Episode 11 避難所


「ん……んんー……」


 一晩泊まったアパートを見上げるようにして身体を伸ばす。

 二階建てで広さはあまりないように見える。木造のようではなさそうで、頑丈そうな作りには見える。ただ、太陽光パネルを置くように作られたとはとても思えない形をしている。

 ただ、屋根に当たる部分に柵があるため、屋上があるのだろう。そこに設置するんだったら、理解はできる。

 身の守り方を一晩教えてもらい、あまり寝ていないがスッキリしている。

 建物の中で安心して眠ることができたためだろうか。

 結局、荷物は全て置いてきてしまったが、配給を貰いに行くだけだ。

 明久さんを疑っているわけではないが、盗られて困るものも無いのは事実だ。盗られて惜しいものは無いはずだ。

 太陽の光が眩しくて、思わず目を細めて手を目の前に置いて、光を遮る。久々に太陽光を浴びた気がするけど、まだ一晩しか経っていない。

 にしても、明久さんはどうしてわたしたちに優しくしてくれたのだろうか。

 あのおじさんの腕力や、持っていた武器を考えると、首を突っ込んでまで助けてくれた理由がわからなかった。

 治安が悪い地域だってわかっているのに、そんな場所に住んでいるし、歩き回っていたことになる。明久さんは何者なのだろうか。

 ただ、そんなことを考えて立ち止まっているわけにも行かない。


「じゃあ、行こうか。お兄ちゃん」

「……ワン」


 なんだか元気がない。

 いつもはもっとはっきりとした声で返答があるのだけども。

 確かに、明久さんのお兄ちゃんに対する接し方はどこか冷たいものがあった。まるで、本物のイヌに接するみたいに、酷いものだとは感じていた。


「お兄ちゃん、どうしたの?」

「ウ……ウゥ……」


 と聞いたところでわたしに理解できる言語で答えは返ってこないのだ。

 【獣化病】による弊害の一つだ。【獣化病】により姿が変わり、思い通りに動けなくなるのは本人への弊害。その他に、言葉を話せなくなるのがもう一つ。

 【獣化病】で他の姿になってしまった者は言葉を理解できるが、その言葉で返せないのだ。言語でのコミュニケーションは困難になり、どうしても一方的になってしまう。


「それでも、わたしたちは【獣化病】と共にいきていかないといけないんだね」


 二択で答えられるような質問をするか、原因を察して予想すればいい。

 ただ、今のお兄ちゃんの気持ちを聞き出すのは難しいし、想像もできない。


「お兄ちゃん、ここに残る?」


 行きたくないなら、無理についてきてもらうことはない。

 あのおじさんも、怪我をしているし、今のわたしは武器だって持っている。一人でも気をつければどうにかはなる。

 でも、お兄ちゃんはブンブンと首を横に振って否定した。


「そっか。ごめんね、気持ちをわかってあげられなくて……」

「ウゥ……ワン!」

「あ、お兄ちゃん!?」


 そんな弱音を聞きたくないと言わんばかりに、お兄ちゃんは先に駆け出してしまった。

 そうか、そうだよね。いつまでも立ち止まっているわけには行かないもんね。

 姿が変わっても、お兄ちゃんはわたしのお兄ちゃんなんだ。

 わたしはおいていかれないように、自分の足で駆け出した。



 渋谷駅から少し離れた場所にあるだろう住宅街。

 確かに駅前ではないため、人通りが少なくても仕方がない。

 それにしても、今はあまりにも静か過ぎる。人の気配を感じない。

 わたしとお兄ちゃんが並んで歩いているだけで、すれ違う人もいない。

 明るい時間帯なので駅に向かう人がいてもおかしくないはずなのだが。

 でも今はそんな人もいない。それだけ【獣化病】や【獣化病の始まり】の影響が強かったということだ。

 建物の倒壊もまた酷い。

 住宅街なので道が網のように分岐して広がっているのだが、瓦礫で通れない場所が多く、どうしても迂回しないと行けない場所が多い。

 瓦礫の側には血痕が残っていることもあり、血を見るとあのおじさんが腕を撃たれたときを思い出してしまう。

 思わず立ち止まって、手を胸の前に当ててしまう。


「ワンッ」


 お兄ちゃんがこちらを見上げて声をかけてくれる。


「そうだよね……今はそんなこと考えてる場合じゃないよね」


 そうだ。

 この先にある配給をもらって、明久さんのところに戻るんだ。

 そして、その後はお母さんとお父さんがどうなったのかを確かめに――この目で見に行くんだ。

 弱音を吐いて、泣き崩れるのはその後、一人で静かにすればいい。

 それにしても、配給を行っている場所の方向は間違っていないと思うけど、迂回しないといけない場所が多すぎる。

 少しでも教えてもらえていれば楽だったかもしれないが、明久さんは詳しく教えてくれなかったな。

 だからって、教えてもらえたとしても迷ってしまうのは確実だっただろうけどね。


「……」

「どうしたの?」


 お兄ちゃんがピタッと足を止めた。まっすぐ前に視線を向けたまま動かない。

 わたしも足を止めて、道の向こうに意識を向ける。

 あ、誰かが歩いている音がする。

 ザッ、ザッ……とアスファルトの道を進んでいる音。

 姿は見えないが、多分一人。二足歩行。

 先の十字路まで行けば姿が見えるんだろうけど、昨日のことを考えるとそのまま鉢合わせてしまうのは怖い。

 でも、わたしにはこれがあるんだ。

 ポケットに入っている銃を、ズボンの上から触れる。それがあることを確認してから、グリップを握る。

 引き返すわけにもいかないので、


「大丈夫。進もう、お兄ちゃん……わたしは、平気」


 足元で心配そうにしていたお兄ちゃんに声をかけて、わたしは頷く。

 わたしの答えを聞いて、お兄ちゃんも首を縦に振って、再び進み出す。

 相手の足音はやや遠いので、十字路で相手がどこにいてどんな容姿をしているのか

確認することができるだろう。

 足早に十字路まで進み、配給を行っている中学校へと進めるだろう方向へ曲がる。

 すると、足音の主であろう人の姿がはっきりと捉えることが出来た。

 わたしたちが進んでいきたい方向からやってくる人。

 男性で明久さんよりも身長は低そうだ。明久さんよりもふっくらしているが、明久さんが細すぎるだけだと思う。英字がプリントされたシャツを着ていてラフな格好だ。

 ただ、首に巻いてるのはマフラー?

