には出さなかった。当たり前のことだからだ。言えば晶子は羞恥に頬を染めるだろう。しかし、晶子は恥辱を喜びとする質ではない。晶子を傷つけて楽しむ阪口でもない。大切にしたいのだ、自分のやり方で。


 晶子は、阪口と出会った頃からずっと変わっていない。どこか、現実から遠い。阪口はこう考えている。晶子は、生きながら死んでいたいのだ。前を向いて生きるには、晶子は優しすぎる。阪口が晶子の優しさにつけ込んでいるのかもしれないし、晶子が阪口の欲望につけ込んでいるのかもしれない。そのどちらでもいい。晶子が望んで、阪口に支配されているということが肝要なのだ。

 阪口は、晶子のこれからの時間を全て、晶子から譲られた。時間、心、阪口は少しずつ、晶子の若くみずみずしい肉体も支配しようと思っている。阪口の強靭な四肢によって絡め取られ、肉の楔で繋がれる晶子の姿を思えば心が踊る。快楽は、とても有効な手段だ。阪口も支配されてしまうかもしれないが、それもかまわない。むしろ、それは阪口と晶子の二人にとって、最も幸福な結末なのではないかと、彼は思っている。

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