 まだら模様で細い物を首に巻いている。この時期にマフラーだとしたら、かなり変だ。

 手にはビニール袋を持っていて、昨日明久さんが帰ってきた時に持っていたそれに似ている。

 道幅は車が二台すれ違うことができる程度の幅で、対角線を歩いているためぶつかることはまず無い。

 向かってくる男性もわたしたちの存在に気が付いたのか、一瞬驚いたような表情を浮かべてから、優しい表情に戻る。

 わたしは警戒を緩めず、銃に手を当てながら少し早足で歩く。

 身にまとっている服は随分と綺麗だ。

 恐らくはこの辺で生活しているか、避難所を利用している人なのだろう。でも、避難所を利用しているのであれば、わざわざ逆方向のこっちまで歩いてきているのはおかしい。

 「怪しい」という感情が多分顔に出てしまっていると思う。

 その表情を読み取ったのかわからないけど、男性は方向を少し変えてこちらに近づくように前に進んでいる。

 お互いに前に進んでいるので、いずれこっちまでやってきてしまう。

 全身がこわばって、歩行もぎこちなくなっている。

 数メートル、そんな距離になった時、男性は空いている手を上げて、


「こんにちは」


 微笑みながら、挨拶を口にした。

 ゆっくりではっきりとした聞きやすい声だった。

 昨日のおじさんみたいな邪悪な感情を持っているわけではなさそうに、純粋に挨拶をしてきたんだと思う。

 だからといって、男性の考えていることがわかるなんて能力を持っているわけもなく、何を思って挨拶してきたかなんて全くわからない。


「……こ、こんにちは」


 でも、本当にただの挨拶だとしたら、無視するのは非常に無礼な行為である。

 警戒しているということが隠せずに、震えた声で挨拶を返してしまった。

 お兄ちゃんもいつでも飛びかかれるような低い姿勢になっている。


「ありゃ、随分と警戒されちゃってるみたいだね……まあ、確かにこんなみんな避難所に移っちゃったような場所を歩いてたら怪しいよね」

「そう、ですね」


 男性は後頭部をかきながら苦笑を浮かべていた。

 わたしはそれだけでは安心できずに、そっけない返事をする。初対面の人に対して随分な対応だってことはわかっている。


「僕は何も持っていない。この袋は避難所からもらった配給さ」


 男性はビニール袋の中身をわたしに見せて、袋ごと地面に置く。

 その後、ズボンのポケットをひっくり返してから両手を上げる。


「わけがあって避難所から離れて生活してるんだ……信用できなかったら、服を全部脱いでもいいんだけど」

「わ、わわ、そこまでしなくても結構です!」


 本当に身にまとっている服を全て脱ぐ勢いだったため、慌てて止める。

 さすがに変出者にするわけにはいかない。


「ごめんなさい……昨日、怖い思いをしたばかりで」


 嘘はつかずに頭を下げる。

 胡散臭さも無いし、放っておいたら逆に危ないような雰囲気すら感じる。


「そっか、大変だったんだね。そういう輩は彼が対処してたはずなんだけど……確かにまだ危険なグループはいたんだっけ……」


 彼? とは誰だ。

 そんな疑問を尋ねる前に、男性は独り言をつぶやきながら考え始めてしまった。

 おや?

 ゆっくりとマフラーに見えたものが動き出したぞ。

 その先端、顔のように見える部分がわたしに近づいて……って、


「え、ヘビ、わ、うわあ!!」


 チロッと何かが頬を触れた瞬間にわたしは後ろに下がってバランスを崩す。

 尻もちをついてしまった。さすがの男性も異変に気がついて、驚いた表情でわたしに手を差し伸べる。


「大丈夫かい?」


 まさか、マフラーがヘビに変身するとは……違う、元々ヘビだったんだ。

 頬に触れたのは、そのベロだった。

 男性の首に巻かれているベビが、舌を自在に動かしている。


「てて……だ、大丈夫です」


 男性の手を借りて、立ち上がる。

 お兄ちゃんも心配そうにしていたが、平気と答えておいた。

 てっきり、季節外れのマフラーだと思っていたが、全くそんなことはなかったのだ。


「こら錦(にしき)、初対面の人を驚かせちゃダメじゃないか」


 男性はそう言いながら、ヘビの頭を人差し指で突いている。

 錦と呼ばれたヘビも悪びれる様子もなく、舌を小刻みに口から出し入れしている。


「あだだ、首しまってる、首しまってるからッ!?」


 意外と力はあるようで、男性は苦しそうにしている。


「それで、そのヘビってもしかして」


 しっかりと言葉を理解しているようだし、どこか人間味のある仕草だ。

 わたしの質問に男性は錦さんを引き剥がしながら、答える。


「ああ、【獣化病】さ。彼女は羽生(はぶ) 錦。イタズラ好きな女性だったけど、この姿になってから、更にひどくなってしまってね」


 ははは、と笑ってはいるけど、どこか寂しそうにも聞こえた。


「それで足元の彼……でいいのかな? ただのイヌじゃないよね」

「はい。わたしの兄です。日向 春斗っていいます。わたしは風香です」

「そっか……僕は藪中 流司(やぶなか りゅうじ)。大学生だったんだけど……今はそれどころじゃなくてね」


 やれやれと肩をすぼめる流司さん。


「今日を生きるのがやっとだよね」

「そう……ですね」


 上手く答えを返せないけど、いつ【獣化病】で姿が変わるかわからないこの世界で、今日をこうして生きていられるのは難しい話なような気がしてきた。


「それで、風香ちゃん……でいいかな?」

「大丈夫です」

「風香ちゃんはこれからどこか目的があるのかな?」

「はい。配給を受け取りにと、おつかいを頼まれたんですが、場所がわかりにくくて……」

「そっか。確かに、道がわかりにくいよね……僕を信用してくれるんだったら、良かったら道案内させてくれないかな。色々話も聞きたいし」

「そ、それは……」


 流司さんの持っている袋は配給のもので、もう行ってきたばかりなのだ。

 それなのに手間をかけてしまっていいのだろか。

 それに信用に値する人か……なんて、考えるまでもなさそうだ。


「あの、迷惑じゃなかったら、お願いします」


 首元の錦さんが、流司さんの耳たぶをかじっている。何かしでかすようなことがあれば止めてくれるんだろうな。

 きっと信用していい人だ。わたしはそう思う。



「じゃあ、ここでいいかな?」

「はい。わざわざ連れてきてもらって、ありがとうございます」


 流司さんに連れられて、わたしたちは配給の行われている中学校までたどり着いた。

 通れる道は入り組んでいて、慣れないと迷ってしまって仕方がなかったと思う。

 幸運にもよく利用している流司さんに遭遇できた。

 道中も何をされるわけでもなく、この中学校までやってこれた。

 わたしの手にも配給の袋がある。避難所を利用していなくても、配っている場所まで行けば受け取ることが出来た。

 確かに、人で溢れている。

 今いるのは地上の校庭であるが、大人も子どもたくさんいて、まるで運動会を行っているかのような人口密度だ。

 大人は立って様々な人と会話をしていて、子どもたちは校庭を走り回っている。

 でも、とにかく狭そうだった。

 そんなわたしと流司さんは校庭の端、ベンチの側までやってきていた。


「座ろうか」

「はい」


 そうして、わたしと流司さんはベンチに腰を下ろす。三人がけのベンチに真ん中に荷物を置いて両端に座っている。

 お兄ちゃんはわたしの側で身体を伏せて、錦さんは流司さんの膝の上でトグロを巻いている。それでいて、お兄ちゃんと錦さんはジッとお互いの顔を眺めあっている。


「お兄ちゃん、もしかして会話できたりすんの?」


 まさか、と思って尋ねるが、残念なことにお兄ちゃんは首を横に振った。そっか。


「人が多いところの方が安心してもらえると思ったんだけど、問題ないかな?」

「あー」


 わざわざそんな考慮をしてもらっていたのか。

 校庭の真ん中から離れてるから、この付近には人はほとんどいないが、少し先には大人も子どももいるし、この付近を走ってくる子どももいないことはない。

 何か悪いことをしようとしても人目があるのだ。


「大丈夫です。そこまで考えてもらってありがとうございます」

「いやいや気にしないで。【獣化病】で動物になった人と一緒にいる人と会話する機会が少なかったから声をかけちゃったんだ」

「そうだったんですか」


 【獣化病】で姿を変えた人と一緒に生活している人は少ないのだろか。

 確かに、【獣化病】が伝染ると信じている人も多い。そのため、【獣化病】で姿を変えてしまった人は隔離されるか殺されてしまうなんてこともあるらしい。

 それに一緒にいると、どうしても姿を変えた人に生活を合わせざるをえなくなるため、嫌がる人もいた。一家から離れ、その後はどうしているのかはわからない。

 とにかく、一緒にいる理由がないのだ。

 それにこの辺りは特にそれがひどそうな気がする。

 この避難所では【獣化病】の人を見ない。まるで、自然災害で避難しているかのように人間ばかりだ。

 【獣化病】が発生した家族は追放されているのかもしれない。

 たまに配給を受け取って足早に中学校から外に行く人もいる。そういう人が【獣化病】の人と生活していたり、伝染ると強く信じている人なのだろう。追放されているのではなく、自分たちの意志で避難所を使っていないという事を信じたい。

 ただ、少なからず、配給を受け取る時にお兄ちゃんと一緒にいたが、何か言われることはなかった。まあ何人か、露骨に嫌な表情をしていたが。


「もしかして、流司さんたちは元々この避難所を……」

「いや、使ってないよ。錦の借りていたマンションの一室にそのまま住んでるんだ」

「錦さんの、ですか」

「そう。僕も錦も渋谷にある同じ大学に通っていてね。僕は電車通学で錦はこの辺のマンションに住んでいたんだ。まあ、今は大学も休みだけどね」


 授業なんてやってる場合じゃない。【獣化病の始まり】による行方不明者多数、交通機関は止まり、この近辺のライフラインは麻痺。更には【獣化病】でいつ姿を変えることになるかわからない。そんな状況下で授業は行えない。


「情けない話で、電車が止まってしまって帰れなくなっちゃったから【獣化病の始まり】以降、泊まらせてもらってんだよ」

「その時、錦さんは」

「最近まで錦はヘビじゃなかったよ」

「あ……ごめんなさい」

「気にしないで。ところで、風香ちゃんはこの辺に住んでたわけじゃないの? ここまでの道がわからなかったからそんな気がしたんだけど」

「そうですね。ここまでやってきたのは昨日で、ずっと横浜から歩いてきました」

「え、横浜から? 確かに電車は止まってるけど、わざわざ歩いて?」

「はい。両親が【獣化病の始まり】の日に渋谷まで出かけていて、それ以来連絡が取れないんです。なので、両親がどうなってしまったのか、この目で見るためにここまで歩いてきたんです」

「そっか、大変だったんだね」


 ふと、お兄ちゃんに視線を向けると、錦さんが大口を開けて、今まさにかぶりつこうとしていたところだった。

 お兄ちゃんもどうしていいかわからないままに、鼻先をカプッとかぶりつかれている。


「ウッ……ワ!」

「あ、こら、錦!!」


 お兄ちゃんが声にならない声を上げて首を大きく振って、流司さんが錦さんの首根っこを掴んで持ち上げた。


「大丈夫、お兄ちゃん?」


 お兄ちゃんの鼻先から血が出てる様子はないので甘噛だったんだろうけど、急にそんなことをされたらビックリするに決まっている。

 流司さんに掴まれて宙をブラブラしている錦さんは、どこか幸せそうにシャーと舌を揺らしていた。

 お兄ちゃんはお兄ちゃんで不貞腐れて顔を伏せてしまった。


「ごめんね、お兄さんは大丈夫そうかい?」

「ええ、大丈夫そうです……にしても、流司さんと錦さんって随分仲が良さそうですね」


 まるで【獣化病】が無いかのような振る舞いにわたしの目には映った。

 わたしとお兄ちゃんの間には、どこか溝を感じるというのに。

 わたしの言葉に、流司さんはどこか恥ずかしそうに頬を指でかいてから、視線を少しわたしから外した。


「そんなことないよ。ただただ縁があっただけで、たまたま彼女の部屋にお世話になってるだけだよ」


 流司さんは否定をしているけど、錦さんは首を横に何度が揺らしてから、


「うわッ」


 意表をついて流司さんの手から飛んだ。向かう先は、流司さんの首元で、先程のマフラーのように巻き付いた。顔は流司さんの頬にこすりつけていた。


「確かに【獣化病】がなかったら、こうして向かう合えることもなかったんだけどね」

「?」


 流司さんと錦さんの間には何があったのだろうか。


「実は僕、爬虫類が苦手でね触ることが出来ないんだ」

「えッ!?」


 でも、今まさにヘビになった錦さんがベッタリと巻き付いている。


「【獣化病】で錦がヘビになった時は大変だったけど、まあ……少しずつ克服してって感じだね。まだ、錦以外の爬虫類には触れないけど」

「そうだったんですね」


 触るのが出来ないほど苦手で、でも一緒にいるためにその苦手を乗り越えたんだ。


「まあ、錦と歩んでいく道は大きく外れてしまったけどね……」

「……」

「あ、そんな顔しないで。ごめんね、しんみりしちゃうような話をするつもりじゃなかったんだ……ところで、その配給の量」


 流司さんはわたしの横に置いた配給の袋を指差した。

 確かに二人分の量ではない。


「わたしを助けてくれた人にお願いされたので、その人の分ですね。昨日、人にさらわれそうになったところを助けてくれたんです」

「そっか……ん、もしかして、その人って明久くん?」

「え、知り合いなんですか!?」


 わたしは思わず声を張り上げてしまう。

 近くに人はいなかったので振り向く人はいなかったけど、少し恥ずかしかった。


「僕も声をかけてもらったんだ。それにここにいる人はみんな存在を知ってるんじゃないかな」

「……なんか、納得できました」


 明久さんは人を突っぱねた言葉が多いけど、なんだかんだ困った人には手を差し伸べる人なんだ。そう、わたしは感じた。


「出会った時に僕が独り言で喋ってた彼は明久くんのことだったんだ……まあ、確かにこの辺りじゃ有名人だから、出会っても不思議じゃないよね」

「そんなに有名なんですか?」

「そりゃ、この辺りの治安が維持できてるのは明久くんのおかげって言われるほどにはね。銃を持っているけど、悪さは決してせず、不審な人間を徐々に追い出してるって話さ。どれまで尾びれがついちゃってるかはわからないけど……」


 そこまで話してから「ん」とどこか疑問のありそうな表情になる流司さん。


「昨日、銃声が多かったけど、何か関係ある?」

「あ、昨日、身を守るために銃の使い方を教えてもらってたんです」

「なるほどね」


 どこか納得いったような、そんな返答をする流司さん。


「面倒見がいいからね。明久くんと顔を合わせる度に、お世話になってるよ」


 はははと、笑みを浮かべていた。


「……ただね」


 そして続ける。


「ただどこか、明久くんには危うさがあるように見えるんだ」

「危うさ……?」

「何か決意をしているような、そんな雰囲気。そうでなければ、こんな地域に長居する必要は無いんだ」


 そう言われれば確かにそうだ。

 どうして明久さんはあのアパートで暮らし続けているのか。

 銃を持ち続けている理由は。

 この地域が危ない地域なのであれば、ここから離れてもいいはずなんだ。


「まあ、僕の気のせいかもしれないけどね。一緒にいるつもりなら、気をつけてみて。僕にできることはないだろうから……」


 流司さんにできることが無いのであれば、わたしにできることも無いのではないだろうか。

 ただただお世話になっているだけで、何に気をつければいいんだろう。昨日であったばかりのわたしに。


「なんて言いながら、僕たちもしばらくはここで生活するだろうし、風香ちゃんや明久くんともまた会うだろうからね」


 そう言って、流司さんは立ち上がる。ヘビの錦さんを首に巻き付けて、初めて姿を見たときと同じ格好で。

 わたしも釣られて立ち上がる。


「だから、よろしく」


 流司さんが手を差し伸べてくる。

 男性のゴツゴツした手だが、筋肉質ではないその手。

 わたしも手を出して、そっと握る。


「願わくば、お互い生きていられるようにね」

「はい」


 流司さんは一度、何かを決めるように力を込めてから離す。

 その流司さんの言葉は、まるで自分に言い聞かせるかのような言葉だった。


「……姿は変わっても、心は変わらないですから」

「そうだね。きっと、変わらない。変わるものの中に、変わらないものはあるんだ。付き合ってくれてありがとう」

「いいえ、こちらこそ流司さんにお会いできてよかったです」

「じゃあ、また会おう」

「はい」


 そして、流司さんはわたしたちに背を向けて離れていく。

 どうせ同じ方向に戻るのだから、付いていっても良かったが、もう少しここに居たい気持ちになった。

 流司さんと錦さん。【獣化病の始まり】の以前の関係は想像もつかないけど、きっと同じなんだろう。とてもいい関係だ。


「ねえ、お兄ちゃん」

「ワウ?」


 流司さんたちの姿を見つめながら、お兄ちゃんに声をかける。


「わたしは【獣化病】で変わっちゃったかな? お兄ちゃんとの関係」

「……」


 お兄ちゃんはどんな反応をしているのだろうか。

 結局、わたしは見ることができなかった。

 流司さんと錦さんの姿はもうない、それでもその景色を見つめたままに。

 変わってしまったのは、実はわたしなのかもしれない。

 それでも、立ち止まってもいられないんだ。前に進めるように、少しずつ変わり続けることは必要なのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